長閑な秋の悠久山公園 | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

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エルサルバドルに単身赴任中。
気候がいいので日本よりよほど健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意しなければならないのは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

先週末の台風19号でお亡くなりになった方のご冥福をお祈りし、また、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

 

台風が接近した時には私は柏崎の実家にいましたが、強い雨が長く続き風も強かったものの、幸い猛烈なほどではなく、また家は川から離れており、恐らく砂丘地帯の上であろうやや高めの位置にありますので洪水の心配もなく、ほとんど不安なく母と一緒に夜を過ごすことができました。長岡の自宅は栖吉川の近くに立つマンションの1階ですが、そちらの川も全くの無事。ただ、宮内の今井という町で、浄土川が信濃川と合流する直前のところで越水して浸水が起こったという話です。

 

しかし、新潟県は全体としては、東日本にして比較的被害が少なかった方だと言えます。

 

さて、10月16日の水曜日。先週に続いて悠久山の堅正寺に2度目の参禅でした。先週には盛んに鳴いていた蝉の声もすっかり絶え、秋の虫と幾つかの鳥の声だけが聞こえてきました。

 

つい4日前に台風が近づいたことが嘘のような、穏やかな、長閑で静かな秋の午後です。坐禅会が終わったら、悠久山公園を散歩して帰ることにしました。

 

 

ご覧の澄みきった晴天です。

 

堅正寺に行く時には先週と同様、小学校の団体が広場を中心に至る所で遊んでいましたし、坐禅の帰りも、ざっと見渡す限りで10人か20人の往来があり、広場では、今度は数人の若者がサッカーか何かをしていましたので、賑やかとまではいかないまでも、淋しくはない様子でした。

 

 

広場の脇にある、写真の泉翠池(せんすいいけ)を見下ろす屋根付きベンチに腰を下ろしました。紅葉が本格的に始まるのはこれからのようです。

 

すると、近くからパッフェルベルの「カノン」を奏でるバイオリンの音が漂って来るではありませんか。これは録音ではなく、生ですよ。こんな閑静な公園で聞こえてくると、なかなか乙です。

 

ベンチを立ってその方に歩いていくと、そばの四阿(あずまや)で一人の初老の男性が、ピアノ伴奏の録音を流しながら優雅に弾いています。何と風流な。

 

次にはエルガーの「愛の挨拶」。バイオリン曲の定番です。次に私の知らない曲を始めたところで、私は日本庭園に向かって歩を進めました。

 

 

日本庭園には池はありませんでしたが、水がわずかに流れています。秋のこの時期になると、夕方近いこの時間でも蚊が少ないのは嬉しいです。

 

 

赤トンボが盛んに飛び交っています。飛び石に留まったところをカシャリ。

 

日本庭園の四阿でしばし読書。読んでいる本は『忘れられた日本人』(宮本常一)。読んでいる箇所は、年に一度、男女共に誰と寝てもいいとされる「一夜ぼぼ」と呼ばれる風習の件(くだり)。こんな、性(というか露骨に言うとセックスや女)に関する話や下ネタも多いとは知らなんだ。

 

 

公園の下の方には蒼紫神社(あおしじんじゃ)があります。これは長岡藩藩主、牧野家の神社なのですが、由緒や歴史についての詳しいことについては、私がここで付け焼刃の知識をコピペしたのをお読みになるより、長岡市のホームページウィキペディアをお読みになった方がよろしいかと。

 

 

悠久山公園では1時間程度過ごしました。公園の入口付近にはイヌタデが咲いていました。秋を感じます。

 

歩いて30分、長岡市中央図書館で『忘れられた日本人』の続きを暫く読んで、暗くなりかけた頃に帰宅です。