長岡市郷土史料館 | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

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エルサルバドルに単身赴任中。
気候がいいので日本よりよほど健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意しなければならないのは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

 

堅正寺での坐禅会の後、悠久山まで来たので、かねてから一度は覗いてみようと思っていた隣りの長岡市郷土史料館に立ち寄りました。

 

公園内を往来する人はちらほらいましたし、坐禅会の前にこの公園を通過した時には、広場で小学校の恐らく全校生徒がピクニックをしていました。しかしこの時間、史料館への入館者は私一人。行楽日和の秋の午後とは言え、学校などの団体が入らない限り、平日の史料館は静かなものです。

 

入館料は大人300円。立派な施設で展示品も多く、その点から言えばもっと支払ってもいいかもしれません。しかし市の公共施設であることや、期待できる入館者数を考えると、まずまず妥当でしょう。長岡は博物館の数がちょっと多すぎる印象ですので、幾つかを統合してもいいような気もしますが。

 

まあ、この史料館は、市が税金を使って文化施設を養っている、いわば図書館みたいなところですから、採算はあまり関係ないのかもしれません。

 

それにしても、この城を模した建物――長岡城の礎石が石垣の一部に使われているそうですが、まあ、「なんちゃって城」です――が建設されたのと同じ頃(昭和40年代前半)に、互尊文庫(図書館および史料室です)の現在の建物や青少年文化センターも建てられたはず。互尊文庫と青少年文化センターは老朽化を理由に取り壊される計画で、後者は既に今年の3月末をもって閉館しています。そしていずれも、大手通りに新しく計画されている「米百俵プレイス(仮称)」などに統合されることになっています(あれほど快適な互尊文庫を取り壊すのは、私としては残念で仕方がないのですが)。

 

郷土史料館は大丈夫なのか?

 

というより、ユニークなランドマークが消えるのはもったいないけれども、入館者の状況を考えると、こちらの方こそ統廃合するべきでは?

 

この史料館で想起し比較したくなるのは、柏崎の「ふるさと人物館」です。もともとは市立図書館の建物だったのですが、図書館が「ソフィアセンター」としてすぐ近くに移転したため、空いた建物にて開館したもの。しかし、昨年2018年の3月末をもって閉館し、資料は市立博物館にて保管されることになりました。

 

長岡の郷土史料館の展示品の多くは、地元の名士にかかわる史料。この「柏崎ふるさと人物館」と非常によく似た性格を持っています。市の規模が違うとはいえ、独立した博物館として存続できるのか、また存続すべきなのか、長岡市民としては考えたいところです。税金がかかっているのですから。

 

それはともかく、展示室を撮影してもよいとの係員の許可を得ましたので、私の目を引いたものをお見せしましょう。

 

 

四斤山砲(よんきんさんぽう)の砲弾。つい先日、米百俵まつりに登場した大砲だけに、実践で使われた様子が目に浮かぶようです。

 

 

河合継之助の提灯と木箱。木箱には丸に剣片喰(けんかたばみ)の家紋があります。五段梯子は長岡藩の紋章。

 

 

小林虎三郎と米百俵」と題するコーナー。長岡市民は、郷土の基礎知識としてここに説明されているあたりの事を勉強すると良いでしょう。

 

 

第六十九銀行古文書」との説明がありますが、どんな内容の文書であるかは分かりません。内容よりも、三島億二郎などの、第六十九銀行の創設に関わった長岡の名士の名が連ねていることの方が、展示品としての意味が大きいようです。

 

なお、第六十九銀行とは現在の北越銀行のこと。その北越銀行も、この度、第四銀行と経営統合しましたので、近く名称を変更するでしょう。「第四北越銀行」とか。個人的には、例えば「雪国銀行」とか、「トキめき銀行」あたりを提案したいところですが。

 

 

「天守閣」の最上階は展望台。四方にベランダが巡らされていますが、こちらはJR長岡駅方面を望む方向。手前の平たい蒲鉾状の建物はダイエープロビスフェニックスプール。最近私が足繁く通っているプールです。その蒲鉾のてっぺんの上あたりに、長岡高校の体育館の、赤茶色に錆びた屋根が小さく見えます。長岡駅はそのもう少し左ですがほとんど見えません。右部遠方に見えるのは弥彦山。

 

 

小説家であり夏目漱石の門人の一人でもあった松岡譲(まつおかゆずる)の著作。

 

 

史料館には建物の2階から入るようになっていますが、1階には「雪国の民俗展」と題して雪国生活の史料が展示されています。これは山間部の民家を復元したもの。こんなところに一泊くらい体験宿泊してみたいものですが、当時であれば、ノミやシラミなどの虫が気になりそうです。

 

 

雪国生活を象徴する典型的な展示品です。手前は、上にマワシミノ、下にフカグツ。

 

 

長岡出身の日本軍連合艦隊司令長官、山本五十六(やまもといそろく)が、現在の日本財団である日本船舶振興会を設立した実業家、笹川良一に宛てた手紙。それを読む笹川氏の写真が脇に添えてあります。私は山本五十六よりも、笹川良一の方が記憶に鮮明に蘇りました。私が生まれた後も存命だった有名人なので当たり前ですが。日本船舶振興会のCMにに登場して、「世界は一家、人類は皆兄弟」と言っていたシーンを思い出します。

 

笹川氏も歴史的に非常に興味深い人物ですが、この記事の本題からは逸れますので触れません。例えばウィキペディアをご覧になると、いかに興味深い人物であるかがお分かりになるかと思います。

 

……というわけで、愉しませてもらうと同時に、勉強にもなったひと時でした。

 

上にこの史料館の存続について云々しましたが、展示資料自体は貴重で、かつこのように勉強になります。入館者数が確保されているのであれば、私としてもこのような事は考えないでしょう。

 

少なくとも長岡市民なら、一度は訪れるべき場所です。市民であるからには。