四国遍路(37) 5月31日(第36日目) | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

エルサルバドルに単身赴任中。
気候がいいので日本よりよほど健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意しなければならないのは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

【後日追記:まずはじめに、大洲市はこの度の豪雨で甚大な被害を受けたことに、お見舞い申し上げます。以下の写真は豪雨の約一か月前に撮影したものです】

 

5月31日(木) 雨のち曇り 歩行距離:20.2 km(+約1 km←コンビニに寄った分と道に迷った分) 愛媛県大洲市(⇔八幡浜市)

 

0705 宿発
最寄りのファミリーマートで水、昼食のおにぎりを買う。そこを0730発。

 

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大洲城

 

城の脇を通って遍路道へ。宿から最も近いので選んだこの北側コースは、最後の方以外、大半が舗装された車道であり、恐らく伝統的な遍路道ではないだろう。しかし最初の方にも少しだけ山道があり、そこに入るところ(古久米武田集会所付近)でいきなり迷う。遍路道の標示が全く見えない(※)。しかも雨が降り始めたかと思ったら急に強くなってきて、ある家のガレージに入り込んで急遽雨具を装備した。運良く集落の最後の民家にデイケアの車が老人を迎えにやって来て、見送りに玄関先に出て来た初老の女性に道を尋ねることができた。「お伺いしたいことがあるんですけど」と私が言うや否や、私の遍路を認めて即座に「出石寺(しゅっせきじ)ですか? みなさん、迷われるんですよ」と。やはり、ね。彼女の指示で、本来の遍路道ではない、すぐ近くの小道を上って車道に出て、ほどなくして地図に示された遍路道に入ることができた。

 

(※)帰りにも同じルートを使って下り、その時はこの山道が集落のどこに出るか、つまりどこがこの山道の入口だか分かりましたが、実際に見てみると、そこには遍路道の標示があったものの、色も褪(あ)せていて、これなら容易に見落とすと思いました。

 

車道は急な坂も少なく、標高差(数十メートル→812メートル)の割には苦もなく上れる。少なくともこのルートは決して「難所」ではない。また、雨も止んできたのは幸い。ただ、深い霧が残っている。

 

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少し上がるとこの眺望(後日注:この写真に見える川がこの度の豪雨で氾濫した肱川(ひじがわ)。ここに見える市街地の大半が冠水・浸水したようです。お見舞い申し上げます)。

 

幾つかの集落を経て、最後の約3キロは遊歩道の山道。ここはさすがにややきつい。

 

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出石寺の手前で、この地蔵群。霧の中に忽然と現れ、はっと息を呑んだ。みな赤いよだれかけと白い帽子をしているこの統一美に心を洗われる。これは霊験もあらたかではないかと思い、一心に地蔵菩薩の真言「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」を繰り返した。

 

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1145-1310 別格第7番 出石寺(山門、本堂、護摩堂)
森厳な境内。霧の中だと、ますますそう感じられてくる。

 

高知から来たという若いカップル。古道ではなるべく歩き、車道区間では車で移動しているとのこと。今日会った中で歩いて来た人は、敢えて言えばこの二人のみ。男女ともはきはきした爽やかな方であった。彼らのお接待でビスコをいただいた。

 

本堂で、般若心経を高速で唱えて終わると「はい、お参りしました、お参りしました」と同行の女性に言っていた男性がいたが、彼は人生もせっかちなのではないかと思ってしまった。読経は人の性格を表すと思った。その様子を見て、私はますます、ゆっくりと落ち着いて唱えようと思った。巡礼の目的はお参りなのだから、お参りに5分や10分の時間を余計に費やすのは、むしろ充足感の増す行為である。

 

納経所で「雨が上がったのに肌寒いですねぇ」と私が言うと、そこの女性、「ええ、高い所ですから」と言い、温度計を見て「17度です」と。そうだ、肌寒いのは天候のせいというより標高のせいだ。あらためて812メートルという高所にいることを実感した。100メートルあたり0.6度下降するという物理の概算式を適用するなら、ここは低地より4度か5度低い計算になる。

 

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出石寺の境内にはうどん屋がある。門前に店屋の軒が連なっているのは普通の光景だが、境内の山門をくぐったところにこういう店があるのは珍しい。先の高知のカップルもこの店に入ってうどんを食べたようである。肌寒くもあるし、では、ということで、私も珍しく、持って来たおにぎりに追加してこの店でうどんを食べることにした。

 

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出石寺うどん。700円。具は油揚げ、玉子、わかめ、シイタケ、ネギ。シンプルな塩味である。小太りした店員のお姉さんに、「天気が良ければ佐田岬半島を眺められるんですかね?」と聞くと、「ここから少し下がったところと、本堂からも見えます」と。晴れていたら是非ともこの目で見てカメラにも収めたいところだが、この、視界ニ、三十メートルの濃霧では望むべくもない。潔く諦めもつく。

 

雨は上がったが霧はまだ深く寒かったので、それまで着ていた雨具の上の方だけ羽織り直して下山。

 

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杉が生い茂って、それに霧が相まって薄暗くなった遍路道。昨日に続き、カッコウの声を聞く。ウグイス、その他、数々の鳥の声。車道に出ると、サワガニが多数往来している。従ってアスファルトの上で潰された死骸も多く見る。見かける度に合掌して「南無阿弥陀仏」と三回。

 

(後日注:一時期はミミズの死体を見ても念仏していましたが、さすがにミミズやサワガニは無数に見るようになって、いちいち念仏していると行程に大いに影響が出ると悟り、遍路の途中から、基本的には脊椎動物の死骸を見た時に限定しました。それでも、愛媛のどこだったかでカエルの死体に合掌している私を見た路上の少年たちに笑われましたがね)

 

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こんな急斜面にもこんな見事な棚田が! 農作業をしていた方に挨拶をしないではいられなかった。

 

人里に入ってきたら、むっとした空気になったので、雨具の上の方をザックの中にしまう。

 

宿に着く直前、大洲城の脇の街路上で小柄なお爺さんに挨拶すると、私に話し始めてきた。私が新潟から来たと言うと、新潟にはどんな神社仏閣があるか聞くので、「有名なのはあまりないですが、例えば弥彦神社とか」と答えた。すると彼は日光東照宮や平泉の中尊寺金色堂の話を始めた。「四国から見たら同じ方向かもしれませんが、新潟からはちょっと遠いんですけどね」と私。また彼は、最近は宮大工のような伝統的な工匠や武道をする人が少なくなった、との憂いを語る。私も同感、と相槌(あいづち)。このように、彼は特に話さなければならないことがあったわけでもさそうだが、遍路姿の私を見ていい話し相手になってくれそうだと思ったのだろう、とにかく話題を作っては話を続けた。10分くらいの短時間の立ち話だったが、別れる時には「お爺さんの話に付き合ってくれて……」と、やや恐縮の様子。

 

1630 宿着(松楽旅館に連泊)

 

昨夜、出石寺から佐田岬半島は見えるのか宿の主人に聞いたところ、出石寺は山のてっぺんか、それは木に隠れていないか、と聞き返された。そして「山のてっぺんで木に隠れていないんでしたら見えるんでしょうなぁ」と。そんなのは分かっている。答になっていない。要するに知らないのだ。知らないのなら知らないと言えば済むのに、何かちぐはぐな問答だなあ、などと思っていたが、宿に戻った私が上述のうどん屋の店員から聞いたことを伝えると、「そうですか」と納得した様子。二泊の間に、彼とはそんな奇妙なコミュニケーションが二、三あった。

 

★落ち着いて、低い声で腹から出す。すると自然と読経の声は響く。後はその声に念を乗せるだけ。でも、般若心経はある程度落ち着いて唱えられるが、観音様の前で私が好んで読む観音経は、大抵、一つや二つは読み間違える。今日など、出石寺の千手観音の前では、途中で咳き込んだり、読み間違えて読み直したり、散々だった。未熟だ。

 

★今の私が最も好きなお経は、真言宗ではあまり唱えられることはなく、わが家の菩提寺の宗派である曹洞宗でよく唱えられるお経だが、大悲心陀羅尼。その神秘性、その文学的美しさに、私は感嘆を禁じ得ない。しかし残念なことに、私はこのお経を暗誦できないし、遍路をしている今、手元に持っていない。探しているが、札所では、どこにも見つかっていない。大悲心陀羅尼を唱えられないまま、四国遍路の半分以上を終わってしまった(後日注:結局最後まで唱えられませんでした)。

 

大悲心陀羅尼は観世音菩薩に対する讃歌である。しかし面白いことに、途中の部分には仏教を超えて、ヒンドゥー教のシヴァ神などを讃える文言が入っていたりする。それら全てがサンスクリット語を音写した(が相当変化して訛っている)陀羅尼というベールに包まれた、呪文の形で唱えられる。これに対し、観音経は法華経すなわち鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳したお経の一節なので、少なくとも字面を追えば、おおよその意味が分かる。そして内容は、観世音菩薩の力を列挙し、いわば観世音菩薩を定義したものである。従って、これら二つのお経は同じ観世音菩薩を対象とした経典であるにもかかわらず、異なった趣旨のものであり、またその形態も異なる。だから観音経は大悲心陀羅尼の代わりになるわけではない。

 

しかし、せめて遍路中は、観音様を祀っている所では、なるべく観音経を読経していきたいと思う。