他人を想う、少し、過多になった。飽きが来る。というのか、違うことが言いたくなる。いいことでは、決してない。それは、最後まで、守り抜くべき、保つべき、手、だからだ。
美しい手、人間の素晴らしさ、最高値。この街で、他人を想い、他人の為に、世界を切り開いて行く。まだ、壊すには、早く、何もできあがっていない、今だから、言い切れること。
けれど、人間、ずっと、同じではいられないものだ。絶えず、何かは、移ろうとして、季節や、時代とともに、回っているものだ。他人を想うも、当然、何らかの、変化をその覚悟に、蠢き始める。
他人を想わないになるのか? いや、もっと、他人を嫌う、になるんだ。反対への招待状。異分子の活性化。それは、小さなところで、起こっていたことだけど、やがては、本丸を襲う。だから、他人を嫌う、がその言葉に、態度に、立ち位置の取り方に、芽生え始める。
いい悪い、じゃなく、自然の摂理。人間の生理。僕も、例外ではない。生きているのだから、摂理には、体が、従っている。
どんな人間も、どこかで、強情を口にする。傲慢を口にする。清純、清潔、清ら、ではいられない。
とは言え、面白くない、という、最大の、方向性が、物語に、左右する。僕が、ここで、他人を嫌う、に動き出すのは、それが、認めない。面白さは、他人を想うのみに、死せよ、と言っていく。同じく、体が、そこに縛られる。
これも、無視はできない。
そうだね。始まりが、他人への感謝であったことを忘れるには、百年という時間は、短すぎる。人生で、二度死んでも、失われない、出発点。
それを思うと、また、翼が、大きく、開き、バタつく。
さて、今度の始まりは、その地点から、また、始められるだろうか?
それとも、同じやり方はできない、という陳腐な、惰弱に負けて、他人を嫌う、から始めるだろうか?
今は、休むだけだから、何も、言葉にできない。疲れがとれて、他人を想える状態の、自分に戻っていることを、期待するだけだ。
僕が生きたことは、世界が人を考えたこと、だと言い切れる、証明、でありたい。

