革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ -5ページ目

革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ

文芸復興が主目的。ネオ新感覚派を求める、文学、読書好き、の人のための文化的ブログ。
革命的文章表現をテーマに、その創造と、その支援を目的としたい。
山畑健と言う本名で、キンドルで本を出している。文学、読書に関する底辺拡大の行動として、ブログを選んだ。

 書くと言うこと、という題で先に投稿した。すると、それは、書くこと、じゃないですか? と小言を貰った。僕は、違和感を感じなかったが、正しい日本語の使い方、と言うのがあるのかもしれない。

 僕の世代は、これに疎い、世代だ。と言っても、もう、古い人間だが。僕らの時代ぐらいから、日本語を新しく作る、文化が始まった。それまでの様式を変えるのだ。事故を、事故る、と言ったり、頭の上に超をつけたり、判疑問形を使ったり。

 それは、誰に教えられることもなく、自然、僕らの時代が使っていた。僕は、僕が、始めた、と思っているほどだ。それまでの様式が、ニュアンスが上手く伝わらないのであれば、自分らの感性に合った使い方を作ればいい、と覚えてきた。この書くと言うこと、もまた、同じ使い方だ。かっちりした日本語、と言うより、読み手の印象が、文章に、含まれている。

 けれど、それで、文学をやるものとして、ケチがついては、困る。正しい日本語の使い方じゃなきゃ、受け入れられない、と言うのであれば、その正当を、踏襲した方がいい、だろう。

 とは言え、何も、感性的に、違和感を感じていない僕だ。それを正すのは、すごく、困難だろう。僕からしたら、書くこと、を書いたのではなく、書くと言うことは、自分にとって、こんなことだ、と書いたのだから。

 このあたりの、正しい、正しくない、を議論する頭も持っていない。僕はやはり、書くこと、と書くより、書くと言うこと、と書いて、題目を続けていくだろう。

 無様な日本語が増えて、申し訳ない限りだが、言葉も時代によって変わっていくもの、と思っている自分もいる。いまさら、正しい日本語を勉強する、術もない、だろう。

 もう一度書け、と言われても、やはり、タイトルは、書くと言うこと、になるし、主観が入る、と言うべきなのか? その気持ちで、文章も進めていく。

 何せ、駄文の、長、みたいな人間創作家だから、色々、気に食わない点も出てくるだろうが、一つの感性家、の筋道だ、と思ってもらえばいい。筋は通す。僕なりの、意志の持ち方だ。まァ、受け入れられないなら、下手な日本語を流布するな、と言われるかもしれないが、無視してもらえれば、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜ、書くのか? 子供のころは、ただ、自分の持っている楽しさを人にも伝えたかったからだった。そこに、奇抜をやって、他人を出し抜こうとか? 誰もできなかったことを作り上げて、世界を一変させようとか? 世界が今求めている言葉を吐いて、使命、宿命を果たそう、とか? そんな想いも、考えもなかった。

 ただ、自分一人、楽しさを持っているから、それを自分一人のものにしているのが、悪い気がして、多くの人に、その時間を共有してもらいたい。そして、それを仕事にできれば、幸いだ、くらいの気持ちだった。

 今は、その、宿命、使命、も味わい尽くし、惰性になっている。世界を一変させなくてもいい。世界に、必要な言葉を伝えきれなくてもいい。ただ、書くことしか、自分にはできないから、書いている。

 楽しさを分け与えよう、という原点さえ、失っている。

 書く内容は、哲学、だ。論理学、だ。今の風潮には合わない。少なくとも、体制が、必要とは思っていないことだ。これしか、僕は持っていない。と言うより、体が、それ以外は求めない。物語なら、物語を書くこともできるだろうが、そんなものを書いて、何の意味があるのか? と思ってしまう。子供の頃とは、大きく一変したことだ。

 生きるに必要なこと以外、考えるに必要なこと以外、本でやる必要はない。空想人間をいくら作ってもしょうがない。

 それでも、書いているのは、惰性だ。

 今、少し、それが、遣り甲斐に戻るように、少し休んでいる。書く方に、遣り甲斐を感じていないなら、弾むような文章も書けない。それは、望んでいるものと違う。

 今、久しぶりに、原案を練っているところだ。それを、Twitterを使ってやっている。

 どうせ、どうやろうが、僕は、残りの生涯も、書く、という行為から、逃れることはできない。最後の、最後まで、書き続ける人生だろう、と思う。

 その中から、本当に、必要だった、という結果が、残れば、満足だし、誰も見ていないようで、みんな見ている人生を、悔いなく、過ごしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やるべきこと、を探してきた。やるべきこと、しかやらなかった、とも言える。けれど、それは、今となっては、すべて幻想だ。世界は、ちゃんと、維持するを前提として動いていた。僕を見ている神様がいるとして、僕は、彼に、何も影響を与えられなかっただろう。

 必死に、命まで削って、やっていても、そうだ。世界は、ちゃんと、いいばかりじゃなく、あくどいもあるけれど、それでも、すべてを壊そうとは、していないし、してはいかないものだろう。

 それが、この時点に立って分かったことだ。

 つまり、どんなに、不安な未来像を描いたとしても、垣間見れたと思えても、そうダメになるばかりじゃない、と言うことだ。世界は、ちゃんとする。

 本当に正しいものは、神様も追っている。それだけに、他人から言われるのは、勘弁なのだろう。

 だから、やるべきこと何てない。それは、これからもない。いいことだ。

 逆に言えば、やりたいことだけをやればいい、わけだからだ。やりたいこと、自己中、で生きて、世界は、良だ、と言うことだ。

 初めから、それを知っていればよかった。先に、感覚の弱いこの感性が、そうさせなかった。大いなる損失でしかない。少しは、神様、と言うものを、信じればよかった、と言うことだ。

 何を考えているか? 分からない。どうして、こんなものにしたのか? 分からない。色々、ある。けれど、その的確を射抜く、正確な、確実な、意識を、信じればよかった。そうすれば、僕も、うだつの上がる人間をやっていたことだろう。

 これから、未来においても、やるべきことはない。今から、僕がやることは、僕のやりたいことだけだ。正義ぶる必要も、誠実ぶる必要もない。一人の、ただ、一人の人間だ。

 解放された感があり、重たい荷物を下ろした感があり、それでも学んできた履歴はあるから、積み重ねの上から、世界を見ることができる。

 さァ、新しい、出発だ。ここから、自分のことを第一に考える僕だ。それでも当然、他人は思うし、他人に頑張るし、他人に光る。

 何のことはない、普通の、普通に、なれた、と言うわけだ。もう、雑音は聞こえないし、他人の声も聞こえないし、未来への不安もない。世界が、悪い方へ向かう、と言うこともない、事も分かった。

 戦わなくていいは、平和でいい。

 さて、しばらく休憩して、その気になるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 情熱を詰る。誠意をごまかす。想いをいじる。色々、人が、人のものをやるものだ。

 放っておけばいい。好きに生きさせてやればいい。自由を与えることこそ、創作活動の大前提だ。

 けれど、なぜか? 人が、人に、難癖付ける。いやいや、神が、難癖付けたのです。と、いうこともある。自由には、させてくれない。どこまでも青い空を飛べば、その飛空が、とても、優れた芸術のようになる、といっても、もっと、自由にさせることの方が、いや、なようだ。

 苦心する。苦心こそ、芸術だ、という。葛藤なき作品は、文学にはあらず、という。勝手な了見だ。何も、確実なるものを、与えていない、と反吐を吐く。唾を空にぶち上げて、顔にかかる。

 惨めは、どちらだ、と言われる。唾を消せなかった、君の方だろ? と答える。そんな現実が、起こるはずはない、という。天に唾を吐けば、自分にかかる、か? 悔しさの象徴でしかないな、と話す。

 その悔しさを超えて、ここへ来い、という。きっと、もう一つも、二つも、強くなった君がいるだろう、という。かもしれない。失望した数だけ、人は、そこからもう一度、二度と、立ち上がる度に、亡霊のような強さを纏うことになるかもしれない。

 笑えないわけでもないし。けれど、どこかしら、他人を嘲るような笑い方になる。これでいいのか? と突き付ける。

 いいも悪いも、そうして進むしかないんだよ、と答える。

 そうか? 温かな、精子を、女の袋に流したいな、と答える。愛情をしばらく示していない。

 果実は、甘い方が、誰もが好みだ。

 本当の愛を知りなさい、いい機会じゃないか? と、訴えられる。

 そうだな。いい機会だな、と答える。そして、光の国へ。真っ白な、眩しさで目がくらむ、光の国へ。

 冷やかしたら、その分、冷やかされる、それが道理だ。それでいいじゃないか? 僕は、前へ、進み、前で、勉学を勇敢に繰り返す。

 行けるかな? 

 さァな。

 そうだな。僕には、決められることじゃないな。

 記事にあったよ。ただ、人事を尽くして天命を待つ、だけだ、と。今も、これから先も、昔はまだ尽くし切れていなかったから、それだけ、だね。

 頑張れ、肉の味を忘れた狼。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走れ。心地よい気持ちで走れ。何も考えず、ただ、走ることだけに集中して、走れ。世界が、どうとか? 未来が、どうとか? 人類が、どうとか? そんな大業はいらない。ただ、自分の実績として、それを掴むか? 掴まないか? それだけのこととして走れ。

 何をしていいのか? も分からない。溢れるほどあった、答えも、枯渇した。述べる文句は、心に響かないかもしれない。もはや、飛べない鳥であり、走れない駿馬かもしれない。鈍足なその足で、鈍くなったその翼で、風を感じることもままならず、意志、それだけの残った体で、走れ。

 他人に何が与えられるか? 分からない。世界のプラスに、いったい、自分が、どのくらいなれるのか? 分からない。優しさが、卑怯にさえ、なりかねない、痩せた情熱だ。強さは、非道、と変わらない。

 他人を思いやる、を思い出せないかもしれない。残ったものが、灰だから、しょうがない。

 尽きた後、人が、何をするのか? をただ、実行するだけのことかもしれない。未来への希望を語るのも、そんな資格さないだろう。

 愛しているも、分からないままだ。愛に卓越した僕はいない。

 憎しみを覚えた日々を過ごした。

 でも、できるものがある、とまだ、抜け殻になっても、思っている。体が、言っている。世界の始まりが、待っている。新世界の、朝が待っている。行かなければ、辿り着けない。僕にしか、ここまで来た僕にしか、いけない場所だ。

 だから、走れ。太陽の昇る方角へ向けて、走れ。残された、意志の強さで走れ。風、それは、その後に起こるものだ。

 太陽の子よ、もう一度、光を、その身で放て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダウンタウンが嫌いだった。夢で逢えたら、のころは、早く、ゴールデンに進出しろ、と思うほど、大好きなコンビだったが、ゴールデンに出てからが、好きじゃなくなった。

 吉本を笠に着て、社会悪的側面のあるコンビになってしまい、盟友であり、相反する、僕が好きだった、ウッチャンナンチャンと、違って、建設的じゃない、破壊的な、その立ち位置に、経済の、没落を感じていた。彼らが、売れれば、売れるほど、社会は、鬱蒼としていくみたいに、感じられた。

 当時、知能と、気力を第一線で持っていた僕は、その人間として、世界の影として、戦っていた。

 彼らが、吉本興業じゃなかったらいいな、とどれほど思ったことか? 

 きっと、彼らが王である以上、社会は、真面を回復できない、と言う想いが強くあった。

 けれど、今日、YouTubeで、ダウンタウンと、乃木坂の女の子たちの会話を見た。

 凄く、気を使われていた。当然、画面上は、そんなところは、見受けられないかもしれないが、少なくとも、前まであった、否定性はなくなっていた。肯定的姿勢が、いつの間にか、見受けられるコンビになったのだな、と思った。

 そう、もう、反発しなくても大丈夫なのだ。彼らに任せていても、それを掲げる吉本に任せていても、経済は、没落しないだろう、と思う。現に、ここ何年、株価は、回復したままだ。

 ずっと、自分を削らず、いい具合を探し続けて、今に至ったのだろう、と思った。清濁を合わせ持つができれば、人間、完成と言える。

 それに対して、僕は、もう、終わった人間のような気になった。そこまで、若い子に気を使う、それは、優しくするとかじゃなく、受ける要素も誘い出す、という意味で、気を使えない人間になっている。気力もない。

 ああ、第一線からは、身を引くべきだな、と思った。

 何をしていたんだ、と思うかもしれないが、結構、やることは、やっていたんだぜ。という。

 だから、第一線からの勇退だ。僕は、そこを去る。他人に任せていても、大丈夫だ、と思えるようになったから。

 人生を止める、創作活動を止める、という意味じゃない。世界に、影として、影響を与える言動を止める、という意味だ。

 あそこは、僕のいく場所、じゃない。

 さて、人生でも楽しむか? 世界は、僕を必要とはしない。この僕を。僕の方が、世界の楽しみ方を探すだけだ。

 まァ、格下げだが、欲しいものも手にできないかもだけど、楽しみ方なら、そこにあるだろう。何せ、ここは、素晴らしさしか詰まっていない、喜びの星だから。ゆっくり、堪能するよ。

 他人に文句を言わないように、神に文句を言わない内容に、それだけを、心に気を使いながら、少し、欲しいものも、手を引いて、自分の周りだけ、幸せができればいいな、という感情で、考えで、小さなものを愛して、行こう。

 世界は、十分に美しいからね。

 大丈夫だよ。世界は、大丈夫だ。僕は、心配していない。英雄も、革命も、新規開拓も、特にいらない。今のままでいい。

 みんな、自分に掴めるだけの、幸せを、精いっぱい抱きしめられるように、人生を費やしていこう。他人と比べる必要も、他人に反感を感じる必要もない。

 今日も、美しい明日は、笑っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葛藤のない時間を、久しぶりに過ごしている。

 今まで、何と戦っていたのだろう? 

 ずっと、自問自答の日々だった。

 それで苦しんで、それで励まされ、それで、至福に至った。

 けれど、悪意が、しだいに、心を侵し始め、止めた。

 人を恨むことはなかったが、神を恨むことが多くなった。神は、恨むものじゃない、でいたい。別にへつらうわけじゃないが、そんな世界で、ありたい。

 最後の敵は、神、は、ほんと、無謀なことだ。

 僕だって、一人の人間だから、神の、申し子でありたい。ただの、信心を持って、生活をしていたい。

 それが、足を止めた、一番の理由だ。

 足を止めた僕は、進歩のない僕だ。多少、不安はある。そして、いつか、また、歩み、走り始めるだろう。そのとき、また、積み上げた土台は変わらないのだから、同じことを繰り返すのじゃないか? とそれも不安でいる。

 愛するに、程遠い星より。

 愛するに、身を焦がせたら、そんなに幸福なことはないのだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 岩が、転がり回り落ちる、という意味、なのだろうか? 誰が、最も、元祖、と言えるべき一例なのだろうか? 

 もちろん、ビートルズ。あるいは、クイーンか? もっと、前からあったものか? キャーキャー言われるのは、ロックか? 

 じゃァ、反吐を吐くのがロックか? 世の中に、難癖付けていればロックか? 

 それとも、ラブアンドピースか? 

 革命は、ロックンロールだった、ではないか? 

 僕は、ブルーハーツと、オアシス、しか知らない。後は、僕にとって、ロックと言えるものじゃない。

 人は、何に魅せられ、熱狂するのか? なぜか、社会の従者たる、民主主義国家の人間たちよ。

 資本主義の名のもとに、隷属された、か? 懐かしい、言葉だ。

 奴隷が好きなのは、何も、王だけじゃない。神もまた、奴隷が好きだ。従えられた人間から、束縛された人間から、それの焦がれる、自由に、夢を与えて、喜ぶ。

 強く、抑圧されなければ、破裂も、爆発もないから、派手好きなバカが、好みそうなことだ。

 道徳の時間に、ロックをやったら、狂人か? 

 文章にもロックはあるだろう。だとしたら、太宰や、芥川は、その先駆けだ。

 追いかけたのは、聖人という言葉。正義という確証。みんな、花火と散った。

 あの花火が上がっている夜に、君に会いに行こう。君とみる花火は、君とだけの僕の礼賛物語。

 走れ、走らぬ名馬。君の疾走が必要だ。

 僕は、ロックを聞きたい。が、壊すだけなら、ない方がいい。

 普通に、ラブアンドピースに戻ろうか?  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒロイン、の空。

 夏の空が戻ってきた。家にいれば、冷房の中だが、外を歩けば、汗がにじみ出る。白い雲の混じった、綺麗な、ブルーだ。

 蝉の声がする。明日は、病院に通う日。少し疲れていたが、少し体力は戻ってきた。

 あとは、気力、やる気、だけだ。

 どこまで、そのやる気が、自分に復活するのか? それが、定かじゃない。書くことを止めて、書くことに、飢えができればいいのだが。

 空、君の声は、夏空が、一番、明確に、世界を拓き、導く。どこまでも、空だ、と歌う。

 ただ、暑くなければいいのだが。それは、人間の横暴か? 

 アラニスの、家の中にいるから、外の雨が好き、と言う言葉が、胸に響く。君はいつも、正当な、怒りを、持っていたね。正当過ぎて、誰も、納得する以外、言葉を持たなかった。

 あの力を僕も求めていたんだ。世界に、愛以外の、強さはいらない、とどの言葉も、訴えていたみたい、だった。

 僕も、もう少し休んで、もう一度、その熱を、取り戻したい、と考える。なかなか、戻るようなものでもないのかもしれないけれど。

 まァ、今は、気を遣わず、心に優しく、易しく、のんびりしていよう、と思う。

 夏の空の記憶、も、覚えている、ぐらいで、いい、でいい、ぐらいで。

 だから、書くものも、それなりに、適当なものになる。それを、攻める気は、端から、僕にはない。不思議なものだ。そうじゃなければ、何のギャランティーももらっていないのに、気を使い過ぎるほど、気を使うのに。

 また、明日。いや、明後日になるか? もっと、先になるか?

 君も、疲れた、と思ったら、休めばいい。環境が許さないかもしれないけれど、一つの物語が終われば、次作まで、休養するのは、どの作家も、同じことだ。

 十年以上、働き続けでは、そりゃ、がたもくるさ。また、自分の認める作品が書けるまで、とにかく、ものに、気を使わないことだ、と思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学生のころ見た夏は、永遠だっただろうか? 山に入り、川に上り、小魚や、カブト虫を取った。あの頃、僕に、宿命なんてなかった。ただ、楽しむことだけが、愛する星の与えてくれるものだった。

 それから、宿命を背負う。夏は、大概、部屋の中、だ。ゲームを覚えたころから、少しずつ、変わっていった気がする。世界は、そうなることを、拒まなかった。世界は、学べ、傷ついて学べ、血を吐いて学べ、叫び散らして学べ、と言っていた。

 すべて、未来のためだ。

 だった、はずだ。しかし、人生は、いつまでも、血を吐いて学べ、の旅でしかない。

 いい加減、いい加減にしたい、と言って、休め、を選んだ。

 少し、体は、快方に向かう。

 宿命、とは、何だったのだろうか? ずっと、背負ってきた。ずっと、十字架は、背負っている。けれど、一向に、それ以外の宿命はない。ただ、ゴルゴダの丘に向かうだけ、だ。

 愛するも、信じるも、正義も、完全も、そこにはあるのだろうか? 

 いつか、恋の夏にしよう。

 もう少し、心が、体が、軽くなったら。他人を詰らずに、世界を、受け止められるようになったら。もちろん、まず、十字架をおろしてからじゃないと、無理な話かもしれないが。けれど、恋の夏にしよう。

 そして、そこで、感じるんだ。

 永遠の夏。

 鳥は、鳴いてくれるだろうか? さァ、空を一緒に飛びましょう、と。

 コロナ禍、だ。水害が、各地で起きている。そんな中で、永遠の夏を、経験するんだ。それが、もう一度、僕が、あの少年時代のように、空を飛べるようになるための、翼が、再び、羽開くための、アナザーデイ。