理想主義は、現実主義に嫌われる。どころか、舐められる。理想なんて、役に立たない。理想なんて、理想でしかない。それが、どれだけ、現実的なことか? 僕は知らない。現実とは、理想を抱き、描いていったものが、その理想で、積み上げてきた結果の上にある、と思っているからだ。
ルネサンス、啓蒙思想、明治の文学、哲学、科学者の健闘、等が、深く、現実には、作用している。理想を、人間が描かなくなったら、その時点で、世界は、死ぬ。終わりの来る日、だ。
僕の理想は、社会主義に近い。ソ連が、人間の惰弱で、潰れていった、思想だ。結局人間は、性善説ではなかった、と言うオチだった。けれど、社会主義の思想がなくなったときが、世界の終わり、だと、僕は思っている。もちろん、今の資本主義を、軽々に扱う気はない。僕があるのは、十分、資本主義の恩恵を受けている。こうして、自由に、意見を考え、そんな思想まで持てるのも、民主主義のおかげだ。それは、よく分かっている。
分かっているが、時代も、だいぶ、資本主義を分かってきたはずだ。そして、社会主義の失敗例も、理解したはずだ。ここから、資本主義や、民主主義を踏まえたうえでの、新たな、主義に移行していっても、おかしくないのではないか? と思う。もともと、歴史なんて、何百年と、同じ主義、思想が続いたためしなんてないのだから。
ここから、さらに、人間に都合よく、進化していくのは、十分に考えられる。そこで、誤った道の取り方をしたら、元も子もないだろうが。まァ、今の人間のバランス感覚なら、盲信にならず、上手く、やり遂げるのではないか? と思っている。ユーモアと、人間性なら、十分に、経験し、細胞に刻んだはずだ。
理想は、いつまでも描いていかなければならない。幼いとき、資本主義の次の主義は何だ? と聞かれたとき、理想主義だ、と言っていたほどだ。今言うなら、理想資本主義、だろうか? 理想民主主義。あまり、このような主義は、仰々しくなってもいけない、と言うのもある。
公平、公正で、無機質な方がいい。
けれど、そろそろ、少しばかり、有機質的な、側面を、取り入れてもいい、段階でもある、と思う。誰か、賢い人が、発想してくれる、と面白い。とても、一人じゃ、決められることではないから。
けれど、資本主義は、そろそろ、次の段階に進むべき段階に来ているのではないか? とは思う。革命、変革と言うと、壮語になり、アレルギーを生む可能性があるが、文学ではなくて、国家の思想だけに、そのあたりは、軟調に、変化していくといい、と思う。
ただ、理想は、何をするにしろ、描きたい。僕の個人的主義は、理想主義だ。
これから世界を治めるのは、便宜主義と、道化師的良心、と言ったのも、そこから来たものである、と言うのは、変わらないところだ。
便宜主義というのは、道徳主義と言うのを、科学的に、凡庸的に、且つ、理性的に、表した言葉だ、と思ってもらえばいい。人を口説くのに、道徳と言う言葉を用いると、毛嫌いが起きるが、便宜、都合がいい、と言う言葉を使うと、受け入れられやすくなる。不思議なものだ。道徳がなければ、存続さえできないのが、人間社会なのに。だから、便宜、と受け取ってもらってもかまわない。
道化師的良心、と言うのは、端的に言えば、無償のお笑い、だと思ってもらえばいい。お笑いが、金儲けになっているのが、現在の、がん細胞だ。必要なかった。人は、無償で、人を笑わせるべきだ。
作品なら、まだ、理解もできるが。端的に、笑い、笑わせる、と言うことだけが、表に出過ぎている。それで、金儲けをして、回っている社会は、ある種異常だ。
僕は、この二つを、国家の主義ではなくて、個人の持つべき主義として、推薦する。思案するのを止めないのは、僕の良さだ。
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