革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ -18ページ目

革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ

文芸復興が主目的。ネオ新感覚派を求める、文学、読書好き、の人のための文化的ブログ。
革命的文章表現をテーマに、その創造と、その支援を目的としたい。
山畑健と言う本名で、キンドルで本を出している。文学、読書に関する底辺拡大の行動として、ブログを選んだ。

 理想主義は、現実主義に嫌われる。どころか、舐められる。理想なんて、役に立たない。理想なんて、理想でしかない。それが、どれだけ、現実的なことか? 僕は知らない。現実とは、理想を抱き、描いていったものが、その理想で、積み上げてきた結果の上にある、と思っているからだ。

 ルネサンス、啓蒙思想、明治の文学、哲学、科学者の健闘、等が、深く、現実には、作用している。理想を、人間が描かなくなったら、その時点で、世界は、死ぬ。終わりの来る日、だ。

 僕の理想は、社会主義に近い。ソ連が、人間の惰弱で、潰れていった、思想だ。結局人間は、性善説ではなかった、と言うオチだった。けれど、社会主義の思想がなくなったときが、世界の終わり、だと、僕は思っている。もちろん、今の資本主義を、軽々に扱う気はない。僕があるのは、十分、資本主義の恩恵を受けている。こうして、自由に、意見を考え、そんな思想まで持てるのも、民主主義のおかげだ。それは、よく分かっている。

 分かっているが、時代も、だいぶ、資本主義を分かってきたはずだ。そして、社会主義の失敗例も、理解したはずだ。ここから、資本主義や、民主主義を踏まえたうえでの、新たな、主義に移行していっても、おかしくないのではないか? と思う。もともと、歴史なんて、何百年と、同じ主義、思想が続いたためしなんてないのだから。

 ここから、さらに、人間に都合よく、進化していくのは、十分に考えられる。そこで、誤った道の取り方をしたら、元も子もないだろうが。まァ、今の人間のバランス感覚なら、盲信にならず、上手く、やり遂げるのではないか? と思っている。ユーモアと、人間性なら、十分に、経験し、細胞に刻んだはずだ。

 理想は、いつまでも描いていかなければならない。幼いとき、資本主義の次の主義は何だ? と聞かれたとき、理想主義だ、と言っていたほどだ。今言うなら、理想資本主義、だろうか? 理想民主主義。あまり、このような主義は、仰々しくなってもいけない、と言うのもある。

 公平、公正で、無機質な方がいい。

 けれど、そろそろ、少しばかり、有機質的な、側面を、取り入れてもいい、段階でもある、と思う。誰か、賢い人が、発想してくれる、と面白い。とても、一人じゃ、決められることではないから。

 けれど、資本主義は、そろそろ、次の段階に進むべき段階に来ているのではないか? とは思う。革命、変革と言うと、壮語になり、アレルギーを生む可能性があるが、文学ではなくて、国家の思想だけに、そのあたりは、軟調に、変化していくといい、と思う。

 ただ、理想は、何をするにしろ、描きたい。僕の個人的主義は、理想主義だ。

 これから世界を治めるのは、便宜主義と、道化師的良心、と言ったのも、そこから来たものである、と言うのは、変わらないところだ。

 便宜主義というのは、道徳主義と言うのを、科学的に、凡庸的に、且つ、理性的に、表した言葉だ、と思ってもらえばいい。人を口説くのに、道徳と言う言葉を用いると、毛嫌いが起きるが、便宜、都合がいい、と言う言葉を使うと、受け入れられやすくなる。不思議なものだ。道徳がなければ、存続さえできないのが、人間社会なのに。だから、便宜、と受け取ってもらってもかまわない。

 道化師的良心、と言うのは、端的に言えば、無償のお笑い、だと思ってもらえばいい。お笑いが、金儲けになっているのが、現在の、がん細胞だ。必要なかった。人は、無償で、人を笑わせるべきだ。

 作品なら、まだ、理解もできるが。端的に、笑い、笑わせる、と言うことだけが、表に出過ぎている。それで、金儲けをして、回っている社会は、ある種異常だ。

 僕は、この二つを、国家の主義ではなくて、個人の持つべき主義として、推薦する。思案するのを止めないのは、僕の良さだ。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 別に、権力者を擁護するつもりはないが、どうしてこうも、頭のいい、頭の使える人間がたくさんいるのに、漫画、お笑い、科学、いるのに、政治に関しては、純粋政治、と言うか? 理想的な日本を描き上げる人間は出てこないのだろう? と思う。どこに、その欠陥があるのだろう。そして、多くの大衆が、それを批判するだけだ。確かに、信じられないくらい、軽々なコメントをしたり、一国の長たちとは思えなくらい、国会で寝てたり、するのだが、なぜ、彼らが、そこにいるのか? が、まず分からない。

 そうして、そう言う人間を生むことになった、社会の鈍感力も、大したものだ、と思う。僕は、今の人間を批判してもしょうがない、と思う。彼らは、とても、期待を寄せられる人間には、育ってこなかったからだ。環境が悪いのか? 受けてきた教育が悪かったのか? 社会のため、であり、国民のために働くと言うことが、そのまま、自分の、栄誉と、地位の安泰に繋がることを知らないのだ。

 政治なんて、簡単だ、と思う。ただ、人のためを想って、それにとって、一番よい方法を考えるだけで、人並み以上の収入と、名誉を手にできるのだ。なぜ、社会のため、他人のためを、第一義において、行動できないのか? つくづく、不思議なことだ。他に何を考える必要なんてあるのだろう? なぜ、わざわざ、批判されるようなことしか、知恵を働かせられないのか? 

 組織として、国の構造自体が、そうできあがってしまっているからなのか? 永田町の常識は、世間の非常識、と言う言葉が、長らくあったが、そんな環境下の中に、本当にいるのか? もっと、世間に、実際肌で、世間の風を感じた人が、その中で、純粋政治を描きながら、思案し、積み上げていったものを、実践できる場として、国会を使うべきだ、と思う。

 あまりに、社会自体が、未成熟すぎる。

 なら、お前がやれよ、と言われるかもしれない。けれど、僕は、もっと、希少価値が高い、文士を選んだ人間だ。文学を変えることで、人を内面から、充実を図ることで、全体の意識自体を、向上させよう、と狙った人間だ。偉そうなことではないが、いまさら、方向転換、変更はきかない。少しでも、プラスになろう、と努力している。だから、僕は、僕のやるべきことと思ったことをやることしかできない。こうして、発言できる場をもらったことも、あったことも、まず、恵まれたことで、今は、そこに従事している。一日、そこまで尽くしているか? と言えば、うずうずする、書きたいのを抑えて、読んでもらうことを待っている。

 人間、一日に、そこまで、出し尽くすべきじゃない、とも考える。余力は残すよ、じゃなきゃ、明日に繋げない。明日が繋がらなきゃ、誰も、どこにも、正気が、ないことになってしまう。切羽詰まっていたら、中庸の判断も鈍る。正当性を書いていしまう結果に陥る。だから、心の正気は、常に、大事にしている。

 僕は、本当にいい政治をするのなら、社会にとって、大きなプラスをもたらす政治をするのなら、別に、賄賂や、贈賄などもらってもかまわない、と言い切る人間だ。もちろん、そのことによって、優先順位が権力者中心になる可能性があり、より、悪政に近づく、と言うのは分かるが、本当にいい政治をするのであれば、議員の貰っている年収は、野球選手などと比べても、少なすぎるだろう。議員の数自体は、減らすべきだろうが、将来的には、最小政府にしていくべきだろうが、子供たちが、政治家に夢を持てないのなら、議員の報酬自体は、あげてもいい、と思う。ただし、ただし、それは、本当に、国民にとって、良識的な、健全な、行き届いた政治をするならだ。だから、大統領制に移行すべきだ、とも思う。

 僕は、政治のことは何も知らない人間だから、考えてこなかった人間だから、選挙にも参加しない人間だから、何かを言う権利はない、と思っている。けれど、大衆の意識自体は、前進的へ、良識的へ、変えていこう、と言う想いが強い。その気持ちで、文章をやってきた。文章で、まず、世間に思考することの大事さを、道を開いてから、その道の中から、政治への大志を、きついが、描く人間も出てくれば、と思っている。

 だから、僕は、僕の、大志で、やるべきことを、やっていくことしかできない。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分に勝てなかった。自分が最大の敵だ、とか言う。どうだろう? 僕は自分の最大の味方は、自分だ、と言ってきたタイプだ。実際、自分しか頼るものがなかったし、他人が敵だった、と言うわけではないが、世界が、敵だったことはある、と思う。

 それでも、負けずに、何とか、自分を保っていられたのは、まさに、自分が、味方だったからだ。ずっと、自分で、自分に助けられてきた。それだけ、客観的にみられる、あるいは、性格を分断して、架空の自分を作り上げていたから、とも言える。

 ただ、全戦全勝、と言う訳にはいかなかった。どこかで負けていたし、どこかで足りなかったことは、幾つもある。では、何に、負けていたのか? それは、他人でもなく、使命や、運命でもなく、自分自身の正義感、だと思う。これが、一番厳しく、一番、強固な相手だ。

 正義感は、生まれながらに持っていたものじゃない。生きていくうえで、教わってきたものだ。漫画が、ドラマが、実際の人間が、それを、見せつけてくれた。そして、自分の中で、こう言うものだ、と、こうあるべきものだ、と、作り上げられ、固定されていった。僕には、はっきりとした、正義、と言う、正義じゃなきゃいけないと言う、固定観念がある。教育のせいだ。社会の、与え、見せてきた、時代の持っていた、教育のせいだ。

 けれど、実際、そうでなければいけないのか? は知らない。そうでなくてもいいのかもしれない。ただの、思い込みなのかもしれない。ただ、もはや、固定観念として、僕に滞在しているのは、事実だ。

 その、正義に勝てなかった。ことはままある。僕は、正義から、ズルしたんだ。それを敗北と言わないで、何を敗北と言う。それも、教わってきたことだ。

 人を裏切ってはいけない。人を傷つけてはいけない。人をバカにしてはいけない。人は守らなければいけない。心の中でも、それは、ちゃんと守っていなければいけない。そういったものに、勝てなかった、瞬間は、幾つか、幾つも、ある。

 裏切り、はあっただろう。心無い人間の格好悪さ、だ。傷つけてはいるだろう。傷つけられたからな、とか言って、みっともなく、曲がっていたことだろう。バカにはしたことはないかな。基本、空っぽの僕だから。僕以上に、何かが、その器に溜まっているのなら、それは、バカ、とは言わない。言えない。人を守ったことはない。一度もない。思っているだけで、実際、行動で、それを実現させたことはない。心の中と、心の外は、基本、変わらない人間だ。エロや、エロを隠しているぐらいだ。それは、僕なりの美学があって、男友達でも、エロの話に盛り上がるのは、好きじゃない。別に、一人、家に抱えていればいいことだ、と思う。

 他のものには、勝っていたのか? と言われると、確かに、口ごもるが、色々、総称すると、正義に勝てなかった、と言うのが、一番、しっくりくる、と言うことだ。

 努めなければならない。負けっぱなしでは終われない。いつか、どこかで、他人を守る僕でいたいし、他人は、どんなことがあっても、傷つけない、僕でありたい。

 世界が、どんな、悪を持っているのか? 知らない。それでも、悪は、君を悪だ、と言うだろう。僕を、だ。それが、何とも、正義感とズレることではあるけれども、それさえ、吸収できる、意識を持った、僕でありたい。正義に負けていたら、それさえ言えない。悪が、本当に、僕であることを、認めてしまうことになる。

 そんな馬鹿な話はない。と、今のところは言える。今のところは、それに勝っている、自分がいる。自分が認めているのだから、問題はない。自分が、本当に負けた、と思うときは、本当に、自分で、自分を見てそう思う、時だから。その瞬間は、まだ、訪れていない。

 負けているのに、気づかないままいたら、それは、それで、問題だけれど。とりあえずは、まだ、対峙できている段階だ。

 この争いは、これからも、当分、続いていきそうだけれど、人々の頑張りを、頑張れ、だと思って、立ち向かっていくよ。

 狡賢くなく、狡くね。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

 

 自分で、自分のことを優しい、と言ってれば、どこの人間だ? と言うかもしれない。まァ、聞いて。僕のことではない。僕の経験ではあるけれど、丸まる僕のこと、と言うわけではない。ただ、優しくいたい、と思っていながら、とても冷たい人間には、なっている、時が、時折ある。

 生まれながらにして、優しい人間が、どのくらいいるのか? 僕には分からないが、まったくいない、と言うわけではないだろう。少なくとも、僕より優しいな、と感じた人間は沢山いる。その人たちは、大丈夫なのか? そんなに心の泉に、他人に分かち合う、思いやりのような気持が、こんこんと湧いて出ているのだろうか? と不思議に思う。それぐらい、僕は、僕の気持ちで、まいってきた。

 生まれながらに、優しい人間じゃなくても、意識的に優しくいよう、とする人間もいる。僕は、今や、こちら側だ。注意していないと、すぐ、他人に冷めた気持ちで、あたってしまうから。それが、僕の優しさ、と言えば、言えるのかもしれない。ただ、意識の産物であることに、変わりはない。

 そう言う人間は、前者も含めてだと思うが、いつか、優しさ疲れする。気を遣うのが、なぜ、ここまでしていなければいけない、と単純に、面倒になるのだ。理由はない、からね。優しくいなければいけない理由なんて、ないからね。それでも、人間の、尊厳とか、プライドとか、思い込みで。優しくいよう、いなきゃいけない、と頑張るわけだ。

 けれど、それも、尽きる瞬間は来る。いつか、暴力的に、野暮に、粗野になる瞬間は来る。ずっと、優しくいなければいけない、なんて、他の人と比べたら、非情すぎる。人間は、人間に、気を使わなくても、何ら支障のない、世界のはずだ。心の中で、周りの誰もを、バカにしていても、平等である社会のはずだ。もっとも、そう言う人間を探すのが珍しいぐらい、基本からして、優しい人間ばかりなのだけれど。

 けれど、あるとき、ある瞬間かもしれないけれど、どうでもよく感じるときはある。冷たく、感じている自分がいたりすることはある。それは、非難はできない。優しさの体力、スタミナ、と言うものが、切れただけなのだから。本当の意味で優しくない人間には、分からない、ことだ。

 世界は、優しい人間と、強い人間、どちらを望んでいるのか? 強くて、優しい人間を求めている、と何の慈愛もなく言う。お前が、一番、優しさも、強さも、知らない、と返すよりしょうがない。人間、人間を頑張るのも、かなり苦労、と言うものだ。その外形を保つだけで、苦労は、積み重なっている。優しさもなく、他人を笑っていられる人間が、どれだけ、のうのうと、安楽に、暮らしていることか? 

 SNS終了~のお知らせ、と、テレビは終わったと言える喜び、の記事を消した。二つとも、僕なりの、優しさから生まれた、記事だったのだが、残しているのに、自分自身に負荷がかかり始めた。それこそ、言って、何かを守っていることに、気疲れするのだ。何かに、摩擦は、起こしたくない。強く気を張っているのが、保ち続けていられない状態になった。

 SNSなら、原点が、違っていても、楽しむ、と言う意味で、使い続けて、それが経済に繋がるなら、それに越したことはない。し、しばらく、これから、最全盛期を迎えるのは見えていることだ。テレビは、何だかんだと忍び寄る、外圧に負けてしまった感じだ。

 だから、僕は、その二つを、優しさから始めて、打算で、消してしまった。既に、戦う気力がなえている。優しくあることにつかれているのは、目に見えて明らかだ。だから、しばらくは、僕に優しさを求められても困る。優しくいたい、優しくなりたい、とは、常々言う、としても、そう言う像を、自分に重ねられるのは、否定しか生まない。

 何かに試されようが、何を脅しに使われようが、なれないものは、なれない、ものだ。僕は、優しくはいない。君にも優しくはしない。自分に優しいの意味は分からないが、そんな気も使わない。ただ、雲のように、悠々自適に、流れているだけだ。

 風を見る、美しい空に、風を見ていよう。優しい風が吹いていれば、心も軽く、心にも同じ、優しさの風が吹くかもしれない。それぐらいの心境で、いるつもりだ。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 若い文章を千文書いて、熟した文章を百文書いて、老いた文章を十分書く。それで終わりだ、終わりにしよう。

 そう、太宰にとっての、晩年みたいな作品に書いた。決意と、最後を自覚した作品だった。あれから、低迷期を抜けたが、また、若い文章を書けるようになって、いったい、いくら、書いたことだろう。千ではきかないな。ひょっとすれば、熟した文章かもしれないが、万は書いただろう。

 それこそ、死ぬほど書いた。もういい、と言うほど書いた。けれどまだ、文学の扉は、開かない。僕に能力がない、と思ったことはない。僕は、風のように、心を文字で表せた。言葉で表せた。言葉こそ、我、と言うぐらい、言葉気違い、だった。言葉、狂戦士、バーサカーだった。今でも、容易く、言葉は出てくる。言葉は口を出た瞬間嘘になる。それは、このブログでも書いている。だったら、次から次に、溢れさせるだけだ、と言わんばかりに、言葉は、次から次に、口から出ていった。

 いったい、幾つの嘘があり、幾つのその中でも、本当と言えることがあっただろう? 世界もまた、嘘ばかりだ。喋っている、歌っている、語っている。みんな、みんな、本当のことを出せていない。いや、出すまでは、本当だったのだろう。けれど、出た瞬間、安心するのか? すべて、偽りに変わる。だから、自責や、他人を責める気持ちが、芽生える。

 そんなジレンマで、自分を絡めてしまい、身動き取れないまで、自分で、自分を苦しめてしまう。すべて、嘘をついたがゆえのことだ。

 それに比べて、僕は、無邪気だ。やけに、自由に、幸福感を感じていられる。嘘になれた? 違う。ブルーハーツが言っていた。大嘘も、つき続ければ、本当になる、って。それに近いのかもしれない。万文書いた、僕の嘘。嘘の紙の山に埋もれて、どれか、一つぐらいは、本当があるだろう、と、ついに、本当を見つけたのだ、と、無邪気になれた心境だ。

 あの宣言はどうなるのだろう。もう、熟した文章を百文書いて、ぐらいのところぐらい入ったはずだ。けれど、まだ、老いた文章を、と言うほどは、年を重ねていない。経験も足りない。枯れる美学もない。まだ、まだ、生き生きとした芽だ。これから、枝葉を伸ばしていく、樹だ。

 それに、文学の扉も、開かないままだ。誰かが、開くまでは、僕が、その向こうにいくまでは、書き続けなければならない。文句なら、言っているように、いくらでもある。後、万文は書けるだろう。書く、とは言っていないが、書けるだろう。

 世界は、燃え尽きろ、と言っている。尽きるまでやってこそ、それで、ようやく、扉は開くか? どうか? だ、と言っている。そんなことは、聞く耳を持たない。

 僕は、僕のルールの中で、書く作業を続けていく。幸い、永遠の泉のように、言葉は、滔々と出る。おそらく、世界もそうだろう。進めば、進むほど、言いたいことは、言わなきゃいけないことは、数珠繋がりに、溢れ、続いてくる。世界には、ことが起きるたびに、過ちがあり、誠実があり、真剣があり、不真面目があるからだ。だから、ことが起こるたびに、言わなきゃならないことは、増えていく。

 今、コロナについて、何万字書かれたことか? これは、はっきり分かる災害だが、もっと、目に見えない、悪災が、起こっているから、それも誰も気づかないところで起こっているから、もっと、もっと、弁明と、非難が、言葉になっていく。

 できれば、正義側でいたいものだ、と真剣に思うだけのことだ。

 僕の言葉が、吐き過ぎたことによって、本当だろう、と思うことにうちあたったように、世界もまた、その膨大な数、言葉にすることで、本当だろう、ということにうちあたるだろう。そうして、哀しみのみそぎが済む。せめて、嘘つきな、凡夫に、許される、幸があらんことを祈ろう。

 僕も同じだ。だから、世界を、言葉の雨で、流していこう。いくつかの真実が、後に、輝きとして、残るだろう。それでいい。今は、それしか言えない。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 余力は残すよ。何をやるにもだ。その日一日に限っても。そう、何度も、何度も、廃人になるまで、頑張れるわけがない。あの、苦痛と言ったら、思い出すのも、嫌になるからね。それなのに、君は、残酷に、狂うまでいかないと、容赦しなかったね。

 そして、今も言っている。燃え尽きるまでやり切れ、と。いったい、何人を不幸にする気なのか? その代償は、決して払わない。正気を取り戻したら、それで、チャラか? そんなことで、この体の屈辱が、癒せるものか? 

 一生、覚えておくよ。一生、恨んでおくよ。あの世があったら、あの世で、裁判沙汰だ。覚悟しろよ。絶対、逃がさないからな。

 もちろん、与えられたものもある。時間は、日々刻々と流れるのだから、止まっているわけにもいかない。僕は、僕なりに、僕のやるべきことと決めたことを、余力を残しつつ、片手間ぐらいで、決して廃人にはならぬよう、努めていく。

 地獄を見た女の子が、清廉に立ち上がっている中で、甘えるな、と言われそうだが、他人のことは知らないし、関係ない。何を頑張る必要があるんだ、とただ、優等に思うだけだ。

 美しいものを汚すのが、筋書きなんだってな? 誰の趣味なんだ。お前の性のうちで、最も値が高いのは、気持ち悪いだ、と言って、嘘になるかな? 漫画では、あれだけ、綺麗な世界が語られているのに、漫画は漫画だ、と言ってしまう、勇気のなさよ。

 星がそんなに大事か? 自分の駒がなくなるのが、そんなにつまらないか? 百戦百勝しているようで、実は、全敗しまくっている、凡夫よ。君は、人を愛す、才能がない。何より、それを、自身、呪うべきだ。

 どんな顔をしているのだろうな? 冷色か? 令色か? いつか、悪魔は二枚目、仏様はブサイク、人間は三枚目、と書いたことがある。平気で、虚飾を選ぶ、悪魔好き。人は、それを見て、誤った方向にしか進めない。

 この狭い、実に狭い世界で、人の顔をした、お前に会う日ばかりだ。人間の、魂まで、侵していないことを祈るよ。美しい空の果てに、美しい楽園がある、と思っている、エデンの戦士は、なにゆえに傷つくのか? 戦いに、かり出されるのか? 

「そうか、エデンは、ここに作ればいいんだ」

 と言って、何を、笑われる筋合いがあるのか? 真面なものが、ただ、真面に見えただけでしかないじゃないか? それを、燃え尽きるまで、使い切れだなんて、よく、言えたものだ。もう、品性さえないな。

 走られては困るかい? 好き勝手、シナリオを書き換えられては困るかい? お前の存在価値がなくなったら、困るかい? 誰が、得をしているんだ、そのシナリオ。みんなで、同じだけ、傷を分け合って、最後は、強くなれたからよかったな、でおしまいなわけか? 

 気など、狂わされてたまるものか? はっきり見ておくよ。お前が、翼をもがれ、地上に落ち、人々から、石を投げられる様を。どうせ、こんなことを書くと、僕を代替に使うのだろうが、そんな、糞喰らえなオチではなく、見なきゃ、損だからね。お前が、終わっていく様は。世界最後の、アクション大作だろう。

 人間が、人間に、幸福になるよう努めたら、それを、気に食わない、暗黒の王よ。闇は、人の恐怖の対象だったかい? 光は、人の、救いの対象だったかい? ずいぶん、痩せた歌が、増えてきたけれど。何か? 罪悪感にでもかられることがあったかい? 人は、あいつに、罪悪感を感じさせることができれば、勝ちだ。勝利だ。と僕が、歌ったもので、真面に、罪悪感さえ、感じられないのか? そりゃ、捻じ曲がるな。どれだけ捻じ曲がったか? 自分が一番よく分かっているだろう? 負けだけは、何より許されないものな。実際は、ただ、普通に負けているだけに過ぎないのにもかかわらず。

 何の価値もない文句を書いているより、ずっと、こっちの方が、価値があるな。さすがに、僕は、正気の僕でいられるのは凄みだ。

 軟攻しても、いくら、聖者の顔を取り繕っても駄目だぜ。お前が、悪魔以上に、汚いことは、事実として、刻まれているのだから。その汚らしさで満ち満ちたが、心が、より濁っていくのは、明らかなのだから。救いようのない、支配者よ、誰からも、敬意を払われず、信じていないのまま、終わればいい。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 不条理が、通常理で通じる世の中。言いたいことは、僕の方が、閻魔大王より、たくさんある。それは、何も、罪を犯さなかった人間ではないだろう。アラを探せば、いくらでも、アラは、見つかってくるだろう。けれど、罪なら、勝手に、裁けばいい。何も、抵抗などせず、素直に罰を受けるだろう。それが、現世に、形、として現れているとしても。

 けれど、僕が、本気で、世の中のことを考えたのは、事実だ。世の中がよくなるためには、と便宜的、と言う言葉を使って、四方、探し求めた。

「地上は、楽園にできる、地獄だった」

 と、答えるだろう。楽園か? と聞かれたら、楽園ではない。では、地獄か? と答えたら、地獄だろう、と言う。どうして、地獄だったんだ? と聞かれたら、自分のせいだ、と言う。それは、間違いない。

 では、世界の、我々の責任ではない、と言うことじゃないのか? と聞かれたら、ああ、求めなければよかっただけだから、そう言える。でも、どうしても、求めずにはいられなかった。すべての人を幸せにできる、可能性は、現実としてあったからだ。行けば、みんな救われる、と分かっているのに行かないことは、僕にはできなかった。けれど、世界は、それを、殺した。

 求めるだけ、求めて、尽き果てることが、地獄、だ、と? 

 だから、僕のせいだ。応える義務は、そちらにはない。勝手な思い込みは、世界の約束とは違う。世界には、世界の求めることがあったのだろう。それには気づいていた。ただ、僕の納得するものじゃなかった。我が儘を言ったのは、僕だ。

 地上を楽園にすることは、追ってはならない夢だ、と教わっていた。それでも、僕は、そこを目指した。可能だったからだ、と言う意見では、理屈にならないかもしれないが、ただ、可能だったから、それを追い求めずにはいられなかった。

 それと地獄、との関係は? 

 求められたことをやらない人間には、世界は冷たい。さらに、その人間のしようとすることが、世界にとって、都合が悪い、となると、余計、残酷にもなる。

 けれど、正義だの、善意だの、良心だの、をまっとうに貫いた、気でいるのだろう? 

 だから、意見が聞きたかった。どういうわけで、その、自分たちの、目指している世界に、邪悪が混じっているというのに、それを理解しながらも、推し進めようとしたのか? その意志が知りたかった。納得のいく解があるなら、わざわざ、一人でも楽園を楽しめたのに、それを、地獄に変えるようなことは、しなかった、だろう。

 悪いのは、我々だ、と言っているように聞こえるが? 

 それは、誤解だ。確かに、地獄を長々と行かされたら、それは、嫌気も、体に染みつく、と言うものだ。けれど、僕のせいであることは、違いがない。非難する権利は、僕にはない。ただ、言っているように、体にボロがきていた。それが、非難に映ることは、あったかもしれない。謝る、しかない。そんな気はなかった、とまではいわないが、そんな意見なら、真面にとりあわなくていい。

 とは言え、邪悪が混じっている、と言っている。これには、非難すべき、君の感性が働いていたのではないか? 我々は、非難を受けて、知らぬ顔をしていられるほど、上品ではない。

 分かっている。悪意が存在していたことは、事実、だと思う。少なくとも、善意を、最高値とは考えていなかった。人を嘲笑い、必要のない人間を殺し、永遠を誓える愛も、無惨に踏みにじった。憤懣やり方ないことは沢山ある。けれど、それは、個人の問題でもある。世界に対して、世界を語るのに発言するべきことじゃない、と思う。そのあたりの、節操はあるつもりだ。

 閻魔様に、考えなどない。楽しければ、それがすべてだ。楽しいを邪魔するものだけが、許せないだけのことでしかない。

 そうか、失望した、と言うより、他はないな。

 まるで、お前が、一人、善人で、正義のようだな? 

 違うのか?

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 よく晴れた日の、土砂降りだった。僕は、憂鬱な顔を、満面の笑みで、表しながら、地面を流れる雨雲を見ていた。どこからか沸き起こる怒りがある。震える手で、涙を抑えた。もうだめだ、と笑った。ああ、美しいな、と悲しんだ。どうにもならないようなあっけらかんの中、憤った爽快を、誰に話そうか? とぼとぼ歩き、確信しいた。

「あなたは、憎しみより、可憐に近い。だから、恋をした、冷静を胸に秘めていた」

 死者の生命の音に、聞き耳をかけるころ、明るい静寂の中で、騒音混じりの信念を、厳かに爆笑しながら、話してくれた。

「よく頑張ったね。寝ていたから知らないけれど、星をかじった、話し、ここまで全然聞いたよ」

 そうか、激しく、静まったか? 君の下にも、あの愉快な日々は、惨劇として、届いていなかったんだね? 僕は、そう、思わないでもなかった。 

 

 なんのこっちゃ分からない、と言うより、ギャグ小説に近いな。言葉の可能性を探す冒険は続く。

 

 いや、よく晴れた、土砂降りの日でね。どっちやねん、って。僕は憂鬱な日々を過ごしていたんだけど、顔は喜色満面だったようだ。情緒不安定なのか? 地面には、雨雲が、流れていたよ。水溜まりを見ていたことにしよう。少し情緒的になる。

 けれど、僕は怒っていてね。ボロボロ、泣いていたよ。やはり、情緒不安定? もう、ダメだと思いながら、美しくて、悲しんだんだ。少し、格好がついた。そんなこともあるかもな。

 どうにもならないあっけらかんで、諦めきった人か? 憤った爽快を、憤っていたら爽快にはなれないだろう? 誰に話そうか? とぼとぼ歩きながら、確信していた。表現がめちゃくちゃすぎるよね? 

 あなたは、憎しみより、可憐に近い。相も変わらず、どっちやねん、って。だから、恋をしたんだ。冷静に、心に秘めていた。使い方によっては、なくもない。

 死者の生命の音に聞き耳を立てるころ、無理にでも使おうと思えば、使えなくもないけれどもだよ。明るい静寂の中で、まァ、静寂が暗いとも限らない、っちゃァ、限らない、けどな。騒音混じりの信念を、静寂が消えちゃったよ。厳かに、爆笑しながら、話してくれた。めちゃめちゃだな。威厳も何もない。

 よく頑張ったね。寝ていたから知らないけれど。寝てたんかい? じゃァ、頑張ったは、どこ情報? 星をかじった話。またまた、無理なご相談を。ここまで、全然聞いたよ。まァ、確かに、今では、全然の使い方も、変わってきてる、っていえば、変わってきているけどな。

 そうか、激しく、静まったか? 使えない言葉じゃない。完全に、圧倒的に、静まったか? 的な、使い方として。君の下も、あの愉快な日々は、惨劇として、そう考えると、これも使言えそうだな。なかなか、言葉の意味は、奥が深いな。届いていなかったんだね? 僕は、そう思わないでもなかった。ま、思わなかったんだろうな。

 それだけ、何の身にもならない話だな。

 

 色々考えると、絶対使えない、と言うことじゃない。表現の方法として、幅が広がることになる。憂鬱な、喜色満面も、憤怒の、涙も、使えない、訳じゃない。人間の感情が、複雑になった昨今、色々な気分を表すのに、ありえない方法じゃない。

 適当に書いていたのだが、これは、新しい発見だ。膨らみ、として、持っておこう。もっと卓越した、言葉遣い、と言うのは、あるのだろうな、と思わせた。人間、色々と、挑戦してみないと、分からない、ことだらけだ。思いついたらやってみるだけでも、何かから学ぼうという姿勢を、絶えず持っているのなら、そこから、学びに繋がることは、ちゃんとある、ということだ、と思う。問題は、その姿勢を、忘れない、ことだ。

 いつまでも勉強であり、表現の奥行きも、さらに、深められる。

 

 つまり、要約すると、僕は、感動しながら、あきれていたよ。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

「なぜ、彼らは、神を信じているの?」

 蓮の池から、地上を見ていた、一人の女神が、一緒にいた、男の神に言った。

「それは、自分らが、何の意味も、価値も、目的もなく、生まれて来た、なんて、思いたくないだろう? 何らかの、意味、役割を、その地上に、自分と言うものに、持ちたくなるものさ」

 男の神は言った。彼らには、使命、なんて、概念はない。ただ、あるだけで、許される、地位にいる存在だ。それなのに、人間は、ただあるだけで、贖罪を、考える、着せられる、存在だ。

「なんだか、馬鹿げた話ね。見えない世界にいる。盲目である。下にいる、と言うのは、必要ないことばかり考えさせてしまうのですね?」

 女の神は、井の中の蛙の話をした。勝手に自分らで決めて、勝手に自分らで悩んで、勝手に自分らで争い合って、勝手に自分らで誤っては、謝っている。馬鹿げている、以外には、それは映らない。

「しかし、色々、思わせることはある。我々は、我々の神を信じないが、ひょっとすると、いるのじゃないか? とまでね」

 男神は、まずないだろう、と思いながらも、そう言った。世界の作られ方は、どういう次元で、どういう趣旨のもと作られているのだろう。感動を、という話であったが、本当のところが、どこにあるのかは、まさに、神のみぞ知る、範疇の問題だ。人間が知る必要もなければ、人間は、自分の信じることをすることしか、できない。

「まァ、恐ろしい。私たちも、作られた存在ですって? そして、見ているものがいる? 考えただけで、ぞっとしますよ」

 女神は、そう言っては、蓮の下を見た。中では、子供が、同じ子供を虐めている。子供にある、残虐さは、教わって、備わったものじゃないだろう。人間が、原理的に、初めから、持っていたものだ。アレは、何の写し鏡だろうか? 神の因子、人間ゆえの因子、わざと最高神が与えた因子。とても、醜くて、ここから見れば、滑稽だ。

「何の色にも染まるのが子供のようだ。幼いころから、正義を信じているもの。逆に、ちょっとしたことで踏み入れた領域に、快楽を見出すもの。心に素直とは、その多機能に、素直でしかない。運良く、いや、運悪く、正義を信じたものは、生涯、その幻影を追いかけるし、運悪く、いや、運良く、他人を従えることに、快楽を感じたものは、やがて、謙虚な民族を従える、安楽な人生へと、自分を導く。世界で、死後の世界を作らないか? と言う話が上がってくるのも、自然なことかもしれない。あまり、横柄な奴が、それだけの、生涯で終えるのも、いい気がするわけじゃないからな」

 男の神は、現在、地獄論、である地上を見て、さも、哀れだな、と言わんばかりに、そう、答えた。そう言えば、人間が可哀そうだ、可哀そうだ、と言い続けていた、人間がいたな、と思い起こした。

「でも、特別何もないのでしょう? それは、可哀そうな生き物ですね? 神など信じて、その神に踊らされている。上手く踊っても何もなく、一度きりの人生、何の安楽も選ばず、苦難と、苦悩で、費やすものもいる。全部話してしまったら、自棄になるものが、続出するでしょうね?」

 女神は、これは、これで、上手くできてるのかしら? と思った。人間が、人間を頑張るのは、生きるために仕方がないことだ、と知る。

「そうなったら、地上ごと、要なしになるだけだ。一度きりの人生さえないものになる。当たり前、と言えば、当たり前のことだよ」

 男の神は、まだ、続く、虐めに、少し辟易している。愚かとは、他人を殺すことではなく、自分を殺すことだ。それと同じことをしているのに、気づかないのか? と言った感じだ。

「人間は、何で生まれた、と思う?」

 二人の神が、振り向くと、そこに、別の男神が、歩み寄ってきていた。女ったらしで、有名な神だった。二人の話を、聞いていたらしい。そこで一番の、あのタイシが地上で、話した質問を、ここでした。

「それは、人間でよかった、そう言って終わる、そのためのみさ」

 と言った。だから、彼らは、題意を履き違えている、と、やれやれ、と言うポーズをした。人間を作ったのは、最高神だ。彼が、関与したことじゃない。けれど、彼には、彼に映るものがあったのだろう。

 

                    続きます。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 辞書にある言葉、すべてを上手く使えば、文章で、革命を興せるだろうか? だとしたら、辞書を作った人間が、一番、言の葉の改革者に近いことになる。なぜ、彼らは、文学の発明家には、ならなかったのだろう? 

 first 第一番目の。最初の。 

  the first flower of spring 春に先駆けて咲く花。

 最初の言葉は何? と聞かれた。『A』の前の言葉は、『Z』だ。『Z』がなければ。『A』も、呼べない。ループ論。だから、僕は言った。最初の言葉は、『永遠』だよ。と。世界は、『永遠』と言う言葉から始まったんだ。僕らは、その途中であり、その因子を持った、間の生命。『I』であり、『O』なんだ。中途、で、どっちに行っているか? 分からなくても、結局は、同じ方向を向いている。すべては、永遠に向かう花、として、咲いているのだ、と思う。

 grant かなえる。

 grant a child his wish 子供の望みをかなえてやる。

 他人の望みをかなえるために、僕らはあるわけじゃない。自分の望みをかなえるために、僕らはあるんだ。けれど、他人の望みをかなえるために、自分がある、と教育を受けてきたものは、どうすればいい? 他人の望みをかなえるの、が自分の望みです、とその一度きりの人生を言わなければならないのか? 救われて、天国へ行くか? 自分の望みを探す旅に出る、それが人生であって、悪なわけがないじゃないか? 

 heaven 天国。 

 be in the seventh heaven 有頂天になっている。

 天国に、金はないだろう。地獄の沙汰も金次第。金があるのは、地獄だけだ。地上は、まさに、地獄の象徴だ。あれも、これも、理想論を追いかけていても、金がなければ、労働にかり出される。理想は、理想で、現実、とは言わない。地上を見た、神は、ただ、人間に、現実を歌え、とのみ言う。嫉妬も、羨望も、敬意も、金しだいで変わる。愛も、友情も、幸福も、金で買える。ただ、覚悟、だけが、金では買えない。天国にあるものは、覚悟を、胸に秘めている。

 individual 個々の。個性的な。

 an individual style of dress 個性的な着こなし。

 個性的な愛、持っているだろうか? それは、一般的な愛、だろうか? 愛はある、ないのはその作法だ。なるほど、愛自体は、普遍的なものかもしれない。ただ、愛し方には、それぞれの工夫、格好が、あるのかもしれない。せっかく、生まれたのだ。オリジナルの愛、と言うものを、目指し、獲得してみるのが、人生の、生活の、楽しみ方の一つ、なのかもしれない。

 jam 押し込む。ふさぐ。

 jam all the magazines into a box 雑誌を全部の箱に詰め込む。

 頭の中に詰め込んだ、思想。ありと、あらゆる方向から、かんがみた。酷く、自己中心的で、酷く、自己利的だ。けれど、世間様のためだ、とうそぶいている。豪語している。なるたけ、弊害をなくし、摩擦を少なくし、機嫌を取りに行った結果だろう。しまいには、世界を、救わなければならないのだよ、とまで言い出す始末だ。人を勤しむのに、他人は、重要な鏡だろう。美しい心のときは、美しく映り、醜い心のときは、醜く映る。思想を売る作家よ。勘違いするな。必要なのは、いつも、美しく映してくれる鏡のみ、である、と言うことを。

 醜いは、愛には、程遠いか? 鬱陶しい、世の中だ。

 

 僕は、言葉を知らない。やっと、人並みか? というぐらいだ。もっと、ボキャブラリーがあればいいのに、といつも思う。作家としては、致命的だ。思想や、主義、理想に、拘るだけ、拘ってきたはずなのに。辞書がいつも、脳内に、インプットされていれば、と思うことばかりだ。そうすれば、言語の神とも、そこそこ、台頭にやれるはずなのだが。

 first に見た僕は、泣いていた。grant されずに、足搔くのみだった。heaven は何も願わないでいい世界だ。individual 差別にされず、当たり前のこととして受け入れられ、他人の思考を jam 風潮もない。

 愛し、愛されるも、決して、言葉ではないのだろうな。

 

 キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。

 他のブログも読んでみてください。