愛するを覚えたわけじゃない。恋は知っている、だけだ。永遠にはいけなかったが、永遠に思える想いだった。彼女がいれば、他は何もいらない。よく聞くセリフだ。けれど、本当の恋を知っていれば、誰もが、経験する感覚だ。夢と、恋、夢を選んだ、僕だけれど。
どうせまた出会いがあるだろうぐらいに、それぐらい想った人を離しても、思っていたんだ。けれど、年を取る、と言うのは、恐ろしいもので、経験が、恋愛を、純愛から、利己愛に変える。自分にとって、都合がよくなければ、付き合う、理由もないんだ。
やりたい、は、適当に処理できる。風俗で、岡村が問題になった。そりゃ、問題だろう。大問題だろう。けれど、その倫理違反にも、鈍感になっている僕がいる。まァ、また、性の問題で、未熟な人間が、口を滑らせたか? ぐらいに、思っている。
別に、それで、彼が、役を奪われても、テレビを見ない僕からしたら、何でもないが。残念なのは、僕の初めの反応の方だ。若いころなら、顔を真っ赤にして、怒っていただろう。どうかな? 違うかな? もう、忘れた。ほら、残念だ。
彼も、恋に破れた、人間なのかもしれない。ずっと、大切にしているものがあったことだろう。それが、時を経れば、そうなる。年を取る、と言うのは、色々、刺激、思惟激に、触れ過ぎて、麻痺してきて、摩耗してきて、純粋さはあっても、純粋に感じる能力には、どうしても、衰え、と言うか? 敏感ではなくなっていくものだ。それで、軽はずみなことさえ、口にしてしまう。
年が悪いとまではいわないが、自分自身ある感覚だけに、あまり、他人に文句ばかりは言えない。少しの、女性蔑視も嫌った、若かりしころが、とても尊く思える。
これは、寛容になった、と言うべきか? 悠長になった、と言うべきか? それともやはり、ただ、鈍感になった、と言うべきか? 本当に憎むべきは、やはり、年、なのかもしれない。それとも、いい年の重ね方ができなかった、幼さ、だろうか? その方が、的確、と言えば、的確なのかもしれない。
思えない人がいたら、自分の欠落について、知っているのも、大切なことだろう。人は、余分なものを脂肪、筋肉にし、本当に大切なものを、脱ぎ捨ててしまう。
老成は、何でもかんでも、受け入れていたら、それは、それで、敬虔に欠ける。最も、それ以前の、幼稚な発言ではあるのだが。
二度と恋はしないだろう、を悲しくは思わない。世界が、男と女の物語、であっても、悲しくは思わない。むしろ、恋疲れをした人間のように、あの感覚に埋もれて、多感に、あちこちを振り返りたくはない。心は、静かな、湖、のようで、できるだけいたい。これも、老成、か?
恋をしない人間が優れている、なんて理屈はないが、いつまでも恋はしていたいよね、と言っていた、彼らは、その通り、恋をしているのだろうか? 人生は、楽しんだもの勝ちだから、らしいから、そこまで、純粋無垢を維持できるなら、立派なものだ。
死と再生の繰り返し、一度死んだ人間は、再生しても、恋心まで再生するとは、思えないのだが、みんなが一度は経験する、あの感覚を通ってきた人間は、今、その感覚の真っただ中にいる人間を、どう見るのか? 神が、初恋は叶わない、と言う発言の気持ちが、分からない、でもないでもない。
いろんなものをまっとうにしようと思い、行動してきた。いや、思考してきた。頭の産物。恋に欠ける、と言うことは、人間として、欠落している、と言ってしまうのだろうか? 僕には、少し、辛らつだ。
それでも、愛は、持っているよ。いや、育てるつもりだ。だから、大概の男女間の煩悶は、愛で、解決していく。愛は、永遠不変だろ? どこかの、吟遊詩人のように、その想いを歌にしてくれ。
僕らは、愛になっていく、猿から毛が抜けた、厳かなる、気高き、生き物。
少しも、疑っていない。
キンドルでこれ以外にも本を出しています。クリックしてくれると、あらすじが読めます。良かったら、読んでみてください。
他のブログも読んでみてください。








