Pressing Cheaks (Siwook) | Shudder Log

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* このブログの内容はすべてフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。

夜の闇から浮かび上がるように現れた白のアウディは、僕の前で滑らかに停車した。
助手席に乗り込むと、運転手であるシウォン兄は笑った、
ように見えた。
 
「お待たせ」
 
その顔を見て、思わず呟く。
 
「マスクなんて珍しい」
「うん、ちょっとね」
 
シートに座ってドアを閉め、シートベルトを締める。
膝の上には自分の鞄と、エコバッグ。
 
「その中、何が入ってるの?」
「ご飯作ろうと思って」
 
食材を買ってきた。
何を作っても、シウォン兄はきっと美味しいと言ってくれるだろうけれど。
冷蔵庫に何もなかったら、作ることもできないから。
 
「リョウクの手料理、久しぶりだな」
 
マスクをしたままでも破顔したのが分かる。
 
「楽しみだ」
 
ギアがドライブに入って、車は止まったときと同じようにスムーズに走り出す。
シウォン兄の家までは、ここから十数分だ。
――― あの建物を「家」と呼べるなら。
 
ハンドルを握るヒョンは、楽しそうだった。
その横顔はマスクに隠され、僅かに見える頬に。
 
「あ、髭?」
 
声を出すと、シウォン兄はちらりと僕を見た。
 
「バレちゃった?」
「伸ばしてるの?」
「うん。今度の役でやるかもしれなくて」
 
きらきらと少年のような目が輝く。
 
「明日の衣装合わせで試すことになってるんだ」
「なるほど」
 
シウォン兄にはきっと似合うだろう。
男らしい顔立ちに、整えられた髭。
童顔な自分とは大違いだ。
 
「僕は髭はキライ」
 
ため息をついて視線を逸らした。
 
「似合わないかな」
 
まだ楽しげな声で、シウォン兄が言う。
 
「ヒョンは似合うよ」
「まだ見てないのに」
 
クスクスと笑うヒョンに、僕は唇をそっと噛んだ。
整えるのは明日でしょう。
でもきっと、無精髭だって似合ってしまう。
 
「僕には似合わない」
 
ただでさえ自分の体毛には苦労させられている。
 
「髭なんて生えなくていいのに」
 
ため息を吐いて、ふと我に返る。
つまらない愚痴。
コンプレックス。
シウォン兄の前で言うようなことじゃないのに。
 
そっとヒョンの様子を伺ったが、マスクに隠された表情は読めない。
 
別にいいけど。
呆れるなら、それでも。
 
二度目のため息を飲み込む。
――― 今夜は楽しくなるはずだったのに。
 
顔を背けて外を見ると、もう住宅街の中だった。
白のアウディは、ほどなくしてヒョンの「家」に着く。
地下の駐車場に滑り込み、タイヤを鳴らしながらゆっくりと停車する。
 
「到着しました」
 
シウォン兄の声を聞き、僕はシートベルトを外す。
ドアを開けようとしたところで、名前を呼ばれた。
 
「リョウク」
 
振り向けば、目の前にはマスクを外したヒョンの顔。
珍しく髭を生やした、しかし変わらない優しい表情で。
シウォン兄は僕に口付けた。
 
「チクチクする?」
 
唇が離れると、ヒョンは柔らかな瞳のまま言う。
 
「うん」
「ごめん。でも、もう一回」
 
そのキスは最初のキスよりも深くて、その分余計に髭が当たった。
二度目の口付けの後、僕は言った。
 
「やっぱり、髭はキライ」
 
痛いキスなんて嫌だ。
その意味がシウォン兄に伝わったかどうかは、僕には分からなかった。
分かったのは、それを聞いたヒョンの笑顔が、さっきまでの心の澱をウソのように溶かしてしまったことだけだった。