最近、めっきり日本のテレビニュースを見なくなってしまったが、
朝のわずかの時間は家族がテレビをつけるので目に耳に入る。
秋田の生活保護の申請を却下された男性の抗議自殺について
思うところがあった。
以前、自殺や変死をとげてた死体や、部屋を片づけるのが
仕事という、特別な清掃を仕事にしている人のブログを偶然見た
事があった。
そこに、病気でどうにも働けないのに、生活保護の申請を受け付けて
もらえずに餓死する人が増えていて、
餓死したまま、数ヶ月放置され、腐乱した死体と部屋を片づける
その様が克明に書かれていた。
飽食の時代の日本と言われていたが、そのうち飢餓の時代の日本と
言われるのだろうかと思ったのを記憶している。
この男性だけじゃなく、全国で、こういった弱者の死があるという現実。
今だ第三セクターや箱物に血税をつぎ込み、韓国人は優遇されているのに、
敗戦した日本人は日本で見捨てられて餓死していく。
民主主義国家で先進国であるならば、最低限のセーフティネットは死守されなければ
いけないのに、本末転倒で、弱者から切り捨てられ搾取され、
官僚など、一部の既得権益だけが、変わらないおかしな国。
インフレと老齢化が進む未来の日本は、こういった切り捨てられて
死んでいくしかない人が増えるのではないかと思う。
藤里町の連続児童殺害事件にしても、単に実の子までも手に掛けた鬼母の話として
おもしろおかしく流すのではなく、どうして鈴香容疑者はそのような事件をおこしてしまったのか
その背景について考えなくてはならないようにも感じる。
私の周りにも母子家庭は多い、養育費も途絶え、近くに擁護してくれる両親も
いなければ、経済的にも時間的にも余裕はない。精神的余裕もない。
彼女は眠れなくて薬を常用していたという。
しかも彼女は子供の頃からいじめに逢い、頼る友達もいない。
卒業文集に、死ねとか、帰ってくるなとか、そんな事を書くのを許す
学校のほうがよほど、おかしい。
確かに、命を危めた罪は許し難いし、償うべきである。
ただ、彼女の歩んできた人生を無視して、マスコミも近所の人も
総ぐるみでヒステリックなまでに弾圧しまくるのはおかしい。
彼女に手を差し伸べる近隣の人はいなかったのだろうか?
虐待を受けた子供を受け入れて、心と身体のケアをしている
とある病院のベットは常にぱんぱんに埋まっている。
罪のない子供もかわいそうだが、虐待をしてしまわなければ
ならなかった親もまた被害者でケアが必要だと、とある先生が
おっしゃっていた。
目に見えない心の病は簡単には治らないので、病院はいつも
急を要する患者優先で一般の患者は待たなければならない。
寸前で死に至らなかったけど、身体にも心にも酷い傷がある
子供が常にあふれかえっているという現実。
事件にはならなかったけど、もっと残酷な現実があふれている。
自殺者が増え続けている異常性とあわせて考えると
なんともいえない気分になる。
人は環境でどうにでも変わるものだと思う。
確かに、強靱な精神力があれば、酷い環境から己の身と精神を
守れるかもしれないが、
人は多かれ少なかれ、弱くて愚かな部分をたくさん持っている
生き物だ。
そして獣と違って、お互いに協力しあうのが人間だ。
それが他人を蹴落とす、または関心がなく、自分優先の獣以下の
現代人。
彼女の罪をおもしろおかしくまくしたてるのは簡単だが、
何の解決にも繋がらない。むしろ、そういう環境に影響されて育つ
子供の事が心配になる。子供は大人をよく見ている。
小学校の学級崩壊や、公園で喫煙してても注意しない大人や、
学校教育だけでなく、地域も含めた大人や社会全体のつけが
まわりまわって、、、、というように見えてしまう。
大人がおかしくなれば、子供の世界もおかしくなるさ。
とかげのしっぽ切りや魔女狩りみたいに、物事の一端を切り捨てても
何もよくはならない。
昔はあぶない遊びをしていると、近所のおばちゃんに
物凄い勢いで叱られたものだ。
叱るだけでなく、困った時はいつでも愛情を持って手をさしのべて
くれる大人が自然にたくさんいた。
子供と老人、弱者がどんどん追い詰められていくような社会
私は、そんな社会に自分のやり方で反発したいと思う。