前回のお話からの続きです。
私は若い頃パニック障害になりました。
車や電車に乗ると心が騒ぎだし、不安でパニックになり、もはやその場にはいられなくなります。
パニック障害を起こして以来、大勢の人とトイレのない乗り物には乗ったことがありません。トイレは逃げ場でした。息子と同じです。
私が息子だったら、遠足のバスには乗れない。集会で、列の後ろ以外の場所にはいられない。課外活動で、どこに行くのかどうやって行くのか何をするのかわからないと不安で行けない。
これから大人になって、仕事で誰かと乗り物に乗って長距離移動なんて怖くてできない。
スポーツ選手なんてなれない。教師なんてなれない。運転手なんてなれない。何もできない。
私が息子だったら。私が息子だったら…。
私は、息子のことを思うと不安でたまらなくなりました。学校でトイレに行けない場面で、息子はどれだけ不安だろうか。逃げ出したい気持ちになって、学校も怖くなって、すべてが怖くなっていくのだろうか。
私は、良くない考えに転がり始めていました。
私は、息子の心因性頻尿を理解している。息子は私と同じ様に苦しんでいる。どつぼにはまっていました。
家では、1時間に数回とかの酷い症状はとうになくなっていましたが、ゲームで自分のターンが回ってくる度にトイレに行くなど頻尿のスイッチが入る時がありました。行ける時に行く、です。
私の心の中にはモヤがかかっていましたが、1年生の3学期頃になると、気がつくと息子は毎日元気に学校に通っていました。
「最近、授業中にトイレに行く?」久しぶりに息子に聞いてみました。すると、
「行ってないよ、行くわけないよ。」
…え?本当かな。
「授業中にトイレに行きたくなったら先生に言えばいいから。」
とても軽い返事でした。
先生とお話しする機会がありました。先生に聞いてみると、
「そう言えば、最近、授業中にトイレに行かないですね。教室移動の時とか、活動の前には必ず行ってますけど。」
「それから、次年度からのことですが、一応、次年度の教員には、情報を共有したいと思っていますがいいですか。それに、教室もクラスによってはトイレから遠くなりますねぇ。うーん…。」
ここまで受け入れてくれた先生には本当に感謝です。
私のモヤとは裏腹に、いつの間にか、息子の頻尿はとても穏やかに軽くなっていました。
私は今更になって気づきました。
私と息子は違うんだ。
同じような心の症状ですが、違う人間なんです。私が悩んでいるからといって、息子が悩んでいるとは限らないのです。
息子は、頻尿にそれほど悩んでいませんでした。それを勝手に、自分と同じように苦しんでいると決めつけていました。
もうこんなことやめよう。息子は息子。私は私。
それから、息子の頻尿は、家ではまったく気になるところがなくなりました。出かける出発前に必ずトイレをすませる部分は変わりませんが、それはきっとこれからも続く気質のようなものだと思います。
登校中にトイレを訴えることもなくなりました。そして、連絡帳に「給食少な目、牛乳半分」と書く回数もぐっと減りました。
そして息子は2年生になりました。つづく…