昔、お世話になっていた方からの紹介で、ライターの勉強をしている大学生の女の子のインタビューを受けたことがあった。
前にもブログに書いたことがあったかな。
帰省していた時だったので、わざわざ実家まで来てくださったのだけど、
「やっぱり小さい頃の夢はピアノの先生だったんですか?」って何度も聞くの。
うちの妹が描いた『ピアノの先生になりたい』という絵が飾られていたのをみて、そう思いこんだみたい。
「それは妹のです。私は小さい頃ピアノの先生になりたいと思ったことはなかった。」
はっきりそう否定したけど、出来上がった送られてきた記事には、
「小さい頃の夢はピアノの先生!」と書かれていました。
取材ってそんなことがいーーーっぱいあったの。
SNSもなかったから、自分では弁明もできずモヤモヤしたまま。
言ってない言葉を言ったかのように書かれ、ライターの勝手な解釈で捻じ曲げて書かれ、時にはバカにしたような書き方をされ(その後もっと偉いライターさんが褒めてくれた後はコロッと態度が変わった)
だから昔の自分の記事ってほとんど捨てちゃった。
今はどうかわからないけど、当時ライターの授業では、インタビュー記事は創作しちゃって良いと教わっているという話を聞いた。
つまり、もっと面白くなるとライター自身が思うなら、真実も事実も相手の言葉もねじ曲げてok。
他人の人生も、大切にしていることも、変えちゃって良いと。
逆に、巻頭インタビューの記事を丸々ライターに創作してもらっていたアーティストも知っている。
えっと思われるかもしれないけれど、それはプロモーションの一環だろうから、まだ全然マシな方。
でもそういうこともあるから、ライター側に「自分があなたを良く見せてやっている」という意識の人が出てきてしまうのかもしれないな。
先日の漫画家さんの悲しい死の報道を見ていて、ライターとインタビューを受ける側の関係にも似たものを感じた次第です。
もちろん、創作物はもっともっと繊細な問題。
そっちこそが本人以上に本人なんですからね!
テレビの世界ではびっくりするようなモラルのなさがまかり通ってきたようだけど、どこも同じなのかも。
ゼロからイチを生み出すということ、身を削って創るということがどういうことなのか。
誰かが生み出したものを元に何かを作るのであれば、元の作品と作者に敬意を払うのは当たり前のこと。
どうか、もう誰かが失意のうちに亡くなるようなことが起きずに、モラルが変わっていってほしい。
違う角度からの話。
「ファンを喜ばせたい。」
その思いは素晴らしいけど、ファンを喜ばせるためなら何でもして良いということではないよね。
私が歌詞を乗っ取られたりした時にも、根本原因を辿ってゆくとそれだった。
アーティスト本人が、自分で書いたという称号が欲しかった。
その人のファンは、「これはアーティスト本人の言葉だ!本人が書いたからこそリアリティがあり素晴らしい!」というファンタジーが欲しかった。
そのために誰が犠牲になってるなんて想像もしないし、興味もない。
私も一人の音楽ファンで、リスナーでもある。
そこで思うのは、どうして、いつから「本人が書いた」ということがそんな重要になったの?ってこと。
作曲した人が作曲家として名前が出る。
作詞した人が作詞家として。
歌った人が歌手として。
それの何が悪いのか。
たまたま自作自演の人はシンガーソングライターとして全部クレジットされる。
それだけなんじゃないの、と。
それに、自分で生み出してないものを自分が創り出したかのように振る舞うのって、自分自身が一番気持ち悪くないのかな?とも思うんです。
その感覚があったらそもそもまともか…
リスナーも、「本人が書いたんだって!すごい!リアリティ!」と思ってるとしたら、頭で音楽を聞いているだけだと思う。
それか、アーティストに恋してるか。(盲目ということ)
音楽が好きなんじゃなくて、エンタメが好きなんでしょう。
もちろんそれ自体は否定しないけど、誰かを喜ばせるために犠牲者が出るのは絶対におかしい。
そして、脚本家が原作の本質を平気で捻じ曲げちゃうのも、シンガーが他人が書いた歌詞を乗っ取って自分が書いたものにしちゃうのも、間に入っている人や会社の責任が大きい。
本人たちは無知だったり、必死で気づかないことも多いですから。
そこをちゃんとするのが会社やマネジメントでしょ。
なのに都合の悪いことは本人たちになすりつけて、責任逃れしたりする。
重い罪ですよ。
いろんなことが明るみに出て、痛みを伴いながら変化していっている昨今。
良いことだなと思う一方、変化途中の犠牲にはあまりに胸が痛い。
誰かが身を削って創ったものを享受する側も、上っ面なことに騙されずに創作者を大事にする風潮になってゆくように願います。
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オマケ
先日、佐賀にバスケ観戦に行ってきました。
今一番の楽しみです。
途中、レトロなお饅頭屋さんを発見。
最初はお祖父様の名前を冠したお饅頭だったそうですが、住所から「北山(ほくざん)」という名前が消えてしまったのをきっかけに、その地名を饅頭に付けたのだそうです。
ルーツを大事に。素敵なエピソード。そして素朴で美味しいお饅頭でした。
レトロな店内。お祖父様の写真も大事に飾られている。
佐賀といえば、鍋島直正公にご挨拶して満足な私。
直正公、直大公が祀られている佐嘉神社の隣のお饅頭やさんもすごく美味しかった。
ほっかほかの湯気が出ていて、懐かしい雰囲気の店舗。素通り不可能。
佐賀はお饅頭が有名なんですね。
こちらも変わらない味なんだろうなあ。