こんにちは♥
先日『王の男』18周年記念日にInstagramなどが盛り上がっているのを見て、私もあやかって、『王の男』について感想ブログを書き始めました。
ところが、またもや時間が足りなくなり、書きかけのまま保存。
少し時間がある時にちょいちょい書き足し、やっと完成しましたので、記念日はきっかけ😆ということで、季節外れな投稿させていただきます😆
以下、ネタバレあります。そして長いです🙇♀️
私は『王の男』を上映当時(日本だと17年前くらいなのかな)に見ています。
当時としては、『王の男』は、少しセンセーショナルなイメージでした。
宣伝の画像などで、王の近くに立つ、すらっとしたコンギルの妖艶な美しさに、これを普通に見に行っていいのかな?と少しドキドキした記憶があります。
なんといってもタイトルが『王の男』です。
実際に見てみると、センセーショナルさを狙った映画ではなく、貧しく暗い時代に、暴君に翻弄されて、運命が狂ってしまった芸人たちのお話でした。
身分の違う者たち、それぞれの立場での苦しみや悲しみが描かれた深い作品でした。
もう一度観たいと思わせる作品で、しばらくしてから、DVDをレンタルして観た記憶があります。
それまでは、劇場に行ったのに、DVDをレンタルということはあまりなかったので、それだけ面白く、惹きつけられたのだと思います。
特にコンギルに惹きつけられましたが、その時は、俳優さんについてあれこれ調べるということはありませんでした。
長い時間が経ち、『王の男』を思い出すことはほとんどなくなっていましたが、今年の始めに『悪の華』でジュンギファンになり、コンギルとジュンギさんが結びつきました。
慌ててゲットしたDVDで『王の男』で何回か繰り返し観ました。
視聴してから何年も経つと物語の細かいエピソードは忘れがちですが、『王の男』内容をほぼ覚えていました。
一番の魅力はやはり、コンギル役のイジュンギさん。
美しいだけではなく、女性らしさを、表情や仕草で完璧に表現する、人々を惹きつけて離さないその技量です。
コンギルの美しさは、冒頭の綱渡りの見せ物のシーンにたくさん詰め込まれています。
まず最初に縄の上でお面をとる登場シーン、フワーッと美しさが吹き上がる感じ。
予想を越える美しさです。
東洋的で神秘的な妖艶さ。
みんなここで胸を射抜かれているはずです😆
ジュンギさんのお顔が綺麗に見える角度。
演出のこだわりも感じます。
他にも、つんと顔を上げるシーン。
太鼓を叩きながら踊るシーン。
横顔を残しながら、体を回転させます。
顔と体の動きがバラバラなことで妖艶さが増し、ジュンギさんの美しい横顔も印象づけられる。
これでもかとジュンギさんの美しさを見せてくれています。
他にもジュンギさんの美しい女性らしさはたくさんあります。
影絵の場面で王を虜にした微笑み。
流し目、伏目、上目遣い。
食べ物をつかむ仕草、少しずつ口に含む様子。
私が特に印象的だったのは、コンギルの体の捻り方です。
ジュンギさんは今より体つきがしっかりして、普通に立っていると少し男っぽく見えてしまうけれど、踊る時は、顔を後ろに引いて、胸は前に出し、そして腰を後ろに捻ることで見事な曲線を生み出して、完璧な艶のある女性らしさを表現しています。
というか、女性もこんなふうになかなかできない。
素晴らしい観察力、表現力だと思います。
本当に死物狂いで努力した結果が窺えます。
ストーリーの魅力は、
コンギルとチャンセンの兄妹のような恋人のような親密な関係にあります。
チャンセンの絶対的なコンギルへの庇護。
王の逆鱗に触れた時もお互いを命を張って守り合いますが、やはり、チャンセンが身代わりになって両目を失います。なんとしてもコンギルを守るという強い愛情があります。
目を潰されて、牢に繋がれたチャンセンが、牢の番人に、口にできた傷にについて話す一連の場面もとても印象的です。
チャンセンは番人に、
「使用人だったが、指輪泥棒の身代わりになった。怒った主人から棒を投げつけられ口で受け止めた。」
「盲人の芝居を何度もしたが、盲人になったら盲人の芝居がてきないまま死ぬのか。自由に飛び回れると思ったのに。」
と言います。
コンギルはそれを悲しげに聞き、涙を流しています。
場面は変わって、コンギルが王に人形劇を見せています。
「その指輪を盗んだのは私なの。」
「一緒に逃げよう。」
ここでコンギルは手首を切ります。
「下を見るな」
「こわい」
「綱の上は空の真ん中だ。地面でも天上でもなく空の真ん中」
チャンセンの話とコンギルの人形劇のストーリーが繋がっていてとっても切なくなりました。
コンギルが自殺を図ったのをみて、
「なぜだ!」と叫ぶ王。
王はコンギルのチャンセンの絆を見せつけられ、つきものが落ちたようにコンギルへの執着を手放します。
コンギルは多くを語らないので、どんな気持ちでいるのかは、表情や行動から読み取るしかありません。
ジュンギさんは、その気持ちを見事に演技で表現しています。
そして、ラストのコンギルとチャセンが生まれ変わっても芸人になると確かめ合うシーン。
綱から高く飛び上がり映像がストップします。
地面でも天上でもない空の真ん中で。
チャンセンが放り投げた扇子と共に。
その下に、クーデターの群衆が走り込んできます。
私はこの映像をついこの間見たかのように鮮明に覚えていました。
コンギルとチャンセンはどうなったのか?と。
その後、チャンセンとコンギル、他の芸人たちが楽しく芸をしながら練り歩く場面が出てきます。
あれ、助かったのかな? ん?でもチャンセン目が治ってる?
生死がはっきりせず、余韻を残す終わり方でした。
後に分かったのですが、ジュンギさんは、あれはあの世だと認めています。
そうなんだ、やっぱり。
けれど、二人の芸人として生きていきたいとの思いは、現世ではなくあの世で叶った。
コンギルとチャンセンの魂は永遠に離れることがなく芸人として幸せに暮らしていけます。
幸せそうに踊り歌う芸人たちが目に焼き付いています。
人生経験を積んだ私の、今の『王の男』の感想は、当時と少し変わっています。
当時は、コンギルの妖艶さや立ち回りの悪さのせいで、芸人たちが王の残酷さの犠牲になったような気がしていました。
コンギルは綺麗だけど考えが足りない。
けれど、今は、王がコンギルに執着したのは、母を殺された王が、コンギルの中に母を見ていたからで、コンギルの王に対する気持ちも、複雑な同情心や母性のようなものだと、王やコンギルの心の動きが見えたりします。
そして、コンギルの美しさにだけうっとりとするのではなく、その美しさ妖艶さは、ジュンギさんの確かな演技力に裏打ちされたものなのだと思ったりもします。
自分の年齢や環境で映画を見る視点や感想が変わること味わうのも面白いものですね。
17年の時を経て観た『王の男』に教えてもらいました。
余談ですけど、春川の映画祭でジュンギさんが、「今だから言うけれど、王にキスされたのはすごく嫌だった」と話していました。
ビハインド動画でも、露骨に口元を拭っていましたね😆
「僕に知らせず、リアルさを引き出してくれた」とも言っていました。
そんな時代だったんだんですね。
けれど、ジュンギさんにならば、事前に知らせても良かったのではないでしょうか。
知った上で、受け止めて、きっと、最高の演技したよう思います。
どんなだっただろう。
見てみたかったですね。