桜と「鐘ヶ岬」 | 地唄舞 吉村ゆかり 粋・はんなり日記

桜と「鐘ヶ岬」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜の季節ですね。

 

数年前、日暮れにお花見をしたことがありました。

 

日が沈もうとしている頃の空の色と白い桜が、とても幻想的でした。

桜が天井のようになっていて、その隙間から月が見えました。

とても美しい月で、地唄「鐘ヶ岬」の歌詞の一節が浮かびました。

 

「我は 五障の雲晴れて 真如の月を 眺め明かさん」

 

私の流派では、「五障の雲晴れて」の部分は、月に霞がかかっているのを表す大変美しい振りが付いているため、舞いながら、桜咲く春の夜の月に霞がかかった雅やかな風景を思い浮かべます。

 

けれど、この「鐘ヶ岬」の一節は、なかなか重い意味合いがあるのです。

 

五障とは、修行の妨げとなる煩悩など五つの障害のことを意味し、女性は女性であるがゆえにこの五障のせいで、仏身の梵天・帝釈天等五つの地位を得ることができないというもの。

五障を、月の光を覆う雲に例えています。

そして、「真如の月」とは、仏、真如が一切の迷いを破ることを月が闇を照らすのにたとえた言葉。

煩悩や迷いでいっぱいだった心だが、闇夜を照らす月のように晴れやかな心になった…という意味でしょうか。

 

「鐘ヶ岬」は、能や歌舞伎で有名な「道成寺」を地唄にしたもので、「道成寺」は、若く美しい僧安珍をみそめた清姫が、その恋の執心から蛇となり、とうとう鐘の中に逃げ隠れた安珍を焼き殺すという哀しい物語りです。

 

清姫は安珍への激しいまでの恋心に苦悩して、春の夜の月を見て、闇夜を照らすこの月のように晴れやかな心になりたい…と願っていたのかもしれない、と桜間から見える美しい月を見ながら切ない気持ちになりました。

 

 

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和の暮らしへ