この冬は、ニホンスイセンの花が12月のうちから咲いている。1月の寒い時期にはたわわに花が咲いて、寒い冬だというのに、寒さ知らずの強健体質。しかも、冬枯れの庭にやさしい甘い香りをふりまいてくれている。ニホンスイセンは、花は小さいし地味だけど、あの甘い香りにはわくわくさせられる。一足先に早春がやってきたようなそんな香りだ。

 冬から春に咲く花たちは、ロウバイなど、ストレートに甘い香りをふりまく花たちが多い。複雑な香りで魅了する春の花たちとは一味違うところだ。また香りが強烈なところもいい。玄関に切り花を飾ると、あたり一面甘い香りに包まれる。そういえば、母の家の玄関には、今年はロウバイの枝が生けてあって、甘い香りを漂わせている。もしかしたら、今年はロウバイも花が早めかもしれない。

 このスイセンは、私がガーデニングを始めたもう20数年前に、3球だけ球根を買って、実家の庭に植えたもの。それが殖えに殖えて、今の庭にも植えることになった。最初の年は花が咲いたのだが、その翌年は咲かなかったので、少し日当たりが悪いのかと日のよく当たる場所にも植えた。それでもまたその翌年花が咲かないので、ニホンスイセンすら咲かない庭なのかと、少しショックを受けていた。それが今年になって、どれも花芽をつけて咲いたので、うれしさ爆発。たぶん、球根が花芽をつけるくらい太るのに、時間がかかったのだろう。

 スイセンの球根は横に小さな小球ができて、それが太るので、今度はかえって球根が混みすぎると、また花が咲かなくなる。もう一年くらい様子を見て、また分球をかねて植え替えしなくてはいけない。それにしても、自分が若い頃、園芸店で買った球根で、そのときのこともなぜかよく覚えているので、こんなに殖えて育って感慨深い。

 それにしてもこの冬は、花が早い。私はニホンスイセンって、その年の冬の寒さの指標のなるものだとずっと思っていた。寒さの厳しい冬は3月になってから咲くときもあるし、早いときは、1月から咲いている。それで、今年の冬は温かいのだとか、寒い冬なのだとか、思っていた。

けれど、今年の冬は寒い。それなのに早くからスイセンが咲いている。これはどう考えたらいいのか?たぶん12月までは気候が穏やかだったのかもしれない。だから今年は暖冬なのだと、スイセンたちが読み間違えた。早く咲きすぎてしまって、この寒さに花たちは震えているかもしれない。ちょっと時期を間違えたね、なんてスイセンたちが話していそうだ。寒いので、花もちもよくて、私は長くきれいな花を楽しめるけど、スイセンたちには気の毒かもしれない。

 けれど、宿根草も地中に眠りについた今、ニホンスイセンが咲く場所だけぱっと明るくなって、春が舞い降りたみたいだ。やっぱり、冬でも庭にはどこかで花が咲いていると嬉しい。今の季節は、クリスマスホーリーやバラの実、ヤツデの白い花も咲いているけど、やっぱり草花の優しい花にはほっとする。

スイセンの咲き方をまだ寒さの指標にするならば、このあと、少し寒さが緩んでくるかもしれない。そうだといいけど。春を待ちわびる心が今年は少し前倒しで、もう動き出している。




 私の庭づくりは、種子から始まって種子に終わる。とにかく種子頼みの庭づくりだ。種子から発芽して育てていく過程そのものが私にとってはわくわくする瞬間であって、変化の少ないせん定するだけの庭なら面白くない。季節が来れば新しい種子をまいて植える。そんな繰り返しが刺激あふれる庭づくりの原動力となっている。それをささえてくれているのが私のシードバンク(種子銀行)である。



 ふつうシードバンクというと、自然環境のなかで発芽する能力を持った種子が貯蔵されているものをいう。土のなかで発芽するのを待った種子たちは、発芽できる環境がやってくると、芽を出すのである。たぶん私の庭にも、そんなシードバンクがたくさんあるに違いない。でもたいていは、雑草だったり、殖えて困るような植物ばかりで、私の育てる園芸種の種子は、小さなまき床をつくって、ていねいに育苗してやらないと育たないものがほとんどだ。



 だから、私は自前のシードバンクを持つことになる。その場所は冷蔵庫。両開きの比較的大型の冷蔵庫の一番上の棚は、種子の入った袋が詰まっている。ここで種子たちは眠り、しかも低温で深い休眠状態にあるため、呼吸量は極端に制限され、長い種子としての生命を生きることができる。そのまま常温で放置した種子たちとは違って、どれも数年後もおどろくべき発芽能力を誇る。


 よくトマトに10年くらい発芽能力があると言われ、長寿種子の典型とされるが、ほかの種子たちもしっかり冷蔵保存すれば、78年は発芽してくる。もちろん、発芽率は多少落ちるものの、家庭で園芸するなら十分である。もう78年、育てていなかったプラティステモンというレモンイエローのカリフォルニアポピーに似た花をまいたら、芽が出て花咲かせたのには驚いた。

いったい粒数にして、どれくらいの種子がこの冷蔵庫のなかに眠っているのだろうか。想像もできない。私は庭で育てた植物で種子の採れるものは、すべて採種している。採種したらそのままさやごと、紙袋に入れてそのまま乾燥させ、そのあと、さやをとって種子だけにして、ジッパー付きビニール袋に入れておく。これも結構な量になる。庭にあるものなので、殖やさなくてもいいものもあるのだが、たねまき倶楽部の人にもらってもらうために採種している。また一年草や短命の多年草で気に入ったものは、種子を採種してまたまくときのストックにしておきたい。多年草とはいえ、短命で、数年で消えてしまうものも多いからだ。



シードバンクのなかには、このように交換会用の種子もたくさんあって、これらは、たねまき仲間にもらわれていく種子たちなのだが、たくさん配っても、少し自分がまくためのストックとして取っておき、いつもまた次へと持越しになる。ある年にまいた種子は、翌年は違うものをまきたいので、まかずに冷蔵庫で眠ることになる。その年のテーマや色合いによって、長くまかれることなく、残る種子も出てくる。こうして我が家のシードバンクはいつまでたっても、減る傾向にない。



 種子は一度開封されたものや、自家採取したものは、プラスチックのジッパーつきの袋に入れられる。それをまた大き目のプラスチックの袋に入れて二重にし、湿気を防いでいる。種子の袋を戸じるには、セロテープではなく、カラフルな色の揃ったメンディングテープが便利だ。まくときにまた、簡単にはがすことができる。



種子は大きく秋まき用の袋と春まき用の袋、野菜用の袋、そして交換会に出すための種子の袋に分かれている。そのほか、まく予定の種子だけ選り分けてあったり、またすでにまいたものを集めた袋があったりと、だんだん袋ばかりが多くなっていき、まいているうちにやがて混とんとしてくる。だから、このシードバンクの棚もときどき整理が必要で、たいてい秋と春のたねまきの前に、まく種子の検討をする際に一緒に整理される。



 だが、こうしてたねまきの熱狂がいつまでたっても冷めない状態では、種子が減っていく気配はない。たねまきの倶楽部の人にたくさんもらってもらうので、その分助かってはいるが、このシードバンクの種子のうちできるだけ多くの種子をどこかの庭へ旅立たせ、花咲かせてやりたい。そういう親心にも似た気持ちがある。

私は種子を外にもらってもらうのに、「種子をお嫁に出す」という表現をする。もちろん人に送るときは、量も多いことが多いから、全部が庭で育つということはないのだろうが、そのなかから運のよいものが花咲かせて、その庭主の心を和ませるのだろうと考えるだけで、とてもうれしくなる。



 なにより、植物の運搬みたいに大変ではなく、郵便ひとつで種子は移動できる点も優れている。小さいからこそ、できることがたくさんある。小さな生命のタイムカプセルは、丈夫で、移動可能で、私たちに夢を与えてくれる。それを一手に支えているのがうちの冷蔵庫の種子たちなのである。

 庭が自分の一部となり、心のふるさとと呼べるようになるには、さまざまな記憶や時を経験し、長年そこに住み続けないとだめだろう。私は小さな頃から父の転勤で、何度も引っ越しを繰り返した。だが、環境が変わっても、それに違和感なく何気なくスムーズに溶け込める性格で、世間への適応力があった。違うところがあっても、自分をそこに合わせていけるだけの柔軟性もあった。誰とでも仲良くなれた。自分の信念のようなものがあり、そこに合わないものは従わないような頑固さはあったが、それで衝突するようなこともなく、不幸と感じることもなく、学生時代を平和に、いや平和以上にほんとうに幸せに楽しく過ごした。



だが引っ越しが多かったせいで、自分の幼少の頃をたぐりよせる庭がない。もっとも近いのは、やはり14歳から住んでいる現在の実家の庭で、ここは、私が園芸を始めて夢中になった経験のある場所。そういう意味では懐かしい。



 私が子供時代5年間暮らした滋賀県の栗東という街は、自然があちこちにあって、そのときは美しいとは感じなかったが、草や土のにおいが私を育んでくれていたのだと思う。あのとき自然にたわむれていた感覚が、あとになって私のなかでむくむくと増殖していったことは間違いない。



スコップを持って土を掘ったり、支柱を立てたり、そういう身体を使ってすることも、たぶん親がしているのを見ていて、自然に覚えたのだと思う。いざ道具を持ったときに、これはどう扱ったらいいのか、わかないと言う経験はしなかった。園芸をするときの身体の使い方というのは、独特のものがあるが、これも見て真似て覚えたものだろう。そうでなければ、最初からそんなに器用に園芸道具を操れなかったろうと思う。



 人の興味に火をつけるもののひとつに、「新鮮な驚き」というものがある。私も初めて植物に興味を持って、園芸店に立ちつくした日のことを思い出す。当時は観葉植物のブームで、園芸店には大小たくさんの観葉植物の鉢植えが置かれていた。



そのとき軒先の片隅に何気なく置かれていた、ポット苗の何気ない草たち。そのラベルはミントとか、ローズマリーとか、タイムとか、サイモンとガーファンクルの歌に出てくるような聞いたことのある文字が並んでいた。不意にその葉に触ったとき、葉から香りのカプセルが飛び出し、私の掌のまわりに広がった。葉を触った手で、手を鼻に近づけると、スパイシーで強烈な香りがする。ただのふつうの草に見えるものが、こんなに刺激的で素敵な香りを持っていることが、ほんとうに驚きだった。



しかも種類によって、その香りは全然違う。私はその一瞬で、ハーブの虜になってしまった。ハーブの本のページを繰れば、ハーブにはさまざまな種類があることも知った。私は新しい香りを求めて、ハーブを扱っている園芸店ならどこにでも出かけて行った。その途中で出会ったのが、ハーブの種子を扱うお店だ。種子の種類は膨大で、それからは、ほかの場所に出かけて行かなくても、種子を買い求めて、新しい香りと出会うことができた。これが私のたねまきとの出会いだ。



 私はこのときの驚きを、今起きたことのように鮮明に覚えている。それは、ビジュアルの記憶もさることながら、あの強烈なハーブたちの香りのせいだ。香りが私の記憶を瞬時に手繰り寄せ、あの頃の私へといざなってくれる。



 いったん私の心に植物という火が点火したら、そのあとは、もう止められなかった。今もその長い旅の途中にある。もちろんそんな驚きも、いったん経験してしまえば、さほど驚くに値しなくなると思われるかもしれない。だが、香りの場合は特別だ。香りの記憶が、昔のあの新鮮などきどきした気持ちを、今も思い起こさせてくれる。



 よい香りのするハーブたちのふるさとは、地中海沿岸地方が多い。当地を題材にした小説や伝記などには、イブキジャコウソウやローズマリーといったハーブがよく登場する。私がもし地中海の沿岸に生まれていたら、もっと小さな頃からこの香りに触れ、植物好きになっていたかもしれない。



私が草花育てを始めた頃、春にスイトピーやらいろんな草花が咲くので、当時通っていたスポーツクラブの人たちに花束を日々持って行っていた。だが、暇な人のやることだと言われたり、とくに女性に差し上げてもあまり喜ばれなかった。かえって男性のほうが喜んでくれたのを覚えている。庭づくりをしている人のことを、周囲の人が必ずしも好意的に見てくれるわけではない。そのことは経験からよく知っている。幸い私が実家にいた頃は周囲に花育てや野菜作りの好きな人がたくさんいたので、私は比較的よいスタートが切れたと思う。



その後私は園芸研究家になってから、45歳のときに造園の勉強をしようと思い、大学院に入学した。ちょっとした思いつきだったが、やってみたら、大変なことになったなと感じた。だが、園芸の仕事をしながら、家事も、庭づくりもしながら、しかも入学してまもなく母が癌になったことがわかり、入院中は日々病院通いしながら勉強した。実家でひとりになった猫の世話もあった。



ただ、私が通った大学は校舎も室内もほんとうに汚れていて、私が生き生きと過ごし、勉強できるような場所ではなかった。大学にいると生理的になんとなく嫌な感じがした。ここでそういうことを感じずに、造園という美や芸術の世界に入っていくものがいるということが、どうしても私には結びつかなかった。



数年造園関係の仕事もしたが、いろんなことをやりすぎると、集中力が欠けるし、頭のなかが雑になるのは確かだ。やっぱり私の住む場所は、たねまきと、花の庭づくりだと思い直し、また元の自分に戻った。造園を学んだことは決して無駄ではなかったと思うが、やはり、あまり手を広げすぎてはいけない。仕事を変えるつもりもなかった。自分のテリトリーのなかで、生き生きと生きる。そのほうが自分を見失わずにすむ。

最近世の中で、世間が悪いから、政府が悪いから、政治が悪いからと、自分の生活に不備に関して他人のせいにする声をよく聞くようになった。確かに人の生活も、環境次第のところはあるけれど、まるでそれがすべてで自分と家族の人生だめになったと言わんばかりである。何とかしてくれの連呼である。



マスコミもニュースも論調は同じで、もちろん、言えばそれなりの力もあるのだろうけど、人のせいばかりの論調では聞き飽きる。私たちの生活がそれほど世間の風に左右されて厳しくなっているのは確かだが、昔と比べればずっと豊かになっている。責任をただ人におしつけて文句を言っているだけでは、何も始まらない。「責任とってよ」と誰かに叫んだところで、誰も責任などとってはくれないのだ。



 植物を育てるとき、やることをやってしまったら、あとは待つしかない。人は天候を左右できない。自然も変えられない。自分の思うようにはいかないのがふつうなのだ。それを知るのも失敗の教訓である。植物育てが好きなのに、うまくいかないからとあきらめてしまう人は、考えてみるといい。植物に限らず、何でも簡単にあきらめてしまっていないかどうか。



とはいえ、失敗にはいろいろな原因がある。もちろん不可抗力なものもあるが、自分に原因があるものとしては、まずは自分の作業から見つめ直したい。手抜きしていないかどうか、ていねいに作業したかどうか。どこかに見落としはなかったかどうか。



出てきた芽を早々に鉢上げしたり、まだ小さな苗を植えつけたり、みんななぜか急ぎたがる。ここから育てるところが楽しいところなのに。ゆっくりもっと、未来ある草花たちとつき合えばいいのにと思う。手順などそこそこにして、早々に仕上げへと持ち込もうとする。自然は手間をかけて、時間をかけて植物を育てようとする、私たちは、水や肥料をたっぷりやってなるべく急いで作りたがる。結果ばかり求めてしまう。そうすると、どうしても雑になってきめ細かさを失う。自然さも損なう。そこに大きな落とし穴があるように思う。



それから、園芸書で学んだことを正しく理解していないことによる失敗もある。園芸の作業の言葉の解釈の仕方ひとつにしても、人それぞれだ。「水は少な目に」というのがあったとして、どのくらいの水を与えるかは、千差万別で、書いた人が意図したとおりに与えるとは限らない。言葉が怖いのはこうしたことがあるからだ。



 枯れたから失敗したのではなく、ほんとうは失敗したから枯れたのだ。目の前には、いきなり枯れた植物が無残な姿をさらしているのかもしれないが、その失敗に至るには、たぶん長い道のりがあった。だんだん植物が死んでいく過程だ。それをまったく見ないで過ごしてきて、いきなり、枯れたものを見ることが多いのではないか。きちんと庭の状態、植物の状態は日々見ていないとこういうことになる。これは自分の失敗だ。それを次にどう生かすかも、自分次第。



 目の前の失敗をじっと眺めて、次への作戦を練りたい。そこまでできなくても、その光景をしっかり目に焼きつけて、次へと進んでいく心構えだけはしっかりつけたい。



 とはいえ、失敗してしまったものの、それが不可抗力だったということもありうる。植物は買ったとき、元気に育っているように見えて、あとで病気になったり、遺伝子的なこと、生理的な現象が原因で枯れたりすることもある。枯れたものすべてが、育て方が悪かった、環境が悪かったからだとはいえない。それも一理あると思う。一度であきらめて葉いけないのは、そういうこともある。



 植物は生き残るためにほんとうにたくさんの種子をばらまく。だが、そこから生き残り、子孫へと世代をつなげるのはほんのわずか。もちろん自然と違い、庭ではある程度、よい環境も用意できるし、ていねいに育てることもできるが、どうしようもないこともときにはある。それは失敗とは呼ばない。運が悪かったとあきらめがつけられるように、せめてきちんと世話して、自分に納得いくようにすること。それくらいしかできない。

ふだん庭づくりしていて、仕事もして、家事もして、いろんなことに興味をもって、絵を描いたり、最近はカラーコーディネーターの勉強などもしている。体のことを気遣い、指圧のことを本で読んだり。夜はウォーキングをしたり。たねまきの倶楽部も運営しているので、その管理やメールを送るのも日々している。家から車で15分の実家の母のところにも、なるべく顔を出したい。猫の散歩や世話。とりとめなく、自分のしていることをこうして書き連ねただけで、ほんとうに一日やることが山のようにある。テレビなど見る時間はない。ときどきそれで頭を抱え込むことがある。



 決めたことが多すぎるから、一日ほんの少しずつだけでもそれぞれ駒を進めようと思っている。それでもなかなか時間が足りなくて時間切れということも多い。冬はしばらくお灸に凝って、夜はそれに少し時間を費やしていたのに、気づいたら今はもうそんな時間など取れなくなっている。ちょっと油断すると、ウォーキングをしばらくしていないということもある。



 ちょっと外に出ると、それだけで半日つぶれてしまって、やらなくてはいけなかったことができなくなる。そういうときは仕方ないと思えばいいのだろうが、それが数日続くとストレスに感じる。だから日々の日課は、平日だけということにしてある。土日はそれ以外の時間で、ある程度好きに使えるということだ。



 こんななかで、庭仕事もしているから、当然あまり手が届かないことも多い。だからほんの少しの時間だけでも庭にあてて、やることを心がけている。そんなにたくさんのことはできない。だが、それでも確実に少しは庭は動いていく。あとはまとめて休日に。



 こんな忙しい生活に充実感や意味があるのか。ときどきそんなことを考えたりする。独身の頃は自由な時間がたくさんあった。スポーツクラブに通い、好きなだけ体を動かせた。歳とると時間がたつのが早いというが、歳とったせいだけではない。歳とるごとにやるべきことが増えていって、こんなにたくさん日々することがあれば、時間だってなくなるはずだ。



 ときどき何もすることのない一日というものを、過ごしてみたいものだと思う。でも実際そんな事態は想定できないから、きっと私はいつもずっと家のなかで忙しく動き回っているのだろう。わざわざしなくてもいいことをして、忙しくしているといえることもなくはない。休日にシフォンケーキを焼いたり、お菓子を作ったり。買ってくればすむこともたくさんあるかもしれない。



ときどき華やかにいつも人を家に招いたりして、生活している人の話を聞くと、どう生活を切り盛りしているのか、尋ねてみたくなる。だが、そんな私も友人たちと過ごす時間だけは別で、それだけは取ってある。だいたい夜の時間帯なので、さほどその時間は犠牲になっていない。



 私たちにとっては、一日一日が貴重な宝物のはずだ。なのに、なんとなく仕事ややるべきことで謀殺されて、日々を過ごしている。だが、大切なことは、日々の小さな生活を自分の人生の向上のために、上手に使いこなす術だ。ある日突然大切なターニングポイントがあり、決断を迫られることもあるが、たいていは、そうでなく、日々の生活習慣の積み重ねだ。そこでどう悔いなく生きるか。差が出るのはその部分ではないか。遊び呆けて暮らしても一日。何かのために小さな積み重ねをするのも一日。使い方はその人次第だ。



 だが、これも人によって考え方の違いが大きい部分だろう。仕事以外は遊んで楽しく暮らしたい人。自分磨きのためにいろいろなことにチャレンジしたい人。私の友だちにもいろいろなタイプの人がいる。おのずと人生の質は違ってくる。どちらがいいとは言わない。それは自分の満足度の問題であるから。自分次第である。けれど、1020年経ってから自分にとって悔いの残らない生き方をしたい。思うのはそれだけだ。



そういうことをときどき考えると、少し怖くなる。自分自身を知るということ、または、自分と向き合うということは、ひとりの世界でないとできない。外に出て、社会のなかにいると、自分と向き合うような時間はつくれない。静かに家にいて、ひとり心を静かにして、何を今感じているのか、そっと耳を澄ましてみる。どんな思惑がわいてくるのか。それはそのときにまかせればいい。



そしてその時間が部屋のなかでなく、自分の庭でならもっといい。植物がそばにいてくれる。いつもの慣れ親しんだ庭。風のそよぐ音、植物の葉の形やシルエット。土の湿り具合。いろんなものが見えてくる。庭は自然ではなく、人工的なものではあるけれど、それでも自然のエッセンスに満ちている。自然のサイクルで動いている。そうして自然と交流するなかで、自分というものがおのずと立ち上がってくる。それが自分自身のそばに寄り添うということだ。そんななかで、自分を見つめ直す時間をつくるようにしている。