私の庭づくりは、種子から始まって種子に終わる。とにかく種子頼みの庭づくりだ。種子から発芽して育てていく過程そのものが私にとってはわくわくする瞬間であって、変化の少ないせん定するだけの庭なら面白くない。季節が来れば新しい種子をまいて植える。そんな繰り返しが刺激あふれる庭づくりの原動力となっている。それをささえてくれているのが私のシードバンク(種子銀行)である。



 ふつうシードバンクというと、自然環境のなかで発芽する能力を持った種子が貯蔵されているものをいう。土のなかで発芽するのを待った種子たちは、発芽できる環境がやってくると、芽を出すのである。たぶん私の庭にも、そんなシードバンクがたくさんあるに違いない。でもたいていは、雑草だったり、殖えて困るような植物ばかりで、私の育てる園芸種の種子は、小さなまき床をつくって、ていねいに育苗してやらないと育たないものがほとんどだ。



 だから、私は自前のシードバンクを持つことになる。その場所は冷蔵庫。両開きの比較的大型の冷蔵庫の一番上の棚は、種子の入った袋が詰まっている。ここで種子たちは眠り、しかも低温で深い休眠状態にあるため、呼吸量は極端に制限され、長い種子としての生命を生きることができる。そのまま常温で放置した種子たちとは違って、どれも数年後もおどろくべき発芽能力を誇る。


 よくトマトに10年くらい発芽能力があると言われ、長寿種子の典型とされるが、ほかの種子たちもしっかり冷蔵保存すれば、78年は発芽してくる。もちろん、発芽率は多少落ちるものの、家庭で園芸するなら十分である。もう78年、育てていなかったプラティステモンというレモンイエローのカリフォルニアポピーに似た花をまいたら、芽が出て花咲かせたのには驚いた。

いったい粒数にして、どれくらいの種子がこの冷蔵庫のなかに眠っているのだろうか。想像もできない。私は庭で育てた植物で種子の採れるものは、すべて採種している。採種したらそのままさやごと、紙袋に入れてそのまま乾燥させ、そのあと、さやをとって種子だけにして、ジッパー付きビニール袋に入れておく。これも結構な量になる。庭にあるものなので、殖やさなくてもいいものもあるのだが、たねまき倶楽部の人にもらってもらうために採種している。また一年草や短命の多年草で気に入ったものは、種子を採種してまたまくときのストックにしておきたい。多年草とはいえ、短命で、数年で消えてしまうものも多いからだ。



シードバンクのなかには、このように交換会用の種子もたくさんあって、これらは、たねまき仲間にもらわれていく種子たちなのだが、たくさん配っても、少し自分がまくためのストックとして取っておき、いつもまた次へと持越しになる。ある年にまいた種子は、翌年は違うものをまきたいので、まかずに冷蔵庫で眠ることになる。その年のテーマや色合いによって、長くまかれることなく、残る種子も出てくる。こうして我が家のシードバンクはいつまでたっても、減る傾向にない。



 種子は一度開封されたものや、自家採取したものは、プラスチックのジッパーつきの袋に入れられる。それをまた大き目のプラスチックの袋に入れて二重にし、湿気を防いでいる。種子の袋を戸じるには、セロテープではなく、カラフルな色の揃ったメンディングテープが便利だ。まくときにまた、簡単にはがすことができる。



種子は大きく秋まき用の袋と春まき用の袋、野菜用の袋、そして交換会に出すための種子の袋に分かれている。そのほか、まく予定の種子だけ選り分けてあったり、またすでにまいたものを集めた袋があったりと、だんだん袋ばかりが多くなっていき、まいているうちにやがて混とんとしてくる。だから、このシードバンクの棚もときどき整理が必要で、たいてい秋と春のたねまきの前に、まく種子の検討をする際に一緒に整理される。



 だが、こうしてたねまきの熱狂がいつまでたっても冷めない状態では、種子が減っていく気配はない。たねまきの倶楽部の人にたくさんもらってもらうので、その分助かってはいるが、このシードバンクの種子のうちできるだけ多くの種子をどこかの庭へ旅立たせ、花咲かせてやりたい。そういう親心にも似た気持ちがある。

私は種子を外にもらってもらうのに、「種子をお嫁に出す」という表現をする。もちろん人に送るときは、量も多いことが多いから、全部が庭で育つということはないのだろうが、そのなかから運のよいものが花咲かせて、その庭主の心を和ませるのだろうと考えるだけで、とてもうれしくなる。



 なにより、植物の運搬みたいに大変ではなく、郵便ひとつで種子は移動できる点も優れている。小さいからこそ、できることがたくさんある。小さな生命のタイムカプセルは、丈夫で、移動可能で、私たちに夢を与えてくれる。それを一手に支えているのがうちの冷蔵庫の種子たちなのである。