「名乗らずに産む」という選択肢の、その先に――内密出産から見える社会の輪郭
文:歩りえこ(作家/エッセイスト)
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東京都内の病院で、はじめて「内密出産」の制度を使った出産が行われたというニュースを見た。
賛育会病院(墨田区)が3月に導入した制度で、熊本の慈恵病院に続き、日本では2例目。
報道によれば、複数の内密出産がすでに行われたという。
病院に名前を明かさずに出産する。
それを「無責任」と受け取る人もいるだろう。
でも、そう簡単に切り捨てることはできないと思う。
なぜなら、「名乗れない人」がいる現実にこそ、この社会の問題が詰まっているように感じたからだ。
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内密出産とは、身元を伏せたまま医療機関で出産する制度だ。
母子の命を守る「最後のセーフティネット」として位置づけられているが、それが必要になる背景には、さまざまな事情がある。
たとえば、予期しない妊娠。
家庭内での虐待や支配関係。
性暴力の被害や経済的な困窮。
一人で妊娠を抱えた女性が、誰にも言えず、逃げ場もなく、ただ時間だけが進んでいく。
それは「無責任」なのではない。
責任のとりようがないほど、すでに社会から切り離されている状態なのだ。
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日本には、出産前に福祉や医療とつながれる制度がいくつも存在する。
だが、それを「知っている人」と「知らない人」の間には、深くて暗い谷のような隔たりがある。
その谷を、個人の自己責任で越えられるかどうかに委ねているのが、今の支援体制の限界だ。
情報はあっても届かない。
支援はあっても繋がれない。
制度はあっても、利用のハードルが高すぎる。
だからこそ、「名乗らなくてもよい」内密出産は、ある種の突破口として生まれたのだろう。
ただ、それを「命を守る制度」として称賛する前に考えなければならないのは、どうしてそこまで追い込まれる女性がいるのかということだ。
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また、制度の議論では「生まれてくる子どもの権利」についても取り上げられる。
出自を知る権利、親と会う可能性、養育環境。
もちろんそれは大切な観点だ。
けれど同時に、「母親側の人生の回復」や「再スタートの道筋」も大事だ。
出産後、彼女はどこへ帰るのか。
社会は彼女にどんな言葉をかけられるのか。
制度の“先”にある人生まで、支える仕組みを持っているか。
命を守るとは、赤ちゃんだけの話ではない。
産んだ女性のその後も含めて、はじめて“守った”ことになるのだと私は思う。
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東京都は今回、検証チームを立ち上げたという。
研究者や医療者の知見を集め、支援の在り方を見直すという一歩は評価できる。
けれど、本当の課題は「内密出産を必要とする女性が減る社会」をどうつくるか、にある。
つまり、妊娠がわかったその瞬間に、「助けて」と言える空気があるかどうか。
誰もが最初の一歩を踏み出せる“余白”が、この国にあるのか。
それを問い直す時期に来ているのではないかと思う。
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「名乗らずに産む」という静かな選択の陰には、
言葉にできなかった叫びと、制度に拾われなかった人生がある。
その声に、社会がどう応えていくのか。
制度を語るのではなく、“人”を語れる社会に変えていく必要がある――そう強く思わされたニュースだった。


