【鹿児島に家族旅行】
夫&娘と一緒に2泊3日で鹿児島に家族旅行に行ってきました。
○ ジャンプ写真。
島津の殿様の別邸だったという仙巌園のお庭で桜島をバックに。
この服は私の持つ夏服の中でも一番のお気に入り。だから夏の旅行の写真を見るとここ7~8年、ほぼ毎年着ている。
「我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば煙は薄し桜島山」とばかりに熱き思いを込めてジャンプした。
「足腰がピキッてなるといけないから、止めな」との娘の忠告も聞かずに。
毎年撮っているジャンプ写真。
私たち家族はガンバ大阪サポ。とりわけ娘はヤットさん(遠藤保仁氏)ファン。ヤットさんの出身地という意味でも行きたかった桜島。
島は車でグルっと一周して約1時間。
途中、ヤットさんの母校の小中学校の前でもチョコっと車を停める。
「プレイスキックを蹴るヤット」とか言ってポーズを真似して撮った写真はお見せできません(≧∀≦)
○ 向田邦子さんの随筆で知った両棒(ヂャンボ)餅を食べるのも楽しみにしていたことの一つ。
向田邦子さんはお父さんの仕事で子ども時代を鹿児島で過ごした。家族で海水浴に行き、食べた思い出の味として書かれている。
その海水浴場にはズラッと何軒ものヂャンボ餅屋さんが並んでいたのには驚いた。鹿児島の人たちのソウルフードでしょう、きっと。
御手洗団子のような味だけれど、京都のそれよりも大きい。
○ 「白熊」は天文館にある「果実堂」さんで。その名の通りフルーツパフェも美味しくいただけて、地元の若い女の子たちで賑わっていた。並ばずに入れたのはラッキー。白熊発祥の地という「むじゃき」さんは次回にしよう。
○ 桜島に渡るフェリーで隠れた名物という、うどんもいただく。市内と島の間の運行時間は15分。乗ったらすぐに、船が動き出す前に注文。
○「議を言う」
鹿児島出身の知人から聞いたことがあった。男尊女卑の強い鹿児島で育ったが、女性がものを言うと「女は口を挟むな」という意味で「議を言うな!」と父親から叱られた、と。
お土産屋さんで、ご当地の言葉が書かれたTシャツがいろいろ売られていた中に「ぎをいうな」もあった。
最初に見かけた時は眉をひそめて、「誰が買うねん、こんなもん💢」と思ったが、気づいたのだ、チョコっと隠すと「ぎをいうよ」にできることに。
そういうわけで、2回めに桜島の溶岩展望所の売店で見かけた時には買いました。
見過ごしたらあかんこと、変えていかなあかんこと等に、私は黙っていません。これまで黙らされて、悔しい思いをしてきた幾万の女性たちの代わりにも、私は「議を言うよ」Tシャツを着て、もっともっと言うからね❣️
○ 指宿の砂蒸し。
人が多くてザワついていたせいで熱さに集中できなかった。観光トップシーズンに行ったのが悪いのだけど。
○ 開聞岳 予想以上に絶景!
○ 知覧の武家屋敷。もちろん趣がある。知覧茶のカフェを農協がやっていた。若い人たちで運営しているようで、オシャレな感じがとても良い。知覧茶ソフトクリーム、水出し冷茶で背中を伝っていた汗も落ち着いた。
○ 知覧特攻平和会館。
この旅行を決めたのが6月。そして実際の旅行の直前に卓球の早田ひな選手の発言があった。
日本政府がきちんと加害を認めて謝罪をしてきていないのがとにかく悪い。
展示を見ているうちに胃がシクシクし出した。
特攻兵の遺書が展示の中心だが、その中の一つにお母さんに宛て、「お母さんは私が死ぬと泣くでしょう。でも、私は敵の母5000人を泣かすことができるのです」旨のものがあった。
そう、ここだ。
この会館には戦争を起こした為政者の過ちへの言及が見られない。
一方で石原慎太郎が作った映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のポスターはあちこちに貼ってある。
前述の「米兵の母5000人を泣かす」のような、加害の視点もない。その視点を特攻兵たちに求めることを私はしない。
二十歳になるや成らずの、軍国主義国家で育ってきた若者たちがそれを持てるはずもないから。
この会館には「戦争は嫌だ」と思わせる力はあるだろう。しかし「戦争をさせないことは出来るし、その為に力を尽くす」と思わせるものでは無かった。
【尊い犠牲「英霊」に感謝し、戦争のない世の中で暮らせる今に感謝しますが、もしどうしょうもなくて戦争になったら、仕方ない、私たちも犠牲になるしかないのかな。
その時はみなさん、悼んで泣いてくださいね。あなた達のために死んできますからね】と思わせる展示は絶対にダメなんですよ。
遠目で見かけただけだからハッキリとは言えないが、軍服コスプレだったような少年がいた。
彼らを「浸らせる」展示じゃぁ、ダメなんですよ。
そういうことで胃が痛くなった。
やり残したこと。
黒豚シャブシャブを食べ損ねたこと。
またいつか。
豚カツは食べました(๑・̑◡・̑๑)
食べ過ぎで胃が痛くなったわけでは……。