今夜は泉鏡花を読んでいます。
110年ぐらい前の作品の、綺麗な日本語と、それでいて『停車場』をステイションとふり仮名するところとか、当時は粋だったんだろうなぁとか可愛く思える。
本でも音楽でも、百年前の作品も最新作も、フラットに並べて鑑賞できる今の時代。ものすごく贅沢な環境だなあと思う。
今は消費的とも捉えられるような一部の流行りの曲たちも、百年後には忘れ去られているかもしれないし、名作として長く聴かれたり再ブームが来るかもしれない。
自分の作品がこの先どう聴かれて行くか、時空を越えて妄想すると結構楽しい。
例えば百年後の東京の高校生が、今私が泉鏡花を読んでいるみたいな感覚で私の歌を聴いていたらと想像する。
人の感性は時代背景だけで作り上げられるものじゃないとしたら、百年後に聴いても私の歌に共感してくれる部分があるといいなと思う。
ちょっと浪漫文学に影響されて渋く思いにふけってしまいましたが、
私が自分の作品はこうであってほしいというイメージです。
絵でも音楽でも、
百年後も共感してもらえるもの。
ていうか百年後モノとしての音源はどのぐらい残るのかな?
ダウンロードも便利だけどCD買ってください!
、、って話の結論コレでいいのかしらっ↑笑