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Best of Berlin !

ベルリン・ドイツのいろいろ。

ベルリンの壁建設から崩壊までは、ストリート・ファッションが主流になった時代といってもよいかもしれない。


1982年には、ベルリンのアパレル産業に従事する人数は、17500人までに減った。60,70年代は、欧州全体において、ファッションとの新たな関係が発展した時代であるといえる。「68年の学生運動」によって、継承されてきた洋服に対する概念が打ち壊される。パリを若者は洋服の尺度と見なして拒否、規定や規則は破り、自分たちで流行を作り出し、わざと大人の怒りを挑発し、大きな洋服チェーン店は、ストリートためストリートの流行に反応し、海外で生産するようになる。70,80年代に、個性の強いアクセントを置いたデザイナーはそうおらず、名を挙げるとすれば、Claudia Skoda、Barbara Dietrich、Brigitte Haarkeくらいだろう。(ちなみに、B.Haarkeの自身のサイズは48で、ドイツの女性服規定サイズの幅を広げたことで知られる。)



参照:


http://www.claudiaskoda.com/html/content-english/news/content.html


http://www.berlinerdurchreise.de/


Die Geschichte der Berliner Mode・Mode Center Berlin

http://www.mode-center-berlin.de/historie.html?file=Dateien/pdf-dokumente/geschichte-berlinermode.pdf


第2次世界大戦後、完全に破壊されたベルリンの町で、モードは慰めとなった。ベルリンの女性たちは、ベビーカーの覆いや軍服コートからジャケットを、落下傘の絹の布地からワンピースを縫製した。1945年のベルリンで、Hanns Friedrichが、1945年にベルリンで250メートルのガーゼの包帯から成るコレクションを発表、デビューする。飾りつけは、ガチョウの羽だった。Heinz Oestergaardは銅製の人造絹糸(Kupferkunstseide)製ワンピースに、硬いラミー織(イラクサ繊維)とナイロン・チュールから出来た下着を考案する。


1947年に、Cristian Diorが、「New Look」の流行を創造した。これはベルリンのアパレル産業を苦しめたが、ドイツの他都市デュッセルドルフ、ハンブルク、リューネブル、ビーレフェルドでも地歩を固めることが出来た。


1950年から1961年は、ベルリンのアパレル産業は最盛期を迎える。50年代には約350の企業が約4万人の従業員を抱えていたといわれる。ベルリンのファッション縫製業は、パリとは違い、実現可能な流行を手に入れることが可能な価格帯で生産することに力を入れていた。パリのサロンを豪華さや規模で上回るようなトップ・メゾンは、贅沢さを出し注目されていた。化学製品企業は、新素材TreviraとDiolenを宣伝した。


19世紀に既に始まっていた「Berliner Durchreise」という世界で最も古いファションの展示会が、戦後で初めて1950年に開かれた。が、1961年のベルリンの壁建設により、開催は困難になり、デュッセルドルフにその場を移した。この時期には、Uli Rechter, Detlev Albers, H.W.Claussen,Werner&Heinz Oestergaard, Hermann Schwichtenberg, Staebe-Seger,Aribert Schwabeといったデザイナーが活躍していた。

(続)


参照:

http://www.berlinerdurchreise.de/


Die Geschichte der Berliner Mode・Mode Center Berlin

http://www.mode-center-berlin.de/historie.html?file=Dateien/pdf-dokumente/geschichte-berlinermode.pdf


1900年頃には、ベルリンは既に、産業・社会の中心としてしられ、ドイツのファッション・メゾンが存在し、重要なファッション雑誌画出版され、様々なモード・イベントが開催されるようになります。ドイツのメゾンは、パリを目標に”Berlin Chic”と後に賞賛された形を作り出しました。


第一次世界大戦後には、さらに活況をおび享楽的な大都市へ発展するも、多くの男性は戦死、残された女性たちは、戦前に伴侶である男性の居たポジションしか持たず、Bubikopf(短いおかっぱ)に、直線で男性的洋服が、一人残されたが自信に満ちた女性たちを表現、新たな女性像が誕生します。


ベルリンにおいて、既製服製造は、重要な文化現象・経済ファクターとなり、同時にベルリンがドイツ映画の中心となったという事実がそれを加速させました。第2次世界大戦はじめの1939年には、90%のドイツ映画がベルリンで撮影されていました。当時の女優・歌手ら、例えば、Asta Nielsen,  Fritzi Massary, Pola Negri、Lil Dagvover, Lilian Harveyらのコスチュームはベルリンで作られていました。


Best of Berlin !

(Wikipediaより。Lilian Harvey 1962年頃。Alexander Binder氏撮影。)


ベルリン・シックは、細身のシルエットに短いワンピース、機能性重視、かつエレガントでダイナミック、小悪魔・グラマーな要素をスパイスとして取り入れたものでした。


1933年から1945年は、ファッションの後退期といってもいいかもしれません。


国家社会主義の台頭によって、その多くがユダヤ人の手にあったサロンや縫製業者が、暴力の犠牲となってしまいます。ほぼ全ての著名な企業はドイツを去り、ビジネスとメゾンは崩壊、30年代の女性のスタイルは自然・母性・愛国主義的な旧いものに押し戻され、ベルリン・シックも国民服や中世的フォームによって、一掃されてしまいました。

(続)


参照:

http://www.berlinerdurchreise.de/


Die Geschichte der Berliner Mode・Mode Center Berlin

http://www.mode-center-berlin.de/historie.html?file=Dateien/pdf-dokumente/geschichte-berlinermode.pdf