養護学校(今の支援学校)に入学すると、特に低学年中は、長い放課後と長期休暇があって、その余暇時間をどう過ごさせてやるかが親にとっては頭を抱える問題でした。

 

今は放課後デイが随分普及していますが、当時はまだなくて、地域の小学校で開かれていた一般の学童保育に、障がい児の母親も就業して預けたりしていました。

ただ私が住んでいる市では、当時障がい児の親は、就業を1年間免除してもらえていたので、仕事にはまだついていなかったのですが、申請して1年生から通うことになりました。

 

一人女の方が加配ということで、息子についてくださいました。

若い方でしたが、身辺自立もまだまだな息子を一生懸命面倒見てくださいました。

保育所のお友だちと一緒のところに行かせたくて、家からは少し遠かったのですが、通学バスで帰ってきたその足で車に乗せ、学童保育に連れていき、帰りも車で迎えに行っていました。

 

ただ、体調が不安定な息子を見ながらの仕事はなかなか見つからず、内職も面倒を見ながらは難しく、また保育所のお友だちも、お互い学校が別々になると一緒には遊ばなくなったりして、どうしようかと悩むことが多くなりました。

 

そんな時、障がい児の親が自主運営している、障がい児のための学童保育があることを知り、一般の学童保育は1年生でやめて、2年生からその障がい児学童保育の方に通い始めました。

 

小学2年生から高校3年生までの障がい児が参加していて、長期休暇に5日から10日程、指導員の先生とボランティアさん、そしてお手伝いに当番制でお母さん達が入って、子ども達にいろんな活動を提供していました。

 

ボランティアさんは高校生や大学生、社会人で、障がい児と過ごすのは初めての人も多く、また身体的な障がいを持っているのは息子だけだったので、短い時間で息子のことを説明するのが難しく、毎回うまく説明できなくて、反省&落ち込む日々…。

でも何度も繰り返すうちに、たくさん伝えるのは状況的に難しいので、息子と楽しい時間を共有できるように、息子が喜ぶこと、楽しむことを中心に伝えるようにしていくと、なんとなく上手く伝えられるようになりました。

何度も参加していくと、指導員の先生も息子のことをよく知ってくださるようになり、先生からの補足の説明も都度都度入るようになって、息子も少しずつ馴染んでいきました。

 

小5からは、夏合宿に参加できるようになって、キャンプ施設で一泊二日の宿泊も体験しました。

 

でも、中学生頃から、風邪が長引いたり、体力的にも活動についていくのがややしんどくなってきたので、時々私と一緒に参加する形で、なんとか続けていきました。

 

高校2年生になる直前の春休みまで、そんな形で参加を続けていましたが、その春休みの途中で、私が体調を崩し、その後、入退院を繰り返し、手術もして、体力もなくなってしまったので、参加させてあげることができなくなりました。

それでも、席はそのまま置かせてもらって、最後のその学童保育の卒業式だけは、一緒に参加しました。

 

大人になってからも、時々障がい児学童保育の歌を口ずさむことがあって、淡々と参加している風だったけど、すごく思い出に残ってくれているんだな…母として、また運営に携わる一人として、しんどかったり、辛い思いもいっぱいして大変だったけど、参加させて良かったと思いました。