就学前の最後の一年間だけ、保育所で過ごしました。

 
療育園で、最後の1年はどうするかの懇談があって、それまでそのまま進級が当然で、「どうするか」は聞かれたことがなかったので、ちょっとびっくりして、その時は、「このまま、こちらでお世話になります」と答えました。
 
そのことを、その晩、パパに伝えると、「保育所に行ってもいいんじゃないか」と言われました。
 
確かに、ひとりっ子で、健常児の子ども達と触れ合う機会があまりにも少なく、子育てしている上で、どことなく不自然さを感じていたので、パパの言うことも一理あるな〜と思い、保育所を検討したい、と連絡帳で伝えると、担任や発達の先生方が、逆に、園に残った方がいいと慌てて言ってこられました。「来年はどうするか?」は形式的な質問だった様です。
その反応に戸惑いつつも、外の世界も体験させてやりたいという思いが強くなって、最終的に先生方も納得してくださって、保育所に行くことになりました。
 
保育所は当時、保護者同伴で外部の子どもも気軽に通える日が週に何日か設けられていて、悩んでいる最中も、決めてからも、療育園がお休みの日はなるべく通い、保育所の先生方に息子を少しでも知ってもらうように、また、息子にも少しでも慣れてもらうように、足繁く通いました。
 
保育所には、大好きなブランコがあったので、割とスムーズに通ってくれました。
 
 
 
たまたま選んだ保育所が、息子のことをとても上手くカバーしてくださって、加配もつけて、他の少しケアーの必要な数人の子どもとゆっくり過ごせる部屋や時間も設けてくださいました。
 
同じクラスの年長の子ども達も、息子のことを可愛がって、仲良く遊んでくれました。
 
正直、ヨダレも多くて、手を口にも入れるので、ベトベトしていましたが、息子のヨダレは汚くないよ〜とまで言ってくれて、トイレもまだまだでおもらしだらけなのに、笑いながら、先生の代わりに世話をやいてくれたり、教えてくれたり、いつも息子の周りにはたくさんのお友だちがいました。
 
     
 
下の年齢の子ども達も息子にかかわってくれました。
 
年齢によって、息子への関わり方も違っていて、下の年齢の子ども達は、自分のペースでずんずん世話してくるのに対して、年長さん達は、息子の動きを待ってくれて、対応していました。
担任の先生の指導もあったのかなと思います。
 
こうして、たくさんのお友だちに囲まれながら賑やかに、まるで兄弟の中で過ごすように、貴重な思い出深い一年を過ごすことができました。
 
      
 
 
 
 
保育所で息子が使っていたリュックと上靴
 
息子のために、素足でそのままトイレへ行けるように、保育所自ら、板を設置してくれました。