(「病院③」からの続き)

 
てんかん発作を起こした頃から、息子の動きが目に見えて悪くなり、どんどん不安を抱えだしていた24歳の頃、今度は、地元の大学病院の先生も、小児専門病院へ異動することになりました。
 
先生はまず、(前に通院していた)筋ジストロフィーの専門病院へ顔をつないでおくようにとおっしゃって、紹介状をくださり、結局、またその専門病院にも通院することになりました。前と同じく、半年に1回、リハビリも一緒に、受診しました。
 
そして、普段の風邪とか身近な病院として、もうその頃は、具合が悪いと家から外へ出られなくなっていて、「往診とか受けられないかな?紹介状、書くしね。」とおっしゃっていたので、相談支援専門員

 

 

に相談して紹介してもらい、病院のソーシャルワーカーを通じて、往診が受けられるようになりました。
 
家のすぐ近くの病院で、主治医は神経内科でしたが、神経内科の受け持つ患者さんが多いので、内科の先生の往診が主で、3ヶ月に1回、神経内科の先生の往診、という体制でした。
定期往診が月2回、救急は、24時間体制で対応と、すごく心強く思いました。
 
専門病院と往診という形が整い、地元の大学病院への通院は一応終わりました。
この病院の小児神経内科自体がなくなることにもなっていたので、小児科への通院は終わったわけですが、リハビリは、装具のこともあったので、そのまま通院を続けていましました。
訪問リハも既に始めていましたので、通院数を減らして間隔をあけて通い、身体の様子や装具の不具合を診てもらっていました。
 
訪問リハに往診が加わり、平日はほぼ毎日、何かしらの訪問があって、息子をそのタイミングに合わせてスタンバイさせることは、なかなか大変でしたが、無我夢中で、新たな毎日を過ごして1年。
 
昨年の年末、神経内科の先生の往診で、来年度から往診部門が縮小されて、神経内科の往診がなくなることになった、と言われました。
あまりにも動揺してしまって、その時は、あまり質問もできなかったのですが、その往診が終わってから、いろいろ不安なことがいっぱいでてきて、次の3ヶ月後の、神経内科の先生の最後の往診で、ちゃんと聞かなきゃ、と思っていました。
 
その日が、息子が亡くなった翌日の、3月4日㈬でした。この日は、訪問リハも予定されていました。
準備して明日に備えなきゃと思っていた、前日の3日の夜、息子は突然亡くなってしまったのです。
 
私の全てが、25年間が、一瞬で消えてしまいました…
 
どこがどう間違っていたんだろう?
 
やっぱりふと考えこんでしまいます…
息子の最後の写真 (2020.3.1)