こんにちは!
心屋流で、なんか知らんけどお金に不自由しなくなった、大海(川野)理恵です。
あ、前回書いたブログを夫に、見てもらったら。
一点、夫と見解が違う部分が出てきました。
夫「"ムダ使い"は違う。してないよ?」
私「あ、確かに! そうかもだけど。
例えば、地下鉄で行けばいいところタクシー呼ぶとか。
100ドル落とすとか。 買ったもの気分で使わなくなったりとか。
レストランで残したりとか。
昔の私たちから言わせたら、ムダ使いって思わない?」
夫「昔なら、そもそも払えないし。仕方ないこともある。
豊かってことじゃないかな。」
そうかぁー。
もともと夫には
「ムダ使い」と言うフィルターや概念がなかったんだ。
希望したものを、
払えるか払えないか、豊かか貧しいか、
と言うストレートな感覚なんだね。
「贅沢して」と言うフィルターはあっても
「ムダ使い」と言うフィルターはない。
ほーーー
そんな私&夫ですが、
極貧時代の話を、先にしておきましょう。
10年前。
離婚後、貯蓄していたお金で引っ越し、月十数万円の賃貸アパートに引っ越しました。
当時は契約社員として税引き17〜18万円ほどの収入で。
子ども2人と一緒に、3人生活。
当然、食費もままならず、
子どもには、昼食代含めて、一日のおこずかい500円と言う、昭和時代も真っ青な過酷な状況でした。
もちろん私の収入だけで生きていくことも出来ずに、
国から児童扶養手当、児童育成手当、をもらい。
税金は払えず。
病院では、ひとり親家族等医療費助成制度を利用していました。
税金は払わず、他の人の税金で生きていた訳ですから。
罪悪感と、自己肯定感の低さは、半端なかったです。
区役所に行く時には、ノーメイクとボロ着で行っていました。
そんな自分を演出していることで、「こんな貧乏だから、しょうがないじゃない」と強がっていたのでしょう。
そうでもしないと、あまりにも恥ずかしく情けない自分、申し訳ない気持ち、に押しつぶされそうでした。
当時の彼がお金持ちさんで、
税金の支払い金額が半端ないと愚痴をこぼしていました。
お金持ちがたくさん税金を払ってくれるおかげだなぁー、
とボンヤリと感謝しながら、
ヘトヘトになるまで働いても働いても、つらい生活を送っていました。
一方、
まだ私に出会っていない夫は。
懸命に、金策に取り組んだけれど、事業での自己破産。
2回目の離婚。
仕事は出来ても、何のために生きているのか、
虚しい日々を送っていたそうです。
ボクは、生まれてなかった時にゃ
今、お互いに盛り上がる話題は
「コンビニのおにぎり」
何を食べたいか、なんて考えもしなかったよね〜
120円の値札に、どれだけマイナスの値札シールが貼られているか。
この値札ばっかり見て、一番値引きされているのに決めていました
お買い得品だと嬉しくなってテンション上がっちゃう
でも、子供がマネして、バイト先で半額値札を自慢げに買ってきた時は、
申し訳なさでいっぱいになっちゃいましたね。
で、
夫と一緒になってから、
「今日は値札を見ないで、食べたいと思うおにぎりを買ったよ」
と、夫から聞いた時は、ドキドキしたけど、本当に嬉しかったなぁ〜。
あと、貧乏人あるある?
日が沈んでからも、暗い部屋は結構平気です。
水道光熱費を異常なくらい、節約してました。
今でも無意味に日が沈んでしばらくは、電気つけない時が多いです。
でもそれは節約でなく、刻々と変わる日の姿が美しいからかな
自然な調光、好きです
2人に共通なのが、
「歪んだ家」に住んでいたこと(笑!
いや、本当に建物自体が歪んでいるんですよ?
古いと、家賃安い〜
建付が悪かったり、ネズミが出たり
夫の家は雨漏りしてましたね
夫は、昼食代諸々込みで、1日1,000円の生活。
たまに飲みに行く時は、一品300円のお店で。
でも、あまり長くいると高くついてくるので
「じゃ、この辺で」
とみんなより先に帰ったりしていたそうです。
パーティーは無料開催を狙って。
でも行っても虚しさが残るばかり。
それはそれで、
面白かったり、楽しんでいたりしたことも沢山あるのですが、
例えて言うなら、
お金という牢獄の中で、
自分の意思や希望を、
見ないフリして捨てて、
お金の奴隷になっていました。
そして、
外ズラだけ、
普通の生活しています。困ってません!
と見栄を切っていました。
そんな時代があったよ〜。
貧乏あるある、すっごいあるよー
だからこそ、私にはお金のお話は出来ないーと思っていました。
次は、
「そういう星の元に生まれてきた?」
あげまんのサガが全開ブルンブルン
二人、婚活して出会った頃の、
彼の行動力の凄さと、私のヒステリーっぷりを徐々にご紹介しまーす