NYでは感じることが多すぎて、何度も号泣しました… 

普段の生活の枠組みからはみ出してみると、いかに勝手に自分で自分を縛り付けていたか、不必要な制限を設けていたか、自分以外のせいにしていたか、本当に色々と気付かされます。

今回のヒロコ・グレース先生のツアーでは、プロのカメラマンの方が街中で写真撮影をたくさんしてくださって。
それで道のど真ん中で撮影していた時のことを後から一緒にツアーに参加した方が振り返って、「NYの人は、私たちのことを誰も気にしてなかった。他人のことなんて気にしてなかった。」という主旨のコメントをされて。

それを聞いた瞬間、涙が溢れ出して…

NYの街ゆく人は、確かに気にしてなかった。その時たまたま私が見た人たちは、過剰な許容もなければ蔑みも全くなくて、ただ撮影の邪魔にならないように止まってくれて、タイミングが訪れたら、また歩き始めるだけだった。

言葉にするのが難しいけれど、無関心、というのともちょっと違う。他者への心配りをしつつも自分を守って、でもジャッジしていない、という絶妙なバランス感覚みたいなものを感じた。(うー、伝えるのが難しい!)

とにかく、その時の様子を思い出して、あんな風に、人が何をやっているかに引っ張られずに自分のペースで歩き続けられたら良いな、すごく心地良いだろうな。あれ?本当は今からでもそういられるんじゃない?っていうか、まだまだ勝手に自意識過剰になって、勝手に人から求められる自分でいなきゃと思い込んで、空回りしてたかも…もういい加減やめようよ…

こんな想いがドバーッと溢れてきての、号泣でした。

帰国してからも、涙が溢れてきた瞬間の気持ちを思い出すと、胸が熱くなります。

そして、ヒロコ先生のNYレポを読んでまた涙がジワジワ。(以下の言葉は先生のブログからの転載です。)

人目なんて気にしなくていい。
互いの自由を尊重し合える関係。
それが、通りすがりであっても。

これって、
自分が自分を縛り付けていたら出来ない。
“自分が自分に対して自由だからこそ、
出来るものなんだと思うんだ。”

自分への自由が、
他者への尊重心を生み出してくれる。

私にとっての「自分への自由」とは?
NYのエネルギーを感じながら、ここを大切に考えるGWにします。