こんにちは。
約3か月経ってやっと文字を綴ろうかなといま思っています。
1月27日。突然の発表。
SnowManのこと、プライベートのこと、正直限界に近かった。
そんな状態で飛び込んできた情報。
嵐 2020年を持って活動休止
正直、それを知ってからの事は思い出したくもない。
けれど、あまり記憶にもない。
ただ、「ああ、今がちょうどいいじゃん。綺麗な幕引きじゃん」
そう思ってしまった事だけは覚えてる。
それは嵐が、じゃない。わたしが。
数年前、「死」しか考えられなかったわたしを、
思いとどまらせたのは紛れもなく嵐だった。
何度思い返しても、
「あの時5人がいなければ、わたしはいまここにいない」
そう思う。
わたしの命をこの世に引き留めた嵐が消える、
ならばわたし自身を終わらせるのにもちょうどいいタイミングだな、
そう思ってしまったことだけははっきりと覚えています。
でも、何故かまだわたしは今もここにいる。
息を吸って、吐いて、生きている。
会見が夜のWSで流れた。
テレビの前に座って、体育座りをして。
食い入るように、一字一句逃さないように。
会場に入ってきた5人は隙間なく並んでいた。
腕と腕が触れ合うくらいに。
普段は落ち着いている櫻井さんと二宮さんの2人が、
随分と憔悴しきっているように感じた。
いつもよりもどこか涙目で、早口で話していて。
もちろん5人とも緊張の面持ちで。
けれど段々と空気はいつもの5人へと「嵐」の空気へ戻っていった。
互いに互いをフォローする。
言葉が足りていないなという部分は速攻で補足をいれる。
対記者で淡々と進めるわけじゃない。
時にはメンバー同士で目を合わせ、笑いあったり。
なにより、とっても和やかな雰囲気だった。
そして晴れやかな顔で笑っているのが目立った。
「ああ、わたしはこの5人の嵐を好きになったんだ」
そう再確認させてくれる会見だった。
わたしの好きな嵐が、詰まっていた。
これでもかってくらいぎゅうぎゅうに押し固められていた。
ただひとつ。
「無責任なのではないか」といった記者の質問に答えた櫻井さん。
一言で言うと、痺れた。
「無責任かというご指摘に関しましては我々からの誠意は
およそ2年近くの期間をかけて、
感謝の想いを伝えていく期間を設定した。
これが我々の誠意です。
なのでそれが届くようにこれからも沢山の言葉をお伝えし
沢山のパフォーマンスをみてもらい、その姿勢と行動を持って
それは果たして無責任かどうかというのは
判断いただけたらと思っています」
少しだけね、Cの嵐の美和ロックの回を思い出したんだよね。
ああ、懐かしいなあ。変わってないなあ。そう思った。
冷静に自らなりの理屈でパンパンと気持ちよく返してくれる。
僅かな怒りが滲んでいたのもなんとなく嬉しかった。
それからその直後の
「大野さんが矢面に立ち悪者に見えてしまう事もあるのでは」
という質問に対する二宮さんの言葉。
「もしそうやってリーダーが矢面に立って、
リーダーが悪者になって見えているのであれば、
それは我々の力不足だと思います」
二宮さんらしい答えだと思った。
櫻井さんと二宮さんのここの連続技は素晴らしいと思った。
それから「思い出す曲」の場面が、わたしの好きな2人。
わたしは嵐がいなくなった先の未来というものが想像できない。
今まで記憶がある人生のほとんど、ずっと隣には嵐がいたから。
嵐と出会う前の自分がどう生きていたのかの記憶は、ない。
でもだからこそ私は不安だった。
嵐のことを好きじゃなくなる日が来るのが。
嵐が、いなくなってしまう日が来るのが。
「好き」だという気持ちが増えれば増えるほど、
それと同時に「不安」だってどんどん増えていった。
けれど、正直いつかこの日が来るって分かってた。
嵐がいつまでも続くわけじゃない事も分かっていたし、
きっとそれは遠い未来の事なんかじゃないとも思ってた。
最初に覚悟したのはいつだったっけな。
もう覚えていない。宮城公演?わかんないや、数年前。
けれど確実に、この何年かはいつ解散が来てもおかしくない、
そういった覚悟はずっと持ち続けていた、つもりだった。
まあその覚悟なんてしていたつもりで、
とってもちっぽけなものだったんだけどね。
「降りていく景色も5人で見ていたい」
そう言ったのは何年前だった…?
ずっと夢に夢みていた人よりはよっぽど現実的だったはずなのに
一人前に、人並みに感情は平和じゃなかった。
なんで?嘘だよね?そう思う気持ちの反面、
やっぱりか、ついに来てしまったかって思う気持ちがあって
その相反する二つの気持ちがせめぎ合って、
わたしはわたしの感情すらわからなくなった。
けれど「泣かないでなんて言えない」
その言葉にすごく救われた気がしたし、
寄り添ってくれているのだと、肯定してくれるのだと思ったよ。
and more...が発表されたあの日。
大型ツアー。無茶なスケジュール構成。
それは20年目の、嵐からファンへの感謝の気持ち。
けれど、それだけじゃないような気がした。
何かある、絶対に。なんとなく嫌な予感がしたあの日。
これが最後、そうなるんじゃないかと底知れぬ不安を覚えた。
あの日のブログに、少しだけその不安を書き綴っていたね。
案の定、当たっていた。
けれどわたしは誰かを責める気なんてないし怒ってもいない。
なかには大野さんを責める声もあるみたいだけど。
それは、この活動休止は今までの嵐の言葉たちを
決して嘘にしないための活動休止期間だと思っているから。
「嵐は5人で嵐」
「4人でも6人でも、それは嵐ではない」
「5×5、5×10、…今まで続いてきた5という左の数字だけは絶対に」
「嵐は基本的に民主主義。すべてが多数決で決まる。
けれど誰か1人でもやりたくないと言った事はやらない。
その時だけが、嵐の民主主義が崩れる瞬間」
いままで嵐の5人はそれぞれがそれぞれに、
嵐への想いをこの20年間でたくさん言及してきた。
その言葉を、嘘にしないために。
自分たちにも、ファンにも嘘をつかないために。
ファンに対して、嵐に対して真摯に向き合った結果が
この活動休止という道なのだとわたしは受け取った。
だからこそわたしはそんな5人を信じたいと思った。
「寂しくさせないから。ちょっとお休みするだけだから」
そんな言葉も、信じられると思った。
だって、いままで20年間の言葉を嘘にしない人だから。
「まだ、世界中に嵐を巻き起こしていませんから。終われません」
あの日、ジャニーさんと何度も繰り返し練習した、
たった一言だけの言葉。
その言葉を20年経っても持っていること。
それが叶えられていないから必ず戻ってくるという言葉を信じたい。
わたしは言葉に対する重みを重要視する人だからこそ
言葉を嘘にしない姿勢をなにより持ち続けてくれる事が嬉しかった。
だから……、わたしは泣き暮らしてなんかいない。
彼らが帰ってきてくれるというから。
わたしは、嵐が嵐であるいまの瞬間を目に焼き付けて居たい。
P.s. 書き終わってから記事が消えて書き直したので
言葉がうまくなくてごめんなさい。