こんばんは。
今日はずっと更新しようと決めていた日です。
昨年の今日も、更新しました。
Snow Man 増員から2年
増員当時にも、増員して1年経ってからも自分の感情を残してきたTwitter、ブログ。これらはいったいいつまで続くのでしょう。
気づけば、あの地獄のような日からまる二年が経過していました。
あの頃と今とで、いったい何が変わったのだろう。
去年の記事は、→\ Snow Man増員から1年経った、2020年1月17日のブログ /
結論から言うと、わたしは未だに増員を受け入れられていません。
わたしの感情を表すのに適切な表現が"受け入れる"か"受け入れない"か、その二択なのかどうかも少し疑問に残るところはあるのだけれど。
Snow Manという箱に起こった「増員」という事案を理解する、ということが"受け入れる"ということなのだとしたら、わたしはきっと受け入れているのだと思う。
もう覆しようのない事実なのだということを冷静に認識しているし、彼らが誤魔化しきれなかった言葉の数々でそれなりに流れは想定がつく。
もし、奇跡が起きて今彼らが6人のSnow Manに戻ったところで、今までの6人とはまったく違うし、今までの二年は帰ってこないし、離れていった多くのファンたちも戻ってこない。彼らに対して幻滅したことや、ショックを受けたことが消えることはないし、そういう発言をした過去が消えるわけでもない。失われたスキルが戻ってくるわけでもない。
今の彼らが今6人に戻ったとして、それで万事オッケーになるかと問われると決してそうではないし、そうなればわたしたちが満足するのか、何の不満も湧かなくなるのかと問われると、きっとそうではない。
だけど、もしわたしが増員ということを理解して、其が起こったということを"受け入れ"たとしても、それを許容できるのかできないのか、認められるのか認められないのか、前向きに捉えられるのか捉えられないのか、ということを聞かれるとわたしの気持ちは全て後者です。
それにきっと皆のいう"受け入れる"は理解する、という意味ではなくて、9人のSnow Manを容認するという意味だろうから、わたしは「二年経っても受け入れられない」とここに明言する。
わたしは未だに9人のSnow Manを好きになることはないし、きっと、もうこの先好きになれる日は訪れないと思う。
絶対、なんて不確かな言葉は安易に吐くべきじゃない。
この世の中に絶対や100パーセントなんて存在しない。
そう思いながらも、わたしは「絶対に」受け入れることはできない、と言い切る事ができるような気がする。
だけどひとつ変わった事があるとするならば、わたしは、あの時よりも9人から確実に目を逸らしているということだ。
降りろ、降りろ、と騒ぎ立てていた9人過激派の皆様方、歓喜せよ。
それは去年書いたように「わたしは6人しかだめだから」と言って9人を知ることから意地になって背いているわけではなく、単純に、Snow Manという箱を観ることに対してさほど価値を感じなくなってきたということだ。
配信とかそういうものは一応目を通すし、円盤とかも一応予約しているけれど、それを手に取ることに対するワクワク感がまるでなくて、半ば義務のように化している。
ファンクラブは更新したものの、それをする事は、"確率は低いけれど自担に会える可能性"と、"今になれば比較的若い数字であろう番号"のふたつを捨てきれないからだ。
友人とカラオケに行った時に、「歌ってよ」と言われてもフル尺で歌い通せる自信がない曲がある。(その時は結局歌えたのだけれど…)
Youtubeなんて、今じゃ何週分溜めているのだろう。
自担が出ている回だけはすぐに観ていたはずなのに、それすらタイムラグができる。結局は、嫌いな人間の隣にいる自担を観ることの苦痛が勝るようになったということだろうか。
ここまで二年、日に日にわたしの嫌悪感は増していく一方で、微塵もいいな、と思える瞬間がない。
それは、Snow Manという箱に対してもだし、苦手なメンバーに対してもだ。
>>9人を観れば観るほど、わたしは9人を受け入れられなくなった
と、昨年のわたしは記しているが、まさにその感情が、さらに一年分積み重なったという感覚。
今なら言える、わたしはもうSnow Manというグループとしてのファンはとっくに辞めているし、降りている。
今のわたしは、単なる阿部亮平のファンに過ぎない。
そこに、Snow Manという肩書きは、かなしいかな必要なくなってしまった。
きっと、彼がグループを脱退する、と言ったところでショックなんて受けないだろう。
まあ、アイドルをしている彼は今も昔もずっと好きだから、アイドルを辞めてタレントになると言われてしまうと複雑な感情を抱くと同時に、あんなにアイドルにこだわっていたのになあ、とは思ってしまうと思うけれど、それは極論、どの箱にいたって変わらないのだ。
彼の愛したグループを、好きでいたかった。
彼の名前の先につくグループを愛していたかった。
彼の居場所を肯定したかったし、その場所にいる彼もその居場所も応援したかった。
だけど、今のSnow Manは、わたしにそうはさせてくれない。
それがわたしは、本当はものすごくつらい。
もっと純粋に、なにも思わず、感じず、悲しまず、怒らず、ただ楽しく彼を応援できていれば、彼の居場所を応援できていれば、どれほど幸せだったのだろうか。わたしには、それはもう叶わない。
去年の今日、わたしのTwitterのフォロワーは690人を超えると書いてある。
今年の今日、わたしのTwitterのフォロワーは1170人を超えている。
デビューという大きなひとつの岐路を経たいま、フォロワー数は減ることなんて知らない。日に日に増えていく。
それがなにを意味しているのかなんて、言葉にしなくたっていいだろう。
わたしの意見に、言葉に、想いに、同意してくれる方々がいるというのは本当にありがたいことで、救われている。
だけどそれと同時に、わたしと同じ想いを抱えている人がこれだけもいるのかと思うと、すごく苦しい。
いわゆる"6人派"と呼ばれる人には、色んな人がいる。
6人の時から彼らを好きだった人、増員以降に好きになった人、デビューをきっかけに存在を知って好きになった人。
だけど、みんな抱えてる真髄は同じで、"6人のSnow Manを愛している"ということと、9人のSnow Manよりも、6人のSnow Manの方が魅力的だと感じている、ということ。
色々な境遇の人が、それぞれの立場に立っているのに、どうしてみんなこうも苦しい想いをしなければいけないのか。
毎度怒りに震え、悲しさに涙を流し、Twitterというツールで楽にならない心をなんとか沈める。そんな毎日を送る人がいることがわたしはしんどい。
一年経てば何か答えが出るだろうとなんとなく思っていた二年前。
なんとなく先の長い闇に迷い込んだ気がした一年前。
今日わたしが何を想うのか、去年のわたしは知りたがっていた。
「デビューすれば必ず何かが変わる」。
デビューして1年、結局、見えたのは粗と闇だけだった。
まさか二年経ってもなお、6人に未練があるなんて信じられなかった。
みんな、きっと信じられなかった。
だけど、いまだにこんなに多くの人たちが6人を愛している。6人のSnow Manを愛している。
その事実を、彼らはいったいどう受け止めているのだろう。
もう、この件に関して公に触れられることはなくなってきて、言及することも減って、今では「増員した」という事実ごと封印しようとしているのではないか、消し去ろうとしているのではないかと思うほどである。
だから、今の彼らから言葉を聞くことはできない。
彼らの言葉は、増員当時から、…いや、増員前後から幾度となく二転三転変化を繰り返してきた。
その言葉と想いはわたしたちに伝えられることなく、途中からアップデートされずにずっと滞留している。まるで、密室の中の紫煙のようだ。
わたしたちだけが一方的に感情の波に揺られ、吐き出している。
彼らの気持ちは分からない。
第一雑誌や動画等の媒体で語られる言葉の何割が本音なのか、そもそもそれ自体があやふやで不確かなものなのだから。
人間が分かっていることはただひとつ、自分の気持ちだけなのだ。
それすら曖昧だけれど、唯一自信を持てる部分が少しだけでもあるのが自らの心情だけ。
そんなわたしたちが叫ぶ「6人のSnow Manが好き」、それだけが確かなものだ。
わたしは、わたしがその気持ちを何処かに置き忘れてこない限りは「声を出し続ける」だろう。
彼が言ったのだ、声を出してほしいと。
自分たちに都合のいい声は出してほしいけれど、都合の悪い声は出さないでくれなんて、それこそそんな都合のいい我儘が通るはずもないだろう。
そもそも、わたしたちの言葉を否定する権利を持ち合わせた人間など誰もいないし、わたしたちの気持ちを否定する権利を持ち合わせた人間もどこにもいない。
それは、彼らもそうだし、一般人のファンもそうだし、誰も他人を否定する権利なんて持ち合わせていない。
「引きずっている」と言われるのならばそれでいいし、「許さない」と言われるのならばそれでもいいと思う。
誰がどう思っていようと、本人達にそう言われたとて、そんな事で自分の気持ちは変わらない。
そもそもそんな柔な気持ちならとっくに降りるか受け入れるかしていると、わたしは思う。
わたしたちが二年経ってもなお、こうしているのは自担の言葉を借りるならば「それだけ6人のことを愛して」いたから。
愛していたから、二年経っても受け入れられない、認められない。
わたしはこの世界に生きる人間を代弁するつもりなんて毛頭ない。
だけど、きっと、おそらく、6人派の人たちは「好き好んで」6人派でいるわけじゃないと思う。少なくとも、わたしはそうだ。
6人派で居続けざるを得ないだけである。
誰だって、選んでマイノリティだと言われ、肩身の狭い思いをしながら、いちいち与えられるものに腹を立てたり、わざわざ嫌いな人間を作ったりしないだろう。もしいるとすれば、その人はよっぽどのマゾヒストだと思う。
みんな苦しい思いをしながら、抜け出せないで、6人派でいる。
6人が好きすぎるあまりに、この立場にいる。
いつか、どんな形であっても。
わたしを含めたみんなが笑顔になれる日が来ればいい。
難しいかもしれないけれど、誰かにとっては寂しい形になるかもしれないけれど、それでも、悲しい思いをしながら応援し続けないといけない人がいなくなればいい。
エンターテインメントって、幸せになるためのものだと思うから。
それを切に願いながら、いま、この記事を閉じることとする。