こんにちは。
今日はわたしの中で一つの区切りだなと思っています。
だからこそ、ブログを更新しようと思いました。
なにわ男子 デビュー
今日は夜勤なので帰宅する事にはとうに日付は回っている。故こんな中途半端な時間に文字を綴っているのですが
正直いまのわたしの感情は非常に複雑なわけです。
というのも、正直「なにわ男子」というグループの担当はとっくに多分降りている。
降りているという言葉が適切なのか、そもそもヲタクではなかったのか、それは自分でもいまいち分かっちゃいないのですが、まあ、とにかく「性根を入れてヲタク活動をしている訳ではない」「堂々と胸を張ってなにわ担・高橋担だと名乗れるわけではない」という事。
そんなわたしが偉そうにあれやこれやと語るのはお門違いなのかもしれない。だけどわたしは、このブログを更新する。
少し時を巻き戻して話そうかな、と思います。
これは誰に向けた言葉でもなく、理解して欲しいわけでもなく、ただわたしがわたしの感情を整理するために、今までの記録のために。
わたしが「関西ジャニーズJr.」を一番本気で応援していたのは、もう五年以上前に遡るわけですよ。
そう、向井康二・金内柊真・平野紫耀・西畑大吾・永瀬廉・大西流星の六人が「Kin Kan (King of 関西)」「なにわ皇子」として活動していたいわゆる"なにきん"時代ですね。
彼らは同年代。当時、わたしは高校生真っ只中でした。
わたしは普通の高校生活を送っていた訳ではなく、少し特異な立場に居て、それが理由で所謂"青春"とは聊かかけ離れた毎日を過ごしていたのですが、それでも「高校生」という年代はやっぱり自分の中では青春なわけです。
高校生当時のわたしは関西においては平野担でした。
実は、わたしは運がいいのか、自担になった人が事務所を辞めたという経験はほとんど無いんですね。
……少し話が脇道に逸れますが、きちんと戻ってくる算段はついています。ご安心を。……
わたしが一番最初ジャニーズに足を踏み入れるきっかけはYa-Ya-Yah。
今や知っている人がどれほど残っているのかは分かりませんが、生まれて初めての自担は山下翔央くんでした。
ジャニーズで最初に手を出すのがJr.だなんて稀なケースかもしれません。
小学校低学年当時、少女漫画雑誌・りぼんに連載されていた「Ya-Ya-Yahがやってくる!」という漫画をきっかけに好きになったのですが、当時はネット環境もなく、初めてのジャニーズ、ましてやジャニーズJr.、おまけにわたしは関西在住という右も左も分からない、担当と言えないようなキッズファンでした。「カッコいい」「この人好き」そんなただの子ども心ののミーハーです。
当然そんな状況ですから、Ya-Ya-Yah解体・JUMP結成・ユニ漏れ・退所・阿鼻叫喚なんてものからは少し距離がありまして。
供給も今と比べて決して多い方ではなく、だからこそ翔央くんが退所したと知った時もいまいち実感というものはありませんでした。
そんな中なんとなくジャニーズから離れ、ほんの少ししてから友人経由で嵐で戻ってきたのですが、まあ簡潔に言うとわたしは「ぬるま湯に浸かっていた」訳です。
2014年1月期放送ドラマ SHARKの主演に、平野くんが抜擢されました。
単純に、驚きと嬉しさの二重構造でした。
すごい好きだったなあ……わたしがあんまりにも何度も何度も見るものだから、きっと親はそこで初めて「平野紫耀」を認識していたと思います。
当時「関西ジャニーズJr.の平野紫耀が好き」と言っても、友人含めほぼ全員が「誰それ…?」といった具合の反応だったのを今でも覚えています。
2014年 DREAM BOYSに、関西から平野紫耀・永瀬廉の二名が出演するという発表がありました。
困惑と、嬉しさの二重構造でした。
ただ、「関西を背負って頑張って来て欲しい」と思っていました。
まいジャニからユニット名のクレジットが消えました。
少し嫌な予感がしました。
秋 Sexy Zoneのバックに立っているのを見つけたと思えば、唐突に「DREAM BOYSの平野紫耀です」と自己紹介を始めました。
パニック、ただそれだけでした。
「なんで!?どういうこと!?」ひたすら繰り返していました。
その後、泣いた。わたしの心配に比例して、二人に関東での仕事が増えた。
2015年春 「出演者のが大泣きしていた」、なんて不穏なレポを目にしたと思えば、翌日飛び込んだのは「金内柊真 退所」のニュースでした。
自担でもないのに、該当担に失礼かもしれないけれど、信じられなくて、信じたくなくて、でも信じざるを得なくて、また泣いた。
終わりを暗に示されながらも、それを飲み込まざるを得ない状態になったとしても、わたしはなにきんになにきんでいて欲しかった。
次に泣く時はデビューしたとき、そんな言葉を信じていたかった。
この時から、関西の春はわたしの中で少しトラウマになっています。
2015年夏 正式にKing & Princeというユニット結成が発表された。
"自分がいかにぬるま湯に浸かっていたのか"を、これでもかというほど突きつけられたのはこの時で、"ジャニーズJr.に絶対なんてない""名前があったっていつ解体と再編を繰り返すかなんて分からない"という当たり前の事を改めて知らされたのもこの時でした。
それからは知っている人も多いかと思います、関西は所謂「焼け野原」状態になりました。
「連れていかれた(出世した)者」「選ばれなかった事を察して自ら去った者」「ただただ置いていかれた者」いわばこの三種類に、道が分かれた訳ですね。
特異な高校生活を送っていたと前述しましたが、わたしの高校は1年生~3年生が同じ授業を受ける環境が5割を超えていました。大学のゼミを想像してもらうと分かりやすいかと思います。
その中には某関西ジャニーズJr.も居り、そこそこに会話を交わす仲でしたが私はジャニヲタをCOする事も、状況を訊ねる事も出来ず終わりました。(ただ勇気が無かった)
だけど、その後彼も割と無茶をしていたのできっと荒れていたんだろうなとは密かに思っていたり…
そこからはもう、もしかすると半分が情だったのかもしれない。
「今の関西に、応援する意味はあるのだろうか」と思いながらも、残された三人を思うと離れることも出来なかった。
そんな中、徐々に14年組は頭角を現し始めて「担当不在」だったわたしは「高橋恭平」を推す事にした。何故そうだったのかは、覚えていない。ただ、ニューフェイス回で「イケメンになるんだろうなあ…」と思いつつボールを渡したシーンで爆笑したのも、「伸びる!」と言われているのに同調したのも覚えている。
関西ジャニーズJr.に正式ユニットというものは存在せずなんとなく"メイン""トリオ""funky8"etc...なんてあやふやな状態が続きました。
正直あんまりああだこうだって詳しく覚えてないな、記憶が断片的というか、どんどん変わっていく関西ジャニーズJr.が怖くなって少しだけ逃げたのも事実。
嗚呼、斗亜ちゃんが入ってきた時は「とあ…名前の響きが最近だ…イマドキの子だ…」ってちょっと驚いた。(笑)
2018年秋 なにわ男子結成。よく分からなかった。でも、デビューが確実に視野に入れられている、なんならそれを目的としたグループなんだろうなって事だけは分かった。
だけど、何故そこに康二が居ないのか。何故丈橋が唐突にそこへ入ったのか。実は、理解できないままずっといました。
少し前に放送されたハーベストの丘の夏休みSP、めちゃくちゃ好きで何度も何度も繰り返し見てたな…因みに未公開の方が好きでした。(要ら情)
なにわが結成されてからは正直苦しかった。
明らかな歴の差。今までの序列の差。やりづらそうな下に、気を遣う中間管理職。どんどん当たり障りなくビジネス化していく大吾の姿。
話題性は抜群だったから、どんどん増えていく新規。
全員とは言わないけれど、その新規たちが突然畑に入って来ては荒らして行く。少し経った頃には、古参が追いやられて声の大きな新規が幅をきかせる構図が出来上がっていた。
わたしは、あまりにも耐えられなくなった。そこに居られないと思ったし、ここ(なにわ男子)にわたしの居場所はきっと無いんだと思った。
だから、そっと離れた。メディアは極力確認するし、関西だから身近にいる。テレビだって見やすい。現場にも行くけど、「ファン」を表立って名乗るのは早々にやめた。
キンプリだってなにわだってわたしは納得したか?と問われると、きっとNOだと思うんですね。
今だってわたしは立派な"なにきん亡霊"だと言える。
圧倒的にエアプ勢が増えている今、当時をしっかりと通った一人前の亡霊である。
否、亡霊が何を大きな顔を、と思われるだろう、ごもっともである。今を受け入れられないのであれば大人しくしていてくれと思うかもしれない。
だけどわたしは、誰の為でもなくなにきんが好きだったと言い続ける。
向井康二・金内柊真・平野紫耀・西畑大吾・永瀬廉・大西流星の六人が好きだと言える。
それだけを聞けば「複雑なんじゃなくて納得できないんじゃないの?」と疑問を抱く人もいるだろう。
ただわたしはここ三年のなにわ男子としてのメディア露出・活躍・人気を見て「デビューなんて認めない、納得できない」とは到底言えないんですね。
寧ろ、遅すぎたとさえ思う。滝沢氏、何してるんだ?とも思うし、大倉さんが直談判しなければまだデビュー出来ていなかったのだと思うと恐ろしささえ感じる。それくらい、東西合わせても「凄いジャニーズJr.のグループ」だったと思うんです。
だから、そういった意味では素直に「やっとデビューか…」「おめでとう」とわたしは思える。
そして、それと同時にあの頃必死になって関西を引っ張ってくれた大西畑が報われて良かったと思うのです。
まだまだ小さかった流星ももう二十歳。全然子どもで、お兄ちゃん達に囲まれて可愛がられていたのは過去の話で、今じゃ立派に後輩たちを抱えてる。
いまいち信じられないけれど、それだけ長い間ずっと頑張っていたんだって証拠で。
それにまいジャニが始まってからは毎年新しい子を紹介してくれるお陰で、わたしはトリオが入所してきた時から、最初から今までずっと見てこられた。親戚気分になるのもやむなしというものですよね。
実は道長、わたしの妹と同い年なんですよ。おまけに長尾くん、知りあい当たれば2~3回くらいで本人にぶち当たるくらいには色々と近いんで。
だから余計にこう、クるものがあるというか。ね。
あとひとつ複雑な理由がありまして、それは「わたしの青春だった関西ジャニーズJr.」が無くなってしまうという観点なんですね。
全員いなくなるわけじゃない。0になるわけじゃない。白が黒になるわけじゃない。
だけど、別にfunkyヲタな訳ではなかったわたしが"共に過ごしてきた"と感じるのはやっぱりなにきんなんです。そして、そこに次いでトリオなんです。
そんな彼らが「関西ジャニーズJr.」という場所を巣立つというのは、わたしにとって随分と大きな変化なんですよ。
ヲタクになって最初からずっと自分の中で真ん中に居た人たちは誰もいなくなる訳ですから。
正直、関西アイランドは康二と大吾の掛け合いがあって成り立つなんて思っているけれど、それでもやっぱり曲を耳にするとあの頃を思い出すんです。バンバンもそうだし、UME強引オンもどうしてもまいジャニの印象。ハピラキはもう宝箱に閉まっておいて欲しいと思っていますけども。
そんな何とも言えない思いを抱えたまま、気づけばなにわ男子は大きな存在になっていて、今じゃジャニーズに詳しくない母でさえ全員の名前を言えるほどになりました。
父から「ローソンになにわ居たよ」って報告を受けるようになりました。
大きくなった実感って案外ないものなんですよ。
だって、昔は誰にも通じなかった「平野紫耀」を今や殆どの人が認知しているなんていうのも不思議な感覚ですから。
きっとなにわもそうなんだろうな~って思います。関西ってやっぱりどこまで行っても「ローカル」って印象があるから余計にね。
これから先、もっともっと大きな存在になるんだと思う。
「なにわ男子」って言ったら通じる人が増えていくんだと思う。
わたしはその度に、嬉しくて、寂しくて、切なくなるんだと思う。でも、それでいいんだと思う。
最初から近くなんてない。それでも、「大きくなったな」「遠くなったな」って古いヲタクが涙を流すようなアイドルになって欲しい。
おめでとう、なにわ男子。未来に幸あれ!!!!!!!