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幸せってなんだろう? 笑顔溢れること。

ジャニーズ事務所のみんなが好きです。
日々の想いを綴るだけの場所。

みんなが幸せでいられますように。



頭の悪いヲタクが、勝手に考察したり感想を書き綴ったりしているだけです。

あくまで個人的意見と見解に過ぎません。

※異論は多いに認めます。


 

 

 

こんばんは。

今日はずっと更新しようと決めていた日です。

昨年の今日も、更新しました。

 

 

Snow Man 増員から2年

 

 

増員当時にも、増員して1年経ってからも自分の感情を残してきたTwitter、ブログ。これらはいったいいつまで続くのでしょう。

気づけば、あの地獄のような日からまる二年が経過していました。

 

あの頃と今とで、いったい何が変わったのだろう。

 

去年の記事は、→\ Snow Man増員から1年経った、2020年1月17日のブログ /

 

 

 

結論から言うと、わたしは未だに増員を受け入れられていません。

 

わたしの感情を表すのに適切な表現が"受け入れる"か"受け入れない"か、その二択なのかどうかも少し疑問に残るところはあるのだけれど。

 

Snow Manという箱に起こった「増員」という事案を理解する、ということが"受け入れる"ということなのだとしたら、わたしはきっと受け入れているのだと思う。

 

もう覆しようのない事実なのだということを冷静に認識しているし、彼らが誤魔化しきれなかった言葉の数々でそれなりに流れは想定がつく。

 

もし、奇跡が起きて今彼らが6人のSnow Manに戻ったところで、今までの6人とはまったく違うし、今までの二年は帰ってこないし、離れていった多くのファンたちも戻ってこない。彼らに対して幻滅したことや、ショックを受けたことが消えることはないし、そういう発言をした過去が消えるわけでもない。失われたスキルが戻ってくるわけでもない。

 

今の彼らが今6人に戻ったとして、それで万事オッケーになるかと問われると決してそうではないし、そうなればわたしたちが満足するのか、何の不満も湧かなくなるのかと問われると、きっとそうではない。

 

だけど、もしわたしが増員ということを理解して、其が起こったということを"受け入れ"たとしても、それを許容できるのかできないのか、認められるのか認められないのか、前向きに捉えられるのか捉えられないのか、ということを聞かれるとわたしの気持ちは全て後者です。

 

それにきっと皆のいう"受け入れる"は理解する、という意味ではなくて、9人のSnow Manを容認するという意味だろうから、わたしは「二年経っても受け入れられない」とここに明言する。

 

わたしは未だに9人のSnow Manを好きになることはないし、きっと、もうこの先好きになれる日は訪れないと思う。

 

絶対、なんて不確かな言葉は安易に吐くべきじゃない。

この世の中に絶対や100パーセントなんて存在しない。

そう思いながらも、わたしは「絶対に」受け入れることはできない、と言い切る事ができるような気がする。

 

 

だけどひとつ変わった事があるとするならば、わたしは、あの時よりも9人から確実に目を逸らしているということだ。

 

降りろ、降りろ、と騒ぎ立てていた9人過激派の皆様方、歓喜せよ。

 

それは去年書いたように「わたしは6人しかだめだから」と言って9人を知ることから意地になって背いているわけではなく、単純に、Snow Manという箱を観ることに対してさほど価値を感じなくなってきたということだ。

 

配信とかそういうものは一応目を通すし、円盤とかも一応予約しているけれど、それを手に取ることに対するワクワク感がまるでなくて、半ば義務のように化している。

 

ファンクラブは更新したものの、それをする事は、"確率は低いけれど自担に会える可能性"と、"今になれば比較的若い数字であろう番号"のふたつを捨てきれないからだ。

 

友人とカラオケに行った時に、「歌ってよ」と言われてもフル尺で歌い通せる自信がない曲がある。(その時は結局歌えたのだけれど…)

 

Youtubeなんて、今じゃ何週分溜めているのだろう。

自担が出ている回だけはすぐに観ていたはずなのに、それすらタイムラグができる。結局は、嫌いな人間の隣にいる自担を観ることの苦痛が勝るようになったということだろうか。

 

ここまで二年、日に日にわたしの嫌悪感は増していく一方で、微塵もいいな、と思える瞬間がない。

それは、Snow Manという箱に対してもだし、苦手なメンバーに対してもだ。

 

>>9人を観れば観るほど、わたしは9人を受け入れられなくなった

と、昨年のわたしは記しているが、まさにその感情が、さらに一年分積み重なったという感覚。

 

今なら言える、わたしはもうSnow Manというグループとしてのファンはとっくに辞めているし、降りている

 

今のわたしは、単なる阿部亮平のファンに過ぎない。

そこに、Snow Manという肩書きは、かなしいかな必要なくなってしまった。

きっと、彼がグループを脱退する、と言ったところでショックなんて受けないだろう。

 

まあ、アイドルをしている彼は今も昔もずっと好きだから、アイドルを辞めてタレントになると言われてしまうと複雑な感情を抱くと同時に、あんなにアイドルにこだわっていたのになあ、とは思ってしまうと思うけれど、それは極論、どの箱にいたって変わらないのだ。

 

彼の愛したグループを、好きでいたかった。

彼の名前の先につくグループを愛していたかった。

彼の居場所を肯定したかったし、その場所にいる彼もその居場所も応援したかった。

 

だけど、今のSnow Manは、わたしにそうはさせてくれない。

それがわたしは、本当はものすごくつらい。

もっと純粋に、なにも思わず、感じず、悲しまず、怒らず、ただ楽しく彼を応援できていれば、彼の居場所を応援できていれば、どれほど幸せだったのだろうか。わたしには、それはもう叶わない。

 

 

去年の今日、わたしのTwitterのフォロワーは690人を超えると書いてある。

今年の今日、わたしのTwitterのフォロワーは1170人を超えている。

 

デビューという大きなひとつの岐路を経たいま、フォロワー数は減ることなんて知らない。日に日に増えていく。

それがなにを意味しているのかなんて、言葉にしなくたっていいだろう。

 

わたしの意見に、言葉に、想いに、同意してくれる方々がいるというのは本当にありがたいことで、救われている。

だけどそれと同時に、わたしと同じ想いを抱えている人がこれだけもいるのかと思うと、すごく苦しい。

 

いわゆる"6人派"と呼ばれる人には、色んな人がいる。

6人の時から彼らを好きだった人、増員以降に好きになった人、デビューをきっかけに存在を知って好きになった人。

 

だけど、みんな抱えてる真髄は同じで、"6人のSnow Manを愛している"ということと、9人のSnow Manよりも、6人のSnow Manの方が魅力的だと感じている、ということ。

色々な境遇の人が、それぞれの立場に立っているのに、どうしてみんなこうも苦しい想いをしなければいけないのか。

毎度怒りに震え、悲しさに涙を流し、Twitterというツールで楽にならない心をなんとか沈める。そんな毎日を送る人がいることがわたしはしんどい。

 

 

一年経てば何か答えが出るだろうとなんとなく思っていた二年前。

なんとなく先の長い闇に迷い込んだ気がした一年前。

今日わたしが何を想うのか、去年のわたしは知りたがっていた。

 

「デビューすれば必ず何かが変わる」。

デビューして1年、結局、見えたのは粗と闇だけだった。

 

まさか二年経ってもなお、6人に未練があるなんて信じられなかった。

みんな、きっと信じられなかった。

だけど、いまだにこんなに多くの人たちが6人を愛している。6人のSnow Manを愛している。

 

その事実を、彼らはいったいどう受け止めているのだろう。

もう、この件に関して公に触れられることはなくなってきて、言及することも減って、今では「増員した」という事実ごと封印しようとしているのではないか、消し去ろうとしているのではないかと思うほどである。

だから、今の彼らから言葉を聞くことはできない。

 

彼らの言葉は、増員当時から、…いや、増員前後から幾度となく二転三転変化を繰り返してきた。

その言葉と想いはわたしたちに伝えられることなく、途中からアップデートされずにずっと滞留している。まるで、密室の中の紫煙のようだ。

わたしたちだけが一方的に感情の波に揺られ、吐き出している。

 

彼らの気持ちは分からない。

第一雑誌や動画等の媒体で語られる言葉の何割が本音なのか、そもそもそれ自体があやふやで不確かなものなのだから。

 

人間が分かっていることはただひとつ、自分の気持ちだけなのだ。

それすら曖昧だけれど、唯一自信を持てる部分が少しだけでもあるのが自らの心情だけ。

 

そんなわたしたちが叫ぶ「6人のSnow Manが好き」、それだけが確かなものだ。

 

わたしは、わたしがその気持ちを何処かに置き忘れてこない限りは「声を出し続ける」だろう。

彼が言ったのだ、声を出してほしいと。

自分たちに都合のいい声は出してほしいけれど、都合の悪い声は出さないでくれなんて、それこそそんな都合のいい我儘が通るはずもないだろう。

 

そもそも、わたしたちの言葉を否定する権利を持ち合わせた人間など誰もいないし、わたしたちの気持ちを否定する権利を持ち合わせた人間もどこにもいない。

 

それは、彼らもそうだし、一般人のファンもそうだし、誰も他人を否定する権利なんて持ち合わせていない。

 

「引きずっている」と言われるのならばそれでいいし、「許さない」と言われるのならばそれでもいいと思う。

誰がどう思っていようと、本人達にそう言われたとて、そんな事で自分の気持ちは変わらない。

そもそもそんな柔な気持ちならとっくに降りるか受け入れるかしていると、わたしは思う。

 

わたしたちが二年経ってもなお、こうしているのは自担の言葉を借りるならば「それだけ6人のことを愛して」いたから。

愛していたから、二年経っても受け入れられない、認められない。

 

わたしはこの世界に生きる人間を代弁するつもりなんて毛頭ない。

だけど、きっと、おそらく、6人派の人たちは「好き好んで」6人派でいるわけじゃないと思う。少なくとも、わたしはそうだ。

6人派で居続けざるを得ないだけである。

 

誰だって、選んでマイノリティだと言われ、肩身の狭い思いをしながら、いちいち与えられるものに腹を立てたり、わざわざ嫌いな人間を作ったりしないだろう。もしいるとすれば、その人はよっぽどのマゾヒストだと思う。

 

みんな苦しい思いをしながら、抜け出せないで、6人派でいる。

6人が好きすぎるあまりに、この立場にいる。

 

いつか、どんな形であっても。

わたしを含めたみんなが笑顔になれる日が来ればいい。

難しいかもしれないけれど、誰かにとっては寂しい形になるかもしれないけれど、それでも、悲しい思いをしながら応援し続けないといけない人がいなくなればいい。

エンターテインメントって、幸せになるためのものだと思うから。

 

それを切に願いながら、いま、この記事を閉じることとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

日付も回り、2021年01月15日となりました。

 

本年一発目の更新となります。

先ずは、遅ればせながら明けましておめでとうございます。

 

 

 

わたしは今年一発目の記事は、新年明けて直ぐに綴るか、1月17日に綴るかのどちらかだと、なんとなく去年の段階で思っていました。

 

けれど結局答えはそのどちらでもなく、感覚的には14日、実際の日にち的には15日という非常に半端な日に更新する事となりました。

 

 

 

わたしが新年明けて直ぐ、お正月と呼べる頃に更新するのかなと思っていたのは、「嵐が活動休止に入った今、思うこと」を題に置いた記事。

 

17日に更新しようかと思っているのは、「Snow Manが増員してまる2年経った今、思うこと」を題に置いた記事です。

 

しかし今日そのどちらでもない記事を、更新しようとしている。

それはいったい何故なのか。

 

 

14日木曜日、FREE STYLE 2020 IN OSAKAへ出向いたからです。

 

 

今回作品展に行く事に関しては特段筆記することはないと思っていた、というと聞こえは悪いですが、わたしは単なる感想日記にはあまりこの場所は使っておらず、感情の記憶メモとして使っています。

それは他者からすれば何が違うのか分からないかもしれません。だけど、わたしには大きな違いがあるのです。

 

そして今日、わたしは大野さんの個展を観て、想ったことをそんな「記憶メモ」に記そう、と思ったからです。

 

 

 

作品数が想像していたより遥かに多い。とか。

思っていた数倍作品のサイズが大きかった。とか。

大野智という一人のアーティストであり画家の才能に改めて圧倒された。とか。

そんな当たり前であり、分かりやすい感情は勿論抱いたのですが、わたしは今日、彼の作品たちを観て、彼に対する気持ちが少し変わりました。

 

 

わたしは、"嵐"というグループを対象としたとき、所謂、担当という存在はいません。つまり、アイドルとして贔屓にしている存在はいません。

 

みんな平等で、みんな大好きで、みんな愛していて、みんな尊敬しているのです。

 

そんなわたしですから、例えば大野智という人間の担当をしている人が、嵐というグループの活動休止に対して感じたこと。

櫻井翔という人間の担当をしている人が感じたこと。

相葉雅紀という人間の担当をしている人が感じたこと。

二宮和也という人間の担当をしている人が感じたこと。

松本潤という人間の担当をしている人が感じたこと。

 

それらをわたしは理解することは、できません。

 

無論、「同担」という括りにおいても捉え方は十人十色、人それぞれだという事は大前提のうえではありますが、わたしは誰かを担当に据えて、贔屓に「活動休止」という事例を捉えることはできませんでした。

 

ただ、"嵐"というグループを愛しているわたしは、"嵐"としての活動が見られなくなることが、"嵐"のパフォーマンスが見られなくなることが、"嵐"の産み出すエンターテインメントを享受することが出来なくなるということは非常に耐えがたいものでした。

 

結果的に休止するに至ったきっかけとなった大野さんを責める気持ちなんてちっともないし、寧ろ、辞めたいと思いながらデビューした彼が21年の間アイドルとして駆け抜けてきてくれた事に感謝の意しかないし、青春時代、青年時代、そして中年と言われる年齢に差し掛かるまで捧げ続けてくれていた事自体が、奇跡だったと思うのです。

 

だけどやっぱり、寂しい。苦しい。ずっとそこに居て欲しい。

 

それがわたしの本音でした。いまも、そう思います。

 

理解できる気持ち、やっぱり後ろ向きな気持ち、正反対な感情。

 

だけど今日、彼の作品たちを観て、作品から伝わってくる彼の熱や、希望や、絶望や、未来や、過去や、光や、闇を目にしたときに少しだけ感情が変わりました。

 

今までと比べて、圧倒的に増えた抽象画。

そのタッチや、色使い、筆遣い、それらは同じ抽象画の中でも作品によってまったく違うものでした。まったく違うものだからこそ、彼の「その時の気持ち」を表しているものなのだと思いました。

 

その時に何を想い、何を願い、何を吐き出し、何をぶつけたのかなんて作者である大野智本人にしか知り得ません。わたしが勝手にそう感じただけです。

 

わたしは、歌も、ダンスも、絵も、0から1を産み出すその瞬間に、その作品に、個人のすべてが詰まっていると思っています。

今まで見てきたもの、感じたこと、過去、思い出、個人を作成するピースひとつひとつ、総て。

 

 

途轍もないスキルを持ち合わせている、大野さんの歌もダンスも、一定期間事実上封印してしまう事に対してわたしは酷く勿体ないと思ってしまうし、今日の映像を目にして、改めてそう思いました。

 

だけどそれと同時に、彼のアイデンティティである作品たちを観れば観るほど泣きそうになって、寂しい、歌も踊りも彼の織りなすパフォーマンスをもう一度観たいと思うと同時に、もういいよ、という気持ちがこみ上げました。

 

大野さんの大好きな絵を描いて、フィギュアを作って、自分を表現する。それに没頭していいんじゃないか。没頭するべきなんじゃないか。そういう時期なんじゃないか。そう思いました。

 

 

 

心理学を齧っている人ならば一般人でも、箱庭療法という言葉を聞いた事があると思いますし、内容を知っている方も少なくはないと思います。

 

>>1929年,M.ローエンフェルトによって創始され,D.カルフが発展させた心理療法の一つ。砂の入った箱と人,動植物,怪獣,乗物,建築物などのミニチュアを児童に与え,自由に遊ばせる。つくりだされた箱庭には,制作者の考えや感情など内面的なものが具象的・直接的に表現されているとし,また箱庭を継続してつくることによって,それらが象徴的に整理,統合されると考える。(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 

 

心理療法とは言えど、これは精神疾患などを患っていない一般人にも似たような事が適用されると思っています。そして、その一つが「絵」だと思います。

自らの感情を何等かの形で吐き出し、形にすることでそれを伝える、そして自己の中心で整理されていく。これは誰であろうと必要なことだと。

 

わたしは大野さんの作品を観たときに、彼の心の中を少しだけだろうけれど、垣間見た気がしました。

 

何をどうしたらこんな発想が出来るのだろう、とか、何をどうすればこんなに細密なイラストが描けるのだろう、とか、どれだけ書きつづければこんなに繊細な表現が出来るようになるのだろう、とか、どんな経験をして何を手にすればこんな画家になれるのだろう、とか。

 

そんな個人的興味が湧き出ると同時に、この人はなにを抱えているのだろうか、と思いました。

 

ああ、この作品は光の中で書いたものなのだろうか、と思うものもあれば、闇の中で書いたものなのだろうか、と思うものもあれば、言葉に出来ない葛藤をぶつけている、具現化であり抽象化したものなのだろうか、と思うものもあれば。

 

それらを彼は、わたしたちが想像するには足りない多忙と、プレッシャーとストレスの中で創り上げていました。

どんなに作品作りに没頭したとて、必ずどこかに「アイドル・嵐の大野智」はつきまとう。

 

そんな彼の描き上げた作品もわたしは好きだけど、彼が、彼自身を表す、なにものでもない単なる大野智という一人の人間が、何にも縛られず、時間の格子もなく、本当の意味の"自由"の中で創り上げる作品を、40歳になった彼が、産み出す。それは大きな事なんじゃないか。

 

わたしはそう思いました。

 

誰にも何にも言われない、何処かに晒すことが大前提でもない、ただ黙々と何時間でも何日でも何週間でも何か月でも、彼の愛した絵と向き合う時間があって。それだけじゃなくて、釣りも、キャンプも、彼を構成して支える趣味のひとつひとつを、今までできなかった事すべてを、自由に、心置きなく、何にも束縛されず、遊びつくして欲しい。自由を謳歌してほしい。すべてをぶつけて、すべてを想うままに。

 

彼が望んでいたこと、できなかったこと、柵の中でしか動けなかったこと、全部をやって欲しい。ふにゃっと目尻の下がったその笑顔で、わたしの見えない何処かでいいから、幸せに生きていてほしい。

 

笑って、泣いて、怒って、喜んで、息を吸って、吐いて、美味しいものを食べて、好きなことに没頭する。それだけでいい。


感動して、天気に一喜一憂したり、吹く風の匂いを感じたり、道端に咲く花に目を向けたり、そんな小さくて儚いひとつひとつを掬いあげて欲しい。それらに触れて、また新たなひとりの人間としての「大野智」のピースを拾い集めて欲しい。

 

もう、誰にも彼を縛る権利なんてないんじゃないか。

彼は、縛られるべきではないんじゃないか。

縛りすぎた結果が、今なんじゃないか。

 

 

休止が発表されてから約二年間、わたしは晴れ晴れしい気持ちなんて抱いた事は、正直なかった。

だけど、彼の作品を観て少しだけ前向きになれた気がしました。

 

これでいい。この選択は間違っていない。責める権利なんてないし、誰も責めるべきではない。

 

もちろん私はいちファンとしてもっと"嵐"を観ていたかったし、その気持ちは数日前も、今も、何も変わりないし、本当は嵐を続けていたかったメンバーの気持ちはひどく切なくて悲しい。

 

だけど、それでも、彼の作品を観てしまったわたしは、今まで以上に、彼に肩書きを押し付け続けることはできない。

 

そう言いながら、キーボードを叩きながら涙を流すわたしは、本当の意味ではもしかするとそう思いきれていないのかもしれないし、複雑な感情なのかもしれないし、自分でも自分の気持ちを整理しきれていないのだと思う。当然だ。10何年、自分の隣に常に存在し続けた其が居なくなってまだ15日。なんの整理も出来るはずがないし、感情の結論を出すこともできない。

 

 

 

わたしは、10年くらい前、そこそこに大人と変わらない脳味噌を持つようになってからは、実は常に不安と戦っていました。

 

その頃の嵐といえば、もう安易な言葉で表現できないほどに、アイドルとしてもアーティストとしてもタレントとしても「凄い」存在でした。トップでした。

 

きっとあの時代に、「嵐がもし居なくなったら…」なんて想像する人は少なかったと思います。

 

わたしの悪い癖。良い時代であればあるほど、それを失う事を危惧するのです。それは、その頃から変わりませんでした。

 

嵐が日常になればなるほど、嵐がわたしの人生になればなるほど、嵐が居なくなったらわたしはどうなってしまうのだろうと不安に襲われました。

アイドルとしての彼らが居なくなるなんて微塵も想像のできない時代にわたしはそんな事を考えていました。

 

タレントとしては勿論、アイドルとしての寿命は短いです。

このご時世昔に比べてかなり活動期間は伸び、平均年齢は上がり、女性アイドルに比べて男性アイドルの息が長い。とはいえ、必ず寿命は来るのです。

 

仮に嵐が嵐として、命を全うするまでステージの上で光り輝いていたとしても、彼らよりも20歳近くも年下のわたしは、わたしが命を全うする限り、恐らく長生きするでしょう。

 

世界中の人間がマイケルの死にショックを受け、信じられないと嘆いたように、わたしは彼らがアイドルとして生き続けても、テレビに出続けていたとしても、神が彼らを世界から奪い去ってしまう時は来る。

 

酷く不謹慎な話ですが、この世に生を受けている限り、皆平等にやってくる別れの時を考えては、悩んでいたのです。

 

 

 

結果、彼らは神が遣う天使が迎えに来るより早く、ステージに立つことを休む、という決断をくだしました。

 

わたしが想像していた"嵐のいない世界"は、想像通り訪れたし、思っていたより遅かったような早かったような妥当なような、よく分からない、だけど、宣告されるより前に「そろそろかな」って覚悟はできるようなタイミングだった。

 

 

This is 嵐を観たとき、過呼吸になりそうなくらい泣いた。

元々一緒に嵐ファンをしていた幼馴染からは、年末が近づけば近づくほどに「お正月、いつでも電話してきていいからね」「絶対に死んだら駄目だよ」って何度も釘を刺されていた。

 

だけど、いざ年が明けてみると意外となんともない自分がいた。

それは嵐がいなくなった事が悲しくないわけじゃない。

嵐がいなくなった実感がない。ただそれだけだ。

本当に大切なものを無くした時人間はその事実を受けられずに現実逃避するという。もしかするとそうなのかもしれないし、違うのかもしれない。

 

唯一、夢の中でなにかで嵐がいなくなった事を実感して死ぬほど泣いた事があった。でもそんな出来事は実際には起きないから、嵐がいない実感がない。

 

そんな状態で、「大野智が芸能界を休むこと・嵐を休むこと・自由になること」を受け入れることが出来た気がするなんて最大の矛盾かもしれない。でも、不思議なことに今のわたしの感情はそれを肯定している。

 

このブログが何を言いたいのか、自分でもわからない。

分からないけれど、感情の変化を遺したいと思った。

 

 

ただ幸せな日常を、ゆったりと流れる毎日を、暖かい陽の光や雨の冷たさを謳歌してほしい。

 

その先に、またいつか、何十年後でも、彼の作品が見られれば。

望みすぎなわたしのそんな願いがいつか叶えば。

 

 

 

 

こんばんは。

相も変わらず久しぶりな更新となりました。

 

以前更新したときと同じく、前回から今回に至るまでにも何度か記事を書こうかと思った事はあるのですが、やっぱり自らの感情を吐露し、それを文字に概括するというのはなかなかの気力と体力がいる作業で

わたしはそこに踏み込むことがなく、約半年ほど経過してからの更新となりました。

 

2020年12月24日。木曜日。

わたしが小学生の頃からずっと観ていた番組が、最終回を迎えました。

 

 

VS嵐 最終回

 

 

嵐が2020年いっぱいを持って活動休止期間に入るという記者会見・発表があったのは2018年1月27日。

 

あれから約2年間の月日が経ち、いよいよ2020年12月31日を目前に控えた12月24日、2008年~放送開始された嵐の冠番組・VS嵐が最終回を迎えると、先日発表がありました。

嵐の活動を休止するのだから、嵐の冠番組が全て一旦終了するのも当然のこと。

 

わたしはそれを聞き、いつも自らがチェックを忘れないよう書き留めている、ジャニーズタレントの出演情報のカレンダーに「VS嵐 最終回」と打ち込んだ。

 

打ち込んだ刹那、「ああ、こんな文字を打ち込む日が来るなんて思わなかった」

わたしはふとそう思いました。

 

 

この記事を書いている数時間前に放送を無事に終え、「VS嵐」という番組も幕を下ろしました。

 

正直、いまのわたしには相反する感情が同居している。

いつもこんな事を言っている気がするけれど、わたしの心は二つあるのかもしれない。

 

何故かやっぱり実感が湧かないんです。

嵐というグループが一旦休業に入り、事実上メディアや街から姿を消し去ってしまうことも、冠番組が本当に終わってしまうんだということも、いまいちわたしの手には実感がない。

 

本当に今日は最終回だったのだろうか、あんなに大々的に放送してなお、わたしはそう思ってしまう。

2021年もまた、木曜19時にフジテレビを掛ければ「VS嵐~!」のテロップと声と共に番組が始まるのでは、そう思ってしまう。

 

だけど、それと同時にわたしは今日の放送中グズグズと子どものように泣いた。

事あるごとに涙が溢れた。

 

 

先述の通り、VS嵐という番組はフジテレビ系列にて2008年4月12日から放送が開始され、2009年10月22日からゴールデンプライム枠へと移行しました。

そして、お茶の間の夕食時のお供へと化していったのです。

 

その一つ前に放送されていた番組は「GRA」、「ゴールデンラッシュ嵐」の略称です。

番組のコンセプト・名前の由来は、「嵐がゴールデン枠を目指して頑張っていくぞ!」

グダグダ過ぎる番組は秒速で放送終了したけれど、そのまますぐにVS嵐が始まって実際にそれでゴールデン進出を叶えたということ。

 

放送開始当時の2008年、小学5年生。GPへ移行した当時2009年、小学6年生。

当時のわたしたちの世代にとっては、嵐というのはとても大きな存在でした。

 

あの頃まだまだ子どもだったわたし達は、もうとっくに成人を迎えほとんどが社会人。

つまりそれだけ長い期間、VS嵐という番組は長く続いたということです。

 

小学生~大人の期間ずっと傍にあったものというのは、「当たり前」と変化する。

わたしにとってVS嵐はそういう存在。

 

子どもの頃も、反抗期の頃も、思春期の頃も、大人になってからも、

ずっとずっと毎週欠かさず観てきたその番組と共にわたしは成長してきた。大きくなった。

楽しいときも、苦しいときも、木曜19時にテレビをつければそこには嵐5人の笑顔があった。

 

然程変わらない番組内容・コンセプト含めいわば、田舎の実家のような安心感があったのかもしれません。

わたしの青春は、嵐と共にあり、VS嵐とともにありました。

 

振り返りVTRが流れる度に、不思議なことに全部覚えてるんです。

全ての放送を何度も何度も放送を見返している訳じゃないのに、何故かエピソードのひとつひとつを記憶しているんですよ。

だけどそれと同時に放送日を見ては衝撃を受ける。これもう5年前!?もう8年前!?てな具合に。

 

当時こんな感情を抱きながら見てたなあ、とか、Twitterでみんなで大騒ぎしたなあ、とか色々な思い出があれもこれも脳内を走馬灯のように駆け巡る。

 

それらは間違いなく、わたしがリアルタイムで彼らと、そして番組と、この13年駆け抜けてきた証だと思った。

 

わたしの人生の半分以上がVS嵐とともに在ったのです。

そりゃあ、当たり前の存在にもなりますよ。

 

だけど、来年からはそれが無くなる。それがいまいち実感もないし、信じられない。

でも理屈ではやっぱりきちんと理解しているからこそ、悲しくて、寂しくて、苦しくて、虚無感と喪失感に襲われる。

どうしていいのか分からなくなる。

 

「最後のクライムです」とか「最後」「最後」って言われる度に、「最後って言わないで」と泣いた。

いまなお、わたしは現実逃避をしようとしていたのかもしれない。現実を突きつけられる事が堪らなかった。

 

「最後の対決」、嵐は負けて終わりました。勝って始まった番組は負けて終わりました。

でも負けたということは「負けたままじゃ終われないから」って、何かの拍子に帰ってくるかもしれないと期待してしまうんです。

逆に言えば、そう捉えないとわたしはどうにもできない。

 

 

先週に引き続き、5人だけの空間、5人だけの笑顔という素晴らしい光景を見せてくれました。

心からの楽しそうな笑顔は、少年の頃からずっと時間を共にしてきた仲間だからこその童心に返った笑顔だったのだと思います。

ファンが望んでいた「素の嵐」が垣間見えました。

 

VS嵐の枠は、VS魂として相葉さんが引き継ぎます。

 

志村どうぶつ園といい、引き継ぎが多くてとても大変だと思うしプレッシャーだって凄いはずなんです。

わたしなんかじゃ到底想像しきれない程のものを抱えてるはず。

だって、素晴らしい番組を引き継ぐという事は重いから。

 

それを、相葉雅紀という一人の人間で背負いきれるのか。

心優しくて、だけどその分繊細で、傷つきやすくて、感受性が高くて、そんな相葉さんが、今までは5人で背負っていたものをたった1人で背負わなければいけなくなるんです。

 

(相葉さんが1分以内に泣いたらお金は大野さん持ち~の流れの)

相葉さんの「最高だった?」の声のトーンが優しすぎて、今までを自分でも思い返してるんだろうなって

これは何もかものことを指してるんだろうなって、そして自分は最高だと思ってるけれどみんなも同じ想いなのか少し不安で、みんなもそうだとは信じているけど言葉としてきちんと聞きたかったのだろうなって思って。

 

二宮さん「俺らはだって、俺らは観るよ、魂」

相葉さん「毎週観る?」

二宮さん「観るよ」 

 

ってここで、相葉さんのちょっぴり弱いところが出ちゃってて、不安になってて、それを支えて安心させる二宮さんがすごく二宮さんで。

 

そして二宮さんだけじゃなくてその不安とか気持ちを受け止めてくれる4人がいるから、

「俺すげえプレッシャーなの、本当に」

「やっぱ嵐の番組を貰うってさ、すっげープレッシャーなの」

「わかる?わかるよね?絶対わかると思う皆なら」 って感情を吐き出せたのだと思う。

 

大野さん「でも4人は見守って、観てるから」

櫻井さん「そうそう、見守ってるよね」

二宮さん「うん。だって嵐の番組じゃないんだよ、もう。相葉雅紀の番組なんだから。それは違うよ」

松本さん「君ならできるよ」

 

相葉さん「大変だって」

松本さん「いやいけるって」

大野さん「見守ってるよ」

 

ここが、本当にいつもの「気弱で自信のない真ん中っ子相葉雅紀を励ます上と下」の嵐が詰まってた。

 

二宮さんが、嵐の番組じゃない、相葉雅紀の番組だから、って、違うよ、って敢えて「嵐の枠をもらう自分」にプレッシャーを抱えている相葉さんを否定したのがわたしはすごくぐっと来たし、いつもの二宮さんなりの相葉さんへの背中の押し方だなって思った。

でも、いつもよりも声が何倍も何十倍も優しかった。

 

何か大役を任されて相葉さんが緊張しても、「貴方が一人とちった所で別にどうにもなんないから」とかストレートに大丈夫大丈夫って背中を摩るんじゃなくて、ちょっぴりひねくれた言い方をするのが本当に二宮さん。

きっとそれが、彼なりの愛情なんだと思ってる。

 

どんなに優しく背中をさすっても不安が止まらないならいっそ根底から覆してしまえ、っていう、ずっと真横に居たからこその愛情の渡し方と、ひねくれた言葉も一見否定に思える言葉も、全部真意を見抜ける相葉さんへの信頼。

全員が目に見えて優しくしても相葉さんの不安は消え切らないから、あっけらかんと尻を叩きながら励ますのが二宮さんなんだよね。

 

だから「嵐の枠を貰うって思うからプレッシャーになるんだよ、もうそれは嵐の枠じゃなくて相葉雅紀の枠になるんだよ」

「だからプレッシャーなんか持たずに胸張りな、あんたの番組なんだから」って意味だと思ってる。

 

それらを聞いて改めて「すごいグループだよ、嵐って。すごいんだよ」

「優しすぎるんだよ、優しすぎるんだって、みんなが」って思って綺麗な涙を流す相葉さんも、それらの流れからシビアになりすぎずに、笑いに持って行くところが嵐だなあって思った。無意識に笑顔が溢れる。

 

拗ねたみたいな口調なのにすごくストレートに感謝を伝えて、喜んで。

本気で言ってるんだけどやっぱりどこか面白さを孕んでしまうのは相葉さん特有のいつものアレで。

 

二宮さん「俺の酒のこと言わんかい、なんで俺の酒のこと言わんの?」

相葉さん「嬉しいよ、分かってんだよ」

 

相葉さんがほんっとーに嬉しそうな顔で笑ってて、頭を撫でられた二宮さんもほんっとーに嬉しそうな顔で笑ってて。

すごく素直な相葉さんからの「大好きだよ、大好き」って言葉にいよいよ泣いちゃう二宮さんがちょっぴり苦しい。

堪えてたんだろうなって。色々と。

 

一見しっかりしているのは二宮さんかもしれないけど、剛速球ストレートくらい素直な相葉さんにきっと沢山救われてきたんだろうな。

だって、「いざ離れた時に自分からわざわざ逢いに行くのは少ないけど、その中に相葉さんは確定で入ってる」くらいなんだから。

 

シンメ愛、とか簡単に言っちゃうのがジャニヲタだし、エモい、とか簡単に言っちゃうのがジャニヲタなんだけど、こういうことを言うんだろうな、真はこれだよ、ってわたしは思いましたね。ボロボロ泣いた。

 

 

分からないですよ、他人だし、あくまでファンだし、彼らを側で見てきたわけじゃないから、嵐の関係値も、にのあいの関係値も、あくまでわたしにはそう映るってだけの話なんですけど。

 

そしてそんな彼らだからここまで来られた、って思ってるのもわたしの勝手なんですけどね。

 

 

ただわたしは今日のVS嵐を観て、ああ、いつまでも嵐は嵐だって思った。

 

嵐は嵐だ、って思うと同時に、それでもやっぱりその嵐をわたしが見られなくなることへの不安や寂しさでいっぱいになった。

 

ずっとそこにあった番組が無くなってしまう事への喪失感でいっぱいで、今日はそれに備えて昼から酒を飲み続けていたはずなのに、夜にはシャンパンも開けたのに、微塵も酔えなくて、結局泣いた。

 

きっと明日のMステラストも、明後日のしやがれも、わたしはまた泣くんだと思う。

 

でもそんなの終わりの序章にしか過ぎないから、一週間後に迫っている本当の嵐の引き際ってときに何を感じ、何を思うのかは分からない。

 

「お正月、自殺しちゃだめだよ。いつでも電話掛けて来ていいから」

そう言ってくれた幼馴染がいて、幸せだ。

 

わたしはひとつ大きなものを失う。

心の中では生き続けるけれど、実質として失う。

それが、目に見えている。

そんなとき人間はどうやって対処すればいいのだろう。

2年間考え続けたけれど、答えは出ないまま残り7日を切った。

 

ただひとつ言えること。

 

嵐も、VS嵐も、わたしの青春だった。わたしの成長だった。わたしと共に、生きてきた。なんて言ったら烏滸がましいだろうか。わたしが、VS嵐とともに生きてきた。

 

こんなご時世だし、無事に何事もなく完走出来たこと、本当に良かった。

 

大野さん、櫻井さん、相葉さん、二宮さん、松本さん、嵐5人。

そして番組をずっと支え続けてくださったスタッフ関係各位様。

今まで番組に出演してくださった共演者の皆様。

本当に、本当に素晴らしい番組をありがとうございました。

 

またいつか。いつか、必ず。

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

随分と久しぶりな更新になってしまいました。

 

何度かキーボードを立ち上げはしたのですが、

記事を纏めきって表に出す事は出来ないままにいました。

 

何故、今日はこんなにも迷いなくページを開き、

キーボードを叩いているかというと、今日は大切な日だからです。

 

 

ジャニー喜多川死去から1年

 

 

実際のところは、ちょうど一年前のこの時間はまだ

何も知りませんでした。

それに、ヒロムはまだ生きていた。午後4:47までは。

 

Travis Japan結成日、とか。HOT SNOW公開日、とか。

何も知らずに、過ごしていました。1日。

ヒロムが息を引き取ったその時間、私は何をしていたのだろう。

ありふれた1日でした。

 

だけど、明日、10日になろうかという時に報道が飛び込んできた。

 

信じられなかった。信じたくなかった。

覚悟はしていたつもりだった。出来ていなかった。

 

「嘘だよ」「嘘だよね、ヒロム」

 

1年経ってもなお受け入れられてなんていない。

いまだって、泣きながらキーボードを叩いている。

何も考えず、ただ、意のままに。

 

ヒロムが星になったのだと聞いたその時、私は泣いた。

半狂乱、といっても過言ではないかもしれない。

 

家族が全員寝静まったダイニング。

噂が流れて、だけど信じたくなんてなくて、でも信じざるを得なかった。

喉の奥が熱くなって、息が苦しくなって、涙が零れた。

 

あまりの泣き声に、親が飛び起きてきた。

「何、どうしたの、何があったの」って聞かれても、

わたしは嗚咽と涙がこみ上げるばかりで何も言えなかった。

「ヒロムが」「ヒロムがほんとにいなくなった」

 

それで何が起きたのか察して、ただ、背中を摩られて、

「ジャニーさんが……、そっか。ついに、か」って

そこにしゃがみこんだ父の背中をわたしはきっと一生忘れない。

 

気を使ってくれたのか、しばらくしてまたわたしは一人になった。

1時間くらいただひたすら泣き続けて、そのあと虚無感に襲われた。

そして、「今」の感情を残そうとしてPCを立ち上げた。

 

その時の記事が、これだ。

\ 1時間。ただの今の感情。/

 

この一年。

とても早くて、もう、一年も経ったのか、と思った。

だけどとても遅くて、長くて、まだ、一年なのかと思った。

 

それはきっとわたしが未だにヒロムの創りあげたものに

ずっと思いを馳せ続けているからで、

ヒロムのいない事務所、ヒロムのいないエンターテインメントに

不満を抱いているからだろう。

 

 

しばらく、お付きの方に支えられたり、車いすに乗ったり。

そんな姿が多く目にされていて、長くないだろうと悟っていた。

そもそも、ヒロムは当時87歳。何があってもおかしくない歳だった。

 

だけど。

わたしにとって、ヒロムは「そこにいるのが当たり前」の人だった。

つい先日、友人と話していたことだ。

 

わたしが生まれた時には既に「おじいちゃん」だった。

わたしが大人になっても、ヒロムは「おじいちゃん」だった。

変わらずそこにいて、変わらずエンターテインメントを提供してくれた。

 

まさかいなくなるなんて。

無論、永遠に生き続けるなんて夢を見ていた訳ではない。

当然、いつかいなくなると思っていた。

それはなにもヒロムだけでなく、誰に対しても同じだ。

だけど、空に描いた覚悟と実際の展開は相反するものである。

 

早すぎる。そう思った。

これからがヒロムの最高に楽しい時間じゃないか、と。

野郎組もまだ放送していない。

ドリボは一新したてでまだ目にしていない。

美 少年をアメリカに連れていくはずではなかったのか。

少年たち、まだ今年は作っちゃいない。

あと1年でヒロムが待ちに待ち望んでいた五輪がはじまる。

トニトニ構想も放置したままにどうするつもりなのか。

侍だって、五輪で作ったんじゃないのか。

今年の帝劇はどうするつもりなのか。……

 

沢山、やり残したことがあるはずじゃないか。まだ早すぎる。

 

だけど、実際の2020年はどうなのだろうか。

ヒロムが何年も待ち望み、楽しみにしていた2020年はここにはない。

 

新型コロナウイルスの影響で五輪は延期せざるを得ない。

エンターテインメントはことごとく不可能となった。

 

幾らSMGOのヒロムといえど、こんな恐慌には太刀打ちできない。

ましてや高齢のヒロムだ。なにかあったら。

大好きで、大切な子供たちに見守られる事すらできなかった。

 

ある意味、ヒロムは夢を抱いたまま飛べたのかもしれない。

絶望することなく、何もかもを愉しみにしたまま、一番いい時に。

 

 

そう思うこともある。

 

だけど、わたしはやっぱりヒロムに帰って来てほしいと、

今すぐに戻ってきて欲しいと願ってやまない。

 

わたしは、ヒロムのエンターテインメントに沢山沢山救われた。

陳腐な言葉しか思いつかない己の語彙力にはほとほと嫌気も差すが

勇気とか、笑顔とか、未来とか、たくさん。もらった。

 

今の事務所を見ていて、これは果たして本当に

ヒロムが60年近くかけて築いたやり方なのだろうか、

これが本当に、ヒロムの遺した場所なのだろうか、

これを、望んでいるのだろうかと疑問を抱く事がままある。

 

典型的な「原理主義」とやらだろうか。

 

自らの思い描くものと違う道に進んだのならば離れればいいだけ。

だけどわたしには大切で、大好きなタレントたちがいて、

ヒロムの創りあげたジャニーズ事務所という場所を愛していて。

彼のエンターテインメントが生きがいだった。

 

人生の四分の三近くをジャニーズとともに生きてきた。

いまさら、わたしは離れることも出来ないだろう。

 

それが過去に縋るだけだとしても。

「ヒロムなら」そんな幻想の中に生きるとしても。

 

 

いま、貴方はなにをしていますか。

 

そっちに行っていた貴方の子供や刺激を受けたエンターテイナーと、

家族と笑顔で過ごせていますか。

 

わたしたちの世界を、まだそちらに行けない貴方の子供を

見守ってくれていますか。

 

そちらに行きたい、何度もそんな想いに駆られた彼を叱って。

まだ留まって、最高で最強のパフォーマンスを、

エンターテインメントを届ける姿を見届けてくれていますか。

 

彼は立派に、0番に立っています。

テレビ番組の収録に緊張して、食べ過ぎてお腹を壊すなんて

そんな漫画のような事をやらかしました。呆れながら笑いますか?

 

でも、貴方が突然センターにぶちこんだ時よりはるかに成長しました。

 

大切な人を次々と失って、絶望の淵に立たされ、

メンバーが謹慎という、大変な1年を乗り越えて、また。

一歩大きくなりましたよ。

 

他のみんなもそう。大きくなりました。

貴方のことを忘れないまま、ずっと胸に抱いたまま。

 

わたしも、事あるごとに「ヒロム、見てる?」と空を見上げます。

わたしの胸にも生き続けています。きっと、永遠に。

毎日毎日ジャニーズに触れるたびに。

この一年、忘れた日は一度もありませんでした。

 

だけど、今日は。特に。

ジャニー喜多川という人間が命を懸けて、人生を注いで

創り上げてきた様々なコンテンツに触れて、想いを馳せようと

そうおもっています。

息を引き取ったその時間だけは手を合わせようとおもいます。

 

2019年7月12日。貴方が旅立って3日後。

わたしはKis-My-Ft2のコンサートに行きました。

みんな、言いつけを守ってShow must go onでした。

タレントもファンも全員が目の前のエンターテインメントに必死でした。

 

でも、やっぱりヒロムを想うと涙が出てくるんです。

ひとりが泣くと、皆にも伝染る(うつる)んです。

 

全てが終わって、席についた瞬間わたしはまた泣いた。

友人と「平気かな…」なんて不安を抱えたままの電車で、

だけど会場に入って、暗転して、大丈夫だ、そう思ったはずなのに。

 

友人に、「そんなに泣いとったらジャニーさんも千ちゃんも悲しむよ!」

そう、言われたのを覚えています。

 

ステージ上で泣いた彼を、貴方はそこから叱っていましたか?

こればっかりは、全員を赦してほしいところ。

 

 

人間というものは忘れ去られた時にこそ真の死を迎えると、

そう言いますがきっとそれならヒロムは肉体こそ失っても、

ずっとずっと数多もの人間の心に生き続けるでしょう。

 

居なくなって、改めて、存在の大きさを知った。

ジャニーズが好きなわたしは、ジャニー喜多川の創りあげる

エンターテインメントとパフォーマンスショーに虜になっていた。

ジャニーズ所属タレントを好きなだけではない。

ジャニー喜多川という事務所社長兼プロデューサーを愛していた。

 

今までも、今も、そしてこれからも。

 

 

健やかに、眠ってください。

時々、子供たちの成長を観に来てください。

ファンであるわたしも、存在を胸に生かしたまま少しずつ進むから。

平和な未来を望みながら。

 

 

今日は、貴方のお気に入りの彼の舞台の幕あけですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

 

今日はスノストのCDデビュー日の2020年1月22日。

 

も、もう終わろうかという時間ですが

今の素直な気持ちを綴っておこうかと思いキーボードを叩いています。

 

 

 

正直。

もっと喜べるデビューで在りたかった。

 

これが、今のわたしの素直な本音です。

 

 

 

SixTONESのデビュー。

ジャニーズあるある、遅すぎた。

 

それは思うけれどきっと単独デビューならめいっぱい、

喜べたんじゃないかなと感じます。

 

合同だから。

 

でもきっと、6人のSixTONESと6人のSnow Man、12人のスノストなら。

まだ今よりは喜べたんじゃないかな。

 

Snow ManがSixTONESを利用するような売り方じゃなければ、

フェアな戦いならば、まだ今よりは。

 

滝沢氏の私情でデビューが遅れさせられたり、

様々な時系列問題が生じたり、嘘をつかされないでいられたら。

 

そんな数多もの理由でわたしはSixTONESのデビューにさえも

複雑な感情を抱いてしまっている事は否定できません。

 

だけどきっと彼らはそんな理不尽にさえも立ち向かう力があって、

それに打ち勝つ自信を見せつけてくれるから。

 

複雑な感情を抱きつつも、これから先彼らが見せてくれるであろう

景色への期待は果てしなく、この胸に大きくあります。

 

やっぱり少し寂しい気はするし、嬉しい気もするし、

でもこういう感情ってデビューの時には

どう頑張っても捨て去れないよね。

 

だって、降りたはずのキンプリの時にさえ、わたしは

1stコンサート、あんな大きな会場を埋めて豪華なセットで

ライブをしている彼らを見て涙したんだから。

 

デビューすると様々な環境に変化が訪れるし、

それは時に人間性や笑顔を変えてしまう時もあるけれど、

彼ら6人には今のまま、ありのまま、自分たちを保っていて欲しいです。

 

 

 

Snow Man。

 

もう、「Snow Man」としてのデビューは喜べなくなってしまって。

そんな自分がとても悲しくて、せつないです。

 

彼らがあんなに苦しそうな顔でわたしたちと結んだ

「涙で滲む約束」はかなえられなかった。果たせなかった。

 

とんでもない、違う形で、上っ面だけが掬われた。

 

だけどそんなものはわたしたちの望むSnow Dreamではないし、

こんなこと言いたくないけれど「こんな形ならデビューなんて

しなくてもよかった」と思ってしまう。

 

あくまでわたしの中でデビューを望んでいたのは、

彼らの夢をかなえてあげたいという想いもあるけれど、

「6人が6人であるため」に必要不可欠な事がデビューだと思っていた、

ただそれだけに過ぎないのです。

 

ジャニーズJr.という不確かな立場で、ずっと6人が6人で、

Snow Manとしてそこに在り続ける確証はさらさらない。

 

勿論それはデビューしたって変わらない。

デビューしていても休止・脱退・退所の可能性は付きまとう。

 

だけど、立場が確立され終身雇用のようなものが約束された

所謂「デビュー組」になれば、その不安値の数字はかなり下がる。

 

わたしは、それを望んでいただけだから。

だから。6人が6人を捨て去って9人でデビューしてしまう事に

正直あまり意味はそこにないのです。

 

私たちが宝物だと感じていたJr.時代を捨て去ってしまうなら、

そんなのは、なおのこと。

 

ましてや格差は激しく自担の待遇は悪く、追いやられている現状で

納得できるはずもないという訳である。

 

 

 

今日、放送されたZIP!の生パフォーマンス。

 

レギュラーリポーターという事で、他番組では有り得ない程に多く

カメラに映していただけた。抜いていただけた。

 

前回の出演の時もそうだったが、端っこの後列にいる自担を、

多少不自然にでも抜いてくれるZIP!さんには感謝の意しかない。

 

本当に、ありがとうございました。

 

 

 

阿部くんがいま、どういう気持ちでSnow Manというグループに

属しているのかは分からない。

 

だけど、わたしはもうSnow Manというグループを愛することは、

哀しいかな、出来なくなってしまった。

 

阿部くんが15年間掛かってつかみ取ったデビューというものを

もっと心の底から喜びたかった。

 

阿部くんが15年間掛かってやっと出せたCDというものを

ワクワクした気持ちで手にしたかった。

 

だけど、それは二度と叶う事のない絵空事となってしまった。

 

CDは全形態購入したもののそこにワクワク感は無く、

だって自担の声はそこにはほとんど入っていない、

自担の姿はそこにはほとんど映っていないのです。

 

 

 

阿部くんが、Snow Manよりもホームと感じているのでは、と

こちらが思えるようなクイズ会の方々。

 

今まで共演したスタッフの方、共演者の方。

 

そして、かつての仲間。

 

皆様が揃ってCDを購入してくださったり、

お祝いのツイートをくださったり、そういったものを目にする度に

阿部くんが色々な人に本当に愛されているのだと思えて幸せだった。

 

本当に、ありがとうございます。

 

 

 

だけど、合同デビューで唯一良かったかな、と思えること。

 

それはメンバーよりも相談する、と公言している

髙地くん・大我と同時にデビュー出来ることで、

ある程度とはいえ距離を保てることが救いかな、と

心の拠り所が、余裕ができるかな、と勝手ながら思いました。

 

 

 

康二。

居場所が違えばきっと、今頃「頑張ったね」「報われたね」

そう言って、お祝いできたんだと思います。

 

関西だったら。メンバーが違えば。きっと。

 

お兄ちゃんもいなくなって、柊真もいなくなって、

紫耀廉が引き抜かれて、なにきんが解体されて、

大西畑はなにわ男子になって…一緒にやってきた仲間が

どんどんいなくなっていった康二には、報われてほしかった。

 

だけど、何をどう頑張ってもSnow Manでデビューすること、

それはわたしにはお祝いできることではありませんでした。

 

ごめんね。

 

わたしは、康二にはずっと関西にいてほしかったよ。

 

 

 

こんな複雑な想いを抱えたままだけど、ただ言えること。

 

髙地優吾くん。京本大我くん。田中樹くん。

松村北斗くん。ジェシーくん。森本慎太郎くん。SixTONES。

 

深澤辰哉くん。佐久間大介くん。渡辺翔太くん。

宮舘涼太くん。岩本照くん。阿部亮平くん。6人のSnow Man。

 

デビュー、おめでとう。

 

わたしのなかでのスノストはずっと、この先も12人です。