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幸せってなんだろう? 笑顔溢れること。

ジャニーズ事務所のみんなが好きです。
日々の想いを綴るだけの場所。

みんなが幸せでいられますように。



頭の悪いヲタクが、勝手に考察したり感想を書き綴ったりしているだけです。

あくまで個人的意見と見解に過ぎません。

※異論は多いに認めます。


Amebaでブログを始めよう!

 

こんにちは。

今日はわたしの中で一つの区切りだなと思っています。

だからこそ、ブログを更新しようと思いました。

 

なにわ男子 デビュー

 

 

 

今日は夜勤なので帰宅する事にはとうに日付は回っている。故こんな中途半端な時間に文字を綴っているのですが

正直いまのわたしの感情は非常に複雑なわけです。

 

というのも、正直「なにわ男子」というグループの担当はとっくに多分降りている

 

降りているという言葉が適切なのか、そもそもヲタクではなかったのか、それは自分でもいまいち分かっちゃいないのですが、まあ、とにかく「性根を入れてヲタク活動をしている訳ではない」「堂々と胸を張ってなにわ担・高橋担だと名乗れるわけではない」という事。

 

そんなわたしが偉そうにあれやこれやと語るのはお門違いなのかもしれない。だけどわたしは、このブログを更新する。

 

少し時を巻き戻して話そうかな、と思います。

これは誰に向けた言葉でもなく、理解して欲しいわけでもなく、ただわたしがわたしの感情を整理するために、今までの記録のために。

 

 

 

わたしが「関西ジャニーズJr.」を一番本気で応援していたのは、もう五年以上前に遡るわけですよ。

そう、向井康二・金内柊真・平野紫耀・西畑大吾・永瀬廉・大西流星の六人が「Kin Kan (King of 関西)」「なにわ皇子」として活動していたいわゆる"なにきん"時代ですね。

 

彼らは同年代。当時、わたしは高校生真っ只中でした。

 

わたしは普通の高校生活を送っていた訳ではなく、少し特異な立場に居て、それが理由で所謂"青春"とは聊かかけ離れた毎日を過ごしていたのですが、それでも「高校生」という年代はやっぱり自分の中では青春なわけです。

高校生当時のわたしは関西においては平野担でした。

 

 

 

実は、わたしは運がいいのか、自担になった人が事務所を辞めたという経験はほとんど無いんですね。

……少し話が脇道に逸れますが、きちんと戻ってくる算段はついています。ご安心を。……

 

わたしが一番最初ジャニーズに足を踏み入れるきっかけはYa-Ya-Yah

今や知っている人がどれほど残っているのかは分かりませんが、生まれて初めての自担は山下翔央くんでした。

 

ジャニーズで最初に手を出すのがJr.だなんて稀なケースかもしれません。

小学校低学年当時、少女漫画雑誌・りぼんに連載されていた「Ya-Ya-Yahがやってくる!」という漫画をきっかけに好きになったのですが、当時はネット環境もなく、初めてのジャニーズ、ましてやジャニーズJr.、おまけにわたしは関西在住という右も左も分からない、担当と言えないようなキッズファンでした。「カッコいい」「この人好き」そんなただの子ども心ののミーハーです。

 

当然そんな状況ですから、Ya-Ya-Yah解体・JUMP結成・ユニ漏れ・退所・阿鼻叫喚なんてものからは少し距離がありまして。

供給も今と比べて決して多い方ではなく、だからこそ翔央くんが退所したと知った時もいまいち実感というものはありませんでした。

 

そんな中なんとなくジャニーズから離れ、ほんの少ししてから友人経由で嵐で戻ってきたのですが、まあ簡潔に言うとわたしは「ぬるま湯に浸かっていた」訳です。

 

 

 

2014年1月期放送ドラマ SHARKの主演に、平野くんが抜擢されました。

単純に、驚きと嬉しさの二重構造でした。

すごい好きだったなあ……わたしがあんまりにも何度も何度も見るものだから、きっと親はそこで初めて「平野紫耀」を認識していたと思います。

当時「関西ジャニーズJr.の平野紫耀が好き」と言っても、友人含めほぼ全員が「誰それ…?」といった具合の反応だったのを今でも覚えています。

 

2014年 DREAM BOYSに、関西から平野紫耀・永瀬廉の二名が出演するという発表がありました。

困惑と、嬉しさの二重構造でした。

ただ、「関西を背負って頑張って来て欲しい」と思っていました。

 

まいジャニからユニット名のクレジットが消えました。

少し嫌な予感がしました。

 

秋 Sexy Zoneのバックに立っているのを見つけたと思えば、唐突に「DREAM BOYSの平野紫耀です」と自己紹介を始めました。

パニック、ただそれだけでした。

「なんで!?どういうこと!?」ひたすら繰り返していました。

その後、泣いた。わたしの心配に比例して、二人に関東での仕事が増えた。

 

2015年春 「出演者のが大泣きしていた」、なんて不穏なレポを目にしたと思えば、翌日飛び込んだのは「金内柊真 退所」のニュースでした。

自担でもないのに、該当担に失礼かもしれないけれど、信じられなくて、信じたくなくて、でも信じざるを得なくて、また泣いた。

終わりを暗に示されながらも、それを飲み込まざるを得ない状態になったとしても、わたしはなにきんになにきんでいて欲しかった。

次に泣く時はデビューしたとき、そんな言葉を信じていたかった。

この時から、関西の春はわたしの中で少しトラウマになっています。

 

2015年夏 正式にKing & Princeというユニット結成が発表された。

"自分がいかにぬるま湯に浸かっていたのか"を、これでもかというほど突きつけられたのはこの時で、"ジャニーズJr.に絶対なんてない""名前があったっていつ解体と再編を繰り返すかなんて分からない"という当たり前の事を改めて知らされたのもこの時でした。

 

 

 

それからは知っている人も多いかと思います、関西は所謂「焼け野原」状態になりました。

「連れていかれた(出世した)者」「選ばれなかった事を察して自ら去った者」「ただただ置いていかれた者」いわばこの三種類に、道が分かれた訳ですね。

 

特異な高校生活を送っていたと前述しましたが、わたしの高校は1年生~3年生が同じ授業を受ける環境が5割を超えていました。大学のゼミを想像してもらうと分かりやすいかと思います。

その中には某関西ジャニーズJr.も居り、そこそこに会話を交わす仲でしたが私はジャニヲタをCOする事も、状況を訊ねる事も出来ず終わりました。(ただ勇気が無かった)

だけど、その後彼も割と無茶をしていたのできっと荒れていたんだろうなとは密かに思っていたり…

 

そこからはもう、もしかすると半分が情だったのかもしれない。

「今の関西に、応援する意味はあるのだろうか」と思いながらも、残された三人を思うと離れることも出来なかった。

そんな中、徐々に14年組は頭角を現し始めて「担当不在」だったわたしは「高橋恭平」を推す事にした。何故そうだったのかは、覚えていない。ただ、ニューフェイス回で「イケメンになるんだろうなあ…」と思いつつボールを渡したシーンで爆笑したのも、「伸びる!」と言われているのに同調したのも覚えている。

 

 

 

関西ジャニーズJr.に正式ユニットというものは存在せずなんとなく"メイン""トリオ""funky8"etc...なんてあやふやな状態が続きました。

正直あんまりああだこうだって詳しく覚えてないな、記憶が断片的というか、どんどん変わっていく関西ジャニーズJr.が怖くなって少しだけ逃げたのも事実。

嗚呼、斗亜ちゃんが入ってきた時は「とあ…名前の響きが最近だ…イマドキの子だ…」ってちょっと驚いた。(笑)

 

 

 

2018年秋 なにわ男子結成。よく分からなかった。でも、デビューが確実に視野に入れられている、なんならそれを目的としたグループなんだろうなって事だけは分かった。

だけど、何故そこに康二が居ないのか。何故丈橋が唐突にそこへ入ったのか。実は、理解できないままずっといました。

少し前に放送されたハーベストの丘の夏休みSP、めちゃくちゃ好きで何度も何度も繰り返し見てたな…因みに未公開の方が好きでした。(要ら情)

 

なにわが結成されてからは正直苦しかった。

明らかな歴の差。今までの序列の差。やりづらそうな下に、気を遣う中間管理職。どんどん当たり障りなくビジネス化していく大吾の姿。

 

話題性は抜群だったから、どんどん増えていく新規。

全員とは言わないけれど、その新規たちが突然畑に入って来ては荒らして行く。少し経った頃には、古参が追いやられて声の大きな新規が幅をきかせる構図が出来上がっていた。

 

わたしは、あまりにも耐えられなくなった。そこに居られないと思ったし、ここ(なにわ男子)にわたしの居場所はきっと無いんだと思った。

だから、そっと離れた。メディアは極力確認するし、関西だから身近にいる。テレビだって見やすい。現場にも行くけど、「ファン」を表立って名乗るのは早々にやめた。

 

 

 

キンプリだってなにわだってわたしは納得したか?と問われると、きっとNOだと思うんですね。

今だってわたしは立派な"なにきん亡霊"だと言える。

圧倒的にエアプ勢が増えている今、当時をしっかりと通った一人前の亡霊である。

 

否、亡霊が何を大きな顔を、と思われるだろう、ごもっともである。今を受け入れられないのであれば大人しくしていてくれと思うかもしれない。

だけどわたしは、誰の為でもなくなにきんが好きだったと言い続ける。

向井康二・金内柊真・平野紫耀・西畑大吾・永瀬廉・大西流星の六人が好きだと言える。

 

 

 

それだけを聞けば「複雑なんじゃなくて納得できないんじゃないの?」と疑問を抱く人もいるだろう。

 

ただわたしはここ三年のなにわ男子としてのメディア露出・活躍・人気を見て「デビューなんて認めない、納得できない」とは到底言えないんですね。

 

寧ろ、遅すぎたとさえ思う。滝沢氏、何してるんだ?とも思うし、大倉さんが直談判しなければまだデビュー出来ていなかったのだと思うと恐ろしささえ感じる。それくらい、東西合わせても「凄いジャニーズJr.のグループ」だったと思うんです。

 

だから、そういった意味では素直に「やっとデビューか…」「おめでとう」とわたしは思える。

そして、それと同時にあの頃必死になって関西を引っ張ってくれた大西畑が報われて良かったと思うのです。

まだまだ小さかった流星ももう二十歳。全然子どもで、お兄ちゃん達に囲まれて可愛がられていたのは過去の話で、今じゃ立派に後輩たちを抱えてる。

いまいち信じられないけれど、それだけ長い間ずっと頑張っていたんだって証拠で。

 

それにまいジャニが始まってからは毎年新しい子を紹介してくれるお陰で、わたしはトリオが入所してきた時から、最初から今までずっと見てこられた。親戚気分になるのもやむなしというものですよね。

実は道長、わたしの妹と同い年なんですよ。おまけに長尾くん、知りあい当たれば2~3回くらいで本人にぶち当たるくらいには色々と近いんで。

だから余計にこう、クるものがあるというか。ね。

 

 

 

あとひとつ複雑な理由がありまして、それは「わたしの青春だった関西ジャニーズJr.」が無くなってしまうという観点なんですね。

 

全員いなくなるわけじゃない。0になるわけじゃない。白が黒になるわけじゃない。

だけど、別にfunkyヲタな訳ではなかったわたしが"共に過ごしてきた"と感じるのはやっぱりなにきんなんです。そして、そこに次いでトリオなんです。

そんな彼らが「関西ジャニーズJr.」という場所を巣立つというのは、わたしにとって随分と大きな変化なんですよ。

ヲタクになって最初からずっと自分の中で真ん中に居た人たちは誰もいなくなる訳ですから。

 

正直、関西アイランドは康二と大吾の掛け合いがあって成り立つなんて思っているけれど、それでもやっぱり曲を耳にするとあの頃を思い出すんです。バンバンもそうだし、UME強引オンもどうしてもまいジャニの印象。ハピラキはもう宝箱に閉まっておいて欲しいと思っていますけども。

 

 

 

そんな何とも言えない思いを抱えたまま、気づけばなにわ男子は大きな存在になっていて、今じゃジャニーズに詳しくない母でさえ全員の名前を言えるほどになりました。

父から「ローソンになにわ居たよ」って報告を受けるようになりました。

 

大きくなった実感って案外ないものなんですよ。

だって、昔は誰にも通じなかった「平野紫耀」を今や殆どの人が認知しているなんていうのも不思議な感覚ですから。

きっとなにわもそうなんだろうな~って思います。関西ってやっぱりどこまで行っても「ローカル」って印象があるから余計にね。

 

これから先、もっともっと大きな存在になるんだと思う。

「なにわ男子」って言ったら通じる人が増えていくんだと思う。

わたしはその度に、嬉しくて、寂しくて、切なくなるんだと思う。でも、それでいいんだと思う。

最初から近くなんてない。それでも、「大きくなったな」「遠くなったな」って古いヲタクが涙を流すようなアイドルになって欲しい。

 

 

 

おめでとう、なにわ男子。未来に幸あれ!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶりです。

 

朝とも夜中ともつかない時間、アルコールとニコチンをお供にしているわたしがブログの管理ページを開いたのは数か月ぶり。

 

以前までと同じく、書こうと思いながら結局文章を纏めるだけの気力もなく、パソコンを開く事すら途中で断念する事もありましたが、今日は深夜とお酒のテンションに身を任せてキーボードを叩いています。

 

Twitterで長々と随分と面倒な独り言を垂れ流してしまったのですが(フォロワーの皆様TL荒らしてごめんなさい)、いっそブログに纏めりゃいいじゃん!となって今に至ります。

 

 

 

今日のテーマは

ファンの存在意義と存在理由

 

 

 

Snow Manにおいては"6人派"という、私自身が身を置いている界隈の影響もあるのですが、よく「貴方(たち)はタレントから必要とされていないからさっさと降りて」という旨の言葉を目にします。

 

だけど、正直わたしはその意味がよく分からないんですね。

 

というと、わたしは別に"タレントに必要とされたくて"ファンでいるわけではなくて、"わたしがタレントの事を好きだから"ファンでいる、というスタンスなんですよ。

 

つまり、言葉は悪いけど「タレントがわたしを必要としているかどうかは、わたしがファンであるかどうかに作用しない」ということです。

 

つまり、わたしの場合はファンである存在理由の主語が「わたし自身」であって、おそらくそういった言葉を投げかける人たちの存在理由の主語は「タレント」なんだと思うんです。

 

 

 

別にファンの在り方なんてものはそれぞれだし、実際「本当のファンならこうあるべき、なんて言葉は存在しない」と明言しているタレントの元で育っているので、別にそれをモットーにする人がいても良いとは思うんですけど。

 

ただ、絶対に"誰かのファンになる"最初の理由って、「好きだから」っていう非常にシンプルな理由だと思うんですね。

 

それが例えば、アイドルとして応援したいと思う"好き"なのか、人として尊敬できるなって感じる"好き"なのか、子どもに感じるような慈しみや庇護欲から来る"好き"なのか、恋愛に似たような異性に感じる"好き"なのか、その"好き"だと思う感情は様々だと思うんですけど。

 

でも「好きだからファンになろう」って決意したり、そんな暇もなく「気付けば好きになってた…」なんて人もいるだろうけど、誰かを応援している人みんなに共通するのは"相手を好き"だという感情なんじゃないですかね?(好きという単語がゲシュタルト崩壊起こしそう)

 

 

 

まあ好きっていう想いから、結局は、ジャニーズもそうだし、ホストクラブなんかが最たる例で「好きだからその人の為になりたい」とか、「好きだから夢を叶えてあげたい」とか、「好きだからその人の役に立ちたい」とかそういう献身的な感情を抱く人って少なくはないはずなんですよ。

 

でも「タレントの夢を叶える為に」っていう信念だけがファンである事の第一の存在理由になるべきではないと思うし、それは自己犠牲でありながらもある種人生の依存な気がするんです。

自分の人生を大切にして欲しい、他に生きる意味をきちんと持って欲しいと言っているタレントもいますがそういう事だと思うんですね。

 

そして、そういう精神が暴走したり先行してしまうと、「Q.どうしてファンになったのか?=A.好きだから」という根本を見失っちゃうと思うんですよ。

 

それに、自己犠牲の元動いている人間は多かれ少なかれ自分と同じ考え方や行動を他人に押し付けてしまう。

頑張っているつもりがある人、かつ同じ環境にいる人に対しては尚更、「わたしはこんなに頑張っているのに」なんて感情が生まれてしまう事が多いんですね。

 

よく恋愛なんかでも「恋人のために」とか、仕事では「職場のために」なんて人もいるし、それはタレントの応援に限った話じゃなくて

でも単純に人生の主軸とか、生きる意味合いとか、自分の存在価値とかを他人に全部渡してしまう(預けてしまう)行為って、ひどくリスキーだし、在る意味責任逃れなんじゃないのかな?と感じてしまうんです。

 

誰かのため、を大義名分に自分の思った通りに動けるし(詳しくは後述)、自分の人生設計の中に詰まったものの多くを自分で背負わず他人に投げてしまっているという事だと受け取ってしまうんですね。

そしてそれは、何かあった時に最後はなんでもその依存先のせいにもできる。

 

(この後出てくるお話も2020年公演の舞台・幸福王子で王子とツバメが口論していた内容と非常に酷似していますが、あの作品はわたしが昔から抱えていた王子側の思想を上手く言葉にしてくれたものだなと驚きましたね)

 

勿論これを聞いて気を悪くする人も中にはいると思うし、じゃあわたし自身が誰にも何にも依存せずに自立して生きているのかと問われると決してそうではないから申し訳ないんですけど、わたし個人的な考えなんでそこは、許して欲しいところ。

理想と思想と現実はかけ離れているのだということで。

 

 

 

まあ、何を言いたいかっていうとつまりわたしの場合、初めにも言った通り自分のファンとしての存在理由が「わたしが」という自分自身が主語に置かれている自己的なものだから、タレントに主語を置いて"タレント側"の気持ちを勝手に推し量って「必要とされてないから降りろ」って言う人の気持ちが分からないんです。

 

単純に、「人がファンを続けるかどうかなんてその人の勝手じゃん」と思うし、そこにいちいち口を挟む人って随分とお節介というか暇人というか支配欲が強いんだなと感じます。

 

でも、それと同時に「なんでたかだか他人が他人に気持ちを代弁している気になってるんだろう」、ましてやそれを振り翳して他人に命令してるんだろう、なんて疑問も湧いてくるんですね。

 

 

 

まあこれは少し哲学的な話になってくるのですが、わたしはそもそも物事の全てにおいて「自分が中心にいて、そこからありとあらゆる世界がスタートする」と思っている人間なんです。

 

だから、他人を中心において考える人の気持ちが分からないというか、自分は一人しかいないのだし、エスパーじゃないんだから、他人を中心に置くことは出来ないと思ってしまう。だからそういう考え方の人の気持ちが分からないんですよ。

(○○がわたしの人生の中心、っていうのとはまた話が別)

 

そして、根本的に「他人が他人を理解できていると思い込んでいるなんて傲慢だ」というのがわたしの持論なので、余計に誰かの気持ちを勝手に推測して、「きっとこう思ってるはず」とか「相手はこう思ってるんだからこうするべき」って言っちゃう人が元より苦手なんです。

 

だからわたしはどれだけ同意してくださる方が増えても6人派の代弁者にはならないように、総意として話さないようにしているんですね、人それぞれ必ずどこか違う考えがあるはずなので。

 

わたしの考え方って、まあ書いて字の如く読んで字の如く、ものすごく自己中心的な考え方だと思う人っていると思う

 

けど、結局他人を世界の中心に置いてその"誰か"の気持ちを慮ったつもりで行動・発言したって、それはあくまで「気持ちを慮ったつもりの自分」の気持ちから来る行動や発言でしかなくて

人間の構造上自分の持っている脳みそでしか動けない・自分の感情をコントロールできない以上、全員が自己中心的な生き物であり、最強のエゴイズムだとわたしは思ってるんです。

 

人間、自分からしか物事を見られない・感じられない以上、ありとあらゆることは自己中心的、もしくは主観的である以外に存在のしようがない、と。

まあいうなれば誰かの受け売りも、それは受け手の解釈した結果や答えに過ぎませんから。

 

 

 

通して、わたしは何か・誰かのファンである意味や理由なんて「好きだから」っていう、ただそれだけでいいと思っているんです。

 

 

 

小難しい話で甲論乙駁せずとも、「わたしは○○が好き」とか、「でもわたしは△△が苦手」とか、そんな単純明快な話でいいんじゃないですか。ファンがどうとか、人間がどうとか、全部。

 

人を傷つけない限り、その人の原理という名の感情における行動や発言は個人の自由だと思うし、強制や強要なんてしなくていいし、他人を変えようなんて思わない方がいい。

他人を支配したり、他人に何かを求めるのにもエネルギーが要りますから。

 

人は人、自分は自分、なんて陳腐な言葉がありますが、それで良いと思うんですね。

 

まあ、「傷つけない」と言っちゃうと語弊が生まれるんですけど

何と言いますか、難しいですけれど、人間絶対に生きている限りは大なり小なり誰かを傷つけちゃうと思うし、無自覚に他人の心を抉っちゃう事はあると思うんですよ。

 

だけど、各々の道徳と人としての良識の中で不必要にナイフを投げないって意味合いというか、悪意を向けないというか、それが結局はわたしの言いたい「人は人、自分は自分」になるんです。

 

わざわざ他人が好きだと言っているものをあれこれ理由づけて否定する必要もないし、好きじゃないんだよねって言ってるものを強要する必要もないし、自分と意見の違う人を攻撃する必要もないし、敢えて好戦的になる必要もないよって 

 

よく「ファン失格でしょうか」みたいな相談が来たりもするんですけど…みんな自分の中にある感情とか正解を押し付けることもなく、押し付けられることもなく、縛られることもなく、もっと自由に、自分に素直になってもいいんじゃないでしょうか?

 

変に同調も否定もしなくていいし、個人のマインドを個人で消化しようぜって事ですね。

 

 

 

なんかグダグダと語っといて随分答えは簡潔だなって思った人もいらっしゃると思います。正解です。

まあ、ほとんどが途中で飽きてブラウザバックしてると思うんですが…

 

でもね、わたしの言いたいことってこの記事そのものなんです。

 

この記事の内容、っていうのはそりゃあ勿論そうなんですけど、そうじゃなくて、なんかみんなグダグダ議論百出してるけれど世界は案外シンプルなんだよって事ですね。




では、これにて今回の記事は一旦閉じようかと思います!

ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

おひさしぶりです。

こんばんは、もうブログの書き方も忘れてしまいましたね…。

 

どれだけ更新していないんだって話なのですが、更新しようかしようかと思いつつつい後回しにしてしまう悪い癖。

 

ただ、今日は大切な日ですね。

 

因みに、今日のお昼はマクドナルドでした。

二年前の明日も、マクドナルドを食べました。

 

 

 

ジャニー喜多川氏 三回忌

 

 

 

もう、二年が経ちましたか。

 

去年と同じ事を書きますが、この二年は思ったよりも早く、そして遅い時でした。

 

"もう二年"、そんな気持ちもあります。

途轍もなく、早急に過ぎていった気がします。

大泣きした二年前は、つい先日のようにも感じます。

 

だけど、ヒロムが居なくなったのはかなり前のようにも感じます。

ジャニー喜多川の作らないエンターテインメント。

ジャニー喜多川のいないジャニーズ事務所。

 

少ししか時は経っていないように感じますが、ジャニーズJr.、そしてジャニーズ事務所には数えきれない程大きな変動がありました。

 

 

 

私はふと、不安になる時があります。

 

自分の知っていたジャニーズJr.と今のジャニーズJr.は、ずっと追っているはずなのに随分と変わっていて、昔の映像を見返すと、あの頃当たり前に存在していたメンバーが今は何人も事務所を去っていて。

 

それはデビュー組も同じで、わたしの知っていた「ジャニーズ事務所」を構成するグループが、どんどんいなくなっていくのです。

逆に、しばらくしたらどんどん新しく増えていくのでしょう。

 

自らが歳をとっているのだから、月日は紛れもなく流れているのだから、それは当然の事ではあるのですが、その変動についていけなくなるその日が怖い。

そして、変化を認識した時に過ぎた時の大きさに気付かされるのが怖い。

"今"が"あの頃"になっていくのも、それを自覚するのも怖い。

 

ジャニー喜多川をリアルタイムで知らない人たちが出てくること、"ジャニー喜多川の創り上げたジャニーズ"ではない"ジャニーズ"を好きなジャニーズファンが出てくること。

ジャニー喜多川が関与していないJr.たちで溢れていくこと。

 

現に、彼が作っていない箱が、出来ている。

 

 

 

ずっとヒロムの創ったものだけでやっていけないのは当然の事だけど、それでも、そこに酷く切なさを感じてしまうのだ。

 

今も生きていてくれたとしたら。

今のジャニーズ事務所はどうなっていたのだろう。

なにが、どう、変化していたのだろう。

 

昨年も言及した新型コロナウイルスは現在も収束していない。

徐々にパフォーマンスを再開したと思えば再度自粛、の繰り返しだし、再開したと言えどそれは規制された中に過ぎない。

 

そんな世の中で、ジャニー喜多川氏はどんなエンターテインメントを届けてくれたのだろうか、とふと思う。

 

 

 

私はいつも、ヒロムの影を追っている。

親族でもなければ、知人友人でもないし、会った事なんて一度もない。

だけど、わたしは「ジャニーズ」のエンターテインメントを見る度に、ヒロムの影を追っているのです。

 

このストーリーは彼らしいとか、演出がそれっぽいとか、逆に存命していればこうはなっていないだろうな、とか。

あくまでそれは私の脳内であり、心の中に生きていた"私の中のヒロム"像でしかないけれど、そんな透明なヒロムの存在を追いながら私は生きているし、エンターテインメントを享受している。

 

それは、この先一生消えない気がします。

 

思春期に得たものから人間はアイデンティティを形成するし、高校生の頃に聴いた音楽は生涯のうえで多大なる影響を与えると言われている。

 

私は別に、何も音楽やエンターテインメントのすべてをジャニーズに捧げていたとは言わないし、寧ろ、雑食性な事と環境から、様々なものを観て、聴いて、齧ってきたと思うし、それは要は人よりも多岐に渡るコンテンツに手を出してきたとも言える。

だけど、それらの中で何が一番大きな割合を占めてきたか、そして、何が一番大きな影響を私に与えたかと問われるとそれは間違いなく「ジャニーズ」になるだろう。

私をよく知る友人らに聞いても、答えは同じだと思う。

 

かつてアイドル活動を行っていた事もあるけれど、その時もわたしの根幹にはジャニーズのパフォーマンスが在りました。

それは、今の職でも同じです。

 

そんな私が影響を受け、私を創り上げたのは「ジャニー喜多川氏が演出するジャニーズ」である。

故に、私は過去を抱いたまま、過去に想いを馳せ、過去を追い求めるのであろうと思う。

 

人はそれを寂しいというかもしれない。

前を向けない人間だと憐れむかもしれない。

 

だけど、私はそれを気に留めないだろう。

私は、過去を捨てない事を悪い事だとは思わないし、第一原理主義が悪いとも思わない。

人の好き嫌いも、大事にする事も、すべてそれは勝手。言い方を変えれば、自己責任だと思うのです。

 

当然、私が過去にこだわり、ヒロムを追い求め続ける事は幸せばかりではないと思うけれど、それでも、私は。

自己責任で、自分の首を絞めることになったとしても、苦しい思いをしても、それでも私はヒロムの創ったユートピアにこだわるでしょう。

それが何年後、何十年後まで続くのかは分かりませんが。

 

彼は、私の唯一であると言える。

これだけはきっと私が生涯を閉じるまで変わらないと思います。

 

そして、彼の伝えたかった事を、ほんの僅かな影響力でいいから私は伝えていきたい。

次の世代へ、その次の世代へと。

単なる一般人の私でも、周囲の人物に伝える事は出来るから。

私みたいな人が何人もいれば、きっと少しでも世界は変わると思うから。それが0.0001ミリの変化にも満たなかったとしても、0ではないから。

 

 

 

沢山の幸せを、刺激を、成長を有難う。

勇気を、笑顔を、涙を有難う。

どうか、安らかに。

 

I’ll love Johnny forever Rest In Peace Genki 

今日の彼の言葉を添えて。

 

 

2021.07.09

 

 

 

 

こんばんは。

今日はずっと更新しようと決めていた日です。

昨年の今日も、更新しました。

 

 

Snow Man 増員から2年

 

 

増員当時にも、増員して1年経ってからも自分の感情を残してきたTwitter、ブログ。これらはいったいいつまで続くのでしょう。

気づけば、あの地獄のような日からまる二年が経過していました。

 

あの頃と今とで、いったい何が変わったのだろう。

 

去年の記事は、→\ Snow Man増員から1年経った、2020年1月17日のブログ /

 

 

 

結論から言うと、わたしは未だに増員を受け入れられていません。

 

わたしの感情を表すのに適切な表現が"受け入れる"か"受け入れない"か、その二択なのかどうかも少し疑問に残るところはあるのだけれど。

 

Snow Manという箱に起こった「増員」という事案を理解する、ということが"受け入れる"ということなのだとしたら、わたしはきっと受け入れているのだと思う。

 

もう覆しようのない事実なのだということを冷静に認識しているし、彼らが誤魔化しきれなかった言葉の数々でそれなりに流れは想定がつく。

 

もし、奇跡が起きて今彼らが6人のSnow Manに戻ったところで、今までの6人とはまったく違うし、今までの二年は帰ってこないし、離れていった多くのファンたちも戻ってこない。彼らに対して幻滅したことや、ショックを受けたことが消えることはないし、そういう発言をした過去が消えるわけでもない。失われたスキルが戻ってくるわけでもない。

 

今の彼らが今6人に戻ったとして、それで万事オッケーになるかと問われると決してそうではないし、そうなればわたしたちが満足するのか、何の不満も湧かなくなるのかと問われると、きっとそうではない。

 

だけど、もしわたしが増員ということを理解して、其が起こったということを"受け入れ"たとしても、それを許容できるのかできないのか、認められるのか認められないのか、前向きに捉えられるのか捉えられないのか、ということを聞かれるとわたしの気持ちは全て後者です。

 

それにきっと皆のいう"受け入れる"は理解する、という意味ではなくて、9人のSnow Manを容認するという意味だろうから、わたしは「二年経っても受け入れられない」とここに明言する。

 

わたしは未だに9人のSnow Manを好きになることはないし、きっと、もうこの先好きになれる日は訪れないと思う。

 

絶対、なんて不確かな言葉は安易に吐くべきじゃない。

この世の中に絶対や100パーセントなんて存在しない。

そう思いながらも、わたしは「絶対に」受け入れることはできない、と言い切る事ができるような気がする。

 

 

だけどひとつ変わった事があるとするならば、わたしは、あの時よりも9人から確実に目を逸らしているということだ。

 

降りろ、降りろ、と騒ぎ立てていた9人過激派の皆様方、歓喜せよ。

 

それは去年書いたように「わたしは6人しかだめだから」と言って9人を知ることから意地になって背いているわけではなく、単純に、Snow Manという箱を観ることに対してさほど価値を感じなくなってきたということだ。

 

配信とかそういうものは一応目を通すし、円盤とかも一応予約しているけれど、それを手に取ることに対するワクワク感がまるでなくて、半ば義務のように化している。

 

ファンクラブは更新したものの、それをする事は、"確率は低いけれど自担に会える可能性"と、"今になれば比較的若い数字であろう番号"のふたつを捨てきれないからだ。

 

友人とカラオケに行った時に、「歌ってよ」と言われてもフル尺で歌い通せる自信がない曲がある。(その時は結局歌えたのだけれど…)

 

Youtubeなんて、今じゃ何週分溜めているのだろう。

自担が出ている回だけはすぐに観ていたはずなのに、それすらタイムラグができる。結局は、嫌いな人間の隣にいる自担を観ることの苦痛が勝るようになったということだろうか。

 

ここまで二年、日に日にわたしの嫌悪感は増していく一方で、微塵もいいな、と思える瞬間がない。

それは、Snow Manという箱に対してもだし、苦手なメンバーに対してもだ。

 

>>9人を観れば観るほど、わたしは9人を受け入れられなくなった

と、昨年のわたしは記しているが、まさにその感情が、さらに一年分積み重なったという感覚。

 

今なら言える、わたしはもうSnow Manというグループとしてのファンはとっくに辞めているし、降りている

 

今のわたしは、単なる阿部亮平のファンに過ぎない。

そこに、Snow Manという肩書きは、かなしいかな必要なくなってしまった。

きっと、彼がグループを脱退する、と言ったところでショックなんて受けないだろう。

 

まあ、アイドルをしている彼は今も昔もずっと好きだから、アイドルを辞めてタレントになると言われてしまうと複雑な感情を抱くと同時に、あんなにアイドルにこだわっていたのになあ、とは思ってしまうと思うけれど、それは極論、どの箱にいたって変わらないのだ。

 

彼の愛したグループを、好きでいたかった。

彼の名前の先につくグループを愛していたかった。

彼の居場所を肯定したかったし、その場所にいる彼もその居場所も応援したかった。

 

だけど、今のSnow Manは、わたしにそうはさせてくれない。

それがわたしは、本当はものすごくつらい。

もっと純粋に、なにも思わず、感じず、悲しまず、怒らず、ただ楽しく彼を応援できていれば、彼の居場所を応援できていれば、どれほど幸せだったのだろうか。わたしには、それはもう叶わない。

 

 

去年の今日、わたしのTwitterのフォロワーは690人を超えると書いてある。

今年の今日、わたしのTwitterのフォロワーは1170人を超えている。

 

デビューという大きなひとつの岐路を経たいま、フォロワー数は減ることなんて知らない。日に日に増えていく。

それがなにを意味しているのかなんて、言葉にしなくたっていいだろう。

 

わたしの意見に、言葉に、想いに、同意してくれる方々がいるというのは本当にありがたいことで、救われている。

だけどそれと同時に、わたしと同じ想いを抱えている人がこれだけもいるのかと思うと、すごく苦しい。

 

いわゆる"6人派"と呼ばれる人には、色んな人がいる。

6人の時から彼らを好きだった人、増員以降に好きになった人、デビューをきっかけに存在を知って好きになった人。

 

だけど、みんな抱えてる真髄は同じで、"6人のSnow Manを愛している"ということと、9人のSnow Manよりも、6人のSnow Manの方が魅力的だと感じている、ということ。

色々な境遇の人が、それぞれの立場に立っているのに、どうしてみんなこうも苦しい想いをしなければいけないのか。

毎度怒りに震え、悲しさに涙を流し、Twitterというツールで楽にならない心をなんとか沈める。そんな毎日を送る人がいることがわたしはしんどい。

 

 

一年経てば何か答えが出るだろうとなんとなく思っていた二年前。

なんとなく先の長い闇に迷い込んだ気がした一年前。

今日わたしが何を想うのか、去年のわたしは知りたがっていた。

 

「デビューすれば必ず何かが変わる」。

デビューして1年、結局、見えたのは粗と闇だけだった。

 

まさか二年経ってもなお、6人に未練があるなんて信じられなかった。

みんな、きっと信じられなかった。

だけど、いまだにこんなに多くの人たちが6人を愛している。6人のSnow Manを愛している。

 

その事実を、彼らはいったいどう受け止めているのだろう。

もう、この件に関して公に触れられることはなくなってきて、言及することも減って、今では「増員した」という事実ごと封印しようとしているのではないか、消し去ろうとしているのではないかと思うほどである。

だから、今の彼らから言葉を聞くことはできない。

 

彼らの言葉は、増員当時から、…いや、増員前後から幾度となく二転三転変化を繰り返してきた。

その言葉と想いはわたしたちに伝えられることなく、途中からアップデートされずにずっと滞留している。まるで、密室の中の紫煙のようだ。

わたしたちだけが一方的に感情の波に揺られ、吐き出している。

 

彼らの気持ちは分からない。

第一雑誌や動画等の媒体で語られる言葉の何割が本音なのか、そもそもそれ自体があやふやで不確かなものなのだから。

 

人間が分かっていることはただひとつ、自分の気持ちだけなのだ。

それすら曖昧だけれど、唯一自信を持てる部分が少しだけでもあるのが自らの心情だけ。

 

そんなわたしたちが叫ぶ「6人のSnow Manが好き」、それだけが確かなものだ。

 

わたしは、わたしがその気持ちを何処かに置き忘れてこない限りは「声を出し続ける」だろう。

彼が言ったのだ、声を出してほしいと。

自分たちに都合のいい声は出してほしいけれど、都合の悪い声は出さないでくれなんて、それこそそんな都合のいい我儘が通るはずもないだろう。

 

そもそも、わたしたちの言葉を否定する権利を持ち合わせた人間など誰もいないし、わたしたちの気持ちを否定する権利を持ち合わせた人間もどこにもいない。

 

それは、彼らもそうだし、一般人のファンもそうだし、誰も他人を否定する権利なんて持ち合わせていない。

 

「引きずっている」と言われるのならばそれでいいし、「許さない」と言われるのならばそれでもいいと思う。

誰がどう思っていようと、本人達にそう言われたとて、そんな事で自分の気持ちは変わらない。

そもそもそんな柔な気持ちならとっくに降りるか受け入れるかしていると、わたしは思う。

 

わたしたちが二年経ってもなお、こうしているのは自担の言葉を借りるならば「それだけ6人のことを愛して」いたから。

愛していたから、二年経っても受け入れられない、認められない。

 

わたしはこの世界に生きる人間を代弁するつもりなんて毛頭ない。

だけど、きっと、おそらく、6人派の人たちは「好き好んで」6人派でいるわけじゃないと思う。少なくとも、わたしはそうだ。

6人派で居続けざるを得ないだけである。

 

誰だって、選んでマイノリティだと言われ、肩身の狭い思いをしながら、いちいち与えられるものに腹を立てたり、わざわざ嫌いな人間を作ったりしないだろう。もしいるとすれば、その人はよっぽどのマゾヒストだと思う。

 

みんな苦しい思いをしながら、抜け出せないで、6人派でいる。

6人が好きすぎるあまりに、この立場にいる。

 

いつか、どんな形であっても。

わたしを含めたみんなが笑顔になれる日が来ればいい。

難しいかもしれないけれど、誰かにとっては寂しい形になるかもしれないけれど、それでも、悲しい思いをしながら応援し続けないといけない人がいなくなればいい。

エンターテインメントって、幸せになるためのものだと思うから。

 

それを切に願いながら、いま、この記事を閉じることとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

日付も回り、2021年01月15日となりました。

 

本年一発目の更新となります。

先ずは、遅ればせながら明けましておめでとうございます。

 

 

 

わたしは今年一発目の記事は、新年明けて直ぐに綴るか、1月17日に綴るかのどちらかだと、なんとなく去年の段階で思っていました。

 

けれど結局答えはそのどちらでもなく、感覚的には14日、実際の日にち的には15日という非常に半端な日に更新する事となりました。

 

 

 

わたしが新年明けて直ぐ、お正月と呼べる頃に更新するのかなと思っていたのは、「嵐が活動休止に入った今、思うこと」を題に置いた記事。

 

17日に更新しようかと思っているのは、「Snow Manが増員してまる2年経った今、思うこと」を題に置いた記事です。

 

しかし今日そのどちらでもない記事を、更新しようとしている。

それはいったい何故なのか。

 

 

14日木曜日、FREE STYLE 2020 IN OSAKAへ出向いたからです。

 

 

今回作品展に行く事に関しては特段筆記することはないと思っていた、というと聞こえは悪いですが、わたしは単なる感想日記にはあまりこの場所は使っておらず、感情の記憶メモとして使っています。

それは他者からすれば何が違うのか分からないかもしれません。だけど、わたしには大きな違いがあるのです。

 

そして今日、わたしは大野さんの個展を観て、想ったことをそんな「記憶メモ」に記そう、と思ったからです。

 

 

 

作品数が想像していたより遥かに多い。とか。

思っていた数倍作品のサイズが大きかった。とか。

大野智という一人のアーティストであり画家の才能に改めて圧倒された。とか。

そんな当たり前であり、分かりやすい感情は勿論抱いたのですが、わたしは今日、彼の作品たちを観て、彼に対する気持ちが少し変わりました。

 

 

わたしは、"嵐"というグループを対象としたとき、所謂、担当という存在はいません。つまり、アイドルとして贔屓にしている存在はいません。

 

みんな平等で、みんな大好きで、みんな愛していて、みんな尊敬しているのです。

 

そんなわたしですから、例えば大野智という人間の担当をしている人が、嵐というグループの活動休止に対して感じたこと。

櫻井翔という人間の担当をしている人が感じたこと。

相葉雅紀という人間の担当をしている人が感じたこと。

二宮和也という人間の担当をしている人が感じたこと。

松本潤という人間の担当をしている人が感じたこと。

 

それらをわたしは理解することは、できません。

 

無論、「同担」という括りにおいても捉え方は十人十色、人それぞれだという事は大前提のうえではありますが、わたしは誰かを担当に据えて、贔屓に「活動休止」という事例を捉えることはできませんでした。

 

ただ、"嵐"というグループを愛しているわたしは、"嵐"としての活動が見られなくなることが、"嵐"のパフォーマンスが見られなくなることが、"嵐"の産み出すエンターテインメントを享受することが出来なくなるということは非常に耐えがたいものでした。

 

結果的に休止するに至ったきっかけとなった大野さんを責める気持ちなんてちっともないし、寧ろ、辞めたいと思いながらデビューした彼が21年の間アイドルとして駆け抜けてきてくれた事に感謝の意しかないし、青春時代、青年時代、そして中年と言われる年齢に差し掛かるまで捧げ続けてくれていた事自体が、奇跡だったと思うのです。

 

だけどやっぱり、寂しい。苦しい。ずっとそこに居て欲しい。

 

それがわたしの本音でした。いまも、そう思います。

 

理解できる気持ち、やっぱり後ろ向きな気持ち、正反対な感情。

 

だけど今日、彼の作品たちを観て、作品から伝わってくる彼の熱や、希望や、絶望や、未来や、過去や、光や、闇を目にしたときに少しだけ感情が変わりました。

 

今までと比べて、圧倒的に増えた抽象画。

そのタッチや、色使い、筆遣い、それらは同じ抽象画の中でも作品によってまったく違うものでした。まったく違うものだからこそ、彼の「その時の気持ち」を表しているものなのだと思いました。

 

その時に何を想い、何を願い、何を吐き出し、何をぶつけたのかなんて作者である大野智本人にしか知り得ません。わたしが勝手にそう感じただけです。

 

わたしは、歌も、ダンスも、絵も、0から1を産み出すその瞬間に、その作品に、個人のすべてが詰まっていると思っています。

今まで見てきたもの、感じたこと、過去、思い出、個人を作成するピースひとつひとつ、総て。

 

 

途轍もないスキルを持ち合わせている、大野さんの歌もダンスも、一定期間事実上封印してしまう事に対してわたしは酷く勿体ないと思ってしまうし、今日の映像を目にして、改めてそう思いました。

 

だけどそれと同時に、彼のアイデンティティである作品たちを観れば観るほど泣きそうになって、寂しい、歌も踊りも彼の織りなすパフォーマンスをもう一度観たいと思うと同時に、もういいよ、という気持ちがこみ上げました。

 

大野さんの大好きな絵を描いて、フィギュアを作って、自分を表現する。それに没頭していいんじゃないか。没頭するべきなんじゃないか。そういう時期なんじゃないか。そう思いました。

 

 

 

心理学を齧っている人ならば一般人でも、箱庭療法という言葉を聞いた事があると思いますし、内容を知っている方も少なくはないと思います。

 

>>1929年,M.ローエンフェルトによって創始され,D.カルフが発展させた心理療法の一つ。砂の入った箱と人,動植物,怪獣,乗物,建築物などのミニチュアを児童に与え,自由に遊ばせる。つくりだされた箱庭には,制作者の考えや感情など内面的なものが具象的・直接的に表現されているとし,また箱庭を継続してつくることによって,それらが象徴的に整理,統合されると考える。(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 

 

心理療法とは言えど、これは精神疾患などを患っていない一般人にも似たような事が適用されると思っています。そして、その一つが「絵」だと思います。

自らの感情を何等かの形で吐き出し、形にすることでそれを伝える、そして自己の中心で整理されていく。これは誰であろうと必要なことだと。

 

わたしは大野さんの作品を観たときに、彼の心の中を少しだけだろうけれど、垣間見た気がしました。

 

何をどうしたらこんな発想が出来るのだろう、とか、何をどうすればこんなに細密なイラストが描けるのだろう、とか、どれだけ書きつづければこんなに繊細な表現が出来るようになるのだろう、とか、どんな経験をして何を手にすればこんな画家になれるのだろう、とか。

 

そんな個人的興味が湧き出ると同時に、この人はなにを抱えているのだろうか、と思いました。

 

ああ、この作品は光の中で書いたものなのだろうか、と思うものもあれば、闇の中で書いたものなのだろうか、と思うものもあれば、言葉に出来ない葛藤をぶつけている、具現化であり抽象化したものなのだろうか、と思うものもあれば。

 

それらを彼は、わたしたちが想像するには足りない多忙と、プレッシャーとストレスの中で創り上げていました。

どんなに作品作りに没頭したとて、必ずどこかに「アイドル・嵐の大野智」はつきまとう。

 

そんな彼の描き上げた作品もわたしは好きだけど、彼が、彼自身を表す、なにものでもない単なる大野智という一人の人間が、何にも縛られず、時間の格子もなく、本当の意味の"自由"の中で創り上げる作品を、40歳になった彼が、産み出す。それは大きな事なんじゃないか。

 

わたしはそう思いました。

 

誰にも何にも言われない、何処かに晒すことが大前提でもない、ただ黙々と何時間でも何日でも何週間でも何か月でも、彼の愛した絵と向き合う時間があって。それだけじゃなくて、釣りも、キャンプも、彼を構成して支える趣味のひとつひとつを、今までできなかった事すべてを、自由に、心置きなく、何にも束縛されず、遊びつくして欲しい。自由を謳歌してほしい。すべてをぶつけて、すべてを想うままに。

 

彼が望んでいたこと、できなかったこと、柵の中でしか動けなかったこと、全部をやって欲しい。ふにゃっと目尻の下がったその笑顔で、わたしの見えない何処かでいいから、幸せに生きていてほしい。

 

笑って、泣いて、怒って、喜んで、息を吸って、吐いて、美味しいものを食べて、好きなことに没頭する。それだけでいい。


感動して、天気に一喜一憂したり、吹く風の匂いを感じたり、道端に咲く花に目を向けたり、そんな小さくて儚いひとつひとつを掬いあげて欲しい。それらに触れて、また新たなひとりの人間としての「大野智」のピースを拾い集めて欲しい。

 

もう、誰にも彼を縛る権利なんてないんじゃないか。

彼は、縛られるべきではないんじゃないか。

縛りすぎた結果が、今なんじゃないか。

 

 

休止が発表されてから約二年間、わたしは晴れ晴れしい気持ちなんて抱いた事は、正直なかった。

だけど、彼の作品を観て少しだけ前向きになれた気がしました。

 

これでいい。この選択は間違っていない。責める権利なんてないし、誰も責めるべきではない。

 

もちろん私はいちファンとしてもっと"嵐"を観ていたかったし、その気持ちは数日前も、今も、何も変わりないし、本当は嵐を続けていたかったメンバーの気持ちはひどく切なくて悲しい。

 

だけど、それでも、彼の作品を観てしまったわたしは、今まで以上に、彼に肩書きを押し付け続けることはできない。

 

そう言いながら、キーボードを叩きながら涙を流すわたしは、本当の意味ではもしかするとそう思いきれていないのかもしれないし、複雑な感情なのかもしれないし、自分でも自分の気持ちを整理しきれていないのだと思う。当然だ。10何年、自分の隣に常に存在し続けた其が居なくなってまだ15日。なんの整理も出来るはずがないし、感情の結論を出すこともできない。

 

 

 

わたしは、10年くらい前、そこそこに大人と変わらない脳味噌を持つようになってからは、実は常に不安と戦っていました。

 

その頃の嵐といえば、もう安易な言葉で表現できないほどに、アイドルとしてもアーティストとしてもタレントとしても「凄い」存在でした。トップでした。

 

きっとあの時代に、「嵐がもし居なくなったら…」なんて想像する人は少なかったと思います。

 

わたしの悪い癖。良い時代であればあるほど、それを失う事を危惧するのです。それは、その頃から変わりませんでした。

 

嵐が日常になればなるほど、嵐がわたしの人生になればなるほど、嵐が居なくなったらわたしはどうなってしまうのだろうと不安に襲われました。

アイドルとしての彼らが居なくなるなんて微塵も想像のできない時代にわたしはそんな事を考えていました。

 

タレントとしては勿論、アイドルとしての寿命は短いです。

このご時世昔に比べてかなり活動期間は伸び、平均年齢は上がり、女性アイドルに比べて男性アイドルの息が長い。とはいえ、必ず寿命は来るのです。

 

仮に嵐が嵐として、命を全うするまでステージの上で光り輝いていたとしても、彼らよりも20歳近くも年下のわたしは、わたしが命を全うする限り、恐らく長生きするでしょう。

 

世界中の人間がマイケルの死にショックを受け、信じられないと嘆いたように、わたしは彼らがアイドルとして生き続けても、テレビに出続けていたとしても、神が彼らを世界から奪い去ってしまう時は来る。

 

酷く不謹慎な話ですが、この世に生を受けている限り、皆平等にやってくる別れの時を考えては、悩んでいたのです。

 

 

 

結果、彼らは神が遣う天使が迎えに来るより早く、ステージに立つことを休む、という決断をくだしました。

 

わたしが想像していた"嵐のいない世界"は、想像通り訪れたし、思っていたより遅かったような早かったような妥当なような、よく分からない、だけど、宣告されるより前に「そろそろかな」って覚悟はできるようなタイミングだった。

 

 

This is 嵐を観たとき、過呼吸になりそうなくらい泣いた。

元々一緒に嵐ファンをしていた幼馴染からは、年末が近づけば近づくほどに「お正月、いつでも電話してきていいからね」「絶対に死んだら駄目だよ」って何度も釘を刺されていた。

 

だけど、いざ年が明けてみると意外となんともない自分がいた。

それは嵐がいなくなった事が悲しくないわけじゃない。

嵐がいなくなった実感がない。ただそれだけだ。

本当に大切なものを無くした時人間はその事実を受けられずに現実逃避するという。もしかするとそうなのかもしれないし、違うのかもしれない。

 

唯一、夢の中でなにかで嵐がいなくなった事を実感して死ぬほど泣いた事があった。でもそんな出来事は実際には起きないから、嵐がいない実感がない。

 

そんな状態で、「大野智が芸能界を休むこと・嵐を休むこと・自由になること」を受け入れることが出来た気がするなんて最大の矛盾かもしれない。でも、不思議なことに今のわたしの感情はそれを肯定している。

 

このブログが何を言いたいのか、自分でもわからない。

分からないけれど、感情の変化を遺したいと思った。

 

 

ただ幸せな日常を、ゆったりと流れる毎日を、暖かい陽の光や雨の冷たさを謳歌してほしい。

 

その先に、またいつか、何十年後でも、彼の作品が見られれば。

望みすぎなわたしのそんな願いがいつか叶えば。