おひさしぶりです。
こんばんは、もうブログの書き方も忘れてしまいましたね…。
どれだけ更新していないんだって話なのですが、更新しようかしようかと思いつつつい後回しにしてしまう悪い癖。
ただ、今日は大切な日ですね。
因みに、今日のお昼はマクドナルドでした。
二年前の明日も、マクドナルドを食べました。
ジャニー喜多川氏 三回忌
もう、二年が経ちましたか。
去年と同じ事を書きますが、この二年は思ったよりも早く、そして遅い時でした。
"もう二年"、そんな気持ちもあります。
途轍もなく、早急に過ぎていった気がします。
大泣きした二年前は、つい先日のようにも感じます。
だけど、ヒロムが居なくなったのはかなり前のようにも感じます。
ジャニー喜多川の作らないエンターテインメント。
ジャニー喜多川のいないジャニーズ事務所。
少ししか時は経っていないように感じますが、ジャニーズJr.、そしてジャニーズ事務所には数えきれない程大きな変動がありました。
私はふと、不安になる時があります。
自分の知っていたジャニーズJr.と今のジャニーズJr.は、ずっと追っているはずなのに随分と変わっていて、昔の映像を見返すと、あの頃当たり前に存在していたメンバーが今は何人も事務所を去っていて。
それはデビュー組も同じで、わたしの知っていた「ジャニーズ事務所」を構成するグループが、どんどんいなくなっていくのです。
逆に、しばらくしたらどんどん新しく増えていくのでしょう。
自らが歳をとっているのだから、月日は紛れもなく流れているのだから、それは当然の事ではあるのですが、その変動についていけなくなるその日が怖い。
そして、変化を認識した時に過ぎた時の大きさに気付かされるのが怖い。
"今"が"あの頃"になっていくのも、それを自覚するのも怖い。
ジャニー喜多川をリアルタイムで知らない人たちが出てくること、"ジャニー喜多川の創り上げたジャニーズ"ではない"ジャニーズ"を好きなジャニーズファンが出てくること。
ジャニー喜多川が関与していないJr.たちで溢れていくこと。
現に、彼が作っていない箱が、出来ている。
ずっとヒロムの創ったものだけでやっていけないのは当然の事だけど、それでも、そこに酷く切なさを感じてしまうのだ。
今も生きていてくれたとしたら。
今のジャニーズ事務所はどうなっていたのだろう。
なにが、どう、変化していたのだろう。
昨年も言及した新型コロナウイルスは現在も収束していない。
徐々にパフォーマンスを再開したと思えば再度自粛、の繰り返しだし、再開したと言えどそれは規制された中に過ぎない。
そんな世の中で、ジャニー喜多川氏はどんなエンターテインメントを届けてくれたのだろうか、とふと思う。
私はいつも、ヒロムの影を追っている。
親族でもなければ、知人友人でもないし、会った事なんて一度もない。
だけど、わたしは「ジャニーズ」のエンターテインメントを見る度に、ヒロムの影を追っているのです。
このストーリーは彼らしいとか、演出がそれっぽいとか、逆に存命していればこうはなっていないだろうな、とか。
あくまでそれは私の脳内であり、心の中に生きていた"私の中のヒロム"像でしかないけれど、そんな透明なヒロムの存在を追いながら私は生きているし、エンターテインメントを享受している。
それは、この先一生消えない気がします。
思春期に得たものから人間はアイデンティティを形成するし、高校生の頃に聴いた音楽は生涯のうえで多大なる影響を与えると言われている。
私は別に、何も音楽やエンターテインメントのすべてをジャニーズに捧げていたとは言わないし、寧ろ、雑食性な事と環境から、様々なものを観て、聴いて、齧ってきたと思うし、それは要は人よりも多岐に渡るコンテンツに手を出してきたとも言える。
だけど、それらの中で何が一番大きな割合を占めてきたか、そして、何が一番大きな影響を私に与えたかと問われるとそれは間違いなく「ジャニーズ」になるだろう。
私をよく知る友人らに聞いても、答えは同じだと思う。
かつてアイドル活動を行っていた事もあるけれど、その時もわたしの根幹にはジャニーズのパフォーマンスが在りました。
それは、今の職でも同じです。
そんな私が影響を受け、私を創り上げたのは「ジャニー喜多川氏が演出するジャニーズ」である。
故に、私は過去を抱いたまま、過去に想いを馳せ、過去を追い求めるのであろうと思う。
人はそれを寂しいというかもしれない。
前を向けない人間だと憐れむかもしれない。
だけど、私はそれを気に留めないだろう。
私は、過去を捨てない事を悪い事だとは思わないし、第一原理主義が悪いとも思わない。
人の好き嫌いも、大事にする事も、すべてそれは勝手。言い方を変えれば、自己責任だと思うのです。
当然、私が過去にこだわり、ヒロムを追い求め続ける事は幸せばかりではないと思うけれど、それでも、私は。
自己責任で、自分の首を絞めることになったとしても、苦しい思いをしても、それでも私はヒロムの創ったユートピアにこだわるでしょう。
それが何年後、何十年後まで続くのかは分かりませんが。
彼は、私の唯一であると言える。
これだけはきっと私が生涯を閉じるまで変わらないと思います。
そして、彼の伝えたかった事を、ほんの僅かな影響力でいいから私は伝えていきたい。
次の世代へ、その次の世代へと。
単なる一般人の私でも、周囲の人物に伝える事は出来るから。
私みたいな人が何人もいれば、きっと少しでも世界は変わると思うから。それが0.0001ミリの変化にも満たなかったとしても、0ではないから。
沢山の幸せを、刺激を、成長を有難う。
勇気を、笑顔を、涙を有難う。
どうか、安らかに。
I’ll love Johnny forever Rest In Peace Genki
今日の彼の言葉を添えて。
2021.07.09