\ Exit / -2ページ目

\ Exit /

幸せってなんだろう? 笑顔溢れること。

ジャニーズ事務所のみんなが好きです。
日々の想いを綴るだけの場所。

みんなが幸せでいられますように。

 

こんばんは。

相も変わらず久しぶりな更新となりました。

 

以前更新したときと同じく、前回から今回に至るまでにも何度か記事を書こうかと思った事はあるのですが、やっぱり自らの感情を吐露し、それを文字に概括するというのはなかなかの気力と体力がいる作業で

わたしはそこに踏み込むことがなく、約半年ほど経過してからの更新となりました。

 

2020年12月24日。木曜日。

わたしが小学生の頃からずっと観ていた番組が、最終回を迎えました。

 

 

VS嵐 最終回

 

 

嵐が2020年いっぱいを持って活動休止期間に入るという記者会見・発表があったのは2018年1月27日。

 

あれから約2年間の月日が経ち、いよいよ2020年12月31日を目前に控えた12月24日、2008年~放送開始された嵐の冠番組・VS嵐が最終回を迎えると、先日発表がありました。

嵐の活動を休止するのだから、嵐の冠番組が全て一旦終了するのも当然のこと。

 

わたしはそれを聞き、いつも自らがチェックを忘れないよう書き留めている、ジャニーズタレントの出演情報のカレンダーに「VS嵐 最終回」と打ち込んだ。

 

打ち込んだ刹那、「ああ、こんな文字を打ち込む日が来るなんて思わなかった」

わたしはふとそう思いました。

 

 

この記事を書いている数時間前に放送を無事に終え、「VS嵐」という番組も幕を下ろしました。

 

正直、いまのわたしには相反する感情が同居している。

いつもこんな事を言っている気がするけれど、わたしの心は二つあるのかもしれない。

 

何故かやっぱり実感が湧かないんです。

嵐というグループが一旦休業に入り、事実上メディアや街から姿を消し去ってしまうことも、冠番組が本当に終わってしまうんだということも、いまいちわたしの手には実感がない。

 

本当に今日は最終回だったのだろうか、あんなに大々的に放送してなお、わたしはそう思ってしまう。

2021年もまた、木曜19時にフジテレビを掛ければ「VS嵐~!」のテロップと声と共に番組が始まるのでは、そう思ってしまう。

 

だけど、それと同時にわたしは今日の放送中グズグズと子どものように泣いた。

事あるごとに涙が溢れた。

 

 

先述の通り、VS嵐という番組はフジテレビ系列にて2008年4月12日から放送が開始され、2009年10月22日からゴールデンプライム枠へと移行しました。

そして、お茶の間の夕食時のお供へと化していったのです。

 

その一つ前に放送されていた番組は「GRA」、「ゴールデンラッシュ嵐」の略称です。

番組のコンセプト・名前の由来は、「嵐がゴールデン枠を目指して頑張っていくぞ!」

グダグダ過ぎる番組は秒速で放送終了したけれど、そのまますぐにVS嵐が始まって実際にそれでゴールデン進出を叶えたということ。

 

放送開始当時の2008年、小学5年生。GPへ移行した当時2009年、小学6年生。

当時のわたしたちの世代にとっては、嵐というのはとても大きな存在でした。

 

あの頃まだまだ子どもだったわたし達は、もうとっくに成人を迎えほとんどが社会人。

つまりそれだけ長い期間、VS嵐という番組は長く続いたということです。

 

小学生~大人の期間ずっと傍にあったものというのは、「当たり前」と変化する。

わたしにとってVS嵐はそういう存在。

 

子どもの頃も、反抗期の頃も、思春期の頃も、大人になってからも、

ずっとずっと毎週欠かさず観てきたその番組と共にわたしは成長してきた。大きくなった。

楽しいときも、苦しいときも、木曜19時にテレビをつければそこには嵐5人の笑顔があった。

 

然程変わらない番組内容・コンセプト含めいわば、田舎の実家のような安心感があったのかもしれません。

わたしの青春は、嵐と共にあり、VS嵐とともにありました。

 

振り返りVTRが流れる度に、不思議なことに全部覚えてるんです。

全ての放送を何度も何度も放送を見返している訳じゃないのに、何故かエピソードのひとつひとつを記憶しているんですよ。

だけどそれと同時に放送日を見ては衝撃を受ける。これもう5年前!?もう8年前!?てな具合に。

 

当時こんな感情を抱きながら見てたなあ、とか、Twitterでみんなで大騒ぎしたなあ、とか色々な思い出があれもこれも脳内を走馬灯のように駆け巡る。

 

それらは間違いなく、わたしがリアルタイムで彼らと、そして番組と、この13年駆け抜けてきた証だと思った。

 

わたしの人生の半分以上がVS嵐とともに在ったのです。

そりゃあ、当たり前の存在にもなりますよ。

 

だけど、来年からはそれが無くなる。それがいまいち実感もないし、信じられない。

でも理屈ではやっぱりきちんと理解しているからこそ、悲しくて、寂しくて、苦しくて、虚無感と喪失感に襲われる。

どうしていいのか分からなくなる。

 

「最後のクライムです」とか「最後」「最後」って言われる度に、「最後って言わないで」と泣いた。

いまなお、わたしは現実逃避をしようとしていたのかもしれない。現実を突きつけられる事が堪らなかった。

 

「最後の対決」、嵐は負けて終わりました。勝って始まった番組は負けて終わりました。

でも負けたということは「負けたままじゃ終われないから」って、何かの拍子に帰ってくるかもしれないと期待してしまうんです。

逆に言えば、そう捉えないとわたしはどうにもできない。

 

 

先週に引き続き、5人だけの空間、5人だけの笑顔という素晴らしい光景を見せてくれました。

心からの楽しそうな笑顔は、少年の頃からずっと時間を共にしてきた仲間だからこその童心に返った笑顔だったのだと思います。

ファンが望んでいた「素の嵐」が垣間見えました。

 

VS嵐の枠は、VS魂として相葉さんが引き継ぎます。

 

志村どうぶつ園といい、引き継ぎが多くてとても大変だと思うしプレッシャーだって凄いはずなんです。

わたしなんかじゃ到底想像しきれない程のものを抱えてるはず。

だって、素晴らしい番組を引き継ぐという事は重いから。

 

それを、相葉雅紀という一人の人間で背負いきれるのか。

心優しくて、だけどその分繊細で、傷つきやすくて、感受性が高くて、そんな相葉さんが、今までは5人で背負っていたものをたった1人で背負わなければいけなくなるんです。

 

(相葉さんが1分以内に泣いたらお金は大野さん持ち~の流れの)

相葉さんの「最高だった?」の声のトーンが優しすぎて、今までを自分でも思い返してるんだろうなって

これは何もかものことを指してるんだろうなって、そして自分は最高だと思ってるけれどみんなも同じ想いなのか少し不安で、みんなもそうだとは信じているけど言葉としてきちんと聞きたかったのだろうなって思って。

 

二宮さん「俺らはだって、俺らは観るよ、魂」

相葉さん「毎週観る?」

二宮さん「観るよ」 

 

ってここで、相葉さんのちょっぴり弱いところが出ちゃってて、不安になってて、それを支えて安心させる二宮さんがすごく二宮さんで。

 

そして二宮さんだけじゃなくてその不安とか気持ちを受け止めてくれる4人がいるから、

「俺すげえプレッシャーなの、本当に」

「やっぱ嵐の番組を貰うってさ、すっげープレッシャーなの」

「わかる?わかるよね?絶対わかると思う皆なら」 って感情を吐き出せたのだと思う。

 

大野さん「でも4人は見守って、観てるから」

櫻井さん「そうそう、見守ってるよね」

二宮さん「うん。だって嵐の番組じゃないんだよ、もう。相葉雅紀の番組なんだから。それは違うよ」

松本さん「君ならできるよ」

 

相葉さん「大変だって」

松本さん「いやいけるって」

大野さん「見守ってるよ」

 

ここが、本当にいつもの「気弱で自信のない真ん中っ子相葉雅紀を励ます上と下」の嵐が詰まってた。

 

二宮さんが、嵐の番組じゃない、相葉雅紀の番組だから、って、違うよ、って敢えて「嵐の枠をもらう自分」にプレッシャーを抱えている相葉さんを否定したのがわたしはすごくぐっと来たし、いつもの二宮さんなりの相葉さんへの背中の押し方だなって思った。

でも、いつもよりも声が何倍も何十倍も優しかった。

 

何か大役を任されて相葉さんが緊張しても、「貴方が一人とちった所で別にどうにもなんないから」とかストレートに大丈夫大丈夫って背中を摩るんじゃなくて、ちょっぴりひねくれた言い方をするのが本当に二宮さん。

きっとそれが、彼なりの愛情なんだと思ってる。

 

どんなに優しく背中をさすっても不安が止まらないならいっそ根底から覆してしまえ、っていう、ずっと真横に居たからこその愛情の渡し方と、ひねくれた言葉も一見否定に思える言葉も、全部真意を見抜ける相葉さんへの信頼。

全員が目に見えて優しくしても相葉さんの不安は消え切らないから、あっけらかんと尻を叩きながら励ますのが二宮さんなんだよね。

 

だから「嵐の枠を貰うって思うからプレッシャーになるんだよ、もうそれは嵐の枠じゃなくて相葉雅紀の枠になるんだよ」

「だからプレッシャーなんか持たずに胸張りな、あんたの番組なんだから」って意味だと思ってる。

 

それらを聞いて改めて「すごいグループだよ、嵐って。すごいんだよ」

「優しすぎるんだよ、優しすぎるんだって、みんなが」って思って綺麗な涙を流す相葉さんも、それらの流れからシビアになりすぎずに、笑いに持って行くところが嵐だなあって思った。無意識に笑顔が溢れる。

 

拗ねたみたいな口調なのにすごくストレートに感謝を伝えて、喜んで。

本気で言ってるんだけどやっぱりどこか面白さを孕んでしまうのは相葉さん特有のいつものアレで。

 

二宮さん「俺の酒のこと言わんかい、なんで俺の酒のこと言わんの?」

相葉さん「嬉しいよ、分かってんだよ」

 

相葉さんがほんっとーに嬉しそうな顔で笑ってて、頭を撫でられた二宮さんもほんっとーに嬉しそうな顔で笑ってて。

すごく素直な相葉さんからの「大好きだよ、大好き」って言葉にいよいよ泣いちゃう二宮さんがちょっぴり苦しい。

堪えてたんだろうなって。色々と。

 

一見しっかりしているのは二宮さんかもしれないけど、剛速球ストレートくらい素直な相葉さんにきっと沢山救われてきたんだろうな。

だって、「いざ離れた時に自分からわざわざ逢いに行くのは少ないけど、その中に相葉さんは確定で入ってる」くらいなんだから。

 

シンメ愛、とか簡単に言っちゃうのがジャニヲタだし、エモい、とか簡単に言っちゃうのがジャニヲタなんだけど、こういうことを言うんだろうな、真はこれだよ、ってわたしは思いましたね。ボロボロ泣いた。

 

 

分からないですよ、他人だし、あくまでファンだし、彼らを側で見てきたわけじゃないから、嵐の関係値も、にのあいの関係値も、あくまでわたしにはそう映るってだけの話なんですけど。

 

そしてそんな彼らだからここまで来られた、って思ってるのもわたしの勝手なんですけどね。

 

 

ただわたしは今日のVS嵐を観て、ああ、いつまでも嵐は嵐だって思った。

 

嵐は嵐だ、って思うと同時に、それでもやっぱりその嵐をわたしが見られなくなることへの不安や寂しさでいっぱいになった。

 

ずっとそこにあった番組が無くなってしまう事への喪失感でいっぱいで、今日はそれに備えて昼から酒を飲み続けていたはずなのに、夜にはシャンパンも開けたのに、微塵も酔えなくて、結局泣いた。

 

きっと明日のMステラストも、明後日のしやがれも、わたしはまた泣くんだと思う。

 

でもそんなの終わりの序章にしか過ぎないから、一週間後に迫っている本当の嵐の引き際ってときに何を感じ、何を思うのかは分からない。

 

「お正月、自殺しちゃだめだよ。いつでも電話掛けて来ていいから」

そう言ってくれた幼馴染がいて、幸せだ。

 

わたしはひとつ大きなものを失う。

心の中では生き続けるけれど、実質として失う。

それが、目に見えている。

そんなとき人間はどうやって対処すればいいのだろう。

2年間考え続けたけれど、答えは出ないまま残り7日を切った。

 

ただひとつ言えること。

 

嵐も、VS嵐も、わたしの青春だった。わたしの成長だった。わたしと共に、生きてきた。なんて言ったら烏滸がましいだろうか。わたしが、VS嵐とともに生きてきた。

 

こんなご時世だし、無事に何事もなく完走出来たこと、本当に良かった。

 

大野さん、櫻井さん、相葉さん、二宮さん、松本さん、嵐5人。

そして番組をずっと支え続けてくださったスタッフ関係各位様。

今まで番組に出演してくださった共演者の皆様。

本当に、本当に素晴らしい番組をありがとうございました。

 

またいつか。いつか、必ず。

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

随分と久しぶりな更新になってしまいました。

 

何度かキーボードを立ち上げはしたのですが、

記事を纏めきって表に出す事は出来ないままにいました。

 

何故、今日はこんなにも迷いなくページを開き、

キーボードを叩いているかというと、今日は大切な日だからです。

 

 

ジャニー喜多川死去から1年

 

 

実際のところは、ちょうど一年前のこの時間はまだ

何も知りませんでした。

それに、ヒロムはまだ生きていた。午後4:47までは。

 

Travis Japan結成日、とか。HOT SNOW公開日、とか。

何も知らずに、過ごしていました。1日。

ヒロムが息を引き取ったその時間、私は何をしていたのだろう。

ありふれた1日でした。

 

だけど、明日、10日になろうかという時に報道が飛び込んできた。

 

信じられなかった。信じたくなかった。

覚悟はしていたつもりだった。出来ていなかった。

 

「嘘だよ」「嘘だよね、ヒロム」

 

1年経ってもなお受け入れられてなんていない。

いまだって、泣きながらキーボードを叩いている。

何も考えず、ただ、意のままに。

 

ヒロムが星になったのだと聞いたその時、私は泣いた。

半狂乱、といっても過言ではないかもしれない。

 

家族が全員寝静まったダイニング。

噂が流れて、だけど信じたくなんてなくて、でも信じざるを得なかった。

喉の奥が熱くなって、息が苦しくなって、涙が零れた。

 

あまりの泣き声に、親が飛び起きてきた。

「何、どうしたの、何があったの」って聞かれても、

わたしは嗚咽と涙がこみ上げるばかりで何も言えなかった。

「ヒロムが」「ヒロムがほんとにいなくなった」

 

それで何が起きたのか察して、ただ、背中を摩られて、

「ジャニーさんが……、そっか。ついに、か」って

そこにしゃがみこんだ父の背中をわたしはきっと一生忘れない。

 

気を使ってくれたのか、しばらくしてまたわたしは一人になった。

1時間くらいただひたすら泣き続けて、そのあと虚無感に襲われた。

そして、「今」の感情を残そうとしてPCを立ち上げた。

 

その時の記事が、これだ。

\ 1時間。ただの今の感情。/

 

この一年。

とても早くて、もう、一年も経ったのか、と思った。

だけどとても遅くて、長くて、まだ、一年なのかと思った。

 

それはきっとわたしが未だにヒロムの創りあげたものに

ずっと思いを馳せ続けているからで、

ヒロムのいない事務所、ヒロムのいないエンターテインメントに

不満を抱いているからだろう。

 

 

しばらく、お付きの方に支えられたり、車いすに乗ったり。

そんな姿が多く目にされていて、長くないだろうと悟っていた。

そもそも、ヒロムは当時87歳。何があってもおかしくない歳だった。

 

だけど。

わたしにとって、ヒロムは「そこにいるのが当たり前」の人だった。

つい先日、友人と話していたことだ。

 

わたしが生まれた時には既に「おじいちゃん」だった。

わたしが大人になっても、ヒロムは「おじいちゃん」だった。

変わらずそこにいて、変わらずエンターテインメントを提供してくれた。

 

まさかいなくなるなんて。

無論、永遠に生き続けるなんて夢を見ていた訳ではない。

当然、いつかいなくなると思っていた。

それはなにもヒロムだけでなく、誰に対しても同じだ。

だけど、空に描いた覚悟と実際の展開は相反するものである。

 

早すぎる。そう思った。

これからがヒロムの最高に楽しい時間じゃないか、と。

野郎組もまだ放送していない。

ドリボは一新したてでまだ目にしていない。

美 少年をアメリカに連れていくはずではなかったのか。

少年たち、まだ今年は作っちゃいない。

あと1年でヒロムが待ちに待ち望んでいた五輪がはじまる。

トニトニ構想も放置したままにどうするつもりなのか。

侍だって、五輪で作ったんじゃないのか。

今年の帝劇はどうするつもりなのか。……

 

沢山、やり残したことがあるはずじゃないか。まだ早すぎる。

 

だけど、実際の2020年はどうなのだろうか。

ヒロムが何年も待ち望み、楽しみにしていた2020年はここにはない。

 

新型コロナウイルスの影響で五輪は延期せざるを得ない。

エンターテインメントはことごとく不可能となった。

 

幾らSMGOのヒロムといえど、こんな恐慌には太刀打ちできない。

ましてや高齢のヒロムだ。なにかあったら。

大好きで、大切な子供たちに見守られる事すらできなかった。

 

ある意味、ヒロムは夢を抱いたまま飛べたのかもしれない。

絶望することなく、何もかもを愉しみにしたまま、一番いい時に。

 

 

そう思うこともある。

 

だけど、わたしはやっぱりヒロムに帰って来てほしいと、

今すぐに戻ってきて欲しいと願ってやまない。

 

わたしは、ヒロムのエンターテインメントに沢山沢山救われた。

陳腐な言葉しか思いつかない己の語彙力にはほとほと嫌気も差すが

勇気とか、笑顔とか、未来とか、たくさん。もらった。

 

今の事務所を見ていて、これは果たして本当に

ヒロムが60年近くかけて築いたやり方なのだろうか、

これが本当に、ヒロムの遺した場所なのだろうか、

これを、望んでいるのだろうかと疑問を抱く事がままある。

 

典型的な「原理主義」とやらだろうか。

 

自らの思い描くものと違う道に進んだのならば離れればいいだけ。

だけどわたしには大切で、大好きなタレントたちがいて、

ヒロムの創りあげたジャニーズ事務所という場所を愛していて。

彼のエンターテインメントが生きがいだった。

 

人生の四分の三近くをジャニーズとともに生きてきた。

いまさら、わたしは離れることも出来ないだろう。

 

それが過去に縋るだけだとしても。

「ヒロムなら」そんな幻想の中に生きるとしても。

 

 

いま、貴方はなにをしていますか。

 

そっちに行っていた貴方の子供や刺激を受けたエンターテイナーと、

家族と笑顔で過ごせていますか。

 

わたしたちの世界を、まだそちらに行けない貴方の子供を

見守ってくれていますか。

 

そちらに行きたい、何度もそんな想いに駆られた彼を叱って。

まだ留まって、最高で最強のパフォーマンスを、

エンターテインメントを届ける姿を見届けてくれていますか。

 

彼は立派に、0番に立っています。

テレビ番組の収録に緊張して、食べ過ぎてお腹を壊すなんて

そんな漫画のような事をやらかしました。呆れながら笑いますか?

 

でも、貴方が突然センターにぶちこんだ時よりはるかに成長しました。

 

大切な人を次々と失って、絶望の淵に立たされ、

メンバーが謹慎という、大変な1年を乗り越えて、また。

一歩大きくなりましたよ。

 

他のみんなもそう。大きくなりました。

貴方のことを忘れないまま、ずっと胸に抱いたまま。

 

わたしも、事あるごとに「ヒロム、見てる?」と空を見上げます。

わたしの胸にも生き続けています。きっと、永遠に。

毎日毎日ジャニーズに触れるたびに。

この一年、忘れた日は一度もありませんでした。

 

だけど、今日は。特に。

ジャニー喜多川という人間が命を懸けて、人生を注いで

創り上げてきた様々なコンテンツに触れて、想いを馳せようと

そうおもっています。

息を引き取ったその時間だけは手を合わせようとおもいます。

 

2019年7月12日。貴方が旅立って3日後。

わたしはKis-My-Ft2のコンサートに行きました。

みんな、言いつけを守ってShow must go onでした。

タレントもファンも全員が目の前のエンターテインメントに必死でした。

 

でも、やっぱりヒロムを想うと涙が出てくるんです。

ひとりが泣くと、皆にも伝染る(うつる)んです。

 

全てが終わって、席についた瞬間わたしはまた泣いた。

友人と「平気かな…」なんて不安を抱えたままの電車で、

だけど会場に入って、暗転して、大丈夫だ、そう思ったはずなのに。

 

友人に、「そんなに泣いとったらジャニーさんも千ちゃんも悲しむよ!」

そう、言われたのを覚えています。

 

ステージ上で泣いた彼を、貴方はそこから叱っていましたか?

こればっかりは、全員を赦してほしいところ。

 

 

人間というものは忘れ去られた時にこそ真の死を迎えると、

そう言いますがきっとそれならヒロムは肉体こそ失っても、

ずっとずっと数多もの人間の心に生き続けるでしょう。

 

居なくなって、改めて、存在の大きさを知った。

ジャニーズが好きなわたしは、ジャニー喜多川の創りあげる

エンターテインメントとパフォーマンスショーに虜になっていた。

ジャニーズ所属タレントを好きなだけではない。

ジャニー喜多川という事務所社長兼プロデューサーを愛していた。

 

今までも、今も、そしてこれからも。

 

 

健やかに、眠ってください。

時々、子供たちの成長を観に来てください。

ファンであるわたしも、存在を胸に生かしたまま少しずつ進むから。

平和な未来を望みながら。

 

 

今日は、貴方のお気に入りの彼の舞台の幕あけですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

 

今日はスノストのCDデビュー日の2020年1月22日。

 

も、もう終わろうかという時間ですが

今の素直な気持ちを綴っておこうかと思いキーボードを叩いています。

 

 

 

正直。

もっと喜べるデビューで在りたかった。

 

これが、今のわたしの素直な本音です。

 

 

 

SixTONESのデビュー。

ジャニーズあるある、遅すぎた。

 

それは思うけれどきっと単独デビューならめいっぱい、

喜べたんじゃないかなと感じます。

 

合同だから。

 

でもきっと、6人のSixTONESと6人のSnow Man、12人のスノストなら。

まだ今よりは喜べたんじゃないかな。

 

Snow ManがSixTONESを利用するような売り方じゃなければ、

フェアな戦いならば、まだ今よりは。

 

滝沢氏の私情でデビューが遅れさせられたり、

様々な時系列問題が生じたり、嘘をつかされないでいられたら。

 

そんな数多もの理由でわたしはSixTONESのデビューにさえも

複雑な感情を抱いてしまっている事は否定できません。

 

だけどきっと彼らはそんな理不尽にさえも立ち向かう力があって、

それに打ち勝つ自信を見せつけてくれるから。

 

複雑な感情を抱きつつも、これから先彼らが見せてくれるであろう

景色への期待は果てしなく、この胸に大きくあります。

 

やっぱり少し寂しい気はするし、嬉しい気もするし、

でもこういう感情ってデビューの時には

どう頑張っても捨て去れないよね。

 

だって、降りたはずのキンプリの時にさえ、わたしは

1stコンサート、あんな大きな会場を埋めて豪華なセットで

ライブをしている彼らを見て涙したんだから。

 

デビューすると様々な環境に変化が訪れるし、

それは時に人間性や笑顔を変えてしまう時もあるけれど、

彼ら6人には今のまま、ありのまま、自分たちを保っていて欲しいです。

 

 

 

Snow Man。

 

もう、「Snow Man」としてのデビューは喜べなくなってしまって。

そんな自分がとても悲しくて、せつないです。

 

彼らがあんなに苦しそうな顔でわたしたちと結んだ

「涙で滲む約束」はかなえられなかった。果たせなかった。

 

とんでもない、違う形で、上っ面だけが掬われた。

 

だけどそんなものはわたしたちの望むSnow Dreamではないし、

こんなこと言いたくないけれど「こんな形ならデビューなんて

しなくてもよかった」と思ってしまう。

 

あくまでわたしの中でデビューを望んでいたのは、

彼らの夢をかなえてあげたいという想いもあるけれど、

「6人が6人であるため」に必要不可欠な事がデビューだと思っていた、

ただそれだけに過ぎないのです。

 

ジャニーズJr.という不確かな立場で、ずっと6人が6人で、

Snow Manとしてそこに在り続ける確証はさらさらない。

 

勿論それはデビューしたって変わらない。

デビューしていても休止・脱退・退所の可能性は付きまとう。

 

だけど、立場が確立され終身雇用のようなものが約束された

所謂「デビュー組」になれば、その不安値の数字はかなり下がる。

 

わたしは、それを望んでいただけだから。

だから。6人が6人を捨て去って9人でデビューしてしまう事に

正直あまり意味はそこにないのです。

 

私たちが宝物だと感じていたJr.時代を捨て去ってしまうなら、

そんなのは、なおのこと。

 

ましてや格差は激しく自担の待遇は悪く、追いやられている現状で

納得できるはずもないという訳である。

 

 

 

今日、放送されたZIP!の生パフォーマンス。

 

レギュラーリポーターという事で、他番組では有り得ない程に多く

カメラに映していただけた。抜いていただけた。

 

前回の出演の時もそうだったが、端っこの後列にいる自担を、

多少不自然にでも抜いてくれるZIP!さんには感謝の意しかない。

 

本当に、ありがとうございました。

 

 

 

阿部くんがいま、どういう気持ちでSnow Manというグループに

属しているのかは分からない。

 

だけど、わたしはもうSnow Manというグループを愛することは、

哀しいかな、出来なくなってしまった。

 

阿部くんが15年間掛かってつかみ取ったデビューというものを

もっと心の底から喜びたかった。

 

阿部くんが15年間掛かってやっと出せたCDというものを

ワクワクした気持ちで手にしたかった。

 

だけど、それは二度と叶う事のない絵空事となってしまった。

 

CDは全形態購入したもののそこにワクワク感は無く、

だって自担の声はそこにはほとんど入っていない、

自担の姿はそこにはほとんど映っていないのです。

 

 

 

阿部くんが、Snow Manよりもホームと感じているのでは、と

こちらが思えるようなクイズ会の方々。

 

今まで共演したスタッフの方、共演者の方。

 

そして、かつての仲間。

 

皆様が揃ってCDを購入してくださったり、

お祝いのツイートをくださったり、そういったものを目にする度に

阿部くんが色々な人に本当に愛されているのだと思えて幸せだった。

 

本当に、ありがとうございます。

 

 

 

だけど、合同デビューで唯一良かったかな、と思えること。

 

それはメンバーよりも相談する、と公言している

髙地くん・大我と同時にデビュー出来ることで、

ある程度とはいえ距離を保てることが救いかな、と

心の拠り所が、余裕ができるかな、と勝手ながら思いました。

 

 

 

康二。

居場所が違えばきっと、今頃「頑張ったね」「報われたね」

そう言って、お祝いできたんだと思います。

 

関西だったら。メンバーが違えば。きっと。

 

お兄ちゃんもいなくなって、柊真もいなくなって、

紫耀廉が引き抜かれて、なにきんが解体されて、

大西畑はなにわ男子になって…一緒にやってきた仲間が

どんどんいなくなっていった康二には、報われてほしかった。

 

だけど、何をどう頑張ってもSnow Manでデビューすること、

それはわたしにはお祝いできることではありませんでした。

 

ごめんね。

 

わたしは、康二にはずっと関西にいてほしかったよ。

 

 

 

こんな複雑な想いを抱えたままだけど、ただ言えること。

 

髙地優吾くん。京本大我くん。田中樹くん。

松村北斗くん。ジェシーくん。森本慎太郎くん。SixTONES。

 

深澤辰哉くん。佐久間大介くん。渡辺翔太くん。

宮舘涼太くん。岩本照くん。阿部亮平くん。6人のSnow Man。

 

デビュー、おめでとう。

 

わたしのなかでのスノストはずっと、この先も12人です。

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

 

こんな時間に更新しているのは、今しか書く時間がなかったから。

 

というのも、17日はプライベートや仕事やもろもろで、

帰ってくるのが夜中にも関わらず次の日は早起きなので、

パソコンを立ち上げる暇はきっとないから。

 

でも、どうしてもわたしは17日に記事を書きたくて、

17日にそれを更新したかった。

 

何故なら、1月17日は何があっても忘れられない日だから。

 

 

 

Snow Man 増員から1年

 

 

 

1年前の今日の夜中、わたしはいつものようにTwitterやら掲示板やら

色んなところを行ったり来たりしていて何の変哲もない日だった。

 

だけど、不意に飛び込んできたニュース。

 

「タッキー社長」「Snow Man増員」

 

正直、企業資料は流出していたし、確かにその欄には

増員を意味するような文字は記されていた。

 

でも正直半ば信じていなかったというか、覚悟なんて持っていなくて

ただただ信じられなかった。

 

予め予告されていたのに信じられないなんて馬鹿かもしれない。

 

だけど、わたしにとってそれほどSnow Manが増員するっていうのは

信じられないような出来事だったっていうこと。

 

意味が分からなくて、パニックになって、ひたすら泣いた。

 

あんまりその日の記憶はなくて、ただ一晩中大泣きしたことと

どうにか気持ちを落ち着かせようとストロングを開けたこと、

朝起きてきた親がすごくびっくりしていたこと、

いつの間にか泣き疲れて眠っていたこと。

 

わたしが覚えているのは、ただそれだけだ。

 

 

 

増員メンバーのうち3分の2は、よく知らなかった。

 

よく知っているというのをどこからがよく知っていると捉えるのかは

曖昧ではあるが、私の中では「ほぼ知らない」に分類された。

 

イメージや知識が全くないわけではなかったけれど、

「知っている人」と認識するには程遠かった。

 

康二のことは、よく知っていた。

なにせわたしは未だになにきんが好きだから。

 

あけおめ城ホ、みんなが大号泣していたってレポが入っていた。

とんでもない不安に駆られていたのが懐かしい。

 

恭平が龍太くんと同じ髪色に染めてるって聞いて、

あんなにツンデレな風雅が泣いて抱き着いてたって聞いて。

 

でも龍太くんは辞めないって言ったばっかりだったから、

もうひたすらに戸惑うばっかりで、辞めないよね?卒業なの?って。

 

春松竹で皆で泣いて、数日後誰かの退所を知る。よくある事。

関西の恒例みたいになっている。

わたしが一番最初に大きなショックを受けたのは柊真の時だっけ。

それを彷彿とさせて、ひたすら不安になった。

 

ほぼ全員が泣いてたって聞いて、ならそれだけの存在の人に、

何か起こるんだっていう事だけは確信を持っていた。

 

その答えが、これだった。

確かに予想通り龍太くんは実質卒業だった。

でもまさか康二が関東に行くだなんて微塵も私は想像しなかったよ。

 

確かになにわに漏れてどうする道もなかったかもしれない。

(のちにAぇが出来て、なら救済できたやんとは思ったが)

 

だけど、私の勝手な想いとして康二には関西にいてほしかったし、

なにわが続くなら難しいかもしれないけれど、

みちの隣にいてほしかった。みちを笑顔にしてあげてほしかった。

 

 

 

Snow Manが2012年に結成されてからもうすぐ7年が経とうとしてた。

 

6人の年齢は1歳しか変わらなくて、中には幼馴染もいて。

 

個性がバラバラ過ぎてぶつかった時期もあったし、

扱いが違いすぎてファン同士でものすごく揉めてた時期もあった。

でも、そんな時を乗り越えてやっと固まってきたって思ってた。

 

遅かったのかもしれない。

いや、きっと遅すぎたんだと思う。

 

ジャニーズJr.が、二十代後半ってだけでも色々な目で見られる。

そんなときにやっとまとまり出したって、遅すぎたんだと思う。

 

でもね、ファンからしたらそんな歩みの遅い彼らのことも、

不器用で、決してアイドルとしては上手くなかったかもしれないけど、

どうしようもなく好きだったんだよ。

 

年寄りだとか、ブスだとか、問題児だとか。

色々な心無い言葉を投げられることも多かったけれど、

そんな彼らの中に見出した良さに惹かれてたんだよ。

反論できないところもあったけれど、それもひっくるめて好きだった。

 

こんなに長い時間6人だけで歩んできて、

良い事も悪い事も味わってきて、ファンもそれと共に時間を過ごして。

 

そんなところに、いきなり関係のない他人が3人入りますだなんて、

正直認められるはずがなかった。

 

今まで6人が積み重ねてきたものが他人に侵食されるって、

ただそれだけが信じられなかった。

 

6人が、6人だけでずっと歌おうとしていたSnow Dreamはどうなるのか。

 

色んなことが頭をめぐって、どうしようもなかった。

 

 

 

だけど。

だけどね、わたしも最初は受け入れようとした。

 

だってあの事務所はなにをどう足搔いたって変わらない、

すべてトップの一存で決まるって知ってたから。

 

受け入れたほうが楽しいし、幸せになれるってことくらい、分かってた。

 

 

 

それでも、1年経ってもわたしはまだ受け入れられずにここにいる。

 

6人のSnow Manがどうしても好きで。

9人のSnow Manがどうしても受け入れられなくて。

 

あれやこれやと言いながら、気づけば1年が経ってた。

 

あの地獄みたいな日から、一日たりとも楽な日はなかった。

9人、いいかもなって思える日は一日も、一瞬もなかった。

 

もうずっと長く戦い続けている気もするし、

でも、とてつもなく早く時間が過ぎ去ってしまった気もする。

 

 

 

受け入れた方が楽だって分かっているのに受け入れられなかった。

 

それには色んな理由があった。

見た目が多い。母数が増える分個人のカットや発言量が減る。

これらはもう、誰がどうしようと解決できるものではない。

 

だけど、

パフォーマンスのクオリティ。加入メンバーそれぞれの態度。

問題発言・失言。問題行動。公式・メンバー間ともに自担の待遇。

ファン層の入れ替わり。滝沢独裁国家によるセンスのない様々。

そんな予想だにしていないあれこれに、愕然とした。

 

意地になって「6人じゃなきゃダメだから」なんて言って、

9人から目を逸らし続けてきたわけじゃない。

 

9人を観れば観るほど、わたしは9人を受け入れられなくなった。

 

わたしだけじゃない。

数多もの、「受け入れようとしたけど受け入れられなかった」

「受け入れたけれどやっぱり無理だった」人たちを私は見てきた。

 

こんな多くの「6人派」が出来たきっかけはまぎれもなく、

9人のSnow Man、彼らの発言・行動・パフォーマンスの結果である。

彼ら自身が、わたしたちを納得させるだけのものを提供できなかった。

ただ、それだけだ。

 

 

 

わたしのTwitterの、意見アカウント。

このアカウントは数年前に作っていて、FF5以下の相互のみで

細々とひっそりと呟いていた。ただの吐き出し口。

表では書きづらい愚痴だったり、苦言だったりを書いてるだけで

インプレッションが500~1000行くだけで震えてるくらいだった。

 

増員されてしばらくは、Twitterに書くだけの元気もなくて

(なんならブログにすら書けなかったよねこの事)

意見垢で色々とSnow Man増員関連の意見を書き出したのは

2月も半ばになってからだったように思う。

 

それから1年足らず。

今では、フォロワーさんは690人を超えるまでにもなっている。

どんどんアカウントが大きくなって、「意見垢のアンチ」という

謎の存在まで発生したり、彼らの発言が私の影響にされてたり、

有難いんだか有難くないんだかという状況にまでなっている。

 

だけど、わたしはこの690近いフォロワーの方達に沢山支えられた。

 

いつも呟いた事にいいねやrtで同意の意を示してくださったり。

心無い言葉を投げられた時には心配してくださる方もいて、

私なんかのツイートに共感や時には感謝してくださる方もいて。

自分の経験談を話してくださる方や相談をしてくださる方。

「救われました」なんて言って下さる方もいて。

 

そんな方たちのお陰でわたしの心は幾度となく救われたし、

一緒に戦ってくれる皆がいたから私も諦めずまだ踏ん張ってる。

 

本当に、ありがとうございます。

 

そう言えば、何度も

「降りる事を決めました。今までありがとうございました」なんて

マシュマロが届いたこともありました。正直すごく寂しかった。

 

その方たち、今頃何してるかなあ。

降り先を見つけたり、プライベートで楽しんだり、幸せな毎日が

送れているといいなと、おもいます。

 

 

 

わたしが9人を受け入れられないのは彼らの問題だ。

そう思う。

 

先ほども書いたように、彼らの提供するものが、

わたしを納得させてはくれなかったから、納得できないのだ。


それに、彼らの表情や今までの発言が、

1年経ったことでなおさら本人たちの意思での増員ではない、

そう思わされるからこそ尚更である。

 

きっと、何かが違えば。色々なことが違えば。

今頃わたしは9人のSnow Manを応援できていたと思う。

 

6人のSnow Manを宝箱にしまって、

9人のSnow Manと、新しい思い出を作っていただろう。

 

それを奪い去ったのは間違いなく彼ら自身である。

 

だけど、そんなわたしもやっぱり時々、

「受け入れられなくてごめんね」「認めてあげられなくてごめんね」

そう思うときがある。

 

自担の笑顔を見たときや、

自担が「Snow Manに還元したい」って言ったとき。

 

そういえば、いつだか言っていた

「Snow Manのファンは6人を好きでいてくれる」って言葉。

 

今じゃ、わたしはみんなを好きでいることはできない。

自担が「Snow Manのファンはみんなを好きでいてくれる」って

そう言ってくれたって、わたしはその一員にはなれないのだ。

 

それがどうももどかしくて、悲しくて。

 

自担が必死に努力しようと、ホームとしている場所を

嫌いにしかなれない自分がすごくつらくなる。

 

だけどそれと同時に、自担を蔑ろにするグループなんて、

わたしは何があっても絶対に受け入れることはできない。とも思う。

 

人の感情というものは、相反する感情が当然の如く同居していて、

とても難しいものだ。

 

 

 

増員して少し経った頃の、パラドックスに当てはめたブログで、

「もし増員体制を飲み込める日が来たとする」

「それが明日なのか、一か月後なのか、一年後なのかわからない」

そう書いた。

 

当時のわたしは、一年経てばなにかの答えが出ると思っていた。

 

でも、結局一年経ってもなお、何も変わらない。

なんなら、あの頃よりも「9人のSnow Man」への拒否反応は

正直増しているといっても過言ではないくらいである。

 

その前は。

単独を見て、降りるか認めるか決めようと思っていた。

 

観終わったあとのわたしに残っていたのは、

「9人のSnow Manはやっぱり受け入れられない」

「だけどあべくんの事はすごく好き」だけだった。何も変わらなかった。

 

ずっと、幾度となく様々な分岐路に立たされているはずのわたしは

結果的に何も変わらないまま、1年間やってきてしまったのである。


その裏側には、「彼らの望んだ増員ではない」と言うのがありありと感じられてしまうから、というのも原因の一つだ。



パワハラ。圧力。そんなことが見え透いている今のSnow Man。

 

 

 

今日、このブログを書いたところで何かが変わったわけじゃない。

 

だけど、「1年経ってもなお何も変わらない」

そういう意志を持っているわたしを残しておこうと思った。

 

敢えて言うとすれば、きっと今6人に戻ったとしても、

増員する前の6人の関係性に戻ることはできないし、

増員する前に6人それぞれの人間性に戻ることはできないし、

増員する前の彼らとファンの関係性に戻ることもできないということ。

 

それだけは、悲しいことだけれどはっきりとわかっている。

 

でもわたしは、6人のSnow Manが好きだし、

9人のSnow Manは好きじゃないし、

阿部亮平くんのことは変わらずに好きだ。

 

 

増員して2年。デビューして1年足らず。

そんな状況に置かれた1年後のわたしは、なにを思っているだろうか。

 

 

 

 

こんにちは。

 

ずっと違和感を覚えていたこと。そして分かっていた事実。

しかし、今まで敢えてまとめる事はしてこなかった事。

を、今日は少し纏めてみようかなと思います。

 

 

 

SixTONES・Snow Manデビュー時系列問題

 

 

 

これは、ずっと囁かれてきた問題です。

徐々に辻褄が合わない発言が増えてきて、段々ソースが揃い、

疑惑が確証へと変わっていったもの。

 

Snow Man増員の時にも時系列問題を起こして、

圧力があったのではないかと論を展開しました。

 

今回の時系列問題もおそらくそこに繋がる部分もあります。

関係ないようで、関係があるのだと思っています。

 

なのでこちらに引用する部分も作りますが、

そちらの記事も重ねて観て頂ければ分かりやすいかと思います。

 

\ SnowMan増員に関する時系列と、増員が圧力だと感じる理由 (後編) /

 

 

 

今回の記事は、前半は淡々と事実を時系列表にしたもの、

後半はそれを踏まえたわたしなりの考察となっています。

 

 

まずはスノストデビューに関する時系列を纏めてみます。

抜け・誤り等ありましたらご指摘ください。

Twitter等参考にしている部分もございます。

 

また、ソースの提示等求めないでください。

ご自身が今使っておられるそのネット機器で検索した時に、

出てこないような内容は記載していません。

必ずどこかに見つかります。

わたしも暇ではないのですべてのものをいちいち調べなおして

提示するだけの余裕はありません。ご了承ください。

 

 

 

2019年3月22日 

SixTONES単独公演in横アリ。

ヒロムが決意・デビューの話題が出る。

 

2019年3月25日

すのとらなにわ合同公演inたまアリが発表。

ストの出演はなし。

 

2019年春

YOSHIKIさんに楽曲提供を依頼

 

2019年5月

テレビガイド・令和初月号をSixTONESが表紙ジャック。

 

2019年5月1日

SixTONES結成日。単独公演in大阪。メンバー全員が親御さんを招待。

メンバーの涙が確認。

なんともいえぬ表情をしていた、何か言いたげだったとのレポもあり。

(勿論レポ主の主観ではあるが)

事前テキストにて北斗が

「5月1日のデビュー日はどう過ごす?」と発言。

(結成日・デビュー発表日・デビュー日を何れか誤植の可能性も)

 

2019年5月8日 

SixTONES 秩父ドライブ企画。

Jr.チャンネル卒業・アーティストチャンネル開設が

動画内でスタッフにより本人たちへ伝えられる。

(目情・「キスマイがライブをしている」発言等から日程は確定事項)

しかしのちに6月頭であったと何故か日付を捏造。

 

2019年5月11日

大我のブログにて「裏切り」「絶望」「この世の仕組みは怖い」等

何かがあったと思わせる発言。

(エリザベート等に引っ張られただけと見立て、

直接本人に何かがあったわけではないとの考えの人もいる)

 

2019年5月21日・22日 

YOSHIKIさん 楽曲制作の様子が流れる。

時点では9月リリース予定 

 

2019年5月26日

すのとらなにわ合同公演inたまアリ

すのとらのサマパラ決定が発表される(ストはなし)

8.8ドーム等も同時発表 

 

2019年6月初旬 

SixTONES 秩父ドライブ企画(が行われたという設定) 

聖地巡礼したファンにより、当初はなかった「6月」という

色紙への書き足しが発覚する。

 

2019年6月1日 

樹のブログにて「大砲」発言あり。ネットにてデビューが囁かれる。

 

2019年6月8日 

髙地くんのブログにて「あと少しだけ待ってください」発言あり。 

 

2019年6月16日 

ヒロム・滝沢氏が2人で話し合い、デビュー決定(という設定)

 

2019年6月18日

ヒロム緊急搬送

この日~亡くなるまでずっと意識不明だったと中居さんが証言。

 

2019年6月28日

SixTONES・Snow Man両グループが集められ、

ヒロムの病室にて滝沢氏よりデビュー決定を知らされた

(と本人達は公言・ネットニュース等に記載)

 

2019年7月9日 

ヒロム死去 

 

2019年7月15日 

Snow Man、ZIP!にて生パフォーマンス。

この時はまだデビューは知らなかった、と照が後にコメント。

 

 2019年7月28日 

後にジェシー「7月28日にデビューを伝えられました」との発言あり。

慌てて深澤さんが6月28日であると訂正。 

関連のネットニュース等すべて削除。

 

2019年8月7日

後の会見場所がカーテンの隙間から覗いている写真が流出。

ひな壇のデザインによりデビュー説濃厚と噂される。

 

2019年8月8日 

ジャニーズJr.東京ドーム公演

SixTONES・Snow Man同時デビュー発表・会見

 

2019年8月~

続々とテレビ誌等にてデビューの旨や企画が紙面に記載。

しかしSixTONESのみでSnow Manが載り出したのは少ししてから。

(当初伝えられていたのはストのみだったので発行が間に合わず?)

 

2019年9月

Imitation Rain 当初のリリース予定

YOSHIKIさんにより「楽曲制作が間に合わず伸ばして貰った」と

のちに発言あり。

 

2019年10月23日

SixTONES・Snow Man単独FC開設決定発表

オフィシャルホームページ開設

 

2019年11月20日

SixTONES・Snow Man単独FC開設

 

2019年11月27日

SixTONESvsSnow Manとしてベストアーティスト出演。

デビュー曲となるImitation Rain/D.D.が初披露。

以降vs形式で1つのアーティスト扱いでの歌番組出演が続く。

 

2019年12月18日

Snow Man単独チャンネル開設発表

 

2019年12月22日

SixTONES ROT放送。

5月より密着開始とあるが、番組内で密着している

パーフェクトワールドの放送日が以前であり設定の矛盾が発覚。

 

2019年12月25日

SixTONES・Snow Man双方ともに単独チャンネルにてPV公開

 

2020年1月22日

SixTONES・Snow ManCDデビュー予定

 

 

 

おそらくこれを見るだけで今回のデビュー関連の

時系列問題は明白かと思いますが敢えて簡単な文章にするとすれば

「ストは滝沢氏によりデビューを遅らせられた」

「当初デビューする予定のなかったスノも、ヒロムが緊急搬送・

そして死去により滝沢氏が強引にデビュー決定」 ですかね。

 

おそらくストのデビュー発表は5.1だったと見立てるのが妥当では。

 

また、6月28日にデビューを聞かされたというのも、

設定上の嘘かというのがジェシー・照の発言からうかがえます。

 

なので、実際にデビューを聞いたのは7月28日が濃厚。

となると、ヒロムはSnow Manのデビューを知らないまま、

ということになります。

 

20年組、というヒロムの関わっていない(会った事がない)という

ジャニーズJr.が現れることを不安視と同時に悲しく、寂しく

思っていたところでしたが、まさかそれよりも早く、

ヒロムが決定していないデビュー組が現れるとは。

 

元々Snow Manというグループを可愛がっていたこと

(とはいえ増員やコンセプトの無理矢理な変更等、昨今では

きちんとした「愛情」は持っていなかったとも思われるが)や、

異様なまでのラウールへの愛情を見る限り、滝沢氏が

「ラウールのいるSnow Man」の為に暴走するのは納得ですが。

 

しかし死人に口なしをいい事に時系列やヒロムの意志等を無視し、

それどころか捏造してまでデビューを強行突破するのは

様々な意味で、いかがなものかと思いますし、

当然多くのファンたちから不満が上がっても仕方ありません。

 

ましてやこれが、誰も犠牲になっていないならまだいい。

増員することで6人のSnow Manとファンが、

そして時系列の捏造とSnow Manデビューのために

SixTONESとファンが、そして多くのJr.が犠牲になっているんです。

 

滝沢氏ひとりのお遊びのために。願望のために。

 

 

 

また、このデビューにまつわる時系列問題に

Snow Man増員が何故関わってくるかというと、

 

2019年5月6日

深澤さんのブログにて「来年、桜が咲く時はSnow Manが

デビューする時!」との発言あり

 

2019年12月

目黒による「大学卒業(2019年3月)までにデビューできなきゃ

退所しようと思っていた」との発言あり。

 

等によるものです。

 

 

 

深澤さんの発言は「(デビューするという)心持ち」「決意」による

ものかと当初は解釈していたのですが、(勿論疑惑はあった)

詳細はともかく、結果的にデビューはできるということを

本人は聞いていたのかな、と今は思います。

 

その疑惑を強めたのが後者、目黒による発言でした。

 

1996年生まれの目黒が大学を卒業するのは2019年春。

勿論留年等あれば変わってきますが、実際2019年3月の段階で

本人が大学卒業を公言しています。

 

6月28日にせよ、7月28日にせよその日にデビューを聞いていたのだと

すると、「大学卒業」のタイミングではデビューは未定。

正直、Snow Manという箱がデビューできる保証はどこにもなく、

ファンですら「CDデビューは厳しいであろう」と見立てていました。

 

なので、目黒が大学卒業を己のJr.活動のリミットとするような

こういった決意をしていたにも関わらず、

大学卒業の2019年3月を越えてなおジャニーズ活動を続けていた

というのは、非常に矛盾になるわけですね。

 

ましてやこの発言は

「辞めようとした(けれどデビューできたからよかった)」と

捉えられるような発言だったのです。

 

なので増員(・本人が加入を認知)した2019年1月段階、

ないしは私が独自にそうではないかと考えている

加入を認知した2018年秋段階で、目黒は自分がデビューできる、

ということを知っていたのではないでしょうか?

 

2018年秋段階・2019年1月段階双方ともに「大学卒業前」なので

このタイミングで知らされていたとすれば。

大学を卒業してもなお、ジャニーズを続けていた事の合点がいきます。

 

まあ、無理矢理これを矛盾でないとするならば、

「大学卒業までにデビューできなければ退所と思っていたが、

Snow Manへの加入が決まりあと少し頑張ってみようと思ったところ

加入から半年と少しでデビューが決まったので万々歳」となりますが。

 

 

 

増員当初から、「増員してデビュー」か「解散」かを

選ばされたのではないか、増員はデビューをちらつかせた

悪魔の契約だったのではないか、という疑問は浮上していました。

 

しかし今回の件で、その疑惑はほぼ確証に変わったようなものかと。

 

 

 

翔太の増員当時の「右か左かしかない」発言、

そしてROTでの深澤さんの「Snow Manを守りたかった」発言、

最新深イイ話での「増員を決意した理由:Snow Manを守るため」発言。

 

前者ふたつを聞いた当初、「増員」か「解散」かの選択だったのかと

思っていましたし、同じように考える方も多かったように感じます。

だからこそ、増員は圧力だったのだ、と。

 

しかし、今回の流れによって「増員してデビュー」か「解散」か、

の二択だった可能性が色濃く表れた、というわけです。

 

つまりは、滝沢氏の一連の計画は「Snow Manが増員した当初」から

…というよりは、「Snow Manに増員を思いつき持ち掛けた当初」から

すでに動いていた、ということになりますね。

 

 

 

今回も、Snow Man増員の時系列記事を書いた時と同じで

メンバーたちの発言・公式の言葉・わたしが考える理由等、

いずれもパソコンを立ち上げて思うままに打ち込んでいるので、

(一度ノートにまとめたとか、長らく書き溜めていた訳ではない)

のちのち他の要素が出てくる可能性もあります。

 

また、今回の記事に関しまして、すべてを事実とするものではなく

前半はわたしが覚えている限りの時系列を纏めたもの、

後半は様々なコンテンツやテキストからわたしが独自に感じ取り、

解釈し、考察したものに過ぎませんので、ご理解を。

 

長々とご清聴ありがとうございました。