3月末、山形県庁のある職員さんが定年退職されました。100万粒の中の1粒、あのつや姫をブランド米に育てたお一人でした。

米屋として産地に足を運ぶ内に品種開発の現場やつや姫に名前を付けて、デビューさせ、今のようなブランド米に育てた皆さんに直接お話をお聞きする機会を頂けて、その気が遠くなるようなご苦労を知りました。

 

今、つや姫と言えば、言わずと知れた名品種で美味しい品種の代表格と言っても過言ではありません。しかし、つや姫としてデビューする前の「山形97号」と名付けられたその1粒を生み出すために、長い長い時間を掛けて、1年に1度しか収穫が出来ない稲と格闘して生み出した職人さんがいたことは知られていません。また、その一粒を農業指導し、栽培地域を管理し、名前を付け、生産量を管理し、ブランド米に育て上げる職人さんが影にいることも知られてはいません。

 

100万粒の中から選ばれたその1粒を見出した職人さんが生産者にその粒を繋ぎ、育てられたお米が米屋に繋がれ、お客様に届く。その間にも、表舞台には出て来ない場所にもたくさんの方が関わり、一粒を繋いでいくリレーは、誰も欠けてはならないのだと改めて感じました。

 

つや姫がブランド米として育ってきた苦労を知れば知るほど、お米一粒一粒を大切に食べようと思いますし、これからも大切につや姫を販売していきたいと思います。

 

長い間、本当に本当にお疲れ様でした!

誰よりも大きな拍手で感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。