こんな言い方するのはアレですが、わたしはあんまりお金の苦労してません。
──というと、めちゃめちゃ裕福なお嬢様育ちのマダームのようですが、そういうわけではなく、いたって庶民的な生活…食うに困るわけではない…という意味で、困ったことがないのです。
高価なジュエリーは持ってないし、ブランド品も海外旅行も(遠めの国内旅行も)縁遠く、服も靴もプチプラで、食品日用品の買い物は出来るだけ激安スーパー……といった生活ですが、漫画読んで小説読んでYouTubeで SnowManやquiz knockの動画を見ていれば幸せなので、まあいいか、というかんじ。
たまーに海外旅行行きたい!という衝動が湧くこともありますが、めんどくさがりでもあるので「もうパスポートの期限切れちゃってるしな」などと準備の億劫さをシミュレートして「お金もないしまあいいや」となります。
そんな低空飛行安定な日々を送っていられるのも、ひとえに夫が大黒柱としてしっかり働いてくれるから。
いやあ、ありがたい。
いまどき一馬力でがっつり稼いでくれるなんて。
(たまに「自分のお小遣いくらいバイトしたら」と言われるけども)
そんなまったりぼんやりした母を見て育っているうちの子たちも、案の定、ぼんやりしているような気がします。
まだ高校生と中学生なので仕方がないけれども、お金が無いと困るっていう感覚はなさそう。
──まあ、わかります。
わたしも中高生の頃はお金のことなんてなーんにも考えてなかった。
や。
正直言って、大学生の時もなんにも考えてなかったし、卒業してからも、結婚してからも、ずーっとあんまり実感がないまま、ふわっと生きている自覚があります。
独身の頃は親に、結婚してからは夫に扶養されて、ずーっとぼんやり生きてきました。
そんなわたしにとって、お金の問題は、どこか現実感がないのです。
けれども、一応ニュースやら文献(漫画含む)やらで、お金が無いと非常に苦しむ、ということは知っております。
貧乏はつらい(らしい)。
そう思うと、子どもたちにもあんまりお金の苦労はしてほしくないなあ、と思うのです。
わたしはたまたまのほほんと暮らしているけれども、のほほんが一般的ではない、と思います。
ジェネレーションギャップもあります。
我が夫は昭和の男なので「当然妻子はおれが養う」と思っております。
お付き合いしていた時ももちろんワリカンなんてしませんでした。男が支払う。年長者が出す。そういう価値観です。
しかし、昭和は遠くなりにけり。
令和の若者はワリカンがふつうで、夫婦別財布だったり、妻が多く出したりも珍しくない──そんな経済的にも男女平等の世の中になっているらしいではないですか。
大人になったら結婚しておかあさんみたいに専業主婦になればいいや。
家庭や家族の常識が世間の常識だと思い込んで、我が家のこの状態がスタンダードだと思って、我が娘たちが3食昼寝付き専業主婦を希望したとしても、それが叶う確率は、それほど高くないのではないか……?
「おれがしっかり稼いでくるから、奥さんは家で癒し担当してね」という男性はいるでしょう。ゼロではないはずです。「仕事はしてもしなくてもどっちでもいいよ。お金の苦労はさせないよ」と言ってくれる男性もいるとは思います。
けれども、おそらく、そんなに多くはいない……
気概はあっても社会情勢や病気やトラブルなどで実行不可能になることもあり得ます。
(それは我が家の今後の可能性のひとつでもあります)
会社の倒産やリストラ、降格や左遷など、なにがあるかわかりません。
わたしは、たまたまラッキーなだけです。
今のところラッキーが続いているだけで、これからなにがあるかわからないし、のほほん生活がいつまで続くかわかりません。
これがふつうだと思ってもらってはいけない(たぶん)。
わたしにも実感がないけれども、世間はもっと厳しいのだと思います。
なんか……具体的には思いつきませんが、大変なんだと思います。
自分ががんばってないのに、とは思うけども。
がんばったこともないのだけども。
子どもには、がんばってほしい。
できれば安定したホワイト企業に就職してほしい。
お給料がしっかり出て、福利厚生もちゃんとしてて、産休育休も取りやすい、ような。
いいところにはいい人も集まるから、いい友だち、いい伴侶にも出会いやすいと思う。
そのためには、いい学校に進学してほしい。
ちゃんとした学校の方が、チャラついた学校よりも真面目な学生が集まるし、向上心や倫理観も優れている可能性が高いような気がする。
もちろん何事も例外はあるから、たとえば中卒だとしても、幸せになれなくはないと思う。
結婚しなくても、仕事をしなくても、貧乏でも、友だちも彼氏もいなくても、独自の幸福を掴むことはできると思う。
けれども。
友だちはいないよりいた方が楽しいような気がするし、恋人もいたら楽しい。
お金もないよりある方がいい。
単なる事実として、高収入を得ようとしたら、高学歴の方が確率高いし、偏差値が高い学校には勉強する努力する人が集まると思う。
自分は勉強も仕事もがんばったことがないくせに、ぜんぶ棚の上にあげて言っちゃうけど、子どもにはできるかぎり“そっち”に行ってほしい。
だって、そっちの方がトータルでお得な気がするから。
本人の収入や生活レベルもだし、出会う人の質も変わってくるんじゃないかと思ってしまう。
ほんっとに差別的というか、どす黒い精神で申し訳ない。
わたしは、話せばわかるとか、人類皆兄弟みたいな博愛精神なんか持ち合わせていないのです。
歩きタバコするヤツ、空き缶そのへんにそっと置いていくヤツ、店員さんにえらそーに喚くヤツ……
わたしはそういう人とはぜんぜん仲良くしたいとは思わない。
注意したらちゃんとしてくれるとも思ってないし、その労力をかけたいとも思わない。
君子ではないけど、あやうきには近寄りたくない。
できるだけ安全で、安心で、安定した道をゆきたい。
子どもにも、できればそうあってほしい。
子どもたちそれぞれがまっとうに、お天道様の下を堂々と歩ける人間であってほしいのはもちろんのこと、出会う人、付き合う人、関係する人も皆─出来る限り─“いい人”であってほしい。
そのためには結局、(ラッキー以外は)自分自身の価値を上げていくしかないと思う。
類はともを呼ぶ。
朱に交われば赤くなる。
似たものどうしが集まり、似たレベルに集約する。
反社は反社で集まるだろうし、堅物は堅物で集まる。
そういうものだと思う。
だからこそ、子どもたちには、レベル上げをがんばってほしい。
そのためには親がいいお手本になるべきなのはわかっているけれども……まあ、反面教師って言葉もありますからね。
がんばる父を手本に、がんばらない母を反面教師にしてほしい。
夏休み、なんだかんだとぜーんぜん勉強しなかった子どもたちに、ついつい「10代の努力が生涯年収を決める」「いい男はいい学校いい会社にこそいる」などと、言ってしまうわたしなのでした。