あんまり感想記事書いてませんが、毎週『光る君へ』楽しみに視聴しております。
幕末でも戦国時代でもないので一般人気は無さそうですが、めっちゃ面白い!
ドラマがはじまる前は半分くらいは源氏物語やるのかな?光る君役は誰になるんだろう?紫の上は?夕顔は?六条御息所は?源内侍は登場しないかな?
━━なーんて想像していましたが、源氏物語の内容はほぼスルー。
幼き日のまひろ(紫式部)が小鳥を追いかけたり……
結婚して産んだ子(賢子)が不義の子だったり……
源氏物語とまひろの人生をオーバーラップさせる手法で10月までやってしまっております。力技!
ほとんど出歩かない物書き…しかも顔も見せない平安貴族の女性を主人公にしてどうするつもりかと思いましたが、瑠璃姫(『なんて素敵にジャパネスク』主人公)よりもアグレッシブに動き回り喋りまくることで問題解決。
ドラマなのに主要人物がずっと顔隠してたらそりゃ困りますもんね。一応たまに思い出したように扇で隠してくれるし、最初は違和感あったけどだんだん慣れてきました。
嘘は多いけど、細かいところで小ネタいっぱい散りばめられているので、分かった上でこういう演出にしているんだっていう信頼感を持てたのが大きい。
平安時代や源氏物語へのリスペクトが感じられるから、たくさんある嘘も許容できるんですよね。
実写版露伴センセェのドラマにも感じられることですけども、改変があって許せない気持ちになるか、EジャンGジャン最高ジャンになるかの境目ってここだと思います。
で。
やっぱりというかなんというか、大和和紀作『あさきゆめみし』を再読しちゃってるわけです。
何度読んでもいいですよね。
久しぶりに再読しましたが、細部を忘れているのもあって、色々新鮮に楽しめました。
紫の上の最期、原典とは違うじゃないですか。
紫式部版は明石中宮が看取るところ、大和和紀版は光源氏の胸の中で事切れる。
わたしの初読は中学生の頃で、あさき〜が先だったので、そのときは素直に大号泣したんですが、のちに(大学生のとき)対訳版で原典は違うって知って驚きました。
大河ドラマでも、今、彰子中宮が33帖ぶんだったかな?製本して一条帝に献上してましたが、当時は印刷機もなんにもないからぜんぶ手作業なんですよね。
一枚ごとに書き写し。
写本。
一言一句間違えないように写そうと思っても間違えそう。
けど、間違いとかどうとかでなく、アレンジ加える人もいただろうなとも思うんです。
研究者でもなんでもないからくわしいことはわからないけど、語尾変えたり、「あ、こここうした方がわかりやすいんじゃない?」って表現いじったり
……悪気なくやっちゃった人もいると思うんですよね。
それとは別に、大和和紀さんのように、自分の解釈として意識して変えた人もいるはず。
そういう膨大な流れの中にある『源氏物語』━━ひいては紫式部の物語━━と思うと、『光る君へ』でまひろが顔も隠さず小路を歩き回っているのも、廃屋で道長と逢引きするのも、目くじらをたてることじゃないのかも?なーんて思ったりして。
そもそもの原作原典原本が存在しない(現在底本にされているのは鎌倉時代の藤原定家版)し、色々謎だらけなんですよね。
わからないことが多すぎるから想像で補うしかない、っていうのもいいなあと思います。
いつか大河ドラマで大化の改新やってほしいな。
大和和紀『天の果て地の限り』をベースにしてほしい。
大和和紀作品は同時代を扱ったどの作品よりもやさしくてドロドロしたところを清潔に描いているので、万人受けすると思うんです。
平安時代の煌びやかで雅やかな洗練された文化以前の、ギリシャ神話の神々にも似た、素直なやりとりがわかりやすくて楽しい。
行動も問答歌などの歌も衣装もシンプルで面白いと思うんですけどね〜
平安時代の閨閥政治できたんなら、乙巳の変もできるんじゃないかと思うんですけどね。どうでしょうか。