【女子中学生の少子化対策】


”ママいいこと考えた  ひらめき電球 。

 

成人年齢を30に引き上げると、子供が増える 赤ちゃん 」 。

 

(2011年2月6日)

 

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本当に成人年齢が見直されることになろうとは、あのころ想像もしていなかった。

 

残念ながら引き上げじゃなくて引き下げの方向に見直されたので、日本からはまた、子供がごっそり減ってしまいましたキョロキョロ

 

 

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で、今年から、「成人式」はいったい何歳が対象になるんだろうか。

 

気になって調べてみると、ほとんどの自治体はこれまでどおり20歳を対象とし、20歳のつどい、などと名称を変更して開催するらしい。

 

「18歳にすると受験や就職の準備と式典の時期が重なり出席者が減ってしまう」ことを理由にげている自治体が多く、「飲酒や喫煙が可能になる20歳の節目に大人としての自覚を促したい」というコメントもあった。

 

 

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私は振袖に憧れがあったのですが、何でもコンサバティブにやりたがる母が私の成人式を前に、振袖は無駄だと思うと言い出した。

 

3人姉弟妹の学費も嵩む時期だった。

父は数年前に脱サラしていて、伯父と立ち上げた事業がようやく軌道に乗ったところだった。

母も正社員で働きはじめていて、今思うと大変な時期だったのではないかと思う。

 

私はちょっと悲しくなって、やっぱり振袖を着たいと駄々をこねた。

私にしては珍しいわがままに母は驚き、ほどなくして呉服店に連れて行ってくれた。

 

ちょうど家に泊まりに来ていた母方の祖母とともに私の試着を嬉しそうに眺め、一番似合った藤色の着物と薄紅にキラキラ光る刺繍のある白い帯や髪飾り、草履やバッグを揃えてくれた。

 

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母に無理をさせた振袖は、その後謝恩会や会社の仕事初め、友人の結婚式など、何回も袖を通した。妹も着た。

 

思いがけず私の子どもたちも、「ママの振袖が着たい」と言ってくれた。

髪飾りや半襟などの小物を買い足して着せてやると、ふたりとも良く似合った。

 

充分もとを取ったと自分に言い聞かせていますが、振袖のことを想うたび、ちくりと胸が痛みます。

 

 

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数年前、職場に楊さんという中国出身の男性コンサルタントが常駐していた。

 

若くてナマイキで口の達者な楊さんは、長年保守的に仕事を積み上げてきた職場の女性社員たちと、たびたび衝突を繰り返した。

 

あるとき楊さんに、先日参加した日本酒のイベントで仲良くなった人たちと飲みにゆくので一緒に来てほしいと真顔で頼まれた。

 

「年配の人たちと何を話してよいかわからない。みきさんがいたら話が盛り上がるかな、と思って」。

 

楊さん、そういうとこだよ、と、若干引っかかったものの、面白そうなのでついてゆくことにした。

 

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指定された寿司屋には、都内の特許事務所に勤める男女が5人、集まっていた。

 

なるほど私よりも少し上ぐらいの年配だった。

皆さん良い方たちばかりで、他愛のない話で和やかにお酒が進んだ。

 

きっとちょうど今頃の時期だったのでしょう。それぞれが自分の二十歳の思い出を、面白おかしく語りだした。

 

日本中が調子に乗っていた時代のことだ。

おじさんおばさんたちがぶいぶい言わしていた当時の武勇伝を、楊さんはニコニコしながら聞いていた。

 

酔うと若者の恋バナでも聞きたくなってしまうのが、大人の悪いところです。

 

「楊さんの二十歳の思い出は ひらめき・・・?」と、振られた楊さんは、困ったような顔をしたあと、静かに語りだした。

 

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家族で日本に移住したのは、18歳のときだった。

義務教育の年齢ではなかった僕は、すぐに学校に編入することができなかった。

 

言葉もわからず、外に出るのが怖くて、父と母と3人、ずっと家に閉じこもっていた。

 

小学生だった弟は、すぐに地元の小学校に通うことができた。

言葉も通じないのに弟はその日のうちに友達ができて、家に連れて帰って来た。

すごいな、と、思った。

 

ようやく高校が決まり、1年生のクラスに編入することができた。

 

3年生になったとき、絶対大学に進学しようと思った。

一生懸命勉強したので成績はどんどん良くなったけれど、古文だけはどうしても難しく、点数が取れなかった。

 

古文の先生は、放課後、自分だけのために毎日授業をしてくれた。

 

古文の先生のお陰で、希望の大学に入ることができた。

 

それが僕の、二十歳の思い出です。

 

 

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思っていたのと違った。

 

 

一同深く反省した。

 

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ナマイキだったけれど愛すべき楊さんは、苦労の末、やがてコンサルタント業務を無事に終えて引き上げていった。

 

少し前、最寄りのターミナル駅で、みきさん、と声を掛けられて振り向くと、楊さんが可愛らしい女性と並んでニコニコしていた。

 

僕の彼女のカオリです、と誇らしげに紹介されて嬉しかった。

この子はいい子ですよ、と彼女に言ってあげたくなった。

 

その後彼女と結婚したと、人づてに聞いた。


 

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これはNHKが主催する『18FES』 (18歳世代の若者とアーティストが行うライブイベント)のために制作されたRADWIMPSの曲です。

 

最近では卒業式などで歌われることもあるらしいので、ご存知の方も多いかもしれません。

  

 

 

 

忘れてしまった気持ちを思い出して、なんか、泣けます。

 

ちなみにRADWIMPSの野田洋次郎さんは、子どもたちが在籍したロサンゼルスの小学校に少しだけ在籍していたらしい。

私の自慢です。

 

 

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ところで週末は母の誕生日だった。

 

バースデーケーキのキャンドルを吹き消すときに、願いごとをするよう促すと、

母は、「長生きできますように」、と言った。

 

もう充分長生きしていると思うけれど、この年でそんなことが言えるなんて、きっと幸せなんだろうな、と嬉しくなった。

 

母の誕生日と成人の日は近い。

 

楊さんの二十歳と比べたら心から反省したくなりますが、私はきっとこれからも毎年この時期に、母に着物を買ってもらったことを思い出してチクリとするのでしょう。

 

 

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母と楽しんだ書き初め。

今年の私の抱負を前に、私に早く寝るよう促す飼い猫ちー。

 

ご覧のとおり書道のショの字の素養もありませんが楽しかったです。 

長女PARUKA中部空港閉鎖の影響で急遽フライトとなり、誕生会に参加できずに爆破予告犯に毒づきながら仕事に出掛けていった。

PARUKAも書き初めを楽しみにしていたので、来週また、一緒にチャレンジしてみたい。

 

 

 

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