【上京】
(as of 2014年2月12日)
“東京こえーー”。
ラッシュのなか、大きな荷物を抱えた二人の男子受験生が路線案内を見て呆然としていました。
わかるよーー。。。
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みぞれ混じりの雨が降った土曜日の夜、所用からの帰りの最寄りのターミナル駅が、若くて地味な群衆で埋め尽くされていた。
そうか、今日は共通テストの一日目だ。
共通一次と言われた時代から、この日は雪が降ることが多かったように思います。
傍らの長女PARUKAは、当時の気持ちが蘇る、と言って胸を押さえた。
なすすべもなく受験生を送り出す親の気持ちを思い出し、私もそっと胸を押さえた。
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大学受験はもはや親の出る幕もありませんでしたが、中学受験は親の熱意が少なからず結果に影響する。
私も夫も、子どもたちは公立中学で充分だと思っていた。
だからPARUKAが6年生になって私立中学を受験したいと言い出したときはびっくりした。
慌てて個別指導を売りにする駅前の塾に通わせたけれど、ついでに次女AIも一緒に通わせたのが間違いだった。
ふたりして遊びに行っているようなものだった。
意外にも一番熱心なのが夫だった。
飲み会を可能な限り控え、PARUKAとともに毎晩遅くまで、過去問やあれやこれやに取り組んだ。
第一志望だった学校は3次募集まで用意されていた。
有名校のすべりどめとして重用されていたので、合格辞退者が多かったんだと思う。
PARUKAは1次募集、2次募集と不合格が続いた。
12歳の子どもにとっては小さくない心の傷だった。
ベッドで添い寝していたら、布団を被ったまま、
「ママ、明日の試験、PARUKAもうやめてもいいかな。」
と言われ、胸を突かれた。
思わず、
「いいよ。」
と、言ってしまった。
ところが夫は大反対した。
根っからの体育会系の夫にとって、途中で諦めることは何より忌むべきことだった。
ぎりぎりの精神状態で臨んだ3回目の試験は、やはり不合格だった。
幸い当のPARUKAはすぐに次の志望校に向けて切り替えることができたけれど、問題は夫だった。
その晩、泥酔した夫から電話がかかってきた。
「PARUKA、良く頑張ったよな・・。」
と何度も繰り返し、号泣していた。
何度目かでついに、
「頑張った。・・・頑張ったよね、
俺。」
と、口走った。
うすうす感づいてはいたけれど、やっぱり俺の受験になっていたんだな、と、笑ってしまった。
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その当時劇的に偏差値を上げていた高校野球の強豪校に学校見学で訪れたときは、コンプライアンスを度外視した理事長の熱弁に度肝を抜かれた。
次女AIのときの面接では夫のナイスなアシストがあった。
それらのお話しはまたいずれ書きたい。
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かの養老孟司先生が、
「親が子にできることは、衣食住を提供することと、何かあったときに逃げ込める安全な場所を確保することだけ。余計なことをして子の邪魔をするな」
と仰っていたけれど、夫のあの情熱が余計なことかと問われれば、そうとも言い切れない。
娘たちにとっては飼い猫との時間よりも短かった父親との時間です。
大切にされた記憶として心に残ってくれていることを願いたい。
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【受験前夜】
(PARUKAの高校受験 as of 2011年1月17日)
ネコは変装した飼い主を見分けられるのか。
みんなでかわるがわる変装して実験しました。
日本一リラックスした受験生とその家族です。
‥いいのかなー、
‥まあいいか。
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夫を号泣させたPARUKAは無事中高一貫の女子校に合格し、学校生活を謳歌した。
その後、高校への内部進学を前に、敢えて他県の学校を受験しなおした。
学校が大好きだったのに、どうしてそんな道を選んだのかはわかりません。
中高一貫校は外部受験した時点で内部進学の権利を失うのですが、学校から、高校を受験するだけしてほしい、と説得された。
断れずに受験したところ、入学金免除となる上位何番目かの成績で合格した。
結局は他県の学校に進学したけれど、このことはPARUKAの自信に繋がった。
夫が生きていたらきっと、祝い酒で号泣したに違いない。
娘たちは恵まれた環境でのびのび育てていただきました↓
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