オリンピックも良かったけれど、日本の夏はやっぱり高校野球だ。

ブログを書きながら、横浜高校と智弁学園の試合を見ています。

 

中学生のころ、智弁学園のエースだった山口哲治が好きだった。その後山口は近鉄バファローズに入団したので、近鉄ファンになった。

横浜高校は甲子園の常連校すぎて校歌も歌えるほどだ。

PL学園の校歌だって歌えたのに、野球部は廃部になってしまった。

 

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以前ブログに少し書いたことがあるけれど、高校のとき、私は野球部のマネージャーだった。

 

 

と、言っても選手とともに苦楽を共にしたこともなければ大して支えた覚えもない。

実感としては、野球愛好会みたいな別の部活動に励んでいたような気がしている。

 

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高校生のときの私は男の子とほとんど話したことがなかった。

部活のときだけ、部員とひとことふたこと話した。

上級生はときどき話しかけてくれたけれど、同級生の部員とはあまり話をしなかった。

 

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2学期の途中まで、1年生のマネージャーは私しかいなかった。

2年生は部員6人に対してマネージャーが4人もいた。美人揃いだったけれど、うち2人はバドミントン部が本務でもう1人は親が厳しくて塾に通っていてのこりの1人はほぼ幽霊部員で、普段の練習には誰も来なかった。

3年生に至っては部員すらいなかった。

 

そんな訳で入部はしたものの、マネージャーが何をすればいいのかよくわからなくて、部室の清掃をしたあとは制服のまま、1塁ベース横のネットの後ろで所在なく四つ葉のクローバーを探したりしていた。

 

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夏休みになったので学校には行かなかった。

 

8月初旬の夏合宿だけは学校に泊まって、4日間、朝から晩まで家庭科室にこもり、先輩と、助っ人同級生のカオリちゃんとで食事を作った。

朝食の目玉焼きのタマゴがうまく割れなくて在庫がなくなってしまい、途方に暮れた。

一抱えもある大きな鍋で作るカレーはいくら煮込んでも水のようにサラサラ薄かった。

 

合宿が終わると運動部経験のない私は何の疑問も感じなまま、家でくつろいで過ごした。

新学期になって久しぶりにグラウンドに出たら2年生の主将に、辞めたのかと思った、と笑われて初めて、あ、って思った。

 

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2学期になって、同じクラスのかんちゃんが一緒にマネージャーをやってくれることになって、部活が急に楽しくなった。

一緒にゲータレードを作ったり、冷たいレモン水を作ったりした。

ひとりのときは部室に入るのも何だか気おくれしていたけれど、かんちゃんと一緒だったら何も怖くなかった。

掃除のあと、部室に毎週必ずあった少年ジャンプを読んだりあれこれ話をしていたら、うっかり部活終わりの時間になったりした。

 

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遠征試合は遠足みたいで楽しかった。

それもこれもかんちゃんのお陰だった。

 

休日の試合は特にわくわくした。

2年生になった4月の日曜日、かんちゃんと、前日部員から聞いていた待ち合わせの駅に行ってみたら誰もいなかった。

待てどくらせど誰もやってこない。

 

仕方ないので学校に行ってみると皆が普通に練習をしていた。

さては試合中止の連絡をマネージャーにするのを忘れたな(怒)。

 

家電(いえでん)の時代、男子が女子の家に電話するのは相当ハードルが高かった。

今思えば、マネージャーへの連絡係でも決まっていない限り、まあ誰も連絡なんてしないだろうなと想像はつく。

 

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この事件を、実は私たちは大変面白がっていた。

いっそストライキをやってやろう、と言う話になった。

年中ストライキみたいなもんだったのに(笑)。

 

週明け、部室の真ん中にあった机のそのまたど真ん中にバットを1本立てた。

立てるのに結構苦労した。

 

バットの下にストライキ決行の果たし状を置いた。

先日の待ちぼうけの顛末を綴ったレポートと要望書の2段構えとした。

 

・試合が中止になった際は必ず連絡すること。

・部費の支払いと延告(※)の提出の期限を守ること。(※下校時間延長申告の略。下校時間後に部活動に参加するには親の許可が必要だった。)

・感謝を込めたおもてなしをすること。

 

あ、最後のは調子に乗っただけです。

 

でもこの一件以降、特に同級生の部員たちの態度が少しだけ優しくなった。

 

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亡くなった夫はこのときの同級生部員で、ストライキの一件ののち主将になった。

在学中はロクに口をきいたこともなかったのにどういうわけかその後結婚することになった。

 

卒業後、やっと皆と普通に話をするようになったとき、必ず言われるのがこのストライキの話だった。

コロナ前、数十年ぶりに計3期の野球部が集まった際にも、部室にバットが立っていたという話でひとしきり盛り上がった。

 

っていうかそれぐらいしかマネージャーとの記憶がないんだと思う。

 

だって私たちは野球部じゃなくって野球愛好会の部員だったんだもんね。

 

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そんな適当部員だった私も、高校野球独特の金属バットのカキーンという音とか、試合の始まりと終わりのサイレンとか、グローブに塗るグリースのにおいとか、炎天下の土埃とかが今でも懐かしくて好きだ。

 

いつかあの甲子園で、高校野球を観戦したい。

 

 

 

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ちなみに夫は40歳を過ぎても、ドラフト会議の日は毎年、朝からそわそわすると言っていた。

可能性はゼロじゃない、って本気で思うらしかった。

 

理解も共感もできなかったけれど、先日アメトークの高校野球芸人で、千鳥の大悟だったかが全くおんなじことを言っていたので笑ってしまった。

 

 

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