東京オリンピックが終わった。
異例ずくめの開催には賛否あったかもしれないけれど、結局は夢中で観戦した。
スケートボード女子の選手たちの明るさにはなんだか涙が出た。
純粋にスポーツを楽しみ、勝っても負けても屈託なく笑っていた。
そんなこととは全く関係のない、オリンピックにまつわる誠にドメスティックな裏話をふたつさせてください。
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【その1.ブルーインパルス】
オリンピックに先立つブルーインパルス試験飛行のことをブログに書いた次の日、記事にも登場したヒロコちゃんからLINEがあった。
みきちゃんと航空祭に言った覚えがない、千歳であのタイミングで航空祭があったかなぁ、と言う。
私は驚いた。
実はブログを書いているとき、肝心の飛行機を見た記憶が全くないな、と思っていた。
だけど当時から30年あまり、私はことあるごとに千歳の航空祭に行ったことがあると言い続けていて、先の試験飛行の際も皆に自慢したばかりだった。
確かに基地には行った。トイレにあった標語の記憶もヒロコちゃんと一致した。
でも飛行機の記憶がないのだ。
私は次第に不安になった。
ブログを始めて数ケ月、私ごときが書いた記事であっても誰かの何かに影響することもあるということに気が付いて、以来間違ったことや嘘を書いてはいけないとものすごく気を付けてきた。
記憶力には自信があるほうだった。
あれほどのショーを見ておきながら、忘れるなんてことがあるだろうか。
あれが航空祭じゃなかったとしたら何だったのか。
文化祭か。夏祭りだったのか。
だとしたら私は30年以上嘘をついてきたことになる。
爽やかなブルーインパルスの思い出が、一転して黒い思い出になってきた。
折から開会式を目前に、あの人やこの人が過去の悪事や若気の至りやあれやこれやを暴かれて、プロジェクトメンバーを辞任したり解任されたりしている只中だった。
もし私がいつか、どこかのオリンピックの開会式のプロジェクトメンバーに選ばれたとしたら、この嘘の記事とか経歴詐称とかを責められて、引責辞任させられるかもしれないんだね。
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このまま嘘をつき通すか謝罪行脚をするのか、と考え始めたとき、ヒロコちゃんからピコンと写真が送られてきた。
可愛かった二十歳のヒロコちゃんと私が緊張した面持ちで航空自衛官の両脇に立つ姿や、帽子を被らせてもらって敬礼する姿とともに、
紛れもないブルーインパルスの雄姿が写っていた。
良かった><。私は嘘はついていなかった。
航空ショー、ちゃんと見ていたんだね・・・。
記憶力はゼロだけどアルバムをきちんと整理するヒロコちゃんと、写真は紛失したけれどヒロコちゃんよりは記憶力の良い私。
ふたりの弱々しい力を合わせ、私はかろうじて引責辞任を免れた。
任命されてもいないけど。
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【その2.両親と見る開会式】
3年前、入院を機に父が急速に老いを進め、このままもうまともに話もできなくなると家族の皆が覚悟しはじめたとき、母は父のベッドの横で、また東京オリンピックを一緒に見ようと約束したじゃない、と何度も声をかけていた。
そんなわけで開会式の日の朝、母を夕飯に招待しようと電話をかけたらまさかのつれない反応。
お父さんと一緒にオリンピックを見たいって言っていたから、と言ったら受話器の向こうで苦笑いしながら、まあ行ってもいいわよ、と。
そうだったよ。
母の気まぐれの○○したい、には慣れていたはずなのに、この年になってもまだうっかり騙されてしまった。
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父と母と一緒に開会式を見ながら冷蔵庫の残り物で作った夏野菜のカレーを食べた。
母は時折父に声をかけながら楽しそうに選手入場を最後まで見た。
そろそろ帰っては、と私が心配して促すほどだった。
こういうところも昔から変わらないなあ、と可笑しくなった。
気の進まないことは何だかんだへちまだと言うけれど、いざ始まると誰よりも無邪気に楽しむのが母だった。
父も楽しそうだった。
曲がりなりにも二度目の東京オリンピック開会式を夫婦で見ることができて、良かった。
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食事の手が止まりがちの父が、テレビを消すと集中して食べることに次女が気付き、以来スピード重視の平日の朝食は、テレビを消し、ラジオを聴いている。
オリンピック中盤のある日、暗いテレビの画面を見ながら父が、オリンピックはもう終わったのか、と言った。
オリンピックの会期中だということを認識していることに驚くとともに、ちょっと嬉しかった。