【内田百閒】(1889-1971)旧制六高を経て、東京大学独文科に入学。漱石門下の一員となり芥川龍之介、鈴木三重吉、小宮豊隆、森田草平らと親交を結ぶ。東大卒業後は陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学のドイツ語教授を歴任。1934(昭和9)年、法大を辞職して文筆家の生活に入った。俳諧的な風刺とユーモアの中に、人生の深遠をのぞかせる独特の作風を持つ。(新潮社 著者プロフィールからの抜粋)
文筆家の道を選んだとき百閒は既に45歳だったことがわかる。
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2012年ごろから数年ほど、趣味のない私は趣味を探してあらゆるジャンルの集まりに顔を出していた。
ぬか漬けの会、座禅の会、日本史の会、風水の会、ライターの講座、絵日記の講座、短歌の会、あとは何だったっけな。
世の中には大きく分けて、ハマれる人と、ハマれない人がいると思った。
何かを成し遂げている人は、ハマれる人が多い。
私はきっと何も成し遂げずに人生を終えるんだな、と思ったところで趣味探しの旅を終えた。
趣味はできなかったけれど、無駄な会はひとつもなかった。
ぬか床はすぐにダメにしてしまったけれど、吉祥寺の駅まで一緒に帰った味の素のブランディングのお仕事をされている方から聞いた話は忘れられない。
座禅ではMRIを開発した技術者という年配の男性とお会いした。
ライターの講座では13人のクラスメートのうち、11人がフリーランスだった。
固い会社の中では自由奔放と言われている私も、フリーランスのクラスメートの中に入ればものすごく常識的で面白味もない、普通のサラリーマンだった。
いろんな会で聞いた話が面白すぎてノートに書き留めた。
最初の行に書いたのが、内田百閒の言葉だった。
「御好意は誠に有難いがお引き受け致し兼ねる。なぜと云えばいやだから。
なぜいやか、と云えば気が進まないから。
なぜ気が進まないかと云えば、いやだから」(日本芸術院会員内定を固辞した理由)
この10年くらいの間で聞いた名言の中で、一番と言っていいくらい私のハートを撃ち抜いた言葉だ。
なぜと云えば気に入ったから。
なぜ気に入ったかと云えば、気に入ったからだ。