子供の頃のスキーの思い出②
共通の悩み。
ある日、悪がき3人はいつものように裏山へ。
その日は午後から寒くなり突然スキーが滑らなくなりました。
理由は、スキーの滑走面にべったり雪が付着しており
取れまない状況に陥りました。
オサガリの板の滑走面には塗料が塗られているのですが
オサガリの過程でそれらの塗料も剥がれてきており
私の板などは、木肌が全面に顔を出しているような板でした。
それにほぼ毎日のように滑走しており、雪の水分が滑走面に染み込んだように滲み
急な寒気で板自体が凍てつき表面に雪が付着したような感じになったのです。
悪がきのひとりは末っ子でしたので、ワックスなるのものを塗ればいいという
知識が備わっておりました。
私ともうひとりの悪がきは、たまたま一人っ子同士でしたので
そんな知識は全く無く「ワックス」と聞いて私などはリンレイワックスという
床磨きの液体ワックスを思い浮かべました。
末っ子の悪がき君にあっさり否定され、イメージのつかめない私に
ロウソクと教えてくれました。
その日は3人とも滑るのをあきらめ、
私は家に帰り、仏壇のカメヤマロウソクを1本拝借し
スキーの板へ今で言う生塗りしておりました。
見るに見かねた父親は、ノルディックスキーに使う
舶来品のワックスをくれたのですが
これがドロッとした半練り状のものでべた塗りすると
板は全く滑らなくなってしまいました。
あとから聞くところ塗りすぎという具合で
滑らないスキーに涙したのを覚えております。
父親もスキーをしないのでわからないらしく
職場の知り合いに聞いてきて、翌日には「ダイヤワックス3本入り」を
買ってくれたのでした。
しかも、買ってきたワックスをいきなり溶かし、しかも3本の中の1本の銀パラ
を大胆にも刷毛でペンキのように塗ってしまいました。
これがホットワックスとの始めての出会いでしょうか?
今で言うスクレイピングなしで板の滑走面は
ギンギラギンでしたぁ。
夜な夜なお家の前の道路で滑るかどうかのテストをしたところ
全く滑らずその夜も滑らないスキーを見て涙したのを覚えております。
その涙を見ていた父は、大工道具を持ち出してきて徹夜で
スクレイピングをしたそうです。
勿論、バイスなど固定するものもありませんでしたぁ。
スクレイピングに利用したのは小刀の刃先だとあとから聞きました。
そんな事件があり、近所のオバチャンが別のオサガリの板を
持ってきてくれましたぁ。
ある日、悪がき3人はいつものように裏山へ。
その日は午後から寒くなり突然スキーが滑らなくなりました。
理由は、スキーの滑走面にべったり雪が付着しており
取れまない状況に陥りました。
オサガリの板の滑走面には塗料が塗られているのですが
オサガリの過程でそれらの塗料も剥がれてきており
私の板などは、木肌が全面に顔を出しているような板でした。
それにほぼ毎日のように滑走しており、雪の水分が滑走面に染み込んだように滲み
急な寒気で板自体が凍てつき表面に雪が付着したような感じになったのです。
悪がきのひとりは末っ子でしたので、ワックスなるのものを塗ればいいという
知識が備わっておりました。
私ともうひとりの悪がきは、たまたま一人っ子同士でしたので
そんな知識は全く無く「ワックス」と聞いて私などはリンレイワックスという
床磨きの液体ワックスを思い浮かべました。
末っ子の悪がき君にあっさり否定され、イメージのつかめない私に
ロウソクと教えてくれました。
その日は3人とも滑るのをあきらめ、
私は家に帰り、仏壇のカメヤマロウソクを1本拝借し
スキーの板へ今で言う生塗りしておりました。
見るに見かねた父親は、ノルディックスキーに使う
舶来品のワックスをくれたのですが
これがドロッとした半練り状のものでべた塗りすると
板は全く滑らなくなってしまいました。
あとから聞くところ塗りすぎという具合で
滑らないスキーに涙したのを覚えております。
父親もスキーをしないのでわからないらしく
職場の知り合いに聞いてきて、翌日には「ダイヤワックス3本入り」を
買ってくれたのでした。
しかも、買ってきたワックスをいきなり溶かし、しかも3本の中の1本の銀パラ
を大胆にも刷毛でペンキのように塗ってしまいました。
これがホットワックスとの始めての出会いでしょうか?
今で言うスクレイピングなしで板の滑走面は
ギンギラギンでしたぁ。
夜な夜なお家の前の道路で滑るかどうかのテストをしたところ
全く滑らずその夜も滑らないスキーを見て涙したのを覚えております。
その涙を見ていた父は、大工道具を持ち出してきて徹夜で
スクレイピングをしたそうです。
勿論、バイスなど固定するものもありませんでしたぁ。
スクレイピングに利用したのは小刀の刃先だとあとから聞きました。
そんな事件があり、近所のオバチャンが別のオサガリの板を
持ってきてくれましたぁ。
子供の頃のスキーの思い出①
幼少の頃のスキーの思い出は良いものではありません。
私がスキーをはじめたのは確か4歳ぐらいである。
当時はまだプラスチックのブーツなどは無く、単板にカンダハー、ブーツは
当然、ゴム靴にバックルなど付いてませんので紐です。ストックはなぜかスチールの新品。
ゴーグル?当時はそんな呼び方はしません。「スキーメガネ」です。
キャップ?グローブ?毛糸の帽子と毛糸の手袋(2本指)です。
スキーウェア?そんなものは買ってもらえませんのでヤッケです。
どこでスキーを買う?売ってませんというか殆どがオサガリなのです。
普段の靴も紐など付いておりませんから紐の結び方からはじまり
家の前の道路でひたすら立っていることと歩行と「ザッ」と音を立てて急停止の練習でした。
急停止できるのは左ターンのみ。右ターン?
できませんから、真っ直ぐ滑って左ターンで止まるのみでした。
道路でクルマが走ってくると金具を開放しスキーを道路脇へ放り出し
逃げておりました。
重たいゴムのブーツで走って逃げることが愉しかったのです。
近所のヒトから注意されたらしくスキーをするなら
裏山へ行けとお叱りを受け、仕方なく徒歩で500mぐらい離れた
裏山へ毎日朝から夕方までひとりで行っておりました。
ソリにスキーを載せて裏山まで引いていきます。
裏山には当然リフトなどありませんので
歩いて登ります。スキーを持って歩いておりましたが斜面が穴だらけになりますので
スキーを履いて二の字で登り、裏山の頂きまで行くだけで
背中は汗でびっしょりでした。喉の渇きには雪を口に入れてました。
今でも覚えておりますが初滑走は当然、その裏山の頂きから直滑降で行ける所まで
行くというのがルールです。誰の影響かといいますと
ミウラユウイチロウなのです。なぜかと言えば富士山を直滑降したヒトだからなのです。
その当時はまだ、エベレストでは滑っていませんでした。
直滑降で滑りターンはあくまでも急停止だけに使うのです。
どこまで滑っていけるのかが周囲の悪がき連中の間ではゲームだったのです。
従い、直滑降できる幅さえ雪踏みしていればOK。ちゃんと雪踏みしていないと
途中で起伏に反応できず転んでしまうという具合でした。
転んで怪我をしないための配慮かわかりませんが
雪踏みしたバーンにはヒトを入れないのがルールで子供ながらに
スタート係を皆で交代してやっていました。コースの下にヒトがいると
大きな声で「○○ちゃんが滑るから、どけろー」という具合なのでした。
どけろーと言われているのは勿論、年上の小学生だったり
学校の先生だったり、たまに滑りに来る大人達でした。
そうです。その裏山は悪がき3人のマイ・ゲレンデと化していたのですと
いっても過言ではなかったのです。
直滑降命の悪がきといっても私を含めて3名はあるとき
スキーが滑らないという共通の現象に悩みました。
つづく。