突然の死ーグリーフケアの観点から | ペーパー社会福祉士のうたかた日記

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社会福祉士資格をとるまでと、とったあと+α。浮世のつれづれ、吹く風まかせの日々。

衝撃的という言葉では足りない死。

たびたびここで書いているけど、

「まさか」「うそでしょう」

「おどかさないでよ」…という死。

 

あっという間にもぎ取られる日常。

あまりにもあっけなく。

 

この数日、

これまでケアさせていただいた方や

大切な方を亡くした遺族の方々から、

かなりのメールやLINEをいただく。

 

一様に、

「別に支持者ではなかったんだけど」

「政治に興味はなかったんだけど」と

おそるおそる前置きしながら、

 

これまでは、生きているときは、

いてもいなくてもほぼ気にならない、

TVに映れば「ああ」と思う程度。

参議院選挙か、くらいの認識。

 

なのに、亡くなったとたんに、

涙が出て、涙が出て、止まらない。

あの日からなにも手につかない、と。

 

急ぎ、

特に配偶者を亡くされた方には、

フラッシュバックにつながる

TVやネットを遮断するよう伝える。

 

私もあれから重苦しい。

 

正直、生前、

筆に任せてボロクソに書いてたし、

首相の座をあっさり明け渡して、

院政を敷いてからはさらに加速的に、

裏で好き放題やってんだろうなあと、

決して快くは思っていなかった。

 

が、さすがにこれは…

 

亡くなったから手のひらを返して

偉大だったとか聖人だったとか、

称賛一択になりはしないけれど、

(投票行動にも影響はなかった)

そういう理性の部分ではなくて、

 

あらためて死に対する準備や予測は、

まったく意味をなさないと痛感する。

 

無力で、無抵抗。

 

TVがカン違いしてるなあと思うのは、

発砲した瞬間映像や音声を流す前に、

わざとらしい、神妙な顔つきで、

無理して見ないでくださいとか言う。

 

バッカじゃないの。

大はしゃぎで食いついてたじゃん。

他局を出し抜く気、まんまんで。

いまさらいい人ぶんなって。

 

遺族にとって、いや私にとっては、

発砲の瞬間やその直後の映像、

血を流して倒れている姿よりも、

 

事件が起きるほんの数分前、

笑顔で手を振り登場する映像の方が

何十倍もなん千倍もきつい。

残酷過ぎて、正視できない。

 

何が壊れ、何を失ったのかって、

民主主義とか言論とか安全神話とか

そういう小理屈の部分もあるけど、

それよりももっと、

 

「あと数分で自分は死んでしまう」

そんなことをまったく、ほんとに、

まったく、まったく考えていない人。

 

疑いのない、屈託のない、無防備で、

そういう人ひとりの人生が、

「続いている」から「終わる」まで、

「継続」から「断絶」を見せられた、

見てしまった、という重さがつらい。

 

遺影にしても、

偉業をまとめたVTRにしても、

生と死はこんなに近接していない。

 

看取りという予測の範囲ではなく、

加害者以外に誰も予見できない死、

突然、生から死に至る「経過」を、

私は、生まれて初めて目にした。

 

今回の件について、

悲しみや苦しみを感じることに、

「そんなに好きでもなかったのに、

なぜだろう。どうしてだろう」と

疑問に思ったとしても、

理性で回答するのは難しいと思う。

 

なんで? の回答を考えるよりも、

「そうか、私は悲しいんだな」

「好きじゃなくてもショックだな」

「死んじゃうってつらいんだな」と、

衝撃や悲嘆をいったん許容する。

 

悲しみに降参する、という感じ。

 

悲しみは、抑えようとする力と

同程度の力で膨れあがる特性がある。

だから、悲しみがとらせる行動に、

意図的に、積極的に、流される。

 

ニュース見たければ見てもいいし、

見たくなければ見なくてもいいし、

菅さんの話にもらい泣きしてもいい。

手を合わせたり、祈ったりしても

鎮静化の効果は十分備わっている。

 

感情の波に自然に乗っかっていれば、

通常は2週間ほどでおさまってくる。

(DSM-5でも2週間が目安)

 

言い方ちょっとあれだけど、

ご遺族、特に奥さまの悲嘆に比べれば、

外野の悲嘆はおそらく一過性だし、

回復もずっと早い。

 

政治って心底恐ろしいと思うのは、

亡くなって初七日もまだなのに、

奥さまを出馬させようとか言って、

利用する方向に動いているあたり。

 

やめてあげてほしいなあ。

適性がないというのが一番だけど、

これ以上負荷かけないであげてよ。

 

ricorico1214