こんにちは、りこです
5月4日リトアニア訪問最終日
日本人が誇る偉人
”日本のシンドラー“
杉原千畝さん
の記念館を尋ねました
ヴィリニスから列車で約1時間半の
カウナスに到着
第2次世界大戦初期、ナチスの迫害を逃れ
日本通過に活路を求めてきたユダヤ人に
本国の指示に背いてまでビザを発行して
多くの命を救った杉原千畝氏
1940年7月、カウナスの日本領事館前に
突然の人垣ができた
彼らはナチスかに追われポーランドから
リトアニアに逃れてきたユダヤ人
杉原氏はビザ発給の許可を求める電報を
何度も日本へ打つが、その返事は“否”
ドイツと同盟を結んでいるので日本側とし
ては当然の答えだった…
この前年、ドイツとソ連はバルト三国併合
の秘密協定を含む平和条約を結んでおり、
リトアニアにもすでにソ連兵が入城していた
日本領事も一刻も早い退去を求められ、
その期日が近づくなか、杉原氏は決断を
迫られました…
ある朝目覚めると妻が、
「窓の外をご覧になって」というので覗いて
みると、大勢のもう本当にここしか頼るとこ
ろのない切羽詰まったユダヤ人たちの人垣
ができていた
もう一刻の猶予もなく、本国の指示に背いて
独断でビザを発行する決断をしました
「私を頼ってくる人々を無視するわけにはい
かない。でなければ私は神に背く…」
その後約半月の間、彼は妻にも応援を頼み、
昼夜を問わず、ビザを発行し続けました
ペンの持ち過ぎで腱鞘炎になり座りっぱなし
の作業のため腰痛にも悩まされながらも人々
を救いたい一心で夫婦ともども頑張りました
それは、リトアニアを脱出する列車の中まで
続き、発行されたビザの数も1600におよび
ました
これにより実際に日本を経由し、第三国に渡
ることのできたユダヤ人は6000人を超えると
伝えられています
こちらの席で、昼夜問わずビザを発行
していたんですね
僭越ながら着席させていただきました
館内では彼の生涯をまとめたビデオを
拝見しました
本当に本当に立派な方です
杉原氏のみならず旅の途中のお世話
の方や日本受け入れ先の敦賀の
方々の心温かいバトンタッチがあってこそ
6000人を超える人々の命が救えたこと
と思います
リトアニアでは学校で杉原氏の功績を
学ぶそうで、みんなよく知ってます
なので、偉大な先人のおかげで
リトアニアは親日家の方が多いのです
この印は実際ビザ発給時に使用したものです
パンフレットに押してもらいました
カウナスの街を歩きます
聖ゲオルギ教会
イエズス教会
何かわからないけど… 犬2匹…
聖ペテロ&パウロ大聖堂
こちらもとても荘厳な教会で
身が引き締まりました
途中出会ったとても素敵な
ガラス細工のお店
”ゲットしました” ricoangel
SPIN こま
ブルーウニウニ
カウナスを後にしてヴィリニスに戻り、
行きには気づかなかった巨人が
川向うのウジュピス共和国
を訪ねました
ウジュピス(川向うという意味)は、15世紀
頃から労働者や職人などが住み始めた
二つの橋がかけられるまで旧市街からは
隔離されていました
その後も旧市街からは取り残される形で
あまり発展もなく、歳月がうらぶれた街並
みを作り出していましたが、ソ連時代の
後期からそんな雰囲気を好んだ芸術家や
学生、若者が住むようになり”ヴィリニュス
のモンマルトル”という言葉も聞かれる
ようになりました
ラッパを吹きならす天使の像
2002年の独立記念日に除幕された記念碑
ちょっと読みずらいですが、ウジュピス憲法
12.犬には犬である権利がある
13.猫には飼い主を愛する義務はないが必
要とされたら飼い主を助けなくてはいけない
その他面白いし、いいこと言ってますよ~
壁にずらっと何十か国語にも訳されて
貼ってあります
毎年4月1日はウジュピス共和国の独立
記念日 ウジュピオ橋には検問が設
けられます
この日だけはパスポートを忘れずに
5日間のリトアニア滞在満喫しました
王道のヨーロッパ旅行もいいですが、
意外性のあるとても素敵な国
オススメです
次回はバルト三国すべて巡りたいです
明日はいよいよ最後の地
イスタンブールに移動します
【連絡先】 ricoangel7777@gmail.com
あなたが愛と感謝を感じ、健康で豊かな人生を歩めるよう、少しばかりのアシストができれば幸いです