6年目の夏は・・・
7年目夏は・・・・
●孫娘を連れて次男夫婦の盆帰りです。
数日前から彼女はおもてなしの料理を思案です。
何の手伝いも出来ないので邪魔にならないように
シェルター(部屋)で大人しくしています。
かつての盆正月は・・・
●両親と祖母がいて、姉夫婦に男の子3人、私が娘一人とむすこふたり、妹夫婦に男の子ひとり娘二人、三女夫婦に男の子1人娘一人、弟夫婦です。盆の集まり、我が家の家族が8人、子供夫婦8人、その子供たちが8人です。全員集合で24名です。盆正月はみんな集まって賑やかな時間でした。お盆の集まり墓参り、11人の孫は裏の水路で魚釣り、水遊び、花火、蚊帳の中で大はしゃぎでした。一番大変だったのがおもてなしの彼女でした。いまは祖父母も両親も見送って、それぞれの子供たちも家庭を持ち、おじいちゃんおばあちゃんになりました。母は11人の孫と17人のひ孫の顔まで見て逝きました。
●彼女に、
ーたいへんだったなー。
「たいへんと言うより楽しかったし、若かったよー!
あれだけのことはもうできんよー!」
父の最後のことばに・・・
●父は90歳を迎えたころすっかり衰えて入退院で、がん罹患はなく老衰によるものでした。3か月が病院満期で、しばらくは医療介護施設へ入所します。12月24日が誕生日の父でしたが、92歳の秋に自分が建てた家に連れ帰り、子ども夫婦、11人の孫が集まり、ちょっと早い誕生日のお祝いをしました。
彼女はハイネックの赤いセーター、父のお気に入りのブレザーと衣装を整えます。花束を抱いて、床の間に母と座って父の挨拶です。盆正月の集まりは、父の一言の挨拶を聞く習いです。
「あなたたちのお陰で生きてこれました。ありがとう」
みんなで乾杯です。彼女が作ったケーキのロウソクを二人で吹き消します。横に座っていた母は父の頬にキスのプレゼントです。父は照れ笑い、孫たちは大喜びです。父は孫に言います。
「ビールをもういっぱい注げ!!」
●翌年の春に臓器不全で病院に入院します。食事が出来なまなりやせ細った父に、主治医は胃瘻を始めましょうかと勧めます。意識明晰な父に判断を付き添いの彼女が訪ねます。すでに点滴は体内吸収できずぱんぱんに浮腫んだ両足を濡らしています。しかし父は苦痛の叫び声がなくて穏やかで、胃瘻を拒みます。
●その日はトマトの収穫前に二人で父の病室へ行きます。ちょうど私たちの結婚記念日、病室の窓から満開の桜の花が手の届くところです。すっきりした父の顔で寝巻も着替えています。
「今朝は一番風呂にに入ってきもちがいい」と言いました。
また明日来るからと帰ります。
●その夜に夕飯を食べた後に、なんとなく父の様子が気になって彼女は一人で病院へ行きます。父からもらった言葉を私に伝えました。「あなたが家へきてくれて、ありがとう」です。
翌朝に病院から父の臨終の知らせでした。
盆帰り
●父が逝って12年、母が逝って4年目の夏です。
あの賑やかだったお盆やお正月の集まりは昔話です。
今夜は次男夫婦と孫娘、ご先祖の供養の夜です。
ただいま午前11時、気温35度
今日の最高温度の予報は39度
雲仙岳、入道雲が噴火みたいです!!
帰還道路のピンクのサルスベリです
港では一羽のシラサギが食事中
1月1日、能登半島地震でした。
8月15日 まさか南海沖地震は・・・・!!
今夜のおもてなしの料理は出来たようです。
シェルター(部屋)でお昼寝とします。
熱中症にご用心を!!
拙文お読みいただき感謝します
誤字脱字にはご容赦ください