長生きって・・
隣のサダム叔父さんは93歳で一昨年に亡くなりました。
亡くなる前は肺気腫もあって、酸素ボンベを引っ張っていた。
言葉は元気で縁側で奥さんとお茶を飲み新聞を広げていました。息子夫婦も同居で穏やかな日々でした。サダム叔父さんの母親は祖母の妹になり、父とは従弟になります。時折りご機嫌伺いで縁側でお茶を頂き、父亡き後の四方山話を伺います。
ーオレも90歳をこえたら幼なじみ同級生はみんな居なくなった。あんたの父ちゃんもなくなって、この地区では長老になってしまった。タバコは一日5本、焼酎をお湯割りで一杯、テレビももう見なくなった。もういつ死んでもいいんだがなー。しっかり自分の人生を生ききった旅立ちです。叔母さんデイサービスに元気に出向かれています。ご近所さんはやはり女性が元気で長生きです。何分にも小組で80歳代の男子はいなくて、70歳代の私が長老です。一人暮らしは皆さん女性です。
「無名の人生」渡辺京二
ーたしか60までは「ああここまで来たか」と自覚があったけれども60から一足跳びに80になったような気がします。いつの間に70代をすっ飛ばし80をこえたのか。それでも、もう少し生きたい。考えてみると、友は死んでいくし、周りには知らない人ばかりになりました。若いときと違って、年を取ると余り出歩かないし、もう相手のことも分かっている。いかに親しい友であっても、お互いに喋ることは喋り尽くした、もう新しいことは何もない。退屈だ。人間というのは、「この人はどういう人かな」「こんな一面もあったのか」そこに好奇心が沸き、付き合いするものです。しかし私はちょっと長生きしたものだから二,三歳年上の人間は死んでしまった・・・
P8-9「序・人間死ぬから面白い」から
【戦前の最先端都市、大連で少年期を過ごし、その後熊本へ引き揚げですべてを失い生き抜ぬいてきた著者。「自分で自分の一生の主人であろう」とその半生ををもとに語られる幸福論・】
渡辺京二の晩年の一冊。読み続けると表紙カバーの案内にも書いてあります。奥さんを67歳で亡くされて2022年92歳で亡くなりました。1930年生まれ、サダム叔父も1930年。
人生の終いかた、がんサバイバーの私が学んだ一冊です。
「無名の人生」渡辺京二・文春新書 2014年刊
歯科へ、第二期工事です。
7/29
●気温35度、一番に気温が高い時間に歯科へ出かけます。
歯科は予約で前歯の二期工事のスタートです。
CT結果でパドセブ治療継続で美味しく食べたいので工事決意です
まずは冠歯を取り去って神経抜くまでが本日の治療です。
いつも穿刺は慣れているのですが、歯茎の麻酔穿刺は痛いです。
治療時間は40分ほどで、彼女のお迎えです。
7/30
●いつものように目覚めたときは彼女はすでに畑です。
時刻は8時、すでに気温は30度です。
長袖、麦わら帽子、サングラス、彼女の安否確認です。
ついでに野菜に肥料を少々施し、水をやります。
僅か10分ほどで火照ってきててったいです。
カウントは、879歩、0.58キロ
水をたっぷり飲んで、アイスノン、冷たいタオル
しっかり朝寝のスタートです。
オクラ、ピーマン、サトイモ
モミジアオイ
センニチコウ
●大阪で彼女の学友でがんサバイバー
今日の定期CT検査、がん増殖なしのライン
学友の無事に勝手にお祝いです。
お刺身は海鮮丼風に盛り付けました。
学友に、今夜はハイボールで乾杯です。
●19時48分 水路からの夕焼けです。
さらにあすは気温上昇の予報です。
熱中症、コロナ感染!!
落とし穴にご用心ください。
拙文お読みいただき感謝します
誤字脱字にはご容赦ください