No.496・長生きって、死への了解・・「無名の人生」渡辺京二から | rico8001のブログ

rico8001のブログ

腎盂癌、膀胱がん、根治不能尿路上皮がん、肺転移、抗がん剤で、治療中

長生きって・・

隣のサダム叔父さんは93歳で一昨年に亡くなりました。

亡くなる前は肺気腫もあって、酸素ボンベを引っ張っていた。

言葉は元気で縁側で奥さんとお茶を飲み新聞を広げていました。息子夫婦も同居で穏やかな日々でした。サダム叔父さんの母親は祖母の妹になり、父とは従弟になります。時折りご機嫌伺いで縁側でお茶を頂き、父亡き後の四方山話を伺います。

ーオレも90歳をこえたら幼なじみ同級生はみんな居なくなった。あんたの父ちゃんもなくなって、この地区では長老になってしまった。タバコは一日5本、焼酎をお湯割りで一杯、テレビももう見なくなった。もういつ死んでもいいんだがなー。しっかり自分の人生を生ききった旅立ちです。叔母さんデイサービスに元気に出向かれています。ご近所さんはやはり女性が元気で長生きです。何分にも小組で80歳代の男子はいなくて、70歳代の私が長老です。一人暮らしは皆さん女性です。

「無名の人生」渡辺京二

ーたしか60までは「ああここまで来たか」と自覚があったけれども60から一足跳びに80になったような気がします。いつの間に70代をすっ飛ばし80をこえたのか。それでも、もう少し生きたい。考えてみると、友は死んでいくし、周りには知らない人ばかりになりました。若いときと違って、年を取ると余り出歩かないし、もう相手のことも分かっている。いかに親しい友であっても、お互いに喋ることは喋り尽くした、もう新しいことは何もない。退屈だ。人間というのは、「この人はどういう人かな」「こんな一面もあったのか」そこに好奇心が沸き、付き合いするものです。しかし私はちょっと長生きしたものだから二,三歳年上の人間は死んでしまった・・・

   P8-9「序・人間死ぬから面白い」から

【戦前の最先端都市、大連で少年期を過ごし、その後熊本へ引き揚げですべてを失い生き抜ぬいてきた著者。「自分で自分の一生の主人であろう」とその半生ををもとに語られる幸福論・】

渡辺京二の晩年の一冊。読み続けると表紙カバーの案内にも書いてあります。奥さんを67歳で亡くされて2022年92歳で亡くなりました。1930年生まれ、サダム叔父も1930年。

 人生の終いかた、がんサバイバーの私が学んだ一冊です。

「無名の人生」渡辺京二・文春新書 2014年刊

歯科へ、第二期工事です。

7/29

●気温35度、一番に気温が高い時間に歯科へ出かけます。

歯科は予約で前歯の二期工事のスタートです。

CT結果でパドセブ治療継続で美味しく食べたいので工事決意です

まずは冠歯を取り去って神経抜くまでが本日の治療です。

いつも穿刺は慣れているのですが、歯茎の麻酔穿刺は痛いです。

治療時間は40分ほどで、彼女のお迎えです。

7/30

●いつものように目覚めたときは彼女はすでに畑です。

時刻は8時、すでに気温は30度です。

長袖、麦わら帽子、サングラス、彼女の安否確認です。

ついでに野菜に肥料を少々施し、水をやります。

僅か10分ほどで火照ってきててったいです。

カウントは、879歩、0.58キロ

水をたっぷり飲んで、アイスノン、冷たいタオル

しっかり朝寝のスタートです。

 

オクラ、ピーマン、サトイモ

モミジアオイ

センニチコウ

●大阪で彼女の学友でがんサバイバー

今日の定期CT検査、がん増殖なしのライン

学友の無事に勝手にお祝いです。

お刺身は海鮮丼風に盛り付けました。

学友に、今夜はハイボールで乾杯です。

●19時48分 水路からの夕焼けです。

さらにあすは気温上昇の予報です。

熱中症、コロナ感染!!

落とし穴にご用心ください。

 

拙文お読みいただき感謝します

誤字脱字にはご容赦ください