昭和は遠くなりにけり
●今日は何の日
じいちゃん、昭和の日だょー
へぇ―――いつからそんな休みになったのかなー
●社会人になってひと月、孫娘が息子夫婦とやってきました。
昭和の日ってのがあるんだ、すっかり忘れていました。
百姓家の惣領で生まれたのは昭和23年、1948年です。
祖父母は明治生まれ、両親は大正生まれ、私が昭和です。
西暦と元号があることを知ったのは小学生になってからです。
●生まれてから今まで75年余月、この集落から出て暮らしたことはありません。わたしが生まれたころはどの家にも、牛馬がいました。家の電灯は60ワット裸電灯、釜戸があり、五右衛門風呂です。水道もなし井戸から水を汲んでました。
テレビもない、部屋の天井下にラジオ棚がありました。子供の手が届かないように、つまみ(周波数)回せるのは祖父か父でした。ラジオ放送の記憶は「赤胴鈴之助」です。祖母と一緒に聞いていた浪花節は何故か子守歌の様でした。
●「昭和の日」病院はお休み
病院の受付は、姓名、生年月日からスタートです。
どこの病院の受付でも元号でなく西暦で答えます。
いつ昭和から平成へ、そして令和になってきた記憶が薄れていきます。今日は何日?何曜日?今何時?、アレ、それ、これ・・
老いふたりの会話の日常です。
●ーじいちゃん、お土産のお菓子、仏壇にお供えします。
オードリー、20分も並んで待って買ってきたよー。
ーオドリー春日?オードリーヘップバーン?
孫娘の初めての給料で頂きました。
●父ちゃん、飲み過ぎるなよー
●冷凍になる蠣、有明海のにし貝もお土産です。
おもてなしのご馳走です。
●おじいちゃんになったのは53歳でした。
四方山話で賑やかな一夜です。
令和6年4月29日「昭和の日」でした。
4月30日
●散歩道の電線ではホホジロの囀りです。
ヨタヨタといつもの海岸散歩道です。
ぽつぽつと雨が落ちてきます。
残り300メートルほど、走れるわけなく、
春雨じゃ、濡れていこう
ホホジロが励ましています
明日は5月1日、74回目パドセブ治療日になります。
こちらはすでに毎週がゴールデンウイークです。
拙文お読みいただき感謝します
誤字脱字にはご容赦ください