あれから8年か・・・
●熊本地震2016/4/14-4/16
2016年4月14日、9時26分地震発生、
震源は日奈久断層、阿蘇山ろく益城町は震度7
私の町は測定値は震度5強、これでも立っていられない揺れ
●4月15日。前年の心房細動カテーテルアブレーション術後で定期診断予約日。病院へ電話し診察可能か尋ねると平常診察の返事。海岸沿いの病院への道路は損傷なくスムーズに病院到着。途中で瓦が落ちている家屋も散見。病院の玄関のモルタル壁に亀裂、広いロビーいっぱいに救急ベットがあり、整然と並んでいる。それぞれの外来診察室の診察待ちの患者は、いつもと変わらない。採血、心電図撮影から診察待ち後、異常なし、診断で次回の予約票を貰って帰宅します。病院でも余震発生です。
●帰宅すると、妹が娘夫婦と孫を連れて避難してきていました。
マンションの9階と11階の住まい、すべてのものが倒れ停電と断水です。こちらも時折りの停電、断水は免れました。孫は生まれてまだ百日前でした。母にしてみれば、ひ孫になります。
3人で暮らしていた家に、赤ちゃんの泣き声が久しぶりに若さを取り戻しました。地震の怖さを不図忘れる夜でした。
●4月16日 みんなが安堵で眠りついた深夜1時25分、寝床で背中を突き上げる縦揺れの地震で目覚めます。集落の防災スピーカーは津波警報発令とサイレン音、家は停電で暗闇です。海岸、海抜0メートル我が家、それぞれ高台へ逃げます。母を車に押し込んで一目散、着いたところは5キロほど高台にドラッグストアの駐車場でした。津波警報解除の知らせで家に帰ると、みんな帰宅です。私は、ちょうど4月に引き継いだばかりの集落の区長でした。75世帯ほどの家を集落の消防団員と、一戸づつ安否確認です。夜が明けてニュースはとてつもない被害の映像です。
●壁やドアなど被害はありましたが、築65年の家は持ちこたえました。それから甥っ子夫婦、受験生の息子と避難は増えます。
一週間ほどの避難所提供でしたが、ライフラインの回復、安全確認で自宅へそれぞれ帰っていきました。
●借家住まいの甥っ子は自分の家をたてます。弟は最初住んでいた持ち家を貸家にしていましたが、解体し土地売却です。別に建てたアトリエで暮らします。あの時の赤ちゃんは小学生、受験生は医大を卒業でいまは研修医です。母の脈取りにはまにあいませんでした。あれから8年過ぎてしまえば、もうそんなに生きてきたのかと時の速さにため息です。
●能登半島地震、台湾地震、自然の災禍の中の人々に伝えたい。ひとは強い、諦めず頑張れる力を持っています。
大切なのは「希望」をなくさないでください。
若者は大丈夫、年寄りは先の時間を考えます。
年寄りに伝えたい、明日は等しくやってきます。
病して思うは、起きて半畳、寝て一畳・・・・
五体不満足でもしぶとく私は生きていきます。
被災地の皆さんに一日でも早い
安らぎが来ますことを祈念します。
●今朝から小雨が降り続いてます。
庭の花々をお届けします。
オオテマリ
ノースホール
シザンサス
昼ご飯のご案内です。
太ります。
食べすぎ用心!!
ワンプレート、これでも・・・・
お散歩が出来ますかなー
拙文お読みいただき感謝します
誤字脱字にはご容赦ください