2020/7/7・抗がん剤治療開始です。
●根治不能な尿路上皮がん、転院でいまの病院で抗がん剤治療になります。ちょうど県下は大雨洪水警報発令中です。球磨川氾濫で人吉球磨地方は洪水、水害です。最初の抗がん剤治療はGC療法、2泊3日入院でワンコース治療開始です。家も水害の危険があり病院近くのビジネスホテルに二人で前夜伯です。
翌日は雨が上がり無事に入院となります。
パンデミックコロナの真っ盛り、いったん病室に入れば階下、部屋をうろつくことは出来ません。どんな治療になるのか全く分からず、ご案内に従うだけです。入室前に覗いたファミマの書棚に病院には不具合な本を見つけました。
パラパラとめくり退院後に買い求めることにします。その日は早速の治療開始、点滴時間10時間余、今日にいたる抗がん剤治療の終わりのない始まりでした。入院中は水害で被災しケガした人や、とりわけ透析患者がドクターヘリで搬送されてきました。
【「死」とは何か】
●著者のシェール・ケーガンはエール大学哲学教授です。
入学してくる学生に20数年にわたって続けてきた講義録です。
もちろん日本に向けては膨大な講義録から纏められたものです。
興味をそそったのは裏表紙「余命宣告をされた学生が、゛いのちをかけて゛受けたいと願った伝説の講義」とあります。
物騒なタイトルに興味はそそられ、退院で買い求めました。
癌罹患は誰もがまさか自分がと想定外、そばで知るがん患者はまさに他人の病気、ひとごとでした。がんイコール死、がん罹患を宣告されて、私は死に怯えます。
腎盂癌、膀胱がん、そして両肺に無数の転移です。施術出来ない根治不能な尿路上皮がん、抗がん剤での延命がスタートします。あがきながら読み漁ったこの一冊は救いになりました。
●これからを生きる君たちへ
死についての最終講義の表題ページです。P371
その一文を紹介し、この一冊をおすすめします。
「--死は不快なテーマであり、それを私たちは頭から追い出そうとする。たとえ死に直面したときにさえ、それについて考えない。たとえば、墓地の前を通り過ぎたのに目を留めようとさえしないといふことが、これまでどれほどあったろうか?私たちは束の間この地球上にいるだけで、やがていなくなるという現実について腰を据えて考えることが、どれほど頻繁にあるだろうか?たいていの人は、どうしても死について考えたくないのだ。・」
立花隆の最終講義「東大生と語りつくした6時間」
先年亡くなった立花隆が入学した東大生に残した講義録です。
自身も尿路上皮がん罹患で年齢差50歳の彼から「君たちはどういきるか」と残したメッセージです。
自身も膀胱がん罹患で「がん生と死の謎に挑む」2009年11月23日に、NHK特集として原案企画して放送されます。自身の体験を交えながら「死」について述べています。
「誰もがいずれ死を確実に迎えます。・・・・実存主義者がいうように自分の死は自分で死んでみるまで分からない。しかしだからなんだって言うのですか・・誰にだって死は日常的な事実問題として来るときには来るのですから、そのときは淡々とその事実を受け入れればいいのだし、それに、死に際してそれほど苦しまないで済むような装置は,人間ひとりひとりに対してたぶんきちんと出来ていると思います・・・」2章P61
●君たちはどう生きるか
●吉野源三郎が軍人として召集される前に、「日本少国民文庫」に子供たちに向けての人生教本とし出版し、兵士になります。わたしがこの本と出合うのは雑誌「世界」に丸山真男追悼文からでした。人間とは何か?今年の米国アカデミー賞アニメ部門は宮崎駿のタイトル「君たちはどう生きるか」でした。むろん吉野源三郎の内容は違います。観ては居ませんがやはり宮崎流の「君たちはどう生きるか」「人間とは」と問いかけていることでしょう。出征前に書き残した吉野源三郎。いま人間の欲望が戦火を絶やさない世界、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」は投げかけていると思いますが・・・・ごらんの方は如何でしたか?
吉野源三郎は復員後に岩波書店の「世界」初代編集長です。
1981年「世界」8月号「吉野源三郎を偲ぶ」書棚あり
購読からすでに42年、人間は進歩したしたんでしょうか?
●昨夜は足の攣りとしびれで、眠れない夜です。
今朝は暖かく塩浜港まで往復1000歩、ヨタヨタと歩きます。
田んぼにカラスの一群
頭上にムクドリ
遊水地にバン、水路にはダイサギ
港にはカモがのんびりしています。
ねむれない夜はページを捲ります。
勝手な蘊蓄お読みいただき有難うございす。
誤字脱字にはご容赦ください。