No392・友情の梅 | rico8001のブログ

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明治は遠くなりにけり

●明治100年は二十歳のころだった。

祖父母は明治29年と30年生まれ、乃木大将の話を聞いた。

御一新から10年、戸籍制度、租税が始まった。

その後に明治憲法制定で自由民権運動になる。

地方史を調べたとき租税制度の一揆首謀にご先祖の名字があった。全国的な明治政府への異論はやがて西南戦争とも呼応していく。1980年放送、NHKの大河ドラマ「獅子の時代」はフィクションではあるが史実考証が確かなドラマだった。 宮崎滔天の兄の八郎は1887年の西南戦争で西郷軍で戦死する。

自由民権家、肥後ルソーと呼ばれた滔天は、肥後玉名郡小天村の前田案山子と出会うことになる。前田案山子はご隠居になり、小天の里に温泉をを掘り別荘住まいとなる。そこに集まってきたのが、中江兆民、植木枝盛などの自由民権家とある。

 宮崎滔天は前田案山子の三女ツチさんと結婚する

●小天の里、前田邸に投宿したのが五高教師の夏目漱石です。やがてこの前田邸をモデルにして「草枕」名作となります。通院の途中にある前田邸です。先日は漱石も歩いた庭園へ梅の花を見に行きましたが蕾でした。

漱石先生は思案中

2月4日 宮崎滔天生家

友情の梅

滔天さんや、孫文さんに会えた心地です。

滔天さんは孫文さんと会議中

2月5日

今日は一日中の雨模様です。

散歩もせずにただ惰眠を貪っています。

関東は大雪の模様です。

週末はまた寒くなりそうです。

わが家の梅はまだ咲きません。

 

昭和も遠くなりにけり

昭和元年1926年です。

令和6年2026年は

昭和元年から100年です。

いま、

孫文が描いた中国でしょうか

滔天が描いた日本でしょうか

友情の梅は見事に咲き続けています。

 

拙文お読みいただき感謝します

誤字脱字にはご容赦ください