茶の日によせて

  初めて紅茶を飲んだ日本人 
エカテリーナ二世のお茶会


 初めて日本に紅茶が入ってきたのは明治時代ですが
その100年以上も前にロシア女帝エカテリーナ二世のお茶会に招かれた日本人がいました。


 時は江戸時代、彼の名は大黒屋光太夫。
なぜ、鎖国時代に日本人の男性が、
しかも遠いロシアの地で“宮廷の茶会”に招かれることになったのでしょうか…?




1782年12月9日
紀州で船頭をしていた大黒屋光太夫は
紀州藩御用米を積みこんだ帆船・神昌丸で
白子港(現在の三重県鈴鹿市)から江戸へと向かいました。

その道中
記録的な暴風雨に遭遇し帆が吹き飛ばされ、船が難破。
伊豆大島付近で目撃されたのを最後に
行方をくらますことに。


 光太夫をはじめとした16名の船員は8か月もの漂流生活の後
日付変更線を越えて
北大西洋ロシア領のアムチトカ島に漂着します。



 

日本への帰国を懇願したものの叶わず
光太夫一行はロシア語を習得しながら、寒さや飢えと闘いながらシベリアを横断
首都であるサンクトペテルブルクを目指します。


漂流から8年あまり
ようやくエカテリーナ二世への謁見が叶い、日本への帰国を直談判。
幾度かの謁見の末、1791年11月、宮廷のお茶会に招かれ、
エカテリーナ二世から帰国の許可を受けたのです。


 10年にも及ぶサバイバル生活の末
日本への生還を果たしたのは光太夫と船員2名だけ。
日本に来船した初めての黒船が、光太夫が乗ったロシアからの送還船でした。
この船の中には
餞別品として貴重な茶と砂糖も積まれていたとされています。


 光太夫が飲んだロシアンティー…、
果たして、どのような味だったのでしょうか?
時代背景からすると
このお茶は現在も親しまれている「ロシアンキャラバン」ブレンドのように
中国紅茶と烏龍茶をミックスしたような
半発酵茶のテイストだったのではないでしょうか。


200年も前
過酷なロシアでの生活を強いられ
エカテリーナのお茶会に招かれるという波乱に満ちた人生を送った光太夫


初めて紅茶と出会った日本人にちなみ
11月1日は「紅茶の日」に定められています。


「おろしや国酔夢譚」
事実は小説よりも奇なり
言葉通りロシアに漂流し数奇な運命に翻弄される
光太夫の姿を描いた長編小説
紅茶の日の一冊にぜひ。
 

 

おろしや国酔夢譚 (文春文庫) [ 井上 靖 ]

 

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  ~ 藤枝理子 サロンマダム日記 ~  国式紅茶&マナー教室 エルミタージュ  藤枝 理子