部屋とパソコンとゲームと私。 -4ページ目

部屋とパソコンとゲームと私。

言いたいこと、思ったこと、なんでも放り込んどく。

少し前ほどひどくはありませんが

これは往々にして言われていることです。

「暴力的なゲームのやりすぎで~」とか

「敵はやっつけるもの」という感覚が定着してしまうとか

いろんな云いがかりを受けて、

ゲームと言うものは時に批判されてきました。



しかし幼稚園のころから今まで

様々なゲームをプレイし続けてきた私にとっては

これは真っ赤なウソであるとしか思えません。

親がゲームという格好の的に責任転嫁をしているだけなのでは

と思ってしまわざるをえません。

ストリートファイターをプレイした次の日に

子供が会う人々に蹴りを入れたりするか。

モンスターハンターをプレイした次の日に

子供が公園で見かけた動物に暴力を加えたりするか。

こういう問題って結局

親の教育管理が行き届いているか に帰着すると思うんですよ。

ゲームはそのきっかけを与えただけにすぎないし

その程度のきっかけはTVドラマや漫画、映画などからも

与えられるレベルのもののはずです。



ようは、都合のいい言い回しなんですよね。

最近少しだけ話題になった某twitter上での問題で

2chの住民等が「パチンコ屋廃止」には「正論だ」と言うのに対し

「児童ポルノ規制」には持てる総知恵を振り絞って

優位な立場から反論するのと似ています。

「これは必要無さそうだし、これのせいにするか。」

という感覚にしか思えないのです。



そして現にゲームをすることには

メリットが多くあると思う。

なにより本当に知らないうちに学べること大きい。


RPGでは、論理的な思考や戦略の組み立て方が学べる。

そして無意識の内に様々な英単語に触れられる。


アクションでは、基本的な物理法則や立体感覚が得られる。

もちろん指先を動かす器用さも身に付く。


格ゲーは、その状況に対する適切な対応が求められる。

レースゲーは集中力。

などなど。



私はゲームから実際にこういったことを

知らないうちに学びとってきた自身があります。

そういったことも少なからず、

今いる環境まで来ることの助けになってきたと信じています。



元々ゲームをするというのは

問題を解決していくという事ですからね。

与えられた課題を解決するために

策を練り、対策をして実行するのがゲーム。

こういった感性は大人になっても

必要になってくるはずです。

ゲーム感覚で生きるのは間違っています。

ただゲーム的な感覚を大事にして生きるのは

むしろプラスになりうることだと思いますからね。



もし将来子供が生まれたら、

もちろんゲームはさせるつもりです。

自分の大好きなゲームを

子供にやらせてみるというのも

ある意味いまから楽しみだったりしますね。

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ポケモンの新作が出ると

大学ですら結構な人数が

買ってやってたりするものです。

そういう時ってシナリオを純粋にクリアしている人の中に

どうも努力値とか、個体値とか

違う話をしている集団がいませんか?

そういう人が何をしているのかというのを

ポケモンブラック2・ホワイト2決定記念で

紹介したいと思います。



まずポケモン育成について。

ポケモンを育てる上で、本気でやろうとすると

ただレベルを上げるだけではどうしても限界があるのです。

それに関係しているのが

①種族値…それぞれのポケモンの種族によって、各能力の伸び方の基準値。

②個体値…同じポケモンでも、各個体による能力の値の差に関与する値。

③努力値…様々なポケモンを倒すことで各能力値に振られるボーナス値。

④性格…性格により能力の伸びが異なる。

という4つの要素です。

それぞれの値を適切に伸ばす(種族値ははじめから決まっています)ことで

同じポケモンでもより強いポケモンを育てることが可能なのです。



まず、種族値は育てるポケモンによって決まっているので変えられません。

性格については最近では伸びやすい能力が赤く、

伸びにくい能力が青く表示されていたりするので、わかりやすいです。

例えば「いじっぱり」なら

攻撃が1.1倍、特攻が0.9倍と言った具合です。

こちらは「その性格の親♀にかわらずのいしを持たせて遺伝させ」たり、

「特性:シンクロのその性格のポケモンを戦闘にして野生と戦」ったり

することで求めている性格のポケモンにしましょう。




では個体値をどうやって高めるのか。

個体値というものは、各個体について、

HP:0~31
攻撃:0~31
防御:0~31
特攻:0~31
特防:0~31
素早:0~31

という値でランダムに決まっています。

個体値が31に近ければ近いほど高い能力値に、

逆に0に近いと低い能力値に育ちます。

言うならばこちらは「才能」です。

これを高めるには、「個体値の遺伝」を主に使います。

交配を行ううえで、親の能力は子に遺伝されます。

ではどんな形で遺伝するのかと言うと、

2体の親の6個ずつの個体値、つまり12個の値から

ランダムに1~3つが選ばれて遺伝されます。

また、それぞれに対応する「パワー○○○」系のアイテムを持たせると

その能力値の遺伝を固定することができます。

(例えば攻撃個体値31の親にパワーリストを持たせると攻撃31が必ず遺伝される)

基本的にはこれと前述の「かわらずのいし」を


それぞれの親にもたせて卵を産ませる



良い個体が出るまで粘る



随時親を入れ替える(求めている能力の子が出る確率を上げる)



卵を産ませる…


といった工程を繰り返すことで

よい個体値のポケモンというのを生み出すことができます。



では最後に努力値はと言うと。

これは例えば、「ズバットを1体倒せば素早さ努力値+1」

といった具合に、それぞれのポケモンに定められており、

その値を蓄積させていくごとに

その能力が伸びてゆくといった感じです。

各能力値に振れる値は、「合計が510まで」「各能力は252まで」

振ることができます。

つまり、

HP6 攻撃252 素早252 といった具合に

振り分けたりすることができます。

この場合、攻撃と素早さには限界まで振っていますので

その個体値では一番高い値まで成長します。



こういった具合で、ポケモンの能力値とは

案外頑張り次第で伸ばすことができ、

どの能力を伸ばして、どんな技構成にするのか

でかなり戦略性が広がるのです。

その面白さに取りつかれてしまった人々が

いわゆるポケモン廃人と呼ばれる人々なのです。

卵を孵化→逃がす→・・・を繰り返していると

正直簡単に時間が経ってしまいます。

学生にしろ社会人にしろ、妥協のしどころが肝心ですね。

ですが本当に奥深い世界なので

ぜひ一度挑戦してみては、と思いますね。

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なんて話が最近報道されましたね。

全国の私立、国公立大学の生徒を対象に

小学校レベルのテストを実施したところ

24%近くが「平均」の意味を正しく把握しておらず

奇数+偶数=奇数 の証明ができない生徒もいた

みたいな話です。



さて、どうなんでしょう。

これに対しては様々な意見が交わされているようです。

この結果を否定する意見としては、

まず、

初めての調査なのに、「学力低下」と結論付けるのはおかしい

という意見ですが、これはごもっともかもしれませんね。

"例年より"の低下 と読み取った場合に限りまが。

ぶっちゃけ小学校レベルの内容がわからないってことは

明らかな学力低下なんですよ。各個人レベルで見れば。

その他にも問題文が悪いとか、いろいろ言われてますけど

実際見たら昔よく見たような問題分の通りでしたし、

屁理屈でしかないと思います。



一大学生から見れば非常にショッキングな記事でした。

正気かと言わざるを得ない。

大学というものを日本は本格的に見直すべきではないのか。

大学と言ってもピンキリだとは思いますが

どれも全て高校を卒業してから行く場所なんですし

それに見合う学力は求めていくべきだと思いますね。

大学に入ってからつくづく思うのが、

「この人たちは何で大学に入ったんだ」という事です。

数多くの人間が本気で

いかに講義に出ずに最低限の努力で単位を取るか

に重きを置いているからです。

要領のよさ、とか都合のいいことを言っていますが

そんなことを4年と大金をかけて学ぶこと自体のほうが

よっぽど要領が悪いことに気づかないのか。

気がつかないのではなく

結局はそれも言い訳なのではないのか。



まあがんばらないなら頑張らないで

競争相手が減ってありがたい話ですが。

大学生がモラトリアムだのなんだの

馬鹿にされないような世の中になってほしいものです。


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mixiニュースとかで定期的に

見ることになる話題ですよね。

男女の友情はあり得るのか?

これはなんだか人の恋愛の

永遠のテーマであるようです。

少し気になったので適当に掘り下げてみます。



あり得ない派としては

どうしても下心は消せない、とか

それ以上の関係になる事を拒めない、とか

結局は恋愛への妥協の形が

男女間の友情であるという意見が多いようです。

あり得る派はどちらかと言うと

実体験を基に、演繹的に存在を主張しているようです。



一見どちらも納得してしまいがちですが、

この2つの意見では、

友情という言葉の定義がズレているようです。



前者ではどちらかと言うと、

同性と全く同じ態度で接する事を前提として

友情としている傾向にあります。

だから、少しでも下心があったり

態度が甘かったりすると、それは友情ではない。

一方後者では、

恋人的な行為が存在しない、

理性的な関係であれば何であれ友情であると

考えていると思われます。



これらの問題の捉え方の差からわかるのは、

要はあり得るのか、と言う一般問題ではなく、

個々の理性の持ち方の問題なんですよね。

結局ずるずる欲求に負けてしまう、と言う人は

人間そういうもんだ、として「あり得ない」と主張し

理性をしっかり保ち、実際にそういう関係を維持できている

と言う人は「あり得る」と答える。

それだけの問題なんじゃないかと思います。



この問題は、化学的に「あり得ない」と証明されているようですが

それはどんな基準での判断なんでしょうか。

こういう人間と人間との関係を一概に

化学なんて最も客観的な見地から

述べるのもおかしいような気もしますが。

それにしても

こんな答えも中身も無い疑問を弄んで

記事を書いて生活している人間が居るって言うのが

信じられないですね。

「恋愛」という物は万人が少なからず関心を持つ

数少ないジャンルであることは確かですが・・・

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先日漫画喫茶にいったところ

AKIRAが置いてなくて泣くなく

他の漫画を選んで読んできたんですが

その日の内に大学の先輩に

AKIRAのありかを教えて頂いたので

急きょ読みに行ってきました。




AKIRAという作品は

唯一無二と言っても過言ではない巨匠、手塚治虫に

天才と言わしめた作品と言われているようです。

私自身はLIVE A LIVEというゲームの

一番好きな章である近未来編の

モデルになった作品であるということで

ずっと気になっていました。



舞台は近未来のネオ東京。

不良少年たちは街中をバイクで走り回っている時に

偶然、謎の少年に出会ってしまう。

後にわかることですがその少年は超能力者であり、

その謎の超能力少年、その裏に絡む政府の機関など

様々な謎に不良少年は首を突っ込んで行く・・・

といった感じです。



非常に独特な作画、世界観を持ってます。

それでいてリアリティも色濃く描かれており、

まさに近未来の世界をダイナミックに、シニカルに表現した

読み手を飽きさせない作品だと思います。

特に描き込みが秀逸で、

崩れたビルのかけらを全て集めると元のビルに戻るほどに

精密に描かれているという逸話とも現実ともわからないような

話さえあります。

漫画自体は6巻しかありませんが

その量的、質的ボリュームにより

読み切るのには5時間近く費やしました。

その丁寧に表現された世界観に引きこまれ、非常に濃密な時間を過ごせました。



漫画の中ではもはや古典に近い作品になりつつありますが

そのクオリティには現在の漫画では到底

たどり着けないような突出した部分があると思います。

こんなに全巻買いそろえたいと思う

作品には初めてであったかもしれませんね。

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