『四重人格(原題:Quadrophenia) 』

リリース 1973年10月27日

録音 1972年~1973年

プロデュース ザ・フー

【収録曲】

SIDE A

1.ぼくは海 - I Am the Sea

2.リアル・ミー - The Real Me

3.四重人格 - Quadrophenia

4.カット・マイ・ヘアー - Cut My Hair

5.少年とゴッドファーザー

 - The Punk and the Godfather

SIDE B

6.ぼくは一人 - I'm One

7.ダーティー・ジョブス - The Dirty Jobs

8.ヘルプレス・ダンサー - Helpless Dancer

9.イズ・イット・イン・マイ・ヘッド

 - Is It in My Head?

10.アイヴ・ハッド・イナフ - I've Had Enough

SIDE C

1.5:15 - 5:15

2.海と砂 - Sea and Sand

3.ドゥローンド - Drowned

4.ベル・ボーイ - Bell Boy

SIDE D

5.ドクター・ジミー - Doctor Jimmy

6.ザ・ロック - The Rock

7.愛の支配 - Love Reign o'er Me

【パーソネル】

○ザ・フー

ロジャー・ダルトリー - リードヴォーカル

ジョン・エントウィッスル - ベース ブラス バッキングヴォーカル

キース・ムーン - ドラムス リードヴォーカル

ピート・タウンゼント - 他全楽器 リード&バッキングヴォーカル

○ゲストミュージシャン

クリス・ステイトン - ピアノ(B7. C1.3.)

【作品概要】

・アルバム完成までの過程

ピート・タウンゼントのコンセプトによる、『トミー』に続く、ザ・フー二枚目のロックオペラ作品である。フーは1972年5月に、ピート・タウンゼントの主導のもと、制作が中止されたアルバム『ライフハウス』に代わる作品となる、『ロック・イズ・デッド~不死身のハードロック』の制作を開始している。だがレコーディングを進めるうちに、また『ライフハウス』制作時と同じ状況をたどりつつあることを危惧したピートは、またしても中途で制作を放棄してしまう。

本作に含まれた「イズ・イット・イン・マイ・ヘッド」や「愛の支配」は、このセッションで作られた曲である。またアルバムタイトル曲の「不死身のハードロック」は、1974年のコンピレーションアルバム『オッズ&ソッズ』で日の目を見ている。

結局、72年のフーの新作はニ枚のシングルのみとなったが、ピートとジョン・エントウィッスルがそれぞれソロアルバムを発表している。また『トミー』のオーケストラ版がリリースされ、ロンドン交響楽団とのチャリティー・ライブが開催されるなど、様々なイベントが行われている。

レコーディングに先立ち、フーは自分達の専用スタジオ「ランポート・スタジオ」を作っている。これはバタシーにあった古い教会にレコーディング設備を持ち込んだもので、こういった環境は、メンバーのレコーディングにかける時間や集中度を高める結果となっている。

レコーディングは1973年5月からスタートし、7月17日に完了、8月から9月にかけてミキシングが行われた。アメリカでは10月、イギリスでは11月にリリースされた。

フーは、ピートがアルバム制作に関しては、以前からピートがイニシアチブを取ってきたが、本作ではそれまで以上に強い支配権を持って進められたという。また、全曲タウンゼントの曲で占められているオリジナル・アルバムも、本作が唯一である。このため、1stアルバム『マイ・ジェネレーション』以来、ジョンが提供した曲やリード・ヴォーカルをとる曲がなく、キース・ムーンが「ベル・ボーイ」で珍しくリード・ヴォーカルをとっいる。

ピートのワンマン体制でのレコーディングに対し、ジョンはベースの音が自身の満足いく形でミキシングされていない事に不満を持ち、ロジャーもボーカルとサウンドが単調になってしまっている事に文句を言っている。さらにこの時期には、ロジャーとピートの間には根深い対立が起こっており、この年の10月、ツアーリハーサル中に殴り合いの喧嘩に発展、ピートが病院に搬送されるという事件が起きている。この他にも、本作からの曲がコンサートでうまく再現が出来ないトラブルや、それまで関係が良好だった、マネージャーのキット・ランバートとギャラの未払いをめぐって対立するなど、様々な問題が起こっていた。そうしたことから、ピートはフーをこのまま続けていくべきか悩む様にさえなっていた。

・アルバムのコンセプトとサウンドの特徴

ピートの独裁体制ゆえのいくつかの軋轢を生んでしまった作品だが、その完成度とサウンドと歌詞の拡がりは凄まじい。ピート自身も、本作については「僕はザ・フーにとってこれが最後の傑作だったと思っている」と語っている。結果として本作は、ニ枚組の大作でありながら、イギリス、アメリカ共にチャートの2位につける大ヒットとなった。

サウンド面では前作『フーズ・ネクスト』で初めて導入したシンセサイザーがさらに多用され、前作以上に複雑で色彩豊かな音造りになっている。さらに、フォーン・セクションもさらにナチュラルでダイナミックなアレンジが施されている。

物語の舞台は1960年代中期のロンドン、モッズ少年のジミーの多重人格と精神的な葛藤を軸に思春期の時に不条理なうつろいやすさが描かれている。『トミー』や頓挫した『ライフハウス』『ロック・イズ・デッド~不死身のハードロック』とは異なり、自分達のルーツを題材にしている。広がり過ぎて収集がつかなくなった過去の失敗からの反動が、ピートをそういった方向に向かわせたのだろう。だだし、本人によればこれは自叙伝ではなく、ザ・フーの歴史がメンバーではなく観客によって作られてきた事を表しているという。また、主人公のジミーを支配する四つの人格は、それぞれフーのメンバー四人の人格を割り振ったものであり、収録曲中4曲は、メンバー四人を反映するテーマ曲となっている。「ヘルプレス・ダンサー」はロジャーの、「ベル・ボーイ」はキースの、「ドクター・ジミー」はジョンの、そして「愛の支配」はピートのテーマである。つまりアルバムは、メンバーの姿を投影したものであり、さらにモッズの少年が主人公なのである。つまり、パーソナルな世界観を描きながらも、世代の物語でもあるのだ。

本作も『トミー』以降のピートの書く歌詞の傾向であるが、ストレートでありながら解釈が難しく、曲そのものもアルバムのコンセプトも難解と言える。アルバムにはピートによるライナーノーツと内容を補完した44ページにわたる写真集が付属されている。だが、やはり物語の結末は明確に示されず、その解釈はリスナーに託されている。

たたしジャケットは、スクーターにまたがるモッズ少年と、そのスクーターのミラーにザ・フーのメンバーの顔が写されているといったもので、こちらはいたって解説的で分かりやすい。なお、ジャケットと写真集で主人公のモッズ少年役を演じたのは、テリー・ケネットという当時21歳の塗装工の青年だった。

1979年、本作を元にした映画『さらば青春の光』が公開され、モッズ・リバイバル・ブームが引き起こっている。2005年にはミュージカルとして再現。さらに2015年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるオーケストラ版『Pete Townshend's Classic Quadrophenia』をリリースするなど、『トミー』同様多様なメディアでの再現が行われている。

・ライブでの再現

本作の楽曲は、シンセサイザーやSEをふんだんに用いた複雑な構成の曲が多く、四人編成でしかもキーボーディストもいないザ・フーではステージでの再現が困難だった。バンドはあらかじめ、バンド以外のパートをまとめたバッキングテープを作成し、それをライブで同時再生しようと試みた。だがそのテープが会場の湿度や気温に影響されうまく再生できず、再生するタイミングがバンドと合わないといったトラブルが頻発した。ライブ中に音響係が再生タイミングを間違え、激怒したピートが音響係をステージに引きずり出し、バッキングテープを引きちぎってステージを降りてしまうという事件も起きている。観客の反応もいまひとつで、『四重人格』の曲はツアー開始当初は12曲がセットリストに入れられていたが、ツアーが終わる頃には3曲にまでに減っていた。またこのツアー中、本番前に酒に鎮静剤を混ぜて飲んだムーンがコンサート中に昏倒し、客席の中からドラムが出来る者を募り、立候補した一人をステージに上げて急場をしのぐという出来事もあった。

【楽曲解説】

「ぼくは海」

アルバムは、海岸に打ち寄せる波の音から始まる。本アルバムのSEは、合成されたものや既存のものは一切なく、すべて現場まで出向き録音がされている。

「リアル・ミー」

アメリカでシングルカットされている。医者の診断を受けようが、母に打ち明けようが、理解してもらえぬ少年の満たされない心をロジャーが歌い上げる。キースの全編フィルインやジョンのリードベースもいよいよ極めた感があり、壮絶な演奏を繰り広げる。

「四重人格」

アルバムのテーマへとなだれ込む。ピートによるシンセやキーボードとリードギターが奏でる広がりのあるインストゥラメンタル。映像化の案が先にあったのだろうか。サウンドトラックの様な展開を見せる。

「カット・マイ・ヘアー」

日常生活を描きながら、思春期の少年の移ろいやすい心を描写している。質の違うメロディーを編成させることによる、劇的な効果はピートが培ってきたものだ。

「少年とゴッドファーザー」

この曲も、少年の移ろいゆく心を描いている。現実を突きつけられながら、自分はヒーローだと思いたい。メロディーとサウンドだけを聴いていれば、ハードロックにも聴こえるが、ピート書く歌詞は、ロック・ミュージックがここまで来ていることを表している。

「ぼくは一人」

寂しさが溢れた歌詞で、アコースティックギター中心の伴奏から、サビの「僕は一人」でロック的に展開する、ややカントリータッチの曲である。

「ダーティー・ジョブス」

シンセのリフをバックに軽やかに歌われるが、挫折感が漂う歌詞である。

「ヘルプレス・ダンサー」

ビターでウィットな歌詞の連続。「キッズ・アー・オールライト」がSEとして使われる。

「イズ・イット・イン・マイ・ヘッド」

難解な歌詞だが、平穏な世界は、創造の産物という意味だろうか。

「アイヴ・ハッド・イナフ」

「もうたくさんだ」という歌詞が続く。少年の不安定な心のうちを吐露する歌詞が続いている。

「5:15」

イギリスでのシングル曲。

ピートのどうしたらよいの感のある歌い出しから、威勢のよいフォーン・セクション。そこから、パワフルなロジャーの歌になるのだが、15才のセクシュアルな少女が案内係を鼻であしらうといった歌詞から始まる。あとは、感覚的にワードが羅列されるのだが、少年の悩める心は伝わってくる。ピートの書く詞には、初期の頃から青臭い青年の焦がれや悩ましさが描かれることがあるが、他にこんな情景を描ける作家がどのくらいいただろうか。

パーカッシブなクリス・ステイトンのピアノにメンバーの演奏は相変わらずで、曲自体はつとめてパワフルなロックンロール。

「海と砂」

海辺で、どうにもならない両親のことなどを思い巡らす少年のことが描かれる。ピートのギターは多重録音されているが、シンプルな編成で、これだけで静や沈黙とのコントラストを描きながら力強くロックンロールするバンドはまずないだろう。

「ドゥローンド」

僕を自由にしてくれ、冷たい水に溺れたいというサビの歌詞が印象的だ。ダイナミックなバンド演奏は変わらずだが、コーラスやピアノの連打、さらにフォーンが連なる、組曲的なアレンジはフーならでは。

「ベル・ボーイ」

映画では、印象的なシーンで使われているが、この曲も異なるメロディーとフォーンやシンセなどが使われ、きわめて多層的なアレンジがなされている。

タイトルのコーラスに、答えるような騒がれたキースのボーカルなどユーモアもある。

「ドクター・ジミー」

医師の名をタイトルに、不条理で暴力的な歌詞が並ぶ。

「ザ・ロック」

何ともストレートなタイトル。バンドとストリングスが絡んだ演奏が続く。ピートのギター・リフがマーチの様に響き、エンディングを予感させる様なシンセの演奏。そこからまた違ったリフが繰り返され最終曲へ。

「愛の支配」

愛の偉大さが高らかに歌われる。支配されると雨を降らせるが韻を踏んでいる。しかし、曲想は展開し、苦みを含んだ歌詞へ。シンプルな楽曲でアルバムは閉じられる。

アメリカでシングルカットされた。