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『ビートルズ・フォー・セール』
(原題:Beatles for sale)
リリース 1964年12月4日
録音 1964年8月11日~8月14日 9月29日~10月26日 EMIスタジオ
【収録曲】
1.ノー・リプライ - No Reply 
2.アイム・ア・ルーザー - I'm a Loser
3.ベイビーズ・イン・ブラック
 - Baby's in Black
4.ロック・アンド・ロール・ミュージック
 - Rock and Roll Music(Berry)
5.アイ・フォロー・ザ・サン
 - Follow the Sun
6ミスター・ムーンライト
 - Mr. Moonlight (Johnson)
7.メドレー:カンサス・シティ - ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ 
Kansas City(Lieber - Stoller) - Hey, Hey, Hey, Hey(Penniman)
8.エイト・デイズ・ア・ウィーク
 - Eight Days a Week
9.ワーズ・オブ・ラヴ
 - Words of Love(Holly)
10.ハニー・ドント
 - Honey Don't(Perkins)
11.エヴリー・リトル・シング
 - Every Little Thing
12.パーティーはそのままに
 - I Don't Want to Spoil the Party
13.ホワット・ユー・アー・ドゥーイング - What You're Doing
14.みんないい娘
 - Everybody's Trying to Be My Baby (Perkins)
*特記なき場合、作詞作曲 ジョンレノン ポールマッカートニー
【パーソネル】
*ビートルズ
・ジョン・レノン - ボーカル アコースティックギター リズムギター ハーモニカ タンバリン 
・ポール・マッカートニー - ボーカル ベース アコースティックギター ピアノ ハモンドオルガン
・ジョージ・ハリスン - ボーカル リードギター 12弦ギター アコースティックギター アフリカンドラム
・リンゴ・スター - ボーカル ドラムス タンバリン マラカス ティンパニ カウベル パッキングケース ボンゴ 
*アディショナル・ミュージシャン
・ジョージ・マーティン - ピアノ
【作品概要】
ジャケットの四人の表情は、あきらかに疲れている。どこか不機嫌ささえ漂わせている。寒さの増す、ロンドンのハイド・パークのアルバート記念碑の木立をバックに、アルバート・フリーマンが撮影したものである。このアルバム・タイトルとは裏腹な彼らの疲れた表情には、相応の理由がある。
1964年、ビートルズは初めてアメリカに上陸しツアーを行う。それに前後して、映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』を撮影しアルバムを録音する。そしてワールドツアーで世界を周り、再度の全米ツアー、そして凱旋しての全英ツアーと続く。
ブライアン・エプスタインとジョージ・マーティンは、クリスマス・シーズンに向けてアルバムを制作すること決める。当時のビートルズは、年間二枚のアルバムとシングル四枚が義務付けられていた。コンサートの合間には、テレビやラジオの出演や雑誌のインビューなどが入ってくる。そんなスケジュールの合間をぬって八日間だけスタジオに入ることが許され録音されたのが『ビートルズ・フォー・セール』なのである。タイトルは、クリスマス商戦にアルバムを制作する、自虐的ユーモアと言ってよいだろう。
前作は、全曲オリジナルだったのに、今回は14曲中カバーが6曲と、以前のスタイルに戻ってしまっている。作曲の時間が取らずに、オリジナルが準備出来なかったのは明らかである。ポールがこのアルバムの為、単独で書き下ろしたのは、“エブリ・リトル・シング”と“ホワット・ユー・アー・ドゥーイング”の二曲のみ。“アイル・フォロー・ザ・サン”は、16才の時に書かれたものだ。
しかし、“ノー・リプライ”に始まるジョンの曲の歌詞は、ボブディランの影響を受けながらも、ロックンロール詩人ジョンレノンの幕開けを感じさせてくれるものがある。オリジナルが足らないために選ばれたカバー曲も、四人の嗜好が反映されている。
もう一つ、このアルバムの大きな特長は、カントリー&ウエスタンの影響である。もともと、カントリーソング自体、イギリスからの移民のフォークソングが元に発展したものであるから、カントリーへの回帰は、ビートルズにとって当然のことであったのかもしれない。
ビートルズは忙しく疲れていた。だが、それ以上に彼らは、若くエネルギーに溢れていた。
【楽曲解説】
「ノー・リプライ」
パーソナルなメッセージを三分間のポップソングにしたとうい点でこの曲は完成されている。
こんなに恋焦がれているに、彼女は振り向いてくれないという、ジョンレノンのラヴソングの核心のテーマが、聴き手に突き刺さる様に迫ってくる。ポールとジョージのコーラスもこれでもかとばかりに情感を盛り立てる。威勢のいいロックンロールでない曲でアルバムが始まったのも初めてのことだ。 
「アイム・ア・ルーザー」
1964年のパリ公演で、ポールはボブディランのセカンドアルバム『フリー・ホイールライン』を手に入れ聴いているが、すぐにジョンはポールと街に出て、デビューアルバムの『ボブ・ディラン』を購入、ビートル達は二枚のアルバムを繰り返し聴いた。この曲は、ジョンがボブ・ディランに影響を受け書いた曲である。ただし、ジョンが内面をさらけ出す様な歌詞を書いたのは初めてではない。
レコードが売れ有名になり、大金が手に入る。ジョンの夢は実現したが、その成功は決して心地よいものでなかった。その心情を失恋の歌の形を借りて表現している。それが次作に収録された、「ヘルプ!」へと繋がる。
ビートルズ解散直後のインタビューでジョンは、「自分の中には、僕は負け犬だという自分と、俺は万能の神だという自分がいる」と語っていが、この曲の詞が素晴らしいのは、ジョンが自己の二面性を語っていることである。大きな成功を収め名声と大金を手にした若者が、自分は負け犬なんだと吐露する。さらに、ポップスターらしい振舞いと個人の本音は違うことが告白されてる。ジョンの苦悩の旅が始まったのだ。
リードボーカルは、初めジョンが取り、サビでは魔法の様にポールと入れ代わる。
「ベイビーズ・イン・ブラック」
「彼氏がいなくなってから、彼女はずっと喪服を着ている、僕はどうしたらよいんだろう」。では、かなり屈折した描写が歌われている。この曲は、ジョンとポールが顔を付き合わせて書いた、純然たる共作曲である。さらに、オリジナルとして初のワルツが試されている。歌も二人が最後まディランハモッている。
「ロックンロール・ミュージック」
内省的で否定的な曲が三曲続き、威勢のよいビートルズはどこへ行ったんだろうとファンが思ったところで登場するのがこの曲。ジョージマーティンのプロデュース能力は、曲順によるコンセプト作りだけでも素晴らしい。
ジョンがロックンロール詩人と敬愛する、チャックベリーの代表曲のひとつだが、オリジナルがユーモラスなリズム&ブルース調なのに対し、ビートルズバージョンは、ジョンのシャウトも猛々しい性急なロックンロールだ。ピアノはポールが弾いており、ベースはジョージが弾き、ギターはジョンの弾くリズムギターだけだ。最後まで突っ走ると思いきや、途中で顔をだすラテン風味が、デビュー時にない余裕を伺わせる。録音は、ワンテイクで完成している。
日本では、シングルカットされ大ヒットしており、ビートルズは日本公演のオープニングナンバーにこの曲を選びファンに応えている。
「アイル・フォロー・ザ・サン」
前述の様に、レコードデビュー前にポールが書いてライブでも演奏されていた曲である。バラードへの拘りが続いているが、この曲はクラシカルなものでなく、後にポールが得意とするフォークバラードである。
ジョンとポールがボーカルを分け合ったり、ハーモニーをつけたりと、まったく違う性質の二人が、たんなるバラードに絶妙なさじ加減を加えている。
サウンドの基本は、ジョンの弾くアコースティックギターとポールのベースで、リンゴは自分の膝をパーカッションにしている。ジョージの主張で、ギターソロがオーバーダビングされている。
「ミスター・ムーンライト」
日本公演当日に放映された、ビートルズ来日ドキュメント番組の冒頭で早朝、羽田空港に着いたビートルズがキャデラックで首都高を疾走するジーンで流され、ジョンのシャウトが当時のファンに衝撃を与えた曲だ。オリジナルは、ドクターフィールグッド&ジインターンズのラテンポップスで、ジョージがアフリカンドラムを演奏しており、ハワイアンなムードを出している。ハモンド・オルガンを弾いているのはポール。
「カンサス・シティー〜ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」
ポールが憧れの歌手の曲を、アルバムで初めてカバーしたのが、だ。ビートルズ初のメドレーだが、クレジットでは一曲にカウントされている。もちろん、リトルリチャードのカバーだが、オリジナルはリトルウィリー・リトルフィールドの“K.C.Loving”。この曲では、マーティンのピアノがファンキー度を増すのに大きく貢献している。
憧れのアイドルの曲を歌唱するのに、苦心していたポールに、ジョンは、「しっかりしろよ、お前の力は、そんなもんじゃないだろ」とゲキを飛ばしたという。今のポールにとっても、得難い思い出だろう。
「エイト・デイズ・ア・ウィーク」
一週間が八日あっても君を愛しきれないという、イギリス人らしいウィットに富んだ曲。ジョンは事故を起こしてから、運転を運転手に任せていたが、そのドライバーの言葉から、ポールがタイトルを閃いている。
フェイドアウトに続く、フェイドインというポピュラーミュージック史上初の試みから、ジョンとポールのツインボーカルが、三連符からエイトビートへと聴かせてくれる。エッジを失わずに、コーラスが効いたポップチューンを歌えたのは、当時からビートルズだけだった。
「ワーズ・オブ・ラブ」
バディーホリーの曲で、アレンジ等はオリジナルをほぼそのまま流用している。
そして、ボーカルはジョンとジョージだ(!)。“ユーリアリーガタホールドオンミー”だけが、ジョンとジョージのツインボーカルとされていたが、実はもう一曲あったということになる。
ジョン、ポールともにバディーホリーに対する敬愛度はきわめて高く、ビートルズというバンド名自体、バディーホリーのバックバンドのクリケッツの持つ、英国の伝統競技「クリケット」と昆虫の「コオロギ」のダブルネーミングをヒントに作られている。
また、クリケッツは、ロックンロールの初期からギター二本にベースとドラムという編成でバンドを組んでおり、その点でもビートルズに影響を与えている。
ジョンとポールは、ソロになってからもホリーの曲を取り上げており、ポールにいたっては楽曲を自身の会社で管理し、ホリーの誕生日には、毎年バディーホリー・ウィークを開催していた。
「ハニー・ドント」
カールパーキンスのカバーで、もともとはシングルのB面曲。レコーディング終盤にリンゴの歌う曲がないことに気付いたビートルズ。それでこの歌をリンゴが歌うことになった。少し前のBBCのライブではジョンが歌っている。
パーキンスがビートルズに与えた影響も著しいものがある。80年のソロアルバム『タッグオブウォー』で、ポールは自作曲をパーキンスとデュエットしている。また、85年に制作された彼を特集した番組には、ジョージとリンゴも出演している。
「エブリー・リトル・シング」
ポールの手によるポップチューン。ジョンとのツインボーカルで分かる様に、この頃の二人は、ソングライティングもボーカルの分け合いも、群発のパートナーシップを保っている。ティンパニのアレンジとリンゴのタメの効いたドラムパターン。そして、ジョージの12弦ギターと一体となり、ビートルズワールドを築いている。
ステージで演奏された記録はないが、現在のポールがライブでやれば、間違いなく生えるだろう。
「パーティーはそのままに」
彼女が来なくてつまらないから、パーティーを興醒めさせる前に消えるよとという歌詞と、明るくもどこか寂しげな曲調。メロディーはカントリー調ながら、レノンミュージックとして完成している。
ボーカルを二重録りしたダブルトラッキングは珍しくない手法であるが、ジョンが重ねたのはハーモニーパートである。つまり、一人でデュエットしているのだ。サビでは、さらに高音部にポールがコーラスを重ねている。ジョージが歌うパートもあり、中期に得意とした三部コーラスになっている。ビートルズは、おそろしく歌が上手いコーラスグループだったのだ。
「ホワット・ユーアー・ドゥーイング」
ジョンとポール共作ののラヴソングだが、リズム&ブルース色が強い曲。
「みんないい娘」
カールパーキンスのカバーで、ジョージが歌っている。この曲もオリジナルはヒット曲ではなかった。


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