思い込みは知らず知らずのうちに自分に深く根付いています。

 

これはこうに違いない、なぜこういう動きをしないんだ、こうあるべき、という身近なことから、自分にはできない、無理だ、難しいという自分自身の可能性にも及びます。

 

特に、自分自身が経験しなくても、テレビやSNSなどの情報や、周りの人からの話からその影響は強く受けるでしょう。

 

それが感受性の高い子どものときに受けると、とても強い潜在意識として残るのではと思います。

 

であれば、逆にその思い込みを良い方向に持っていくことも可能ではないかと思います。

 

自分はこれがしたい、できるはず、どうすれば可能か、何か情報はないか、そう考えだすと、これまで見向きもしなかった情報や、うまくいった話などが目に入ってきます。

 

話題のAIも、自分がよく閲覧するもの、興味があるものがどんどん情報として流れてきますよね。

 

引き寄せの法則とは、自分自身がこうありたい、こうしたいと思ったときに、それにつながる情報や人に体が反応することではと思います。

 

これまでは難しいと思い込んでいたものも、何かあるんじゃないか、どうにかしてうまくできないか、可能性はあるんじゃないか、そう思い込んだときに、自分が思っている以上に体も、頭も、周りの景色も変わるんじゃないかと思います。

 

これは引き寄せていると同時に、自分を可能性に導いているとも言えるように思います。

 

マイナスの思い込みによって、可能性を狭めるのではなく、可能性ある思い込みによって自分をそこに導くことができる。

 

誰でも可能性はある、生きる道がある、ということは自分を導くことではないかと思います。

 

まずは自分の中のストッパーを外してみましょう。

わたしたちは、自分の経験や周りの会話、ニュースやSNSなどで知らず知らずのうちに思い込みをしていて、それが自分でも気づかないことがあります。

 

たとえば、コンビニではカード払い、スマホ決済のキャッシュレスは当たり前だと思い込んでいたら、切手は現金払いだと言われたり。

 

とある受付でレシートをもらったので、その場で支払いをしようとすると、会計機は別にあって、そこでQRコードを読み込んで支払う形式になっていたり。

 

お店の入口がガラス扉になっていて、自動ドアかと思い開くのを待っていると、実は手で開けるドアであったり。

 

自分の中で、ここはこうあるべきだ、このケースではこうすることになっているという思い込みがあると、ついその行動をとってしまいます。

 

もちろん、すぐに気づけば問題ないですし、色々なパターンがあると始めから思っていればその場面に合った行動が取れるでしょう。

 

ただこの思い込みによって、自分の行動を制限していると考えるとどうでしょう。

 

自分にはできそうにない、無理に決まっている、うまくいっているのを見たことがない、思い込みによって自分の行動を狭めていることはありませんか。

 

これはこういうものだという思い込みは、自分が思っている以上に根付いているものです。

 

本当にそうだろうか、他に方法はないか、可能性があるんじゃないか。

 

普段の小さいことからそんな意識でいると、自然と思い込むクセが和らぐかもしれません。

 

何でもあり得る、何でもできる、そう思った方が面白そうですよね。

わたしは以前から怒ることもなく、感情的になることもありません。

 

それは、怒っても仕方ない、感情的になることがプラスになることがないからだと思っていましたが、違う側面もあると思いました。

 

人が怒る時は、何らかの理由があります。

 

思った通りにいかなかった、言ったのにやってくれなかった、なぜかわからないけど怒られた、様々だと思います。

 

それらについて、わたしはなぜそうなっているのかを考えていました。

 

うまくいかないときは何が原因なのか、相手に伝わらないときはどこがわかりづらかったのか、理不尽な言われ方も何かあったんだろうなと思ったり笑

 

つまり、起こった結果よりも、次どうしよう、どうすればうまくいくか、そのことに目が行っている気がします。

 

話は少し変わって、ニュースを見てると、起こってほしくないニュースも頻繁に起こります。

 

特に無差別殺人、関係のない人に危害が加えられたというようなニュースは本当に見たくないです。

 

ですが、こういった事件についても表現には賛否あると思いますが、なぜそんな事件を起こしたのか、その背景が知りたいです。

 

人は生まれつき人に危害を加えるような人はいないはずですから、何らかのそこに至った原因があるはずです。

 

もちろんわたしが防げるわけではないですが、もし同じような境遇の人に出会ったとき、してあげられることはないか、どう接すればよいか、結果として犯罪に至った人もいるけど、同じように苦しんでいる人にどうすればよいか。

 

目の前のことに一喜一憂するのではなく、自分に何ができるかを考えます。

 

感情をため込むのも体には良くないので、ときには発散しつつ、どうすれば良い方向に向くのか。そんな考えも必要ではないかと思います。

考え方、感覚は人それぞれ、「ふつう」であることも人によって違います。

 

待ち時間ひとつをとっても、遅れることをふつうという人もいれば、5分前集合をふつうとする人もいます。もっと早い10分前、30分前がふつうの人もいれば、ピッタリに合わせることがふつうの人もいます。

 

本当に人それぞれで、そういう見方をするとおもしろいなと思います。

 

そして、そのふつうの感覚は、その人の特長にもつながります。

 

待ち時間より早く着くことをふつうとする人は、手堅い特長、きちんとしている特長があると言えるでしょう。

 

遅れる人は?時間にルーズなのを特長とするのかはケースによりますが、大らかな特長、状況にあまり動じない特長があるのかもしれません。

 

自分には特長がない、特長がわからないという人もいますが、自分のふつうと周りのふつうを比べてみたらおもしろいかもしれません。

 

ふつうが人によって違うということがわかることも、観察力がある、特長を見つけることができる特長があると言えます。

 

インターネットでふつうを調べて、自分と比べてもいいでしょう。

 

自分の特長がわかる、おもしろいことがわかるかもしれません。

 

「ふつう」という言葉を調べてみると、「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。」と出てきました。

 

平均的であるものと書かれているものもありました。

 

このふつうという言葉、特に人に対して当たり前のように使ってしまいますが、とても危ない言葉だなと思います。

 

普通はそんなことはしない

普通はわかる

普通はできる

それは普通じゃない

 

今のわたしは使わなくなりました(使わないようになりました)が、おそらく以前は無意識に言っていたのだと思います。

 

人それぞれということは、特に最近では意識するようにしていますが、ふつうも本当に人それぞれだと思います。

 

普通=あたりまえとするならば、あたりまえも人それぞれですよね。

 

一日3食食べるのが普通の人、一日1食が普通の人、食べる内容もご飯が普通の人、パンが普通の人、本当に人それぞれです。

 

それを人に言ってしまう前に、まずお互いの普通を確認することが大切ではないかと思います。

 

わたしの普通はこうだけど、あなたの普通はこうなのね、じゃあ、今度からはこうしようか。こういうやりとりなら、お互い納得が行くんじゃないでしょうか。

 

人とのやりとりの中で、理不尽だと思うことも、言ってる方は普通だと思っていて、言われている方は普通じゃないのかもしれません。

 

普通を合わせる必要はなく、お互いの普通を認識した上で話をする。これが理不尽、違和感をなくすことなのではと思います。